蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

山麓の高級住宅地を登って甲山墓園へ行く

2013-04-25 15:19:31 | 六甲山をブラブラ

今シーズン、白馬乗鞍へは5回登り、天狗原までが3回、自然園も2回ブラブラした。そしてフツーのゲレンデスキーを19日間、ほんの数週間前までの楽しい日々。

そして、4月からも栂池以外のエリアで山を滑るつもりだった。
しかし、ダルい、シンドい、もうエエワの悪癖がまた出てしまって、“ひきこもり”の毎日になってしまっている。ほんの数週間しか経っていないのに。

このままワタクシ、どうなるンでしょうか。とにかく表に出ないといけない。
しかし、近所をウロウロしているだけでは徘徊老人。何かオモロイ目的をもって少し遠くへ。

行きたいと思う所が特になくて、でもどこかへ、となると、行くのはお墓。

しかし、取り立ててご先祖サンを供養したいとは思わない。
先祖とはワタクシをこのツマラナイ現世へ放り出した張本人でもある。土地、財産を持たせて放り出してくれたのならまだしも、持たせてくれたのはこの変な性格、性癖だけ。まッ、イイですけど。
確か、親鸞さんは親兄弟の為に念仏を唱えた事はないそうだし、キリストさんも親兄弟の為に祈りを捧げたことはないらしい。まぁこのお二方は全ての人達に平等に、と言うコトでしょうけど。
いずれにせよ、ワタクシ、強いて先祖を供養する気はありません。ご先祖サンの顔、ほとんど知らんし。

ただお墓に行くと、そこには煩悩から解き放たれたホトケさんばかりがいらっしゃるので、変人のワタクシはホッとする。

と言う事で22日、母方のご先祖サンが祀られている甲山墓園へ歩いて行くことにした。
ここへ行くのはいつも車、3リッターの水平対向エンジンを唸らせて登っていく。
2度ほどバスで行ったが、本数少ないし、あっちこっち街中グルグル廻る路線で呆れてしまった。

で、今回は甲陽園から歩くことにした。
バスで行った時、帰り便がかなり後だったので、一度歩いた事がある。その時住宅街まで来て、駅までの最短ルートがよく判らなかった。
六甲山のハイキング、住宅地まで降りて来てから彷徨う事はしばしばある。そんな感じだった。

今回はネットの地図で調べプリントアウト、持参した。長い階段が2ヶ所ある様だ。

Imgp4979 甲陽園の駅を出て山に向かう。

Imgp4980 最初の階段、振り返るとかなり長い。

Imgp4981 緑化協定区域だそうです。“高級”住宅地、と書いてある、サスガ。

Imgp4983 色々モメごともある様です。

Imgp4984 また長い階段。

Imgp4985 階段の途中からの展望。

Imgp4986 

Imgp4987 遠くに梅田のビル群らしきものが見える。

Imgp4988 登りきった所にあった調整池とシャレた建物。これはお店?住居?

Imgp4989 この辺りの集会所らしい。さすが、高級住宅地、と言うか高級別荘地(?)

Imgp4990 甲山大師道となっている。

Imgp4991 そこそこの急坂。

Imgp4992 坂を登りきって左に逸れると、これはハイキングコース(?)

Imgp4993 道端には如来像、菩薩像などが次々と祀られている。

Imgp4994

Imgp4995 北山貯水池に到着。

Imgp4996 紅葉もイイが若葉もイイ。

Imgp4997 道路沿いの八重桜。

Imgp4998 その先には、アルツハイマーの叔母が一時入院していた精神病院。

5年前の秋、叔母は、高級老人ホームの職員が口元に持っていった食べ物を、手で払う等、言動が凶暴になり、「その治療薬を探すため入院させる」、と高級老人ホームのウエダという主任ソーシャルワーカーは言った。
口髭をはやしたトッポい男だった。名刺には社会福祉士、と書いてあったがホストクラブのオニイチャンの様だった。
その時、叔母は胃ろうの手術も受けた。手術には親族の同意が必要だと言われ、当然ワタクシが立ち会った。

