蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

初冬の森、21個目の切り株を燃す

2018-11-28 15:59:22 | 信州安曇野での出来事

 庭先から眺める燕の稜線、昨年は11月の初めには雪を被っていたが、今年11/15はまだ黒々としている。昨年の雪が早過ぎた、と言うべきか。

 21個目の株の解体を続ける。

 このクヌギは特に硬く感じる。 

 1時間半叩き続け、少しは小さくなったか。

 11/18、2日間叩いて更に小さくはなったが、まだまだデカイ。

 叩き潰した分を一度燃やす。

 11/19、とにかく叩き続けるしかない。

 土や砂まみれ、と言うかこびりついていて、叩く度に火花が上がる。

 角がそこそこ取れた。

 11/20、有明山にウッスラ雪が掛かっている。

 それにしても硬い。

 11/21、大分小さくなった。

 しかしウラ返すとまだ樹皮の部分が残っている。

 11/22、樹皮の側を叩く。Mさんがやって来て、試しに一撃、「ホント硬いねぇ」、コイツは多分、今までで一番硬い。

 11/23、やっと中心部が割れだした。

 11/24、叩く度にブロック状でコロッと割れて行く。あと少しだ。

 解体終了。

 11/25、枯葉はスッカリ散り落ちた。

 時々吹く初冬の風が気持ちイイ、サイコーだ。

 焼却開始。

 「オッ、イイ感じに燃えてますねぇ」、Mさんが様子を見に来た。
「で、次はどれをやるズラ」、「まぁボチボチやりますワ、死ぬまでには片付くでしょう」、「ハハハっ、ナ~ニ冗談言ってるズラ」

Mさんの説では、森の中で自然に斃れた木は、朽ちるまで放置してもイイが、ニンゲンが伐採したモノは、ニンゲンがキチンと処理しないといけない、切った後放置したままは見っともない、という事だそうだ。確かに判るような気がする。
要するに、自然に斃れた木は“寿命”、従ってキレイに朽ちる。しかしニンゲンが伐採するという事は、まだまだ元気な木を“殺す”という事になる。“殺された”あとは朽ちるまで“腐る”、それは見っともない。そういう事なンだろう。

 11/26、枯野をサクサク歩き廻る。

 21個目の株は完全に灰になった。

 後3個残っている。内クヌギの1個がとにかくデカイ、高さ1.5m程。さてどうするか。


馬の如く、21個目の切り株を運び上げる

2018-11-15 17:22:22 | 信州安曇野での出来事

 今年も切り株の処理をしないといけない。

この小屋を建てるにあたり、原野に生えていたクヌギと松の伐採、抜根は基礎工事に入っているが、それらの後処理は別途費用が掛かる、と工務店から言われた。
ならば自分でやることにした。神戸布引谷・山の家からは、昔使っていた斧が2本、その他ノコギリ、鉈等を持ってきており、それらを駆使して解体すればイイのだ。どうせ雪が降るまではすることないし。
そして何よりもこの小屋の建築に、自分も何らかの「労働」で加わりたかった。

とは言え、松の幹はパルプ原料として引き取られ、クヌギの幹は薪ストープの燃料として貰われていき、結局解体するのは、土まみれの株のみになった。しかしそれは、そこそこの、イヤ、かなりのボリゥムで積み残されていた。

  最初は、テキトーに細断して、自然に朽ちればイイ、と思っていた。

 しかし、隣人で杣人のMさんから、朽ちるにはン十年かかると言われ、結局燃やすことになった。

「株」とは要するに「節」の塊。その解体はそれなりに大変だった。
「幹」を「薪」にするのとは違い、カパッと割れない。また土、砂まみれなので、チェーンソーの刃は直ぐダメになってしまう。Mさんからは、土、砂に当てないように、と何度も言われたが、気が付けば火花が飛んでいた。
とにかく薪割の様にはいかず、ひたすら「節」の塊に斧を振り下ろし続ける。それは「叩き割る」のではなく、「叩き潰す」作業。また喰い込んだ刃を上下左右に捻じるので、柄は何度も折れた。

 「ほぉ~、コツコツやってルと、一人でもなんとか片付くもんだねぇ」、Mさんから感心された昨年12月、次の「獲物」は窪地の端に鎮座していたクヌギの塊。色々弄くっていたら、それは二つの株が重なったモノだった。

