1月21日、日本経済新聞は世論調査の結果を発表した。その結果がとても興味深いものであったのでご紹介したい。以下、概要を引用する。調査は郵送による。
『8つの機関や団体、公職を挙げてそれぞれの信頼度を尋ねたところ「信頼できる」が最も高かったのは自衛隊で60%に上った。5割を超えたのは自衛隊のみで、次いで信頼度が高かったのは裁判所(47%)、警察(43%)、検察(39%)、教師(32%)の順で、司法・捜査当局への信頼が高かった。これらはいずれも「信頼できる」が「信頼できない」を上回った。
特に自衛隊についてはいずれの世代も信頼度が6割前後と高く「信頼できない」は7%にとどまった。平成は災害が相次いだ。過酷な現場で被災者を救出したり、避難所の支援をしたりする姿などが繰り返し伝えられ、高く評価されているとみられる。
逆に「信頼できない」が多かったのは国会議員で唯一5割を超えて56%だった。マスコミ(42%)、国家公務員(31%)が続いた。いずれも20歳代以上で「信頼できない」が「信頼できる」を上回っていた。国家公務員とマスコミは「どちらともいえない」が共に4割強だったが、国会議員は32%だった。
マスコミは「信頼できない」と答えた人の割合は70歳以上が20%台だったが、60歳代が34%、50歳代が41%、40歳代が47%で、30歳代では58%と5割を超えていた。18~20歳代は60%と最も多く、若い世代ほど「信頼できない」と答える人が多かった』
以上が引用であるがランキングをまとめると以下のようになる。
[信頼できる-(Best)] [信頼できない-(Worst)]
1位 自衛隊 60% 1位 国会議員 56%
2位 裁判所 47% 2位 マスコミ 42%
3位 警察 43% 3位 国家公務員 31%
4位 検察 39% 4位 警察 19%
5位 教師 32% 5位 教師 18%
自衛隊に対する信頼がここまで高いのは少し意外である。日常的なメディアによる冷遇があまり効果を示していないのだろうか。逆に裁判所や警察、検察、教師の信頼度がこんなに低いことに驚く。これほど信頼されていなければ社会は成り立たないと思わせるレベルである。恐らく警察や検察、教師などが不祥事を起こすたびに大々的な報道に対する感情的な反応を反映したものだろう。
信頼できないの第一位、国会議員も同様の理由であると思う。選挙で選んだ人間を最も信頼できないというのは理解しかねる。投票権を持つ自分たちの無能を認めているようなものである。
この調査で最も注目したいのは「信頼できない」第二位のマスコミである。日経のコメントにもあるが年代別の不信度に大きな差がある。70歳以上では僅か20%台であるが、30歳代では58%、18~20歳代は60%となって、なぜこれほどの差があるのか、興味がある問題である。理由のひとつはネットに接触する機会があるかないかが大きい理由ではないか。ネットを使わない人は情報弱者といってもいいが、彼らにとって情報源のほとんどがマスコミなので、マスコミを批判できない。つまり簡単にだまされるというわけだ。
40歳以下の若い世代の約60%からマスコミは信頼されていないという結果はまことに重大である。ネットからも情報が入る環境の下ではマスコミは相対的な評価を受けることになる。それが信頼できないというのだから、その評価は信頼していい。むろん無条件ではないが、少なくともマスコミしか知らない年代層の評価よりは信頼できる。深刻かつ情けない結果である。メディアは信用があってこそ成り立つ商売であるからだ。
日本のマスコミは販売や取材の競争はあっても、産経を除くと、互いに相手を非難するといった意味での競争を避けてきた。よく言えば協調だが、寡占によるなれあいである。報道の方針においては読者に必要な知識より自社の政治的主張を優先してきた。愚者を啓蒙するという姿勢であるがこれは読者を見下した傲慢である。朝日は啓蒙のためには嘘までついた。記事の取捨選択が行われ、記事には「角度」がつけられた。これは朝日・毎日において著しい。ネットがこれらの欺瞞を明らかにしたことが影響したのだろう。
