映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No846『名前のない男』~王兵監督Q&A~あなたにとって映画館とは?
平日なかなか映画を観にいくことができず
この機会に、少し前にあった王兵監督の挨拶をご紹介します。
10月12日の月曜日夜の9時から
中国の王兵(ワン・ビン)監督の長編ドキュメンタリー
『名前のない男』(2009年)がテアトル梅田で
上映され、上映後、監督が挨拶に立たれました。
ちょうど関西空港に着いたばかりで、風邪気味という監督は、
まだ少し暑さの残る中、ジャンパーを着こんでの登場で
体調はあまりよくないとのことでしたが、短い時間でしたが、
会場から次々挙がる質問に丁寧に答えてくださいました。
『名前のない男』は、
廃村にたった一人でひっそり暮らしている男性
(おっちゃんというかおじいちゃんというか微妙?)の
冬から翌年秋にかけての一年を描いた作品で、96分、台詞なしです。
冒頭、ごちゃごちゃといっぱい物が置いてあるような穴蔵から、
のそのそとはい出てくる男性の姿から始まります。
監督の言葉の中で最も印象的だったのは、
「僕にとって、映画館は特別なところ。
他のお客さんがいても、
自分だけの空間であり、
自由に映画の光を存分に味わえる。
(いわばスクリーンと一対一で)
自分と映画との関係を味わうところ」
という言葉でした。
かつて黒沢清監督が
映画館は自分を発見するところ、他者と自分との違いに気付くところと
言っておられたのをよく覚えていて、私も考えてみたのですが、
私にとって、映画館は、“呼吸ができるところ”…かなと思いました。
映画を観ながら、映画と対話しながら、ちゃんと息ができるところ。
息苦しくなった現実から、しばし離れて
自分の呼吸を回復するところ。
だから、映画館は元気をくれるのだと思います。
さて、王兵監督のお話に戻ると
観客からの「セリフのない映画は初めて」との問いに
監督いわく
「こういうストーリー性の薄い作品を見ると
新鮮な感じがするのではないでしょうか。
ハリウッド映画のようにストーリー性の濃い作品ばかり観ていると
飽きるのではないか。
いろいろ試してみてはどうか」
本作の男性とは、廃村で偶然会ったそうです。
監督が休憩しようと、車を止めて村の中へ入ると、
偶然現れて、誰もいないと思っていたので、とてもびっくりした、
2006年末から2008年まで、時々行っては
1日か2日撮っていき、
集めた映像を編集段階で
日常の生活のディテールが伝わるよう1年間をつなげていったそうです。
男性が瓜か何かを包丁で切りながら
何かつぶやくシーンがあるのですが、何を言っていたのか
との質問に、監督は
「知り合ったときから話をしない人で
人とずっと長い間しゃべらなかったことから、
言語機能を喪失しているほど。
会いに行っても全くしゃべらないし、
僕にも全くわからない言葉で方言のようだった」
最後の締めの言葉は
「映画というのは、自分たちより上のレベルにあるものではない。
生活の一つとして、生活と平行線にあるもの。
映画の種類もいろいろあるし
好みで観てもらったらいい。
いまや映画も
技術的な方向に進むもの(3Dのこと?)と
感情にしっかり訴えかけるものと
二極化が顕著だと思う。
何を観るのか、(絵画のような)芸術作品と同じことで
好みで観ていったらいい」
映画では、老人が、畑らしきところを耕したり、食事をつくったりする姿を、
雨や雪が降って来たり、季節や天気の移り変わる中、淡々と映し続けています。
人の姿も気配もない、むきだしの大地を
老人がとぼとぼと歩いていくシーンがとても印象的でした。
ぜひもう1回観たいです。
監督の初の長編劇映画『無言歌』(2010年)は
12月に大阪で公開予定で、とても楽しみです。
ちなみに、監督は、この新作の宣伝のために来阪され、
上映会の翌日には、大阪で取材を受けられたそうです。
その詳細記事がありますのでリンクしてご紹介します。
⇒シネルフレ王兵監督インタビュー
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