噛みつき評論 ブログ版

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付和雷同と小選挙区制

2010-05-17 09:53:22 | Weblog
 第二次大戦中、日本軍の捕虜となり死亡したアメリカ兵の割合は38.2%に上ります。これに対してドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡割合は1.1%という数値(*1)があります。日本軍の捕虜の扱いはたいへん苛酷なものであったようで、この大差に驚きます。

 これに対し、日露戦争におけるロシア兵捕虜や、第一次大戦におけるドイツ兵捕虜はある程度の自由が与えられ、丁重に扱われたとされています。第一次大戦から30年足らずで、同じ国がなぜこんなに変わってしまったのか、大変興味を惹かれる問題です。

 歴史をみても日本民族が他の民族に比べて残虐性が強いという印象はなく、むしろ世界でも有数の犯罪率の低さ、治安の良さを考えると、日本国民は比較的温和な性質を備えているようにも感じられます。

 捕虜の扱いだけでなく、組織的な自爆攻撃つまり特攻や、補給の軽視による日本兵の大量餓死・病死なども特異なことと思われます。なぜ日本にこんなことが起きたのかを説明することは複雑で、私などにはとてもできませんが、以下の二つのことは関係がありそうに思います。

 ルース・ベネディクトが著書「菊と刀」で日本文化を「恥の文化」と述べたように、日本人の行動を規定するものは西欧のように罪の意識ではなく恥の意識であるということが関係しているように感じます。罪は内面の神に対するものであり、その制御効果は普遍的です。これに対し、恥は所属する集団内のものであり、その集団内で恥とされない行為には制御効果はありません。軍という集団内で非道な行為が広く行われたのは恥の意識が生じなかったためではないでしょうか。

 もうひとつは明治期の東京帝国大学の教師であったチェンバレンは日本人の特徴として「付和雷同を常とする集団行動癖」を挙げています。これは現代のマスメディアの横並び集中報道にも見られるとおりで、メダカの群れのように一斉に同じ方向に走りだす性質です。

 日本軍の特異さは罪よりも恥が規制する文化と付和雷同気質に関係があるのではないか、というお話ですが、まったくの私見なので決して信用あるものでないことを付け加えておきます。

 さて、皆が同じ方向に走り出すという特性、つまり付和雷同気質は組織や集団による仕事には好都合なのですが、同時に暴走の危険も包含します。国民もマスコミも付和雷同であれば、気になるのはこの気質と小選挙区制の組み合わせです。

 昨年の総選挙では、小選挙区での得票率は民主党が47.4%、自民党が38.7%に対し、当選者は民主221、自民64となっています。得票の比は1.22倍ですが、当選者の比は3.45倍です。小選挙区制は1.22倍→3.45倍という増幅効果をもち、付和雷同傾向をより強めます。日本を不安定化させるという意味で、危険を孕む制度であると言えそうです。

(*1)これは鳥飼行博研究室の「War」→「総力戦における動員」→「連合軍捕虜POWと日本軍捕虜の死亡率」から引用しました。ここでは豊富な写真を含む膨大な戦争資料を見ることができます。
加藤陽子著「それでも、日本人は戦争を選んだ」には日本軍の米兵捕虜死亡率37.3%、ドイツ軍では同1.2%という数値が出ていますが、大きな差はありません。