そして初めてこの病院を訪ねて驚いた。病院は叔母が死んだら入るお墓の隣だったのだ。

また、ここはあの「甲山事件」があった知的障害者施設の跡地。
40年程前、この施設の園児二人の遺体が浄化槽で見つかって、殺人容疑で逮捕された保母さんは、最初不起訴。
しかし検察審査会が不起訴不当とし、殺人罪で起訴され、5回の刑事裁判は全て無罪、25年以上経って無罪確定という、ナンカ異様な事件だった。
保母さんが無罪だと言う事は、犯人は別にいる、ともいえる訳で、不気味な雰囲気が感じられる。結局真相はヤミの中だけど。

Imgp4999 近くではミツバツツジが満開。

Imgp5000 50分程かかって甲山墓園に到着。

墓には、お彼岸とモノと思われる花が萎れたまま残っていた。
それらを片付けて、雑草を抜いて落ち葉を拾い、オセンコを焚いて、念仏十念、ナムアミダブツ。

作業員数名が近くで整備、清掃している。他にお墓参りしている人、いません。

もと来たルートで帰る事にする。

Imgp5002 灌木の向こうに下界が見える。

Imgp5003 六甲アイランド~芦屋浜を遠望する。

2時間弱のおサンポ、プチハイキング、少なくとも一時の“ひきこもり”解消にはなった。


今年の雪山のオモロいハクジン達

2013-04-20 21:43:36 | 山とスキーでブラブラ

20歳代の頃、スキー場のリフトは一人乗りの遅いヤツで、リフト乗り場にはズラーッと人が並んでいて、大混雑だった。安月給で自由に使える車などなく、信州は夜行列車で行く所だった。

その後、2人乗り、4人乗りの高速リフトが出来て、ゴンドラは6人乗り。
バブル期、ほとんどの若者がスキー場に押し寄せて、これら高速リフトはドンドン人を運んだそうだか、その頃の大賑わいの様子は知らない。
バブルとその後の失われた10年は、ひたすら中四国地方を特殊機械の営業で動き廻っていて、ゲレンデスキーをする余裕などなかった。

5年前、会社を早期退職し信州・雪山通いを始めたが、スキー場は混雑も賑わいもなかった。お客サンは最盛期の1/3に減り、スキーは儲からない商売になっていた。

そして、ガラガラの雪山には、栂池のゲレンデでも天狗原へ登っても、特に1月から2月はハクジンばかり。時々ワタクシを含めた年配のニホンジンがいて、たまぁ~に若者がいた。

012 (09.3.30.の自然園)

そのハクジンも2年前の3月、フクシマ原発が地震と津波で破壊されると、放射能を怖がってアッと言う間に消えてしまった。核アレルギーは、原爆で数十万人がコロされたニホンジンにこそあるのだ、と思っていたワタクシは驚いた。

ガイジン、ハクジンがいなくなると白馬のスキー場は成り立たなくなる、どうするの今後(?)、と暗い雰囲気が漂っていた。そして昨年、ハクジンはほとんど見なかった。

しかし、今年は「以前ほどじゃないけど、戻って来たみたい、ウチには関係ないけど」、と定宿の主人は言っていた。

ウチには関係ない(?)、ハクジンは戻って来ても皆さん、白馬のガイジン専用の(?)リゾートホテルに泊られるそうで、栂池の昔からの民宿文化、我が定宿とは縁がないらしい。

確かに2年前のレベルかどうかは別にして、今年ハクジンはよく見た。
立入禁止エリアにドンドン入っていく後ろ姿は、相変わらずだった。
「でもチャンとビーコン持ってるンですよ」、パトロールのオニイサンは呆れていた。

