噛みつき評論 ブログ版

マスメディア批評を中心にしたページです。  姉妹ページ 『噛みつき評論』 もどうぞ(左下のBOOKMARKから)。

砂上の楼閣

2009-11-20 10:36:40 | Weblog
砂上の楼閣

 先日、京都の知恩寺で恒例の古本祭りが開催されました。広い境内には多くのテントが設置され、幅広い年齢層の客で賑っていました。興味を惹かれたのは古ぼけた仏教関係書が置かれた一角です。分厚い本が多く、数千点はあろうかと思われるその量の多さに驚きました。

 むろん、ここに展示されている仏教関係書は一部であり、他にも多数ある筈です。多くはこの100年くらいに書かれたものでしょうが、著作のために使われたエネルギーはまことに膨大なものです。それを経済的に支えたものは多くの信者であったことでしょう。私のような門外漢にとって、それは同時に膨大な無駄の集積と思われます。

 いかに精緻な論理で構築されたものであっても、それが妄想の上に築かれたのであれば砂上の楼閣に過ぎません。妄想を持たない者、異なる妄想を持つ者にとってはなんの意味もありません。一般に仏教書が無心論者やキリスト教徒にとって意味を持つことがないように。つまり教義はその宗教内でだけ意味があるローカルなものにならざるを得ません。

 中世のキリスト教神学者トマス・アクィナスは神学大全を著し、キリスト教世界に大きな影響を与えた人物とされていますが、彼は死ぬ前年、自分が生涯、命を懸けて書いたものはすべて藁くずにすぎない、と述べたと言われています。

 世界には数多くの宗教があり、さらに多くの宗派があります。それぞれが正統を主張している姿は外部の目からは滑稽なものに映ります。正統がいくつも存在することは論理矛盾であり、ひとつだけ正統があるとすれば他はすべて嘘を言っていることになります。

 なぜこのようなものに夥しい努力が払われてきたか、というところに私は興味を惹かれます。仏教といっても多くの宗派があり、それぞれに教義があって、さらにそれらに対して複数の解釈がなされる、といった具合に対象が分散してきたことがひとつの理由でしょう。

 宗派が多くあるということは中核にあるものが曖昧で、いろんな解釈が可能ということを示しています。さらに言葉の定義の不完全性が考え方の違いを生むこともあったかもしれません。結局、数多くのローカルな袋小路が作られ、空しい努力が続けられたのでしょう。科学が高い普遍性を持ち、有効に機能していることと対照的です。

 出発点を十分吟味せず、論理の展開にばかり心を奪われるという傾向は宗教に限りません。どうやら我々にはそのような性質が備わっているようです。世に不毛な論争が絶えないのはそんなところにもあるのかもしれません。

これは蓮実重彦元東大総長の入学式式辞(1999)とも通じるように思います。
「そうした混乱のほとんどは、ごく単純な二項対立をとりあえず想定し、それが対立概念として成立するか否かの検証を放棄し、その一方に優位を認めずにはおかない性急な姿勢がもたらすものです」

 難解なものは深遠で価値あるものだ、とわれわれは考える傾向があります。わざと難しく書かれた文章、聞いてもさっぱりわからないお経など、その傾向につけ込んだものと言えるでしょう。また空疎な内容を隠すために難解にしているということもあります。難解なものには空っぽなものが少なくないと疑ってみることも必要でしょう。

 難解なものを理解していると人に思わせることは知的な装飾品を身につけることでもあります。難解な数学用語を多用した理解困難な文章が特徴であるフランス現代思想、ポストモダニズムは知的な装飾品といった趣があります(リチャード・ドーキンスは高級なフランス風エセ学問と呼びました)。その「装飾性」が普及に一役買っていることは間違いないと思います。

 ふつう物は高いほど売れにくくなりますが、宝飾品などは高いほど売れる場合があります。これは顕示的消費、ヴェブレン効果などと言われていますが、難解なものが普及する現象と少し似ています。

 ニューヨーク大学物理学科教授のアラン・ソーカルがフランス現代思想の欺瞞性を暴露した「ソーカル事件」はたいへん興味深いものです。
(参考) Wikipedia ソーカル事件
    アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン著 『「知」の欺瞞』

 このように砂上の楼閣が築かれる理由はいろいろあり、それに向けた努力はなかなか絶えそうにありません。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フラット)
2009-11-19 23:48:16
全人類ミスタースポック化計画!?

んー、やっぱりカーク船長やグリンゴがいるからドラマとして成り立つんですよ。いろいろな非論理的な人がいていいんじゃないですかね?科学と論理の行き着く先がたった一つの真理なら知的生命体はほっといてもいつかそこにたどり着けますよ。あと数千年か数万年かで(v_v)
知ったかぶりの人達も多様性の一部分ってことで許容してあげましょう。面白いし。


あと宗教ですが、前にも似たようなコメントしましたがもう一度。集団生活を営むための知恵であり、善悪観念の元であり、心の弱い人達のよりどころでもあります。また地獄という概念は悪事を為すことを思い止まらせる効果を持っています。ライフスタイルに合わせて変化する懐深さも持ち合わせており、全否定することもないかなと……思います。


