goo

はたのこうぼうのアメリカ映画研究会①~濱口監督、ラングを語る~『熱き夜の疼き』

神戸映画資料館での新しい企画シリーズが始まった。
この春、神戸に拠点を移した濱口竜介監督、脚本家の高橋知由、野原位監督の3人で、
おもしろい脚本を書こうと立ち上げたユニット「はたのこうぼう」。
まさに現代版“鳴滝組”。
おもしろい脚本といえば、アメリカ映画ということで、公開の場で、
3人がそれぞれ好きな映画監督の作品について研究発表していく企画。
それぞれ、フリッツ・ラング、アルフレッド・ヒッチコック、エルンスト・ルビッチと、
偶然、アメリカ映画史で重要な監督でありながら、アメリカ人ではない、ドイツ、イギリス出身の監督を選んだ。
次回は10月とのこと。
今日は、濱口監督が『熱き夜の疼き(クラッシュ・バイ・ナイト)』(1952年フリッツ・ラング監督)の上映後、
2時間弱にわたり、熱弁をふるった。
以下、既におぼろげになりつつある記憶の糸をたぐりよせながら、
印象に残ったフレーズなど、ご紹介したい。
言葉は私が言い換えしている可能性大ということで、どうぞご容赦ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

フリッツ・ラングのフィルモグラフィーを
地獄、復讐、変身というキーワードから、「見取り図」を読み解きたい。
ラングからエリック・ロメール監督へと至る線を紡いてみたい。
ロメールとラングをつなぐなんて意外に思われるかもしれないが、
『我が至上の愛~アストレとセラドン』のインタビューで次のように語っている。

ー『アストレ』には、フリッツ・ラングの作品に常に現れるモチーフ、魅惑と嫌悪が対になった感情の動きがあることにも気づいた。
フリッツ・ラングもまたフォルムの創造者である。
ついては今回の作品が、私にとっての『大いなる神秘/情炎の砂漠』(監督:フリッツ・ラング)であると言われるなら、
なるほどそれもけっこうな話ではないか!ー
引用先HP  Yapme!

本作『熱き夜の疼き』は、ラング監督の中でも、最もロメール的作品。
(時系列としては逆になるが)
現代作家ロメールを通じて、ラングを再発見する。

ロメール監督の「六つの教訓話」シリーズ(1962~72年)は、
いわば、色男が浮気して、最後には元の女性のところに帰還する話。
「心変わり」「改心」がテーマ。
「誠実(忠実)ー誘惑」、「欲望ーモラル」が立ち上がる。

そのうちの1本『愛の昼下がり』。
男性が、浮気相手の女性のアパートを訪れ、
シャワーから出たばかりの裸体に触れながらも、
何かのきっかけで、脱ぎかけた服を戻し、そのまま女性に何も告げないまま、
部屋を出て、階段を駆け下り、家に戻っていく。

そのきっかけが何だったかは、はっきりとは示されない。
ただ、ちょうど服を脱ぎかけた時、セーターの首から顔だけ出した格好が鏡に映る。
それは、ちょうど少し前に彼が赤ん坊をあやすためにした、同じ格好であり、
彼にとっては、このアクションが、彼の家族の存在を想起させ、家への帰還につながった。
この恰好が直接的なきっかけではなかったとしても、思いを増幅させたはず。
つまり、「振り返り」「ひるがえす」
きっかけとなった。

ロメールの作品の主人公の男性も、
本作のヒロインのメイも、
今生きている地道で単調な人生と、
もうひとつの夢みられる人生、ありうるかもしれない人生との間で
選択を迫られる。
欲望にかられて後者を選ぶのか、あるいは…、
そういう意味で、ロメール作品にも
ラング作品にも同じ構図がみられる。

本作では、
ヒロインのメイ(バーバラ・スタンウィック)が、退屈な日常、繰り返しの生活が嫌で
一度は街を出たものの、挫折して
また故郷に戻ってくるところから始まる。

優しくて気のよい漁師のジェリー(ポール・ダグラス)に求婚され結婚し、娘を授かる。
結婚して幸せなはずなのに、
なぜか、ある日の朝食のあと、仕事に出る夫を見送る時
「キスしてくれないの?」「朝のキスは嫌と言ってたよね」「でも、今日はいいの」と言って
ささやかなキスを交わし、夫は出ていく。
そのあと、なぜか、メイが食卓を片付けようとして涙を流す。
なぜ泣くのかは示されない。でも彼女が泣いているところに、
酔って介抱されて止まっていた夫の友人の映写技師アール(ロバート・ライアン)が起きてきて
見られてしまう。

メイは、アールに言い寄られ、はじめは抵抗したものの、身をまかせてしまい、
逢瀬を重ねるようになる。
やがて夫に知れることとなり、駆け落ちを決意するが、
最後は、夫と寄りを戻すというお話。
(あらすじを書いていて、公開中の傑作ポルトガル映画『熱波』を思い出した。
どちらもメロドラマなんですね~)

ラスト、メイが夫の下に帰還していく結末は、ご都合主義にもみえるし、
戦後のアメリカの検閲制度ヘイズコードのためとも考えられるが、
それだけだろうか?

モチーフの反復、
服を脱ぎかけた格好という、同一の姿の反復が、改心、心変わりへとつながる。
物語を考える時、「3反復の原則」というのがあって
モチーフを3回繰り返すとのこと。

きっかけは、はっきり特定できなくても、
不可思議なものを、不可思議なまま、不可解なまま、受け取ってはどうか。

『海辺のポーリーヌ』(ロメール)では、葛藤を描くために、複数の欲望を導入している。

『三重スパイ』(ロメール)では、妻は夫に寄り添い外出もほとんどしない。
個人の力では抗いがたい運命の力、存在。

『激怒』(ラング1936年)では、複数の欲望が行き違う。
犯人に仕立て上げられ、何もかも奪われた青年が、いわば地獄のような状況を体験した後、
自分をリンチしようと襲いかかった群衆に、復讐しようとする。
結局、青年は、自分が群衆にしされたのと同じことを、復讐という形で、しようとするが、
最後は、「改心」して、復讐をやめる。

他者とは、いわば理解できないもの。
観客にとっても同じ。

カメラは、ドラマを記録する装置。
ロメール監督いわく、カメラとは「仕草の記憶装置」。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上です。
最後は、段々内容が難しくなり、ついていけなくって箇条書きですみません。

映画の冒頭の港町の風景、缶詰工場の光景を描いた数分は
まるでワイズマンの映画みたいで、
ラング作品の中でも、この映画は本当に好きな作品だとあらためて思った、
と監督が言っておられました。

それぞれの監督の作品の映画の断片を紹介しつつのお話は
とてもわかりやすく、
ラングとロメールってつながるんだ~と意外な発見をした気分です。

さて、今日は、七芸での濱口監督特集の後夜祭のオールナイトの日です。
今頃、染谷君と濱口監督のトークが終わった頃でしょうか。
明け方に上映される『何食わぬ顔』(long version)が観たい~!と叫びながらも、
今週は仕事やらいろいろ睡眠不足ですっかり疲れ、体力尽きてしまったので、
まっすぐ家に帰りましたが、
せめて、自分なりに、特集上映への賛歌を綴ろうと始めたら、
こんな時間になってしまいました。

というわけで、やっぱり、濱口監督作品は観たら元気になるし、
お話を聞いても元気になるということで、
いつかまた『何食わぬ顔』(long version)を観れる機会はあるはずと信じて
まだまだ書いてみようというわけです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« しゃがみこん... 映画評論家山... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。