雪がシンシン降っている時でも、ゲレンデそばの雪崩危険エリアに、ビーコン携行で入っていくハクジン。最近はそう言う未圧雪エリアをカッコよく、“サイドカントリー”とも言うそうだ。
しかし、ビーコンは「ナダレ除け」の夢の機具ではない。雪崩に埋まった時、埋まった場所を知らせるだけ、多くは自分の死に場所を知らしているだけ。
肝心なのは雪崩に遭わない事、雪崩そうな場所には近付かない事なのだ。
狭い尾根沿いのコースの途中、立ち止まっているハクジングループ、その横でパトロールが立入禁止のロープを張り直していた。パトロールが立ち去るのを、そのグループが待っているのは明白だった。その日も雪がはげしく降っていた、あぁ、アホクサ。

しかし、ハクジンはルール違反のならず者ばかりではない。
小さい子供を連れたオトウサンとか、初心者コンビのボーダーがお互いをケアしながら滑っている様は、大柄のハクジンでもなかなか微笑ましかった。

そして、微笑ましいを通り越して大笑いしたグループもいた。

6人の青年グループ、当然身長は全員180cm以上。4人はボード、2人は超ファットのロッカーを履いている。仲良く楽しそうにワイワイやっていた。
リフト中間駅でそのグループが丁度前を、乗り場に向かって歩いていた。空のゴンドラが次から次、やって来る。
乗り場に向かって、スタスタスタと歩いて行ってスッと待たず乗れる。

そして彼らは、1台の空のゴンドラに仲良く、ス、ス、スッ~と乗り込んでいった。
超ファットのロッカーは外のスキーケースには納まらない。ボードと同様にカバーを被せてゴンドラに入れるしかない。
要は、ゴンドラ1台に大柄のハクジン6人とボード4枚、ファットの板2ペアが押しこまれていった。ド、ド、ドッと。

ゴンドラ乗り場の案内係は顔見知りのオニイチャン、苦笑していた。当然、2組に別れて乗ると思っていた。「別々に乗ればイイのにねェ」

その次のゴンドラに乗って前を見ると、都会の満員電車の様だった。ワタクシ、ゆったりのゴンドの中で一人、大笑いした。

その上でも彼らはモタモタして、リフトを止めようとした。まるでスラップスティック喜劇(?)、イヤそこまでドタバタしていないか。
しかし、身長180cm以上のハクジン青年。ヤマトナデシコのほぼ全員は「キャー」と騒ぎたてる程のイケメン。それがこの喜劇。

ハクジンが変に近い存在に感じた。背の高さは届かないし、英語も喋られへンけど。

049(13.1.16.天狗原から滑り降りて振り返る、1月なのでまだ灌木は埋まっていない)


若葉の始まり、イカリソウ、ヒトリシズカ、そして護憲集会

2013-04-15 19:55:48 | 朽ちゆく草の想い

昨日は久しぶりに布引谷・山の家へ戻ってみた。
布引谷・市ケ原から通学、通勤していたハイキングコースの風景が、昔とは変ってきて、また蛇口から出る布引ウォーターの色が緑がかった事があって、山の家への移住はヤメたが放棄はしていない。園児の頃から歩いて通う事を強いられた“怨念”もまだ残っているし。

春になって新神戸駅周辺にはバーベキュウの香りが漂い出した。

Imgp4954 相変わらず橋の下でお楽しみ中のグループ。駅の排水がモレて降りかかる事はないとは思いますが、ようヤルわ。

Imgp4955 新神戸ロープウェイが行き交う上方の新緑。

Imgp4957 山腹に転々と咲く山桜。

Imgp4958 芽吹き、若葉の始まり。

Imgp4959 若葉の中の山桜。

Imgp4960 イノシシに荒らされた庭。スイセン、カンゾウが繁っていたが、シランは球根が喰い尽されたのか、姿は見えず。 

Imgp4961 イノシシはエサを探して、あらゆる所を掘りかえそうとした様だ、飽きもせずに。

Imgp4962 いくら片付けてもキリがない。

奥に見えるのは隣のおバカが立て掛けている柵。こちらの敷地に入り込ん出いる時は押し返している。その柵の横に黄緑の小さな茂みが見える。

このおバカは3年程前、ここを全て売り飛ばして南の国へ移住する、と言い出した。
そして、売り飛ばす土地をハッキリさせるため、境界に柵を立てたい、ついてはお宅の物置が境界からはみ出ているので移動して欲しい、と言い出した。
物置は30年程前、オヤジが建てたもの、何を今さら、アホっチャうか、コイツ。