若者の新聞離れも進んでいる。マスコミ、とりわけ新聞は厳しい冬の時代を迎えることになるのはほぼ確実である。そして恐らく春はもうめぐってこない。反面、これは喜ばしいことだが、より自由な言論ができる環境が実現されるかもしれない。
『8つの機関や団体、公職を挙げてそれぞれの信頼度を尋ねたところ「信頼できる」が最も高かったのは自衛隊で60%に上った。5割を超えたのは自衛隊のみで、次いで信頼度が高かったのは裁判所(47%)、警察(43%)、検察(39%)、教師(32%)の順で、司法・捜査当局への信頼が高かった。これらはいずれも「信頼できる」が「信頼できない」を上回った。
特に自衛隊についてはいずれの世代も信頼度が6割前後と高く「信頼できない」は7%にとどまった。平成は災害が相次いだ。過酷な現場で被災者を救出したり、避難所の支援をしたりする姿などが繰り返し伝えられ、高く評価されているとみられる。
逆に「信頼できない」が多かったのは国会議員で唯一5割を超えて56%だった。マスコミ(42%)、国家公務員(31%)が続いた。いずれも20歳代以上で「信頼できない」が「信頼できる」を上回っていた。国家公務員とマスコミは「どちらともいえない」が共に4割強だったが、国会議員は32%だった。
マスコミは「信頼できない」と答えた人の割合は70歳以上が20%台だったが、60歳代が34%、50歳代が41%、40歳代が47%で、30歳代では58%と5割を超えていた。18~20歳代は60%と最も多く、若い世代ほど「信頼できない」と答える人が多かった』
以上が引用であるがランキングをまとめると以下のようになる。
[信頼できる-(Best)] [信頼できない-(Worst)]
1位 自衛隊 60% 1位 国会議員 56%
2位 裁判所 47% 2位 マスコミ 42%
3位 警察 43% 3位 国家公務員 31%
4位 検察 39% 4位 警察 19%
5位 教師 32% 5位 教師 18%
自衛隊に対する信頼がここまで高いのは少し意外である。日常的なメディアによる冷遇があまり効果を示していないのだろうか。逆に裁判所や警察、検察、教師の信頼度がこんなに低いことに驚く。これほど信頼されていなければ社会は成り立たないと思わせるレベルである。恐らく警察や検察、教師などが不祥事を起こすたびに大々的な報道に対する感情的な反応を反映したものだろう。
信頼できないの第一位、国会議員も同様の理由であると思う。選挙で選んだ人間を最も信頼できないというのは理解しかねる。投票権を持つ自分たちの無能を認めているようなものである。
この調査で最も注目したいのは「信頼できない」第二位のマスコミである。日経のコメントにもあるが年代別の不信度に大きな差がある。70歳以上では僅か20%台であるが、30歳代では58%、18~20歳代は60%となって、なぜこれほどの差があるのか、興味がある問題である。理由のひとつはネットに接触する機会があるかないかが大きい理由ではないか。ネットを使わない人は情報弱者といってもいいが、彼らにとって情報源のほとんどがマスコミなので、マスコミを批判できない。つまり簡単にだまされるというわけだ。
40歳以下の若い世代の約60%からマスコミは信頼されていないという結果はまことに重大である。ネットからも情報が入る環境の下ではマスコミは相対的な評価を受けることになる。それが信頼できないというのだから、その評価は信頼していい。むろん無条件ではないが、少なくともマスコミしか知らない年代層の評価よりは信頼できる。深刻かつ情けない結果である。メディアは信用があってこそ成り立つ商売であるからだ。
日本のマスコミは販売や取材の競争はあっても、産経を除くと、互いに相手を非難するといった意味での競争を避けてきた。よく言えば協調だが、寡占によるなれあいである。報道の方針においては読者に必要な知識より自社の政治的主張を優先してきた。愚者を啓蒙するという姿勢であるがこれは読者を見下した傲慢である。朝日は啓蒙のためには嘘までついた。記事の取捨選択が行われ、記事には「角度」がつけられた。これは朝日・毎日において著しい。ネットがこれらの欺瞞を明らかにしたことが影響したのだろう。