 まずそれを分割。

 その片ワレを取り合えず窪地から押し上げる。

 その片ワレを解体し、焼却して昨年はオシマイにした。

結局処理した株は20個、残りは4個。

残った片ワレは、沢山の細い根が派生しており、それを外していくと湿った細かい土にまみれた、奥の姿が現れた。
それは冬の間、氷結していた。

春になり、氷結した土は融け、梅雨の雨で流れ、夏の陽に照らされカラカラになり、スコップで掘るとサラサラと崩れて行った。  

 11/11、解体を再開する。21個目になる。

 外しやすい枝を折り取っていくと、ますます土にまみれた塊になっていく。 

 11/12、2週間ほど前の黄金の森は枯葉の森になって来た。

 黄葉より枯葉の方がイイ、と言う人も何人かいらっしゃる。確かにそんな気もする。

 さてこの土くれの株、周りに灌木があるのでここでは燃せない。とにかく小さくして、まずここから、燃やせる場所まで動かさないといけない。周りの灌木を避けて動かすとなると、一旦窪地の底へ落として、再度押し上げるしかない。そして落とすとなると、“ツッカイ”になっている、下に伸びた太い根を外さないといけない。

 約2時間で叩き切った。

 そして蹴るとゴロンゴロンと窪地の底に落ちた。

 それを更にゴロンと転がすと、今まで見れなかった面が現れた。

 一つの株から2本の幹が生えていた。確かに重かった。

 もう少し軽くしないと上げられない。アチコチ叩いて割るというか、剥いでいく。

そしていよいよ底から押し上げる。

少しずつズラして、“縦長”の状態から“横長”の状態にし、それを転がして上げればラクなのだが、そこでヘンな気が起った。「このまま“縦長”の状態で押し上げてみよう」。
それをするには、まず下端を起こし、腰の辺りまで上がったら、体を低くし押し上げる姿勢に切り替え、最後に押し倒す。
しかしこれがなかなかスンナリいかない。とにかく重い。押し上げる姿勢には何とか切り替えても、その後、押し倒せない。あと少しのところで足が滑ったりする。あと少しなのだ。

何度か失敗して息を整えていると、Мさんが愛犬“フクチャン”を連れて現れた。ワタクシの様子を察したMさんは、“フクチャン”のリードを近くのサクラの幹に繋いで、手を貸そうとした。
「イヤ、これは独りでやってまいたいンですワ、スイマセンが見といて下さい、で、もしケガしたら救急車は呼んで下さい」、Mさんは、コイツの言いそうなコトだ、と頷いた。

 Mさんと“フクチャン”が見守る中、最後は「ウォ~っと」唸って「敵」を押し倒した。「フゥ~ウ、やりました」

昔は山仕事で、切り倒した幹、株は馬を使って引き揚げていたそうだ。ニンゲンにケツを叩かれ、馬は渾身の力で足を震わせ、急斜面を登ったとか。「それを思い出したズラ」、Mさんにそう言われた。

 後は“横長”状態で燃す場所まで転がし、叩き潰し燃やす。いずれにせよ、その準備は終わった。

 


天国の日々

2018-11-08 11:28:27 | 信州安曇野での出来事

11月になり、周りはドンドン黄金色に変わっていく。

 表の通りに出ると、段ボールの看板が風に揺れている。昨日はなかったと思う、アレは何か。

 何かのイベントらしい。

 10m程先にはもう一つの看板。“やすこ”サンのアトリエがあるらしい。

 Mさんの奥さんのハナシでは、安曇野に住む芸術家サン達の“お祭り”があって、各アトリエやギャラリーで作品が展示されていて、黄金色の森の中を、そういう趣味の人達がウロウロ観て廻っているとか。さっきすれ違ったアベサックも、そういう趣味の旅行者のようだった。
近くにはもう一軒、ワタクシが住み始めたころ完成したギャラリーがある。

 11/7、森は益々黄金色になっていく。

 この森自体が一種の芸術作品のような気がする。

 ホント、良い季節、「天国の日々」。

 

しかし、この黄金は2週間程で枯れて散る。「天国の日々」は短い。


小雪舞う中、栂の森から成城大小屋までトボトボ歩く

2018-11-01 17:58:47 | 山とスキーでブラブラ

冬から春の、山とスキーが目的で安曇野に移住したのだが、夏から秋は当然、フツーの夏登山もするつもりだった。

何しろ燕岳の麓に住んでいて、中房温泉までミニバイクで1時間以内。烏川から常念、蝶まで行って、更にそのまま下れば横尾だし、沢渡駐車場へ車で行けば上高地まで2時間かからない。
ひと昔前まで夜行列車で、一晩かけて通っていた北アルプスは、数時間の距離にある。