コイツは一緒にハイキングコースを歩いて小中学校を通った仲間ではなかった。隣の先代サンの後妻についてやって来て、既に社会人だった。

大体、境界て、どこ?今まで気にした事はなかった。

昭和42年7月の豪雨で、世継山頂上付近に強引に造成したゴルフ場が崩れ、ここから約500m離れたエリアを山津波が襲い21人が亡くなった
その後この辺りは市街化調整区域になった。つまり、空き地があっても新たにモノが建てられない。境界ギリギリに増築など出来ない。
結果、この辺りの土地に価値はなくなった。境界ナンゾどうでもイイ。

しかし地主でありキチンと固定資産税を払っているワタクシが、境界を知らないのもチョット変だ。
ワタクシが登記した時の司法書士に訊くと、法務局へ行って地積測量図を見れば判る、と教えてくれた。その時まで土地とか不動産の事など、全く関係のない業界で働いていたので、何も知らなかった。
オヤジがここを建て替えた時の建築確認通知書(+測量図)も出て来て、境界は判った。

隣のおバカは地積測量図の存在を知らなかった。(この辺りが市街化調整区域である事すら知らなかった)
それでは彼らが言う境界の根拠とは何か。
それは神戸市が行った道路境界明示のボルトだった。そのボルトを打ち込む時、隣のヨメハンが立ち会ったらしい。そのボルトの一つが約0.5mこちらの敷地内にあった。
アタシが立ち会った、ただそれだけで、そのボルトが境界で、物置がはみ出ていると言っていたのだ。アア、アホクサ、一笑に付するおバカさ。

ワタクシは地積測量図を示し境界を主張した。

その後、隣のおバカは境界ギリギリに、建具か何かの一部を柵として立て掛けた。
境界にはイカリソウが生えていて毎年春にキレイな花が咲いていた。
しかし、柵を立て掛ける時、その辺りをゴソゴソ踏み荒らしたためか、イカリソウが咲かなくなった。植物、花々を愛でるような教養はアイツにはない。もう枯れてしまったのか、と諦めていた。

柵の横に見えた黄緑の繁みはイカリソウだった。

Imgp4963 今年は咲いていた。ヨカッタぁ。

Imgp4965 庭のあらゆる所にモミジが生え出している。放置すると庭はモミジ林になる。30分ほど掛けて大半を抜いた。

他の雑草も抜いて、落ち葉を燃やすと、あとは何もする事がない。帰りましょ。

Imgp4966 満開の山桜。

Imgp4967 そして見つけたヒトリシズカ。イカリソウもヒトリシズカもオフクロが好きだった花。

ヒトリシズカが静かに独り咲いていた辺りも、以前からイノシシが掘りかえし続けていて、“シズカちゃん”は一度姿を消した。
しかし今年、復活していた。
野草はキレイだけではない、強いのだ。

下界へ降りて来て、三ノ宮の勤労会館へ寄って護憲集会を覗いた。
集団行動が苦手なワタクシ、集会への参加などもあまり気は進まないが、こう言う行動への賛同表明のつもりで時々オジャマしてます。会費はカンパのつもりで払えばいいし。

そして、この様な集会は、「しんぶん赤旗」とか「兵庫民報」で知る事が多いのだが、この日の集会は何故か神戸新聞で紹介されていた。

開始から30分ほど遅れて勤労会館4階へ上がると、白髪の女性が受付にいた。「今回、共産党はどうしてますのン?」
会費を払いながら訊くと、「参加を呼びかけたンですが、ダメでした」
と、言う事でこの集会に参加しているのは社民党、新社会党、緑の党だけだそうだ。なぜ共産党は参加を嫌ったのか。

