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死刑廃止論と現場射殺主義

2018-07-15 23:02:37 | マスメディア
死刑廃止論と現場射殺主義

 オウム真理教の幹部7名の死刑執行を機に死刑廃止論に光が当たっているようだ。日弁連会長は7人の処刑に対し「国家による重大な人権侵害に強く抗議し、死刑制度を廃止するよう求める」という声明を発表した。弁護士が強制加入させられている団体が政治的な行為をするのには違和感があるが、それは措くとして死刑の是非について考えてみたい。

 死刑は国家による殺人だから許されない、というのが死刑反対論者の決まり文句で、先進国の多くは死刑を廃止しているとも言う。前者の意味は、殺人は許されないから国家にだけが殺人認められるのはおかしい、ということだろう。たしかに論理としては筋が通っている。しかしその論理を通すのであれば警官による発砲も国家による殺人であり、禁じなければならない。銃の所持も止め、銃を持つ犯人に対し警棒で応戦することにならざるを得ない。

 恐らく日本は現場射殺の最も少ない国のひとつだろうと思う。人権重視が徹底しているわけだ。他の先進国は死刑を廃止しても現場射殺が得意である。アメリカは現場射殺が多いうえ、死刑もする最強の国である。現場射殺はその後の裁判費用も不要、懲役刑の費用も不要、もっとも低コストの方法である。逆に終身刑だと死ぬまで国民の税金で支えることになる。年間300万円近くかかるそうで40年であれば1億円を超える。高齢になれば医療費も必要だ。

 殺人には様々な動機があり、一概には言えないが、自己の利益のために他人の命を奪った以上、自分も命を奪われて当然という考えもある。他人の命を奪っておいて、後は働きもせず税金で余生を暮らすことが妥当とは思えない。公平性に欠けるし、他人を殺す以上は自らも死ぬほどの覚悟を持ってもらいたいと思う。我が国では仇討ちは明治6年まで認められてきたが、それを許容するだけの意味もあったと思う。単純に野蛮な習慣だと唾棄すべきではない。

 日本は現場射殺主義の諸国に比べ、圧倒的に犯人の人権に配慮する国である。その象徴がよど号ハイジャック事件への対応であろう。犯人の要求に超法規措置をとり、金を払って犯人を逃がした行為は世界から非難された。

 法に論理が大切なのはわかるが、すべて論理で割り切れるものではない。論理を曲げざるを得ないこともある。ハイジャック事件などのように、人命尊重と犯人逮捕など、二つの論理が二律背反となることは少なくない。人命は地球より重いとして凶悪犯人を逃がした結果、別の罪のない人々の命を危険にさらす。一方の論理ばかりを通すわけにはいかない。外国に倣って死刑制度廃止を言うなら、現場射殺の拡大とセットで言うのがよい。さらに筋を通して犯罪者の人権を徹底したいなら、警官を丸腰にと、言えばよい。