噛みつき評論 ブログ版

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政教分離と憲法20条

2015-09-28 09:08:01 | マスメディア
 安保法は違憲だ、という見解が出て以来、数多の憲法学者の存在を知りました。戦後GHQ主導の下で作られた憲法、ほとんど変わる見込みのない憲法を大勢の優秀な学者先生が日夜研究されているのはよほど重要な意味があるからなのでしょう。私にもよくわかりませんけど。

 それはさて措き、違憲が問題になったついでに政教分離の問題を考えてみたいと思います。憲法20条の第1項は次のように書かれています。

「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

 この後半を素直に読めば、宗教団体が政治権力を行使することを禁じていると解釈できます。とすれば創価学会を母体とする公明党の政治活動はどう理解すればよいのでしょうか。内閣法制局の解釈は以下の通りです。

「憲法の政教分離の原則とは、信教の自由の保障を実質的なものとするため、国およびその機関が国権行使の場面において宗教に介入し、または関与することを排除する趣旨である。それを超えて、宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」

 なんとも不自然な解釈です。「宗教団体が政治的活動をすることをも排除している趣旨ではない」のなら、なぜ20条に「いかなる宗教団体も(中略)政治上の権力を行使してはならない」の条文があるのでしょう。イランやISのように宗教国家にならないためにあるという解釈も可能だと思うのですが。

 戦力の保持と交戦権を認めない第9条を都合よく解釈して自衛隊を持ちそして限定的な集団的自衛権をもつようになったわけですが、解釈の不自然さでは20条といい勝負です。そして9条の場合は安全保障という優先すべき問題がありますが、20条ではそのようなものはありません。

 無理な解釈をすれば法的安定性が揺らぎます。しかし20条ではさほど大きな問題とならなかったように思います。安保法では違憲と法的安定性が大問題になりましたが、それは政治的意図によるものが多分にあったと推定できます。多くの憲法学者の発言は学術的というより自分の政治的意見によるものであったと考えられます。

 無理な憲法解釈をしなければならないのは憲法改正が極めて困難であるからです。それは護憲派と呼ばれる人たちやメディアの力が強いためでしょう。つまり硬直的な護憲派の存在が憲法を不変のものとし、やむなく法的安定性が犠牲となっているわけです。

 話が20条に戻りますが、この解釈の恩恵を受けているのは創価学会だけではありません。神社本庁、世界基督教統一神霊協会、幸福の科学、失敗に終わりましたがオウム真理教など、政治的な影響力を行使、または行使しようとしている団体は少なくありません。

 全財産の寄付を実質的に強要するなど、高収入の宗教団体も少なからず存在しますが、宗教団体が受けている非課税などの優遇措置は簡単には廃止されそうにありません。政治的影響力のおかげでしょう。憲法学者やメディアは9条ばかりでなく20条も問題にすべきでしょう。それが公正な態度だと思うのですが。