噛みつき評論 ブログ版

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資源大陸アフリカ-書評

2009-10-22 09:22:10 | Weblog
 「資源大陸アフリカ」は毎日新聞の記者白戸圭一氏によって書かれた現地ルポで、多くは生命の安全が保証されない紛争地域での現地取材に基づいています。新聞記者というと記者クラブに詰めている姿や、芸能人のスキャンダルを追いかけている姿を思い浮かべます。またイラク戦争の開戦前、日本の大手メディアは危険だからと外国メディアを尻目に一斉に引き上げました。しかし大手新聞記者の中にはちゃんと職責を果たしている人もいるわけで、十把一絡げの理解はよくない、と改めて思いました。

 この本の舞台は主としてアフリカの紛争地域であります。白戸氏は紛争の主体である武装勢力に接近し、危険な取材によって紛争の構造をおぼろげながらも明らかにします。

 紛争は部族間の対立、宗教の違い、鉱山などの利権、旧宗主国の思惑などが複雑に絡んでおり、単純なものではありません。しかしその根っこには貧困と経済的な利害があると考えられます。紛争の原因を部族間の対立、あるいは宗派間の対立とする報道がよく見られますが、部族や宗教、あるいは政治的な思想などは集団を識別するラベルとしての役割はありますが、それを対立の主原因とする単純な見方は正しいとは言えません。

 紛争地域では数多くの武装勢力が対立していますが、彼らが軍事力を維持するためには兵を食わさねばならず、武器も必要です。金が重要であり、石油や鉱山の支配権は争奪の標的になります。また極度の貧困は僅かな食糧だけで兵を集められることを意味します。

 石油や鉱山のない地域では住民からの収奪や外国からの資金が兵力維持の原資になるわけです。多くの武装勢力が争う状況は日本の戦国時代のようなものでしょう。しかし戦国時代の戦争は軍隊同士の争いですが、不幸なことにアフリカでは住民の大規模な虐殺がしばしば起こります。

 94年のルワンダでは100万人前後が、現在も続くスーダンのダルフールでは03年以降だけで18万人、56年の建国以後では200万人もの死者が出たとされています。また村単位などの小規模な住民虐殺は武装勢力が恐怖で支配するための方法ともされています。

 欧州でも敗れた側の住民は皆殺しか奴隷という時代が長く続いたそうで、都市全体を囲う城壁があるのはそのためだとされています。日本では、戦は兵だけで行われ、住民が巻き込まれることが少なかったため、城はあっても都市を囲う必要はなかったと言われています。日本人は比較的穏健な民族なのかもしれません。

 著者は貧富の格差や貧困そのものが暴力を生み、それが9.11のように先進国まで及ぶと述べています。しかしアフリカの混迷を改善する具体的な方法は示されていません。本書を読む限り、国連などの国際機関の活動も限界があり、とても楽観的にはなれません。

 格差と貧困が社会を不安定にし、暴力を生み出すことは納得できますが、それとともに人々の意識も重要な要素だと思います。どれも短時間には解決できないことです。

 アフリカの状況は社会の原初的な形態のひとつとも考えられます。本書を読んで、文明国に生まれた幸運を改めて思いました。我々は平和と安全を享受していますが、それは長期間にわたる先人達の膨大な犠牲によって購われたものであり、我々はタダでその恩恵に浴しているということも。


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3 コメント

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Unknown (フラット)
2009-10-22 17:26:58
日本の戦国時代では民衆に対する虐殺の例は確かに聞いたことがありません。しかし城下町を焼き払ったり青田刈りをして兵糧攻めをしたり、水攻め用の堤を構築するための人夫にかりだしたりと、けっして無害たったわけではありませんでした。
もう一つ付け加えると日本にも奴隷制度に近い慣習は封建時代前から存在していましたし(俘囚や奴卑など)、安土桃山時代には国内で捕らえた人々を南蛮人に売り渡すことを生業とした商人や野武士などもいました(この人身売買が秀吉の勘気に触れ、バテレン追放令へと繋がったとの説もある)。というわけで、日の本はけっして他国に比べて格別人道的な国だったわけではありません。

