ぱそらぼ (ぱぁと1)

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無言

2009年12月16日 | 雑談
昔はゲームと言うと、カルタやトランプなどのカードゲームや、コリントゲーム・人生ゲームなどのボードゲームを指しました。家族でゲームに興じるといった図も典型的なお正月の過ごし方でもありました。いつからかゲームと言えば、テレビゲーム、パソコンゲーム、オンラインゲームを指すようになりました。最近は「Wii Sports」がゲームプレーヤーをソファから立ち上がらせるようになりましたし、複数人で遊べるようでもあり、少し回帰現象が起こりかけているかも知れません。が、相変わらず子供同士が背を向けて、それぞれがそれぞれのゲーム機でゲームに興じるという風景が普通です。

家族であれ友人であれ、カードやボードのゲームの場合は、複数人で遊ぶことが基本です。必ずそこには「勝ち」「負け」があり、相手とのキャッチボールがあります。飽きたから自分だけがゲームから離脱するといったことはできません。負けると面白くはないにしても、相手がある以上それを許容せざるを得ません。

ところが、最近のゲームは、好きな時に一人でゲームをすることができます。嫌なら途中でやめればいいし、途中でゲームセットになっても再度始めればいいだけだし、相手の顔色を気にすることなくゲームを楽しむことができます。そう考えれば、最近の生活は人と交渉をするのが嫌であれば、全く他人を避けていることも可能です。コンビニでは「いらっしゃいませ」とは言われても、黙って通せばそれでいいですし、ネットショッピングなど人混みすら通る必要がありません。ただ無言で自分の要求だけを満たしていくことが出来る世の中なのですね。電車も切符を買うのも券売機、切符を提示する相手は、自動改札機です。バスになればボタンを押すだけで、ものを言わなくても降車駅を意思表示できます。

私達はそれをして、便利で合理的な世の中だと思ってきました。誰しもが平等に何かをできるように…という配慮は常になされているようですが、それは結局誰がしても同じという味気ない均一性を生むに至りました。人がその手を省こうとするところから、もしかすると世界の廃頽は始まったのかも知れません。日常生活は、むしろ他人と言葉を交わさなければならないわずらわしさの上に成り立っている方が健全なのかも知れないですね。


プレビューを見ると、何やらデータが…
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