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公平性は命より優先すべき問題か

2021-04-14 23:19:45 | マスメディア
 日本の人口当たりのワクチン接種はダントツで、OECD37ヵ国中37位、つまりケツイチ(ケツから数えて一番という意味)である。韓国はスタートが遅れたが、それでも人口当たりの接種数では日本の2倍ほどもある(4/12日経)。

 ワクチンは新型コロナを収束させるのに最強の手段と考えられ、その遅れは感染者の拡大、そして死者の増加を確実に招く。上位のイスラエルやイギリスは既にワクチンの効果が顕著に現れ、感染者は激減している。それ故、世界中がワクチンの確保と接種に注力している。このような状況の下でわが日本は圧倒的敗者である。

 ワクチンの遅れの原因は国産ワクチン開発能力の低さや輸入ワクチンの承認にに国内の治験を課して時間をかけるなど、いろいろあるが最終結果として最下位に甘んじたことは政府の責任であろう。政府が37ヵ国中、トップクラスの無能であったということである。

 さらに、なかなか手に入らないワクチンだが、日本は接種順位をまず医療関係者、次に高齢者としていたが、なぜか一回目が医療関係者の23%しか済んでいないのに高齢者への接種が始まった。それも感染の少ない地方の高齢者まで一斉に始まった。公平のためだという。数が限られたワクチンなのだから、医療関係者が優先されるべきことは当然であろう。しかし次に優先されるべきは感染拡大地域の住民ではないか。東京や大阪のコロナ培養地を先に抑えることが全体の抑制につながることは明らかである。

 しかし河野大臣はそれは公平性の点から無理だといわれる。公平性はそれほど不可侵のものなのか。確かに公平性は重要な概念であり、それを目指すべきことは間違いない。しかし公平性は100%実現できるものではない。そもそも生まれつきからして公平でない。感染の多い地域の住人と感染のほとんどない島根などの住民は新型コロナに関して、初めから不公平である。感染地域を優先してワクチン接種をすることは広い意味で公平性を実現することになる。医療関係者を優先することは公平性に欠けるが、それが全体の利益につながるから許容される。感染地域優先も全体の利益につながるので同様である。

 この公平性という概念であるが、これは絶対的なものではないということに注意する必要がある。ワクチン接種の公平性のために接種を効果的に行えず、余分の死者が出てもよいというほど大切なものではない。公平性、自由、民主的、平和的、これらの言葉は目指すべき目標という意味が含まれるためか、実際以上に重く受け止められやすい。これらの言葉を持ち出されると反論しにくくなる。しかしそうではない。目指すべき方向ではあるが、すべて実現することは不可能であり、他と矛盾することもしばしばである。今回の場合、配慮すべき要素のひとつくらいに考えればよいのであって、新型コロナの拡大抑止の方がずっと重要である。残念だが、政府の見識には不信感を拭えない。英国などと比べると合理的な思考に欠けているように見える。だからこその最下位なのだろう。

 新型コロナ戦争において最低の敗北を喫したわが日本であるが、今後、他の危機に対して適切な対処ができるだろうか。安全保障は軍事に限らない。食料安全保障やエネルギー安全保障も国の存立にかかわる。その重要性はコロナの比ではない。中東や台湾の有事などでは石油やLNGの輸入が困難になったり、気候変動などによって食料輸入が困難になるかもしれない。そんな時、コロナのように大敗北を喫しないよう、願うばかりである。


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