文明国とそうでない国の違いは多々あるとは思いますが、私見では「人間」という言葉への解釈にあるのではないかと考えます。
食人習慣はわりと近世に至るまで世界各地で見られましたし、倒した敵や獲物の首を取って自らの勝利を知らしめる行いは現在に至っても不滅です。そもそも一族が違えばもはや同じ生き物ですらないというのが近世までの世界認識だったのではないでしょうか?(白豪主義もその一端)
中国の文化大革命のおり、殺された文化人などは肉としてさばかれ、市場で食材として堂々と売られていたそうですし、南太平洋の島々でも殺した敵の肉を食べればその霊力やスキルを取り込めると信じられていたそうです。
なぜそんなことができるのか……その相手が自らの所属するグループの外側の存在だからです。人ではあっても自分や一族のものとは別の存在として割り切って考えられていたからです。つまり人間ではないということです(人間とは人である自身や周囲の存在と間を隔てた、例えば他民族や他国家の人も含めたグローバルな表現の言葉なのだそうです。だいぶ前に何かの本で読んだのですが、タイトルとかは忘れました。日本語としては惇盛--人間50年…ってやつ--にも出てくるくらいだから昔からある言葉なんですけどね)。同じ生き物である人間を物や食料として見ることなど正常な人にはできるものではありませんよね。とまあ、そのように考えるのが文明人であり、排他的で狭い世界感しか持てず、部族や民族を異にするだけでもはや同じ生き物として認識しない人々が非文明人なのではないかと思う次第です。 かなり強引ですが…。
であるならば差別主義者も非文明人なのかな?

かつての暗黒大陸は今も暗黒なまま。資源による利益も援助による施しもそれを必要とする民衆には行き渡らず、特権階級や軍人などに略取されてしまっている。そして国連他どこもそれを正せない……


なんか斜め方向からのコメントですいません。
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Unknown (フラット)
2009-10-22 22:57:33
追記です。

この記事には無関係ですが、ちょっといいなと思ったので書き込みさせて下さい。
漫画なんですが、今日発売となる週間ヤングジャンプに今号よりシリーズ連載となる「VS.」という漫画が始まりました。菅家さんの冤罪を立証するのに一役買った日本テレビ社員の清水潔氏の話しだそうです。
彼はフォーカス誌で活動していた頃に桶川ストーカー事件を独自に取材し、警察に先んじて犯人を特定し、警察の怠慢と偽装を暴き事件を世に問うた正にその人だそうです。
ノンフィクション形式の原作に作画を付けた漫画です。まぁ当然脚色もあるでしょう。しかしそういったことを差し引いてもなかなか読ませる内容です。
恥ずかしながら菅家さんの件も桶川の件も明るみになった原因は知りませんでした。この漫画の通りなら………ジャーナリズムはまだ完全には死んでない! と、オカダさんでも思えるかも知れません。

ちょっとオススメです。

漫画ですが……
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Unknown (okada)
2009-10-23 09:51:52
ふーむ・・・なるほど。
>「相手が自らの所属するグループの外側の存在だからです」
この考えはごもっともだと思います。敵という認識は非情さを正当化します。また残虐性に対する感覚も時代によって変化します。

さて世界の中で日本民族が温和かどうかという問題ですが、これはたしかに難しいですね。厳密に考えると、民族に固有の性格があるのか、あるいは文化的に形成されたものであるのか(ミームによるもの)、その両方なのか、わからなくなります。ただ朝鮮民族は感情が強いと言われるように民族的な特質の存在を否定することも難しいと思います。
私の結論→まったく不明

ただ文明以前でも「同じ人間」と見る人は存在したと思われ、変化は連続的なものではないかと私には思われます。

清水潔氏の話、ありがとうございます。知りませんでしたが、良い仕事をされたようですね。久しぶりに漫画でも読むことにします。
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