しかし、過去の記事で面白いのがまだまだありますね。そのうちじっくり見てみようかな。
正月とかに。
返信する
Unknown (okada)
2009-11-20 10:27:35
フラットさんはこの分野に関しては寛大ですね。確かにトンチンカンをする人間がひとりもいない世界というのは面白くないので、私も好きにはなれません。知ったかぶりの人達も許容範囲ですが、それを商売に利用する連中までは・・・。仕方ないですか。
隙のない世界になれば、こうして悪口を言うこともできなくなるわけで、これもちと困ります。

宗教にも功罪がありますけど、計画的に騙すのはいただけませんね。多くの宗教が目指すのは信者数の獲得と集金です。全てではありませんが。

過去の記事、よろしくお願いします。できの悪いのもたくさん混じっていると思いますが。
返信する
Unknown (フラット)
2009-11-20 22:25:50
元来原理主義じゃない宗教などないのではないでしょうか?
排他的で利己的で自己保存本能が強い、宗教ってそもそもそんなもの。イスラムばかりが取り沙汰されるのは少々エキセントリックだからですよ。キリスト教でもカソリック系の原理主義教団とか今でもありますしね。わりかし最近までロシアには子供こさえたら男は問答無用で去勢っていう原理主義教団がありましたし、メイフラワー号に乗って新大陸に渡ったピューリタン(清教徒)はアメリカ東海岸で、オナニーしたら死刑という背筋も凍るコミュニティーを形成していました。

魔女裁判とか異端審問とか十字軍とか、ジェノサイトの極みを体現してきた人々の末裔が世界の富と権益の大部分を掌握している現代社会にあって(しかも彼らが築き上げだシステムに乗っかって)、宗教の是非など論ずるのはあまりに虚しいのです………


フランスあたりで「神は死んだ」とのたまう奇人が信奉されるのは、それはそれで痛快じゃないですか(´~`;)


表向き差別がないふりしてる日本において宗教を理解しない人が多いのはひょっとしたら必然なのかもしれません。スラブ系ユダヤ人が始めた白人の宗教キリスト教において有色人種は人間ではありませんでした。そして後に神の子とされる預言者を死に追いやった当時の被占領地の指導者であるユダヤ人も卑下と差別にさらされます。また、ヒンドゥーにおける身分制度にはアウトカーストと言われる不可触民(ダリッド等。アーリア人などに圧され、デカン高原に住んでいたドラビタ人のほとんどもここに分類される)が存在し、究極の差別を今も受け続けています。他にもロマなどありますが、よく知られている差別のほとんどは宗教に起因します。
もちろん日本にも差別はあります。しかし、よくも悪くもそれを自覚(認識)している日本人は少ないです。それは日本人の無宗教と無関係ではないと思います。
日本人のリベラルさ、エコノミックぶりが無神論や無宗教からきているのならば功罪の功でしょう。しかし世界には厳然として差別が存在することを認識できないならばそれは功罪の罪なのではないでしょうか?
仮になにも出来なくとも、世界にはいわれなき歴史に基づいた差別を受ける人々がいることを知り、そういった人の痛みや切なさを知ることは決して無意味ではないはずです。


だから宗教は肯定せずともある程度は知っておくべきだとアタシは考えます。


悩み苦しみ、神の不在を論理ではなく実感で確信した人もいる。そういった人に言葉の上での理屈など空虚極まりないのです。



うわっ……気が付けば大作になってる( ̄▽ ̄;)
返信する
Unknown (okada)
2009-11-21 17:38:09
ほんと、大作ですね。
子供こさえたら男は問答無用で去勢とか、オナニーしたら死刑とか、極端というか物騒な話があるんですね。これも極端な例ですが、「人民寺院」ではほぼ全員があの世へ行きました。

おっしゃるように、日本以外では宗教が大きい影響力をもっているようです。ヘーゲルからニーチェに至るドイツ哲学は神という重圧がなければ理解しにくいと思います。

日本において強い精神的拘束を受けているのは新興宗教でしょう。全財産を寄進するような。仏教はもはや宗教と呼ぶことが憚れる状態です。

問題となった小沢発言は外国における宗教の重さをわきまえないものだと思います。
>悩み苦しみ、神の不在を論理ではなく実感で確信した人もいる。そういった人に言葉の上での理屈など空虚極まりないのです。

その通りだと思いますが、悩み苦しんでいる時につけこんでくる人間もいます。

フラットさんは宗教に特別の関心がおありのようですね。
返信する
Unknown (フラット)
2009-11-21 20:50:38
いやー、昨日はかなり飲んでたんで……

宗教については思い入れというか興味です。
基本的には歴史好きです。被差別民については特に強い興味がありますね。


ジョーンズタウンの悲劇は強烈ですね。薬でラリって、あげく集団道ずれ自殺。カリスマなんてまやかしなのに。


人は集団棲息が基本の生き物です。だから他の集団棲息生物同様強いオスがリーダーとなり、その他多数を導くのが本来のありようだと思います。だから民主主義なんて本来適さない………じゃなくて、リーダーの選択を間違えるとその集団には悲劇です。

ただし生まれた時から所属している集団は選択の余地がありません。国家も家庭も、あるいは宗教も。

はぁ……はなっから救いのない人生なんて考えたくもないです。

とりあえず日本人でよかった。
返信する

コメントを投稿