噛みつき評論 ブログ版

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ただの見物人

2009-10-12 10:10:28 | Weblog
 ハムレットの最終場面の話です。クローディアス王とレアティーズはハムレットの殺害を謀ります。計画に従って、レアティーズとハムレットは剣の試合をすることになるのですが、レアティーズは剣先に毒を塗った実戦用の剣を使い、ハムレットに小さな傷を与えます。

 それに気づいたハムレットは剣を取替え、レアティーズに毒剣で傷を負わせます。レアティーズは毒がまわって死ぬ間際、事の次第をハムレットに告げ、ハムレットは王を殺します。死に瀕したハムレットは惨劇を見ていた人々に対して次のように言います。

「諸君、青ざめて震えているな。だが、ただの見物人だ」

 見物する者にとっては、現実の惨劇も芝居も同じようなものだ。シェイクスピアはそんな意味をこの科白に込めたのではないでしょうか。ただの見物人(audience to this act)は無責任な傍観者です。芥川龍之介は短編「鼻」で傍観者の利己主義を主題にしましたが、こちらはやや複雑で、「ただの見物人」はもう少し単純な意味だと思われます。

 これを思い出したのは光市母子殺害事件の被告を実名で扱った本「○○君を殺して何になる」が発売されたからです。光市母子殺害事件は大きく報じられ、世の注目を集めました。しかし事件を注視したほとんどの人間は所詮「ただの見物人」ではなかったでしょうか。そしてこの本は周辺事実を暴露することによって彼らの興味に応えるものなのでしょう。

 この本の著者は実名とした理由について「匿名では人格の理解が妨げられ、モンスターのようなイメージが膨らむ」、「私が会った人間の存在を感じてもらうため、名前は重要な要素」と説明しているそうです。

 しかし「A」がモンスターのイメージなら仮名という手があります。仮名でなく実名でないと人間の存在が感じられないという説明もよくわかりません。まして表紙に実名を大書する必要性はいっそうわかりません(買わなくても実名がわかります)。

 犯行当時少年であった者の実名を発表することは、マスコミに騒がれて販売増につながる、という理由ならば、私には実によくわかるのですが。

 奈良医師宅放火殺害事件を題材にした「僕はパパを殺すことに決めた」では、著者が鑑定医の信頼を裏切る形で供述調書の内容を入手した方法が問題となりました。

 世の注目を集めた事件を利用し、本来秘匿されるべきものを公開した点において、この2つの本は共通しています。そして被告の家族など、不幸な事件の関係者に不利益をもたらしている点も同じで、事件を食いものにする商売と言えるでしょう。

 センセーショナルな題名をつけ「見物人」相手に商売している人間が「表現の自由」を楯にして正当性を主張すれば、「表現の自由」の価値を貶(おとし)めるばかりか、本当に必要な「表現の自由」を制限する道を開きかねません。

 アマゾンやビーケーワンなどが現在販売を止めていることがせめてもの救いです。裁判所の判断が出るまでは販売しないのがまともな見識でしょう。販売中の書店や著者、出版社はそこまでして儲けなければならないのでしょうか。


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3 コメント

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Unknown (フラット)
2009-10-12 23:25:37
出版不況……だからってのは動機としてはあんまりな気がします。
いずれにしろ今の世の中なんにつけコストと利益です。公共事業ですら黒字かどうかを計画段階から練りますものね(大概サバ読みドンブリ勘定ですが)。

学校、病院、老人ホーム、警察、コミュニティーセンター、鉄道、上下水道他インフラ、なんでもかんでも費用対効果や採算を意識して企画されまたは構築されています。ジャーナリズムだけが利益を意識せずに社会正義を貫かねばならない道理はない……と、おもえども……しかし元々成年は実名報道されていたわけで、それにより被疑者の家族などはだれもかも切ないオモイをしてきたのではないでしょうか(30年くらい前かな?たしか誘拐報道って映画で加害者の家族の苛酷なその後をみて当時子供ながらに心を痛めた記憶があります)?
とはいえ逆説的ではありますが親族の苦労さえも犯罪抑止力の一部となるならば元未成年者の実名報道もありかなと思わなくもありません(前時代的なみせしめ手法……)。

何が正義で普遍の価値観とはなんなのか、カルト宗教、個人主義、公共性の欠如にライフスタイルの多様化。なにやら見えづらい今時の「良識」
いまや人権についても考え直す時期にきているのかもしれません。少なくともたかだか40年余りの間に培った私の常識・良識は揺らぎつつあります。

ま、本件の実名タイトルは単なる破廉恥な営利目的または売名目的だと思われますけどね。
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Unknown (銘無し)
2009-10-13 10:17:30
TVで著者だか出版社の人だかが、「ネットで調べればすぐにわかることが、何で問題になるのかが分からない。」といった意味のことを言っていました。
自分でやっておいて実に卑劣な言いっぷりで、程度が分かるというものです。

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Unknown (okada)
2009-10-15 14:02:22
確かにコストを重視する考えが生む悪影響のひとつかもしれません。
それでも他の業種はともかく、出版や新聞・テレビが儲け主義では害が大きすぎます。

報道にも犯人の家族・親族に対する配慮が少なすぎるように思います。それが犯罪の抑止力となることもあると思いますが。
個人主義、公共性の欠如は戦後教育とかなり強い関係があると思います。私自身が受けた教育からも感じます。

(銘無しさんへ)
著者も出版社も見識が疑われます。こういう人たちの作るものが世の中に広く流通してよいものでしょうかね。


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