若者の新聞離れも進んでいる。マスコミ、とりわけ新聞は厳しい冬の時代を迎えることになるのはほぼ確実である。そして恐らく春はもうめぐってこない。反面、これは喜ばしいことだが、より自由な言論ができる環境が実現されるかもしれない。
鯨肉が蛋白源として有効なのは承知しています。しかしその量は年間数千トンであり、牛豚の二百数十万トンに対しては0.2%程度に過ぎません。気象急変や環境悪化で需給が逼迫した時の対応としてはあまり役に立ちません。ちなみに近年、日本の漁獲高は400万トン余りですが、以前の1200万トン余から大きく減少しています。乱獲が主因だと言われますが、これを改善する方がよほど重要だと思います。本文にも書いていますが、これは論理の問題ではなく、感情の問題だと思います。数千トンの鯨肉をたべることと、反捕鯨国から野蛮な国と見られることと、どちらを優先するかとという問題です。私としては喜怒哀楽もある哺乳動物を殺して食べることはできる限りやめたいと思っています。
おっしゃる通り、多くの人がそのように思っていることでしょう。細かくみると、信頼できない議員を選んだ他の有権者を批判しているということですね。
全体を概念的にとらえれば、つまり有権者と議員をひとつの概念としてとらえると「自分が選挙で選んだ人間を信頼できない」という表現になります。これは非常に厳密さを欠く表現で、科学では許されないことです。面白おかしくするためのレトリックのようなものとご理解ください。もともとこの調査の信頼できるか、否かという問いに対する回答はテレビや好悪の感情に左右されやすく、さほど信頼できるものではないと思います。
実は、昨年暮れに上梓された 我が国の
国際捕鯨委IWC脱退についての貴記事に違
和感があり、距離を置いていた訳でして。
銛を使った捕鯨シーンが欧米で紹介される所は、相手方の感情悪化に繋がるとの
貴指摘は事実ですが、拙的には 我国の食糧安保的視点がどうも疎かだった様に思うのです。
作家 竹田恒泰さんが某TV番組で語られ
ていた事ですが、捕鯨続行の他国、北欧
やアイスランド辺りは、初めから IWCに
加盟していないそうですね。我国の同委
加盟は 1951=昭和26年。当時は敗戦直後
で 欧米への大いなる配慮を要したとは
いえ、日本国憲法同様 70年近くも見直す
事なく放置して来たのが芳しくない形で
祟ったのではとも心得るものです。
保護に偏った思考の IWCと共にに「捕鯨
は残酷」として、我国の一点攻撃を繰り
返す欧米反捕鯨勢力ですが、
過日 漫画家・はすみとしこさんが、米国のジャーナリストと対話した折、その
人物の見解として「米アラスカの鯨猟は
歴史があるから〇だが、日本のはそうで
ないから✖」としたそうです。
違和感を抱いたはすみさんが「我国の鯨猟は、古代のの万葉集にも載る程の歴史
あり」の所と「貴国は建国何百年?」の
問いをされた所、その人物は対話を打ち
切って逃亡した由。「欧米反捕鯨基準は
二重基準ダブスタ」という事でしょう。
「残酷な捕鯨をやめ、蛋白源は牧畜大国
から輸入を」との声も、メディアでは大
きいのは分かりますが、気象急変や環境
悪化で需給が逼迫した時、我国への輸出
が確保される保証はどこにもありません。
やはり、我国独自の蛋白源確保は必須と
拙者は考える所です。こうした捕鯨との
向き合いを、我国政府は新年を以て行っ
て頂きたいと強く思うものでして。
捕鯨への偏見は、既成メディアの不良な
あり様も絡んでいる事でしょう。以前は
普通だった鯨食から日本人を遠ざけた過半は
新聞・TVらの既成メディアによる騒擾だ
と心得ます。国会議員と「不信の双璧」
をなすのもむべなるかという所でしょう。
一部を除いた既成メディアの不良な現状
、これはもう貴記事の通りであり 支持
する所です。ジャズの名曲に「世界は日
の出を待っている」がありますが、既成
メディアにそれはないでしょう。つまり
「明けない夜、止まない雨、終わらない
冬」という事でしょう。
ですから自分の無能を認めている訳ではなく、自分とは全く異なる選択をした他の有権者に対する嘲笑(あんな人に投票する有権者って頭オカシイんじゃないの)も含まれるような気がします。