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廣瀬純さんと濱口竜介監督とのトークin七芸

映画から触発された考えをとうとうと述べる廣瀬先生。
独特な語りの勢いと、時に交えられる辛口ユーモアに
思わずあっけにとられていると
ご本人はいつのまにか舞台から姿を消していた・・

なんてことはありえないのですが、でも、
そんなマジシャンのような雰囲気を持った風変わりな語り手…
それが、私にとっての、廣瀬純さん(龍谷大学経営学部選任講師)の印象でした。

ずいぶん前になってしまいましたが、
7月10日、大阪十三の七芸の濱口竜介プロスペクティブで
『Friend of the Night』と
最新作『不気味なものの肌に触れる』の上映後、
濱口竜介監督と廣瀬さんとのトークがありました。

廣瀬さんは、僕は聞くのが苦手なので、と
濱口監督が聞き手となり、
最初に、廣瀬さんがご自分の考えを話されました。

濱口監督の映画を読み解く上で、キーワードとなるような言葉を幾つか提示しつつ、
ご自分なりの読み解きを披露して、独自の魅力的なワールドが展開。

『不気味~』の最後にタイトルだけ出てきて、
長編としてこれからつくられる続編映画『FLOODS』についてまで、
きっとこうなるはずですねと、微笑みながら、確信的に話して、
監督をも巻き込んでしまおうとする。
辛口で超マイペース。少し独断的にみえなくもないが、
あらかじめ、きちんと準備された言葉、考えであることは、
時々ちらちらとノートに目をやっていることから推察できました。

川の話の延長で、アザラシの「たまちゃん」まで登場したりして、
会場からは、時折、笑いが起こったり、
なかなか刺激的で楽しいトークでした。
賛成するか、反発するかはともかく、
濱口監督ワールドに入る前の、ちょうどよい導入になったような気がしました。

以下、箇条書きですが印象に残ったフレーズを書き並べたいと思います。
しかし、すぐ書かないとだめですね。
ちょっと記憶が曖昧になってしまい、
走り書きのメモでは、思い出せないところが多く、申し訳ないです。
いつか何かのヒントになったらと、私自身、未消化の言葉をそのまま並べていて、
意味不明なところもありますが、どうぞご容赦ください。

廣瀬先生
・川の表面のゴミか何かをボートですくいとっていく河川事務所の職員たちの映像がすごい。
・川の深層が表面に力を及ぼしている。
 表面でうごめいているようにみえるものも、実は、深層によって動かされている。
・川の表面にあるものは、いわばコピーのようなもの。

・川の表面からたちあがる水蒸気。映画の画面が湿り気を帯びている。
・同じく北関東の水戸で撮られた『Playback』には、湿り気がなく、対照的。
・『FLOODS』では、きっと川の底のものが全部、一気に打ち上げられるのではないか。

・別れるために再会する。
・川は分岐点。川は分岐させるもの。川によって隔てられ、分岐させられる。

・俳優たちがしゃべり続け、言葉があまりに延々と連なると、段々意味を失い、うた、ダンスになっていく。
 聞く気が起こらなくなって、ただの音になる。そのおもしろさ。

・カサヴェテスの『フェイシズ』を思い出した。カサヴェテスのは、とりつくろった顔。
 濱口監督にも、『何食わぬ顔』という作品がある。
 (表面と深層。深層からたちあがってくるものが表面に現れる。)

濱口監督
・『何食わぬ顔』の英題は、『Like Nothing Happened』、
 直訳すると「何も起こっていないかのように」というタイトルになった。
・表面と深層の間にはズレがある。そもそもカメラというのは、表面しか写さないものだから、
 本来不可能なこととわかっているが、表面と深層がつながった形で映画に出てきてほしい。
・役者が“何か”に見えてほしい。