ワタクシ、細かいコト、よく判りませんし、どうでもイイ。
この国の憲法、9条は別にして、変えないといけない問題も色々あるそうですが、そう言うノはどうでもイイ。変えないといけない諸々、あるかも知れませんが、別に気にならない。

しかし、9条を変えて、国際紛争を解決する方法として、武力による威嚇や行使を認めたり、そのために軍隊を持ったり、国の交戦権を認めたりは絶対ダメ。
そう言う点では社民党、新社会党、緑の党、共産党、それぞれ党が違っても同じのハズ。共産党は何にモンクがあるのだろう。

まぁ政党の人達はどなたも最後は、「我が党が一番」ですからねぇ。

Imgp4968 この女性、緑の党のリーダーらしい。中々オモロいコトを言っていてイイな、と思ったが、最後にこの集会の主催者(?)がまとめた内容は、緑の党が言っている正にその事だ、とか余計なコトを言い出して、ナンヤあんたも「我が党が一番」なの?、急にアホ臭くなった。

護憲の勢力、つまり反戦勢力のまとまりがない中、世論調査では、改憲に賛同する議員を支持する回答が2/3を越えた、という結果が出たらしい。
憲法9条ナンカよりとにかく景気が一番。景気を良くする(ように見える)政治家なら、彼らが勇ましい好戦勢力でも、改憲でエエやンと言う事か。あぁバカバカしい。

株価と為替だけが景気よくなったアベバブルと、ワケの判らン人気だけのハシモトバブルが早くハジケ去ることを、ワタクシ“蒼ざめた馬”は、ただヒタスラ望みますッ。


安曇野春景色

2013-04-11 12:57:38 | 山とスキーでブラブラ

6年目の信州・雪山通いも4月第一週でオシマイにした。今年は過去最多、10回通って30泊。
まだまだ飽きたワケではないが、定宿の営業が第一週まででオシマイとなる。
栂池の街には、「3/31で今シーズンの営業は終わりました」との貼り紙をした宿や店がチラホラ、第一週でオシマイとなっても仕方ない。

雪は急激に融けたが上にはまだまだ残っているし、稜線から自然園までで充分遊べる。もう下までは滑り降りれず、ゴンドラで下る事になるらしいが、5月連休までシーズンパスが使えるのでナンボでも乗れる。
しかし、ヤメにした。何故ならワタクシにとって、栂池雪遊びは定宿とセットになっていて、今更通年営業のリゾートホテルに泊る気がしない。高いしどうせ御一人様は泊めてくれないし。(夜中に着いて車中で仮眠までしてヤル元気はないし)

5日、定宿の人達と9ヶ月の長いお別れ。「お世話になりました、また来年必ず来ます、生きてたらですけど」
定宿のママさんからは、収穫した豆(乾燥のと甘く煮たの)を頂いた。

いつも寄るお酒屋さんで地酒を買って、ノンビリ安曇野を寄り道しながら帰りましょ。

Imgp4913 安曇野ちひろ美術館。背後の右は爺ヶ岳と鹿島槍、左は昨年稜線直下でギブアップした蓮華岳(?)。

Imgp4914 美術館の周りをウロウロしてすると、確かあれはちひろサンのアトリエ(?)

