映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
コメディ学入門第4講~3ばか大将に学ぶ楽しく生きるコツ~

神戸映画資料館の人気定番講座となりつつある「コメディ学入門第4講」は、
前回に引き続き、3ばか大将について。
映像を観ながら、お話を聞いた。語り手は、喜劇マニアで作家のいいをじゅんこさん。
3ばか大将といえば、
牡蠣との戦い「Curly vs. the Oyster Soup」(4分ほどのyoutube映像にリンク、笑えます)
(よろしければ、前回の第3講の感想も)
今回も、紹介があった。
何回観ても爆笑もの。私も大好きだ。
いいをさんいわく、ビジュアル・ギャグ(所作、動作などで笑いを起こすもの)は
もっとマネしていってもいいのではないか。
マネをしながらも、より発展させていくところに、オリジナリティが生まれるはず。
牡蠣との戦いについても、実は、サイレント映画時代に
ビリー・ビーバンが演じたものがあって、
3ばか大将では、それをさらに発展させたものになっている。
「笑いの系譜」というのはおもしろい。
講座では、ビリー・ビーバンのサイレント映画も観ることができ、
比較すると、3ばかでは、明らかにテンポは遅くなっている。
でも、その分、牡蠣と人間(カーリー)との“戦い”の要素が鮮明になっていて、
カーリーがMr. Oysterに、してやられた、という悔しさが、
画面中からにじみだし、よりコメディとしての醍醐味が増している。
しかも、ほとんどセリフなし、カーリー独特の唸り声と表情のみで語りつくす。
(カーリーは、写真のまん中の人物です。)
オイスタースープにクルトンを入れて、カーリーが食べようとすると、
なんと、スープの中の牡蠣が生きていて、クルトンをぱくりと食べてしまう。
悔しいから、牡蠣をつかまえようと、指を入れたら、かみつかれ、
ならば、釣り糸のように、クルトンに糸をまきつけて、ひっぱりあげようとしたら、
今度は、糸のひっぱりあいの力比べで、カーリーが負けてしまう。
ここまでの展開は、ビリー・ビーバンと同じ。
3ばか大将版は、あらたな人間の知恵を加える。
「ペッパー!」とカーリーが叫ぶ。
思い切り胡椒をまぶしたクルトンなら、と、
スープ皿に投げ込む得意顔のカーリー。
予想どおり、Mr.oysterは、くしゃみを始めるが、
くしゃみのスープが、しっかりカーリーの顔や服に飛び散って、
敗北感は濃厚に…。
カーリーは、とうとう我慢しきれず、懐からピストルを取り出して、
発砲騒ぎになるという、てんやわんや。
(カーリーが警官という設定は、ビリー・ビーバンと同じ。
正確にいうと、ビリーは、浮浪者で、たまたま警官の制服を拝借して食事にありつこうとして、
オイスターと出会ったというわけ。
カーリーが、本職の警官だったかどうか、詳細は不明)
この騒動を、
カーリーが、まるで、ビール瓶の中の液体が生き物であるかのごとくに
一口飲んでは、目をくるくるさせ、回転椅子をくるっと回らせる爆笑シーンとあわせ、
約4分で語りきる見事さ。
いいをさんの講義では、
モーがお笑いについて書いた文章を紹介してくれた。
スラップスティックの笑いというのは、サーカスの笑いであり、
自分たち(三ばか大将)がやろうとしているものとは違う。
自分たちがやりたいのは、プロット、シチュエーションの流れの中で、必然的に出てくる笑い。
神戸映画資料館のHPで、いいをさんが引用していた言葉が
とても印象的なので、ここでも引用したい。
「私たちは『見る、聞く、構成する』の3つのルールを守っていた。
ネタのテンポを常に見て、メンバーの台詞をよく聞き、ルーティンを頭の中で構成する。
大げさにやりすぎないよう、慎重にドタバタを見極めていたんだ」(モー・ハワード)
「見る、聞く、構成する」って、これぞ3人に学ぶ、楽しく生きるコツかもしれない・・と思う。
講座で、『Calling All Curs』(酔いどれ野良犬天使)を観ることができた。
3ばか大将たちが、医者として手術室に現れ、先生と呼ばれているのをみれば、
誰もが、この3人にまかせて大丈夫なの?と不安になる。
案の定、手術前に、手を洗うところから、大騒ぎ。
石鹸入れが壊れていて、モーは、石鹸液を水鉄砲のように向け、カーリーの顔面を直撃。
石鹸液をがぶがぶ飲んでしまったカーリー。
急いで、コップにお水を入れて、ごくごく飲む……
しばしの沈黙。
数秒後、カーリーがゆっくり口を開くと、そこから、ふうわりとシャボン玉が!
人間の身体が、突如、「シャボン玉製造機」になったかのようなギャグがおかしくて、
ひとりで大うけして、高笑いしてしまい、恥ずかしかった。
とはいえ、この時も、カーリーの“間”、しばしの沈黙がすごいのである。
一体何をしでかすのだろう。
石鹸を飲んで、水を飲んだら、きっと…と想像しつつも
そのシャボン玉の現れ方に息をのむ。
そんなこと、ありえない~という驚きに満ち満ちていて、
観ている私たちは、もう、動物的に、反応し、ただもう笑いころげてしまう。
彼らの、常識、予測、文法をこえたおもしろさに、
身体ごと反応して、反射的に笑ってしまう。
パイ投げにしてもそうだ。
ただ、パイを投げるだけでは、おもしろくない。
いいをさんは、いろんな映画の中から、
パイ投げシーンばかりを集めた映像作品を見せてくれたあと、
年老いたモーが、テレビの特集番組にゲスト出演して、
司会者とパイ投げをする映像とを紹介してくれた。
こうして、コメディ映画の中のパイ投げと比較して観てみると、
いかに、笑いというのが、
タイミング、間、その場の状況から生まれてくるかがよくわかる。
狙ったはずの人が、たまたまちょっと動いて、すぐ隣の人に当たったり、
パイを投げようとして、ふりかぶったら、後ろにパイが落ちてしまったとか、
投げ方、投げるためのタメ、と
いろんな要素があつまって、笑いを生み出す。
とまあ、本当に笑いというのは、奥が深いことをあらためて発見し、
充実した講座でした。
ユーモア、ジョークがおよそ苦手な堅物人間の私も
彼らから、いろいろと生きるすべを学んでいきたい。
追伸
ちなみに、牡蠣との戦いで、カウンター越しにカーリーに
スープを出したりする、ひげの料理人を演じているのが
チェスター・コンクリンだそうです。
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