毎年8月になると、広島、長崎のきのこ雲、焼け野原の風景や、降伏したという15日の天皇のラジオ放送と、正座しそれをうなだられ聞く国民、そんな写真や記録が新聞などで流れ、それを知らされる度、改めて認識するコトがある。
それは、武力で国は守れず、国は国民を守らず、国民の多くはそんな国に文句を言わなかった、というコト。
ワタクシの小学生の頃はまだ、少年雑誌などで、旧帝国陸海軍が保有していた武器、兵器がいかに優れていたか、などがよく載っていて、いつもワクワクしながら、それを読んでいた。
46センチの大砲を9門搭載した史上最大の戦艦、「大和」と「武蔵」、それを改造してまたまた史上最大の空母にした「信濃」、確か「伊-400」とか言っていた、戦闘機も積める程のデカイ潜水艦に、「富嶽」とか言う、これも史上最大の爆撃機でアメリカ本土を爆撃する計画とか。
軽快で、アッという間に高空まで飛び上がり、ドン臭い米軍機を次々撃墜して行った海軍の「零戦」に陸軍の「隼」、局地戦闘機の「雷電」。
「紫電改」には更にデカイ星型エンジンと20ミリ機関砲を4門も積んでいた。
更に500キロ爆弾を積んだ特攻の零戦。
飛行士が操縦して敵の米艦船に当てる訳だから、こんな命中率がイイ攻撃はない。
同じくニンゲン魚雷「回天」、ニンゲンミサイル「桜花」とか言うのもあって、いずれも今はアタリマエの追尾する魚雷、ミサイルと機能は同じ。やっつけるべき鬼畜米英の標的は絶対外さない。
その都度、ニッポン兵士は必ず一人は死ぬけど、「みごと散りましょ、クニぃのたぁめェ~」、とか言う歌もテレビ番組では流れていて、ナルホド、そう言う事かと理解した。
もしも多くの兵士が散っても、イザとなると「カミカゼ」が吹いて、絶対ニッポンは負けない、と言う精神的バックボーン(?)もあったそうだし。
こんなワタクシ世代、それは決して軍国少年と言うことではなく、戦時中の工業製品のスゴサを知って喜んでいた、“戦争を知らない子供達”だったと思う。
同級生の中にはもっと詳しいヤツがいて、ウソかマコトか、来襲してきた雲霞の如き米雷撃機の大軍に向かって、「大和」が46センチ砲をブッ放すと、空を埋め尽くした米軍機の壁に大きな穴がボンボンボンと開いた、とか感激しながら話していた。
しかし実際は、その20年程前にはニッポンはアメリカに負けていて、史上最大の「大和」と「武蔵」は、その46センチ砲でアメリカの空母をほとんど撃沈するコトなく、逆に空母から飛んできた雷撃機にアッサリ沈められ、「信濃」も出撃前に沈められ、「伊-400」や「富嶽」は絵にかいたモチに過ぎず、与圧室を備え高度1万mを悠然と飛んでくるB29を、「雷電」、「紫電改」は大して迎撃出来ず、500キロ爆弾を積んだ特攻機は、目標敵艦船に当たる前に多くが撃墜され、国内の軍需工場は空爆でことごとく破壊され、家屋は焼き尽くされ、最後は2つのきのこ雲。
結局「カミカゼ」は吹かなかった。
要するに、あれだけスゴかった、史上最大の兵器、武器で神国ニッポンは守れず、中国に侵略しアメリカに奇襲攻撃を仕掛けた神国ニッポンは、自国の戦死者、約300万人の命を守らなかった、と言うことだ。
そして、小学生の頃、旧帝国陸海軍の武器、兵器のスゴサを読んでいて、なんでェ?、と思うコトがいくつかあった。
まず、イギリスにはスピットファイヤー、ドイツにメッサーシュミットと言う、V型の長いエンジンを積んだスマートでいかにも速そうな戦闘機があって、それが主力なのに、なんでニッポン帝国には星型エンジンを積んだ先端がモッコリした形のが主力だったのか。
アメリカにはトンプソン、ドイツにはシュマイザーとか言う、バババっと撃てるサブマシンガンがあるのに、なんでニッポンには、ボルトアクションの一々ガチャガチャしないと撃てないライフルしかなかったのか。
アメリカにはキレイに溶接した鋼板に覆われたシャーマン戦車があるのに、なんでニッポン帝国にはリベットだらけの不格好な戦車しかなかったのか。
戦闘機のなんでェ?の答えは、自動車の雑誌に載っていた。
スピットファイヤーのエンジンはロールスロイス製、メッサーシュミットのはダイムラーベンツ製、いずれも水冷V型12気筒。
神国ニッポンは、同盟国ドイツのダイムラーベンツ製をコピィし、それを「飛燕」に積んだ。