Imgp4915 裏へ廻ると玄関。

Imgp4916 黒姫山荘と呼ばれたらしい。

Imgp4918 アトリエが黒姫にあったのに、美術館が松川なのは、ちひろサンの両親が松川の開拓農民で、息子さんがそこに預けられたから(?)、まぁどうでもイイですが。

Imgp4919 間取りは3LDKの様です。

Imgp4920 お独り様には丁度いい感じ、こんな中古物件、この辺にありませんかねぇ。移住したいンですが。

Imgp4922 憲法9条を守ろうとする、優しい「ハト」の人達が松川にもいる。

Imgp4923 今シーズン、一度爆風で頂上手前から吹き飛ばされたけど、大ケガはなく無事終了、穂高神社へお礼参り。

Imgp4924 神サンのお使い(?)、鶏が放し飼いになっている。イキナリ鳴いたのでびっくりした。

Imgp4925 駐車場の紅梅(?)と背景は大天井あたりの稜線か。

Imgp4926 穂高川沿いにある「早春賦」の歌碑。

Imgp4927 作詞者も作曲者も信州人ではないが、「遅い安曇野の春を待ちわびる心を歌ったもの」、と言われているそうです。 

Imgp4928 小学校5年の早春に、この歌を習った。六甲山麓・布引谷の通学路はまだ、「春は名のみの風の寒さ」だった。

Imgp4929 周りはワサビ畑。隣のベンチでどこかの職員らしきお嬢さん二人がランチ中だった。

その後、広域農道を通り松本、塩尻を迂回、R19に出て給油、洗車後、中津川ICから高速に乗って20時半無事帰宅。

さて、山スキーシーズンはまだ後2ヶ月程続く。しかし、最近はダルい、しんどいで失速してしまう事が多い。今年はガンバりたいが、どうなるンでしょうか、これからのワタクシ。


今年5回目の白馬乗鞍登頂で、今年はオシマイ

2013-04-09 19:18:34 | 山とスキーでブラブラ

4月4日、予報は晴れ。しかし、スッキリしない空。ホンマに晴れるンやろか、まぁ行けるトコまで行きましょう。

4月になってゴンドラの始発は8時半になったそうだ。定宿でゆっくり朝食を摂り、ノンビリ出かける。

この時期、朝イチのゴンドラに乗るのは、冬山用のアウターに身を包みザックを担いだ山スキーヤー、山ボーダーばかり。皆さん、ツアービンディングを付けた山用の板を抱え、兼用靴を履いている。山ボーダーさんはスノーシューを担いでいる。
(今風に言うと、フリースキーモデルの板を抱え、アルバインツーリングブーツを履いたバックカントリーの人達ばかりです)

栂の森着、9時少し前。晴れていた。
ロープウェイの始発が9時、その後は30分毎。9時には乗れないかも知れないので林道を歩くことにする。

Imgp4882 9:15、林道を一人静かに歩く。

Imgp4885 久しぶりに雲海を見た。

Imgp4886 9:50、成城大小屋着。小蓮華の稜線には激しい雪煙、上の方はかなりの風かも。

ロープウェイの駅から団体サンが、次から次、上がって来られます。

休憩している若いポーター3人組。うち一人の女の子が、ニコっと「コンニチワ」
「コンニチワ、どこまで行くン?」
「白馬乗鞍まで、ですッ」
「ほぅヤルねぇ、ボクもテッペンまでの予定やけど、シンドなったらヤメにすんねン」
するとリーダーらしき青年が、「ハハハ、そりゃボク達だっておなじですよ、今日は風、強そうだし」
「そうそう、かなりキツそうな雪煙上がっとったし、気ィつけんと吹き飛ばされるよぅ、ほなね」
「ハ~イ」
もう一人の女の子もニコニコしている。イイコ達です。

Imgp4887 天狗原の登りはジグザグにトレースが付けられていた。

Imgp4888 11時過ぎ天狗原着。スッカリ雪が消えた下界が見える。Imgp4889 乗鞍へ登る人達、ザッと見て20人。

Imgp4891 12時過ぎ頂上ケルン着。相変わらず誰もいない。

Imgp4892 白馬岳へ続く稜線がキレイだ。今シーズンは船越の頭へは登れなかったけど、まぁエエでしょ。

天狗原への斜面は人がイッパイだから、南側から自然園へ下る事にする。

風が避けられそうな窪みに腰を降ろし、シールを外し、サングラス内側の涙と汗を拭き、ゼリー飲料と水を飲んで、板と靴をスキーモードにして、さぁ出発。

南側へ廻り込もうとすると、人がいて手を振ってきた。滑る前に周りの写真を撮っている様に見えた。
この人がゴンドラの中で色々お喋りをした人だと、この時は気付かなかった。ただの挨拶だと思って、ワタクシも手を振った。
それより、上手く自然園へ滑り降りれるか、頭の中は不安でイッパイなのだ。

南側の斜面は毎年滑っているが、他に人がいた事がない。
いつも一人で、快適な事もあったが、モナカや深雪でシンドイ思いをした記憶の方が多い。

さて今回は???

Imgp4893 約500m下に自然園が見える。しかし足元が見えない。ビビる。

ウォリャ~、と気合を入れて滑り出す。ン?イケルやん、最初はそうだったが、その後は湿った重い雪。飛び上がってターンしようとすると、踏み込んだだけ沈んでいく深い雪。

仕方なく板を開いて先を落して行くと、いきなりビュ~ンと滑り出して、オットットット、シリモチをつきそうになる。
連続で廻れない。シンドい。疲れる。

Imgp4895 左右1回ずつターンしてはフウフウフウ、ハアハアハア。あぁナサケナイ。

Imgp4894 自然園はまだまだ下にある。

Imgp4899 だいぶ下まで来た。

Imgp4900 対岸の斜面は雪崩ていた。

Imgp4902 何とか降りて来れました。ホッ。

Imgp4903 斜度は緩くなったが相変わらず滑りにくい。

Imgp4904 自然園の平坦部を進んでいくと、先にはスノーシューのグループ。更に先にもう一人。

その人はスノーシューのグループと話しした後、まだそこに留まって、どうやら写真を撮っている様だ。と言う事は、ヒョットして松川のSさん?

近付いて行くとSさんだった。約1ヶ月振りです。
今日は金山沢が見える辺りまで登られたそうだ。Sさんもこの湿った重い雪に苦労された様子。「昨日の雨がこの辺りでは水分を含む雪になったンでしょうね」

30分程お喋りしたが、ナンセ暑い。ビールが呑みたい。Sさんはまだ暫らく写真を撮られるとの事。確かに眺めるに飽きないサイコーの天気、景色。

しかしワタクシ、「カフェテリアでビール呑んでボォ~ッとしてます」

Imgp4905 栂池通いも今年はオシマイ。未練がましく素晴らしい景色を振り返る。

Imgp4906 旧(?)栂池ヒュッテがもう1階まで露出している。ホントに今年の雪解けは急激だ。

Imgp4907 林道から谷に下る。昨日、この辺りは雨だった様で、湿った重い雪はなく楽に滑れた。

14時過ぎゴンドラ駅の横に出て、カフェテリアに向かうと、また手を振る人がいた。今度はゴンドラで一緒だった人だと判った。そして、「アレっ、テッペンにいました?手ェ振りました?」

この人は金沢のFさん。テッペンでワタクシが下っていくのを見て、一度はついて行こうと思ったそうだが、どこへ着くのか判らないのでヤメたとの事。
カフェテリアから見える白馬乗鞍の裏斜面、そこを下ったニンゲンがゴンドラ駅の横から出て来たのが驚きらしい。
缶ビール呑みながら、要は自然園をグルっと廻って来ただけと、説明していたら、Sさんも下って来た。

3人で暫らくお喋りした後、Fさんは滑っていった。「またどこかで会いましょう」
そして、Sさんも滑っていった。「また来年会いましょう」

Imgp4908 今年はこれでオシマイなので、最後にゲレンデのテッペンから滑る事にした。

Imgp4909 そして未練がましく素晴らしい景色をもう一度眺める。

Imgp4910 今年の雪解けはホントに異常だ。どんどん地面が露出している。

季節は去った。これでオシマイにしましょう。