廣瀬先生
・『不気味~』に出てくる、ボーリングというのは、距離のスポーツ。
 距離を保ってピンを倒すもの。そばまでいって、倒してもだめ。距離を埋めれば、親密になれるというわけでもない。
・『THE DEPTHS』には深みという意味もあるが、下劣、という意味もある。不気味に通じるものはある。
・『THE DEPTHS』のラストシーンは、首都高速で、羽田に向かう道との分岐点。再会は分岐するため。
・映画はむしろ徹底的に表面にとどまるしかない。
・セルジュ・ダネ。『グラン・ブルー』(リュック・ベッソン監督1988年)は、カメラを水中に潜らせて、映像を撮った。
 ほぼ同年の、ナンニ・モレッティ監督の水球の映画『赤いシュート』(1989年)では、
 水球の競技をを映すのに、カメラを決して水中に潜らせたりせず、水面の上からしか撮らなかった。
 あくまで水面、表面にとどまった映画。
・「私の中にすごく自然に裏切りがある」というセリフがある。映画は徹底的に表面にとどまるしかない。

・濱口監督
・『FLOODS』は、水面が盛りあがって終わるだけかも。どうなるかは全くわからない。
 フラッズには、激怒という意味もある。
・『不気味~』で石田法嗣くんが即興でセリフをいうところは、こんな声になるのだと
 現場でみていてすごいと思った。

(不明)
・同じサークルの人たちであっても、必ずしも、言葉は同じではないとわかる。
 表面上は、別れていくしかない。
・語ることの表面性、本来不気味なのは私自身。

以上です。
七芸のHPには、『不気味なものの肌に触れる』に印象的に出て来る川面の表現から
映画とは表層を撮るものであるというテーマで話がありましたと
書かれていて、見事なつかみです。

さて、27日の七芸での【後夜祭オールナイト】 の上映作品の発表がありました。
『不気味なものの肌に触れる』
『うたうひと』
『THE DEPTHS』
『何食わぬ顔』(long ver)
濱口竜介監督の舞台挨拶もあるそうです!

どれも観たい作品ばかりで、お薦めですが、
オールナイトで、客席が満席に近いというのはちとつらいものがあり、
混雑状況が気になるところです。
ほどほど、というのが、勝手ながら、ありがたいところですが、
この上映順だとしたら、
一番観たい『何食わぬ顔』が明け方というのも、不安があったり、
すごく行きたいのですが、悩めるところです。

なんと同日のお昼には、
神戸新長田にある、神戸映画資料館で、
濱口監督が、映画について語ってくださるイベントがあって、
昼間に、睡眠確保の昼寝ができないのも痛いです。

お昼のイベントの詳細は以下のとおりです。

はたのこうぼうのアメリカ映画研究会#1
フリッツ・ラング 地獄/復讐/変身① 「ラングからエリック・ロメールへ」
  
2013年7月27日(土) 14:00〜(終了予定17:30)
14:00〜 参考上映『熱き夜の疼き(クラッシュ・バイ・ナイト)』
16:00〜 発表 濱口竜介(映画監督)
  
 脚本ユニット「はたのこうぼう」のアメリカ映画研究会の不定期発表会、その第1回。
 研究会は全体として、フリッツ・ラング、アルフレッド・ヒッチコック、エルンスト・ルビッチを取り上げる。
 映画監督・濱口竜介がフリッツ・ラングのアメリカ時代の作品から、現代映画作家エリック・ロメールへと至る細い線を紡ぐ。
  
 *「はたのこうぼう」とは
  濱口竜介、高橋知由、野原位が2013年に結成した脚本ユニット。  

(以上、神戸映画資料館のHPより)


最後ですが、この「はたのこうぼう」というネーミングがすてきで、
それぞれ3人の名字の頭文字をとったそうです。

1934年(昭和9年)に、京都の若い映画人である
脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、山中貞雄、鈴木桃作、助監督の萩原遼の8人が
「鳴滝組」を結成して、幾つも映画の脚本を書いています。
共同で脚本を執筆する際のペンネームが「梶原金八」だったそうです。
松竹蒲田撮影所の城戸四郎所長が、架空の名義とは知らず、「梶原金八を引き抜け」と躍起になったとか。
ちょっとそんなことを思い出したりしつつ、
関西を舞台に、これからの3人のご活躍がとても楽しみです。

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