しかしその水冷V型12気筒は、上手くコピィ出来なかった。
と、言う事だった。
確かに「飛燕」という、スピットファイヤーやメッサーシュミットに似たスマートな戦闘機の存在は、少年雑誌で読んで覚えている。
しかし、それに積む水冷V型12気筒は、図面を見て作れても、動かせない、調整出来ない、整備出来ない、と言うコトだったらしい。
神国ニッポンにはロールスロイス、ダイムラーベンツと言った伝統あるメーカーはなかった。
単純な空冷星型エンジンは作って上手く動かせても、複雑な水冷V型12気筒は、それをモノに出来る技術力はなかった訳だ。
サブマシンガンも旧帝国陸海軍にあったそうだが、兵站の問題で使えなかった。バババっと撃てるだけの弾を充分に供給出来なかったらしい。
リベットだらけの戦車も、多分、キレイに溶接した鋼板も作る能力がなかったからだろう。
結局、神国ニッポンの科学、工学、工業力など、そもそも大したコトなかったと言う訳だ。小学生の頃、ワクワクして読んでいた少年雑誌に裏切られた様な気がした。
また、ミッドウェーでの敗戦も山本イソロクの戦死も、旧帝国海軍の暗号を米軍に解読されていたことが大きな原因だったそうだ。
つまり旧帝国海軍の、今話題の“特定秘密”は国内では秘密でも、敵にはチョンバレ、あぁアホクサ、結局インテリジェンス面でも劣っていた訳だ。
こんなアホさ、アメリカの一部からイエローモンキーと言われても仕方ない。
神国ニッポンのエライさんは、こんな力関係が分析できず開戦したのか、分析できていたのに勢いでやっちったのか。どちらにせよ、アホはアホ。どこが「神国」やねん、あぁアホラシ。
神戸布引谷へ住み出して数年後、市ケ原の河原の先の高台に引っ越してきた家族があった。確かオヤジさんの仕事は警察関係、オフキロさんは元看護婦で、2人の兄弟とは直ぐトモダチになった。親同士も直ぐ親しくなった。
ある日、そのオヤジさんが戦争に行った時の話をしていた。
ウチのオヤジはガリガリで、それで徴兵検査にもれたのだと思うが、そのオヤジさんは体格もよく、徴兵されるのはナルホドと思った。
ワタクシはそのオヤジさんの従軍体験をオフクロの横で聞いていた。
それは、鬼畜米英をやっつけたと言った勇ましい体験では全くなく、いつもハラが減っていて、いつも上官から殴られてばかりだったと、言うモノだった。
なにかにつけ意味もなく、「貴ッ様ァ、足るンどルぅ」と、いってビンタされたそうだ。
これは上官によるイジメ、今でいうパワハラになる。こんなコトやっとってエエのん?、鬼畜米英に勝てンのん?
自らの敵は米英ではなく、神国ニッポンの上官だった、と言うことになる。アア、アホクサ。
そのオヤジさんは確か、「終戦記念日」とは言わず、「敗戦記念日」と言っていた。
それは自分達ヒラの兵隊を、ズッと飢えさせビンタ打ちしていた上官とか部隊長、更にもっと上の連隊長とかが、負けたと日だとの想いだったのだろう。
しかし、それならなんで、そのオヤジさんやその同僚は、直属の上官はまだイイとして、その上の部隊長とかを敗戦後、キッチリ裁こうとしなかったのか。
と言うか本来なら、こんな負けるべくして負けたイクサに導いた、神国ニッポンの超エライさんに、敗戦時の国民はキッチリ文句を言って、裁くべきだったのではないか。
お上、お殿さまを国民は裁けなかったのか。アア、ナサケナ。
まぁ連合国のハクジンに先に裁かれ処刑されてしまったから仕方ないけど。
そして、あの戦争を導き、指揮し、強いたにも関わらず、負けてもハラも切らず、戦犯としても裁かれず、つまり戦争責任から逃げおおせた卑怯で臆病な軍人、軍属がかなりいる、と言うハナシを聞いた事がある。
その多くは戦後、アメリカに寝返り、その結果多くの富を得、ほとんどはもう、布団の上で家族、子孫に見守られ逝ったそうだ。
で、その子孫たちの多くは機会ある毎に、先祖が祀られているかどうかは別にして、A級戦犯も“英霊”として祀られているヤスクニにお参りし、集団的自衛権と言う、“参戦権 with USA”を行使しようとしている様に思える。
でもそんなコトをして、またこの国にエライ戦禍をもたらしても、ソイツらはまた自衛のためとか言い訳をして