噛みつき評論 ブログ版

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裁判員の理解能力は3/115なのか

2010-05-24 10:11:53 | Weblog
 入院中の娘の点滴に水を入れて死亡させたとして母親が傷害致死などの罪に問われ、9日間の日程で行われた裁判員裁判で、京都地方裁判所は懲役10年の判決を言い渡しました。常識では考えにくい異常な事件であり、被告の精神状態は重要な要素であると考えられます。

 精神鑑定が行われたのは、刑法第39条の「心神喪失者の行為は、罰しない」あるいは「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」に該当する可能性があったと判断されたからでしょう。精神科医によって結果は115ページの鑑定書にまとめられました。しかし、裁判員にわかりやすくするため、115ページの鑑定書は3ページに要約され、それだけが証拠として採用されました。時間の制約もあるのでしょうが、たったの3ページとは一般市民の理解能力はずいぶん低く評価されたものですが、これは裁判所の姿勢を示すものと考えられます。

 裁判の資料として3ページの要約で十分とされたわけですが、元の115ページの鑑定書には事実やその解釈、結論に至るまでの理由が詳しく書かれていたことと思われます。要約は恐らく結論が中心で、そこに至る過程が大きく省かれたと考えられます。裁判員は鑑定書の結論が妥当性であるかを判断することができたのでしょうか。これでよいのなら今までの詳細な鑑定書は無駄であったことになります。

 精神鑑定はその結果によって死刑にも無罪にもなるほど重要なものですが、鑑定者によって結果が大きく異なることが珍しくなく、高い信頼性のあるものとは言えません。曖昧な領域に無理やり線を引くという作業であり、主観性を排除することは困難です。従って結論に至る過程の開示は重要だと思います。

 裁判員裁判では裁判員にわかりやすいこと、予め決められた短い期間に終わらせることが要請されます。そのための簡便化が3ページの要約なのでしょうが、裁判の本来の機能である被告を正しく裁くという点が軽視されているように思われます。裁判員にとっては数日間の問題ですが、被告にとっては数年、場合によっては命にもかかわる問題です。

 裁判員裁判が台風の襲来のため3日間の予定が2日間に、4日間が3日間に短縮されたことはありますが、数百件の裁判の中で審理が思わぬ方向へ進み、確認のためなどで延長されたという話は寡聞にして存じません。時間管理が優秀なのでしょうけど、審理途中での期間延長が裁判員の不満に結びつくことを恐れたためという心配はないのでしょうか。

 裁判員制度開始からほぼ1年、裁判員経験者の「良い経験になった」などの意見を載せるなど、マスコミには同制度に対する好意的な評価が目立ちます。しかし多くは裁判員など、裁く側からの視点であり、裁判の主人公である被告側の利益という視点に立つものがありません。裁判は裁判員が「良い経験」をするためのものではなく、被告が公正に裁かれるためのものです。

 最高裁の裁判員に対するアンケート調査でも「弁護士や検事の説明がわかりやすかったか」という問いはあっても、「弁護士や検事の説明が十分理解できたか」という問いはなく、裁判員が十分理解した上で評決を行ったかという重要な疑問に答えていません。

 裁判員制度を維持するための効率化を重視するあまり、十分な審理を受けずに判決を下されるようなことがあっては本末転倒です。効率化には当然負の部分もある筈で、それが裁判の本来の機能を損なっていないかという視点をマスコミは忘れているような気がします。

(参考拙文 算数のできない人が作った裁判員制度)
(参考拙文 最高裁の欺瞞)

(上記の傷害致死事件の鑑定書に関する記述はNHK京都放送局の放送に基づいたものですが、現在見ることができません。参考までにNHKの放送内容をまとめたものと思われるサイトを挙げておきます。 Sousyoku News Networkwww)