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聖職者と性犯罪

2009-10-19 10:05:32 | Weblog
 「姦淫してはならない」は十戒(出エジプト記)のひとつですが、以下は聖職者自らがその戒律の必要性を証明した出来事と言えるでしょう。

 『茨城県つくば市に本部を置くキリスト教系宗教法人の代表牧師(61)に教団施設内などで、わいせつな行為を繰り返されたとして、20~30代の元信者の女性4人が牧師と教団などを相手取り、計1620万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしていた。
 元信者側は「(牧師は)指導者の霊的権威は絶対不可侵であるなどと欺瞞的説法を繰り返し、被害女性を抗拒不能にさせた」と主張。被害を受けたという女性は「君には癒やしが必要だ、といってセクハラをエスカレートさせた。衝撃的すぎて声も出なかった。嫌だと感じるのは自分の信仰が足りないせいだと思ってしまっていた」と話している』(10月18日産経ニュースより要約)

 05年、信者の少女7人に対する強姦罪に問われた京都のプロテスタント系宗教法人「聖神中央教会」の元主管牧師(62)のケースでも、「少女らは神に最も近い存在だった被告に逆らえば地獄に落ちると信じており、従順に行動せざるを得なかった」とされています。

 同じく京都のプロテスタント系幼稚園では園長である牧師が児童性的虐待事件を起こしていたことが、被害者の1人がPTSDを発症し自殺未遂を起こしたことで発覚しました。被害者はさらに4人増えましたが、既に刑事事件としての時効が成立していました。被害者側は民事で勝ちましたが、謝罪などを求める元信者らの活動が続いています。

 また2004年に表面化した米国カトリック教会の性的虐待事件では過去52年間で神父4450人に疑いがあり、件数は約11000件に上ると報じられました。疑いは実に神父の4%に及んだそうです。

 神と信者の間に立ち、神の教えを説く聖職者が俗の極みである強姦、それも児童に対してするのはまことに破廉恥なことです。警察官が強盗するよりも強いコントラストがあります。教会という閉ざされた世界での絶対的優位な立場と、相手の信頼を利用するのは卑怯な方法です。

 信者を精神的に強く拘束する宗教は信者を洗脳していると言ってもよいと思います。そのような宗教団体では「逆らえば地獄に落ちる」と信じさせることができたように、性的被害者が生まれやすい環境があります。また被害者が被害届けを出しにくい環境でもあります。したがって表面化するものは氷山の一角であり、被害の実数ははるかに多いという見方は説得力があります。

 聖職者に対し、改めて「姦淫してはならない」と教育する必要がありそうです。とくに「児童に姦淫してはならない」と。かつての中国式の方法(宦官)はちょっと差し障りがありますから。

 多くの人は持ち金を取られるより、強姦される方が、より深い傷を受けるでしょう。ところが刑罰は逆で、強姦は3年以上の懲役であり、強盗の5年より軽くなっています。犯罪者にとっては強盗より強姦の方が敷居が低いということになります。


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2 コメント

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Unknown (フラット)
2009-10-20 23:38:27
成功した聖職者というよりも性交した生殖者ってとこでしょうか……
すいません、多分オカダさんはまたいだネタなんでしょうが……つい…。

衣食足りて名誉を求め、そして名を成すなり資産や既得権益なりを得ると子孫が欲しくなる。
考えてみれば仏陀、ムハンマドも元は妻帯者で子もある。イエスもマグダラのマリアとそういった関係にあったことは広く認識されている(ダビンチコードによらずともそうした推論は昔からあった)。そうした神の預言者達の後裔たる聖職者達が姦淫を禁じられるのはなにやら不公平な気もします。
やせ我慢しないで妻帯を是としてしまえば良いのですよ。その点プロテスタントも浄土宗(浄土真宗)も進化したと言うか、原点回帰した合理的宗派と言えるかも(笑

仏教は理趣経で、ヒンドゥーはタントラで、人の仏性や聖性を根本から認め、あらゆる欲望を肯定しています。平安末期に成立し、江戸時代に滅っせられた真言立川流なんて完全に自覚したセックス教団でした。
無理なんですよ。心身共に健康な人間の禁欲なんて。

だからここで問題にすべきは立場を利用したセクハラと組織の閉鎖性、そして付け込まれる側の人としての弱さじゃないでしょうか?
も一つ加えるなら宗教自体の不合理性。大概の場合「我慢」が教理の根幹にある。それでも我慢を貫くから尊敬を得るのでしょうが………普通は無理(~_~;)
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Unknown (okada)
2009-10-22 10:07:49
お見通しの通りですが、少しバリエーションが異なり性職者と・・・。
いや宗教に大変お詳しく、感服しています。私などよりずっと多くの知識をお持ちのようです。

宗教を「我慢比べ」と見るのは面白いですね。とすると性欲の弱い人間は有利になります。食欲には個人差は少ないが、性欲の個人差はずっと大きいとも言われています。大聖人といわれる人物は意外と不能者だったりして・・・。話を外してすみません。

おっしゃるように、不合理なことはやめて「やせ我慢しないで妻帯を是としてしまえば良い」のですが、ひとつ問題があります。彼らの多くがロリータ趣味の持ち主だということです。これは妻帯だけで完全な解決は無理でしょう。

教義を忠実に守ろうとすると自分の自然な欲望を抑圧しなければなりません。この抑圧による精神の歪がなんらかの影響をもたらすでしょう。ロリータ趣味はそれと関係があるのでしょうか。

真言立川流を現代に蘇らせると面白いと思いますね。既に似たような宗教はあるかもしれませんが。
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