しかしそう言うアリガタイ、ゼイタクな状況にいると、「まぁいつでも行けンねやから、セカセカせんでエエやン」と思ってしまい、フツーの登山は、結局1年半経っても出来ていない。
夜遅くまでダラダラ呑んで、ダラダラと時間は過ぎて行き、山は登るモノから眺めるモノになっていく。
「別に誰も困らンのだから、まぁそれでイイずら」、杣人のMさんは夕方、現場から軽トラで帰って来てそう言った。ダラダラでイイずら。

雨がちの9月がダラダラと終わって、晴がちの10月になり、雪が積もる前の白馬乗鞍へでも行ってみるか、フトそう思った。

ゴンドラは10月末まで動くとかで、それを使えば毎晩ダラダラ呑んで堕落した体力でもイケルだろう。

とは言え、相変わらずのダラダラで、気が付けば10/31、この後ゴンドラは11月下旬まで止まるらしい。
天候はパッとしないが、取りあえず行くことにした。

 モタモタしていて、駐車場に着いたのが12時前。グリーンシーズンの駐車場は有料になっていて、停まっている車は10数台。天気も悪いし、ウィークディだし、そんなモンか。

 積雪期はシーズンパスを持っているのでそのまま乗れるが、今日はキップを買わないといけない。取り合えず栂の森まで買う。ドンヨリした雰囲気なので、既に白馬乗鞍のテッペンは諦めている。

 中間駅に赤いタレ幕が掛っている。アレは何の宣伝?。

 池の側には何やら造形物が。グリーンシーズンの遊戯施設?、いずれにせよ明日から解体されるのだろう。

 栂の森着12:40、他にだれもいない。

小雪がチラチラ。黄葉は終わり、枯れ野の山。

スキーシーズンで登るなら、ウラの森の中に入り、林道へショートカットするのだが、そんな夏道がないものか、取りあえずロープウェイ駅方向へ歩く。

 すると“栂の森遊歩道”の看板。矢印は林道へのショートカットの方向。取り合えずその方向に入る。

しかし徐々にその方向から離れて行き、結局は元の道に戻りロープウエイの駅に出る。
ロープウエイが出る時間らしく、係のオネエサンが「乗りますかぁ~」、「イヤ、乗りませ~ン」、ロープウエイの下をくぐって栂の森ゲレンデの林道へ出る。

 その後もショートカットの夏道はなく、栂の森ゲレンデとの合流点に出る。冬はここでシールを付け、登行がスタートする場所。近年はハクジンで賑わう場所。

 林道をトボトボ歩く。

 早大小屋付近でクマ出没注意の看板。

 冬シーズンは、1回目のショートカットのカーブ。

 冬の2回目のショートカット入口、谷が流れているだけで、踏み跡はない。

 ゲレンデを見下ろす。雪がサラサラ降っている。

雪のサラサラ音の中、かすかにロープウエイの稼働音が聞こえる。

 成城大小屋へのショートカットは谷が開けているが、踏み跡はない。

 林道を廻り込んだ先に踏み跡があり、そこを登ると成城大小屋、14:10。小屋の前は湿地になっていた。

 何も見えない天狗原方向

 小屋の東側に比較的新しいテラスがあって、林道を見下ろす。

ここにいてもツマラナイので、降る。雪は少し激しくなってきた。 

 途中でやっと、雪に覆われていない白馬乗鞍が見えた。

林道から栂の森ゲレンデへ出る斜面の、ぬかるんだ箇所でシリモチをついた。他にもスリップ跡がある。どこぞのおバカも、ここで尻もちをついたらしい。

 栂の森ゲレンデを下る。

 15時過ぎ、ゴンドラの駅に戻り、枯れ山の鵯峰を眺める。

標高差、たった250m程の登降、林道をトロトロ歩いただけなのに、何故かフラフラ。ナサケナイが、これが遅くまでダラダラ呑んで、ダラダラ過ごした証しなのだ。 

 ゴンドラからハンノ木コースを見下ろす。

 鐘の鳴る丘と民宿街を見下ろす。この辺りも枯れ山だ。

 駐車場に戻ると車は数台。近隣住民らしき女性が二人、犬と散歩をしていた。

定宿による元気もなく、そのまま帰る。

黄葉は見れず、雪をまとった稜線も見れず、天気は優れず、ホントに後1ヶ月程で雪は積もるのだろうか。まぁ雪さえ積もれば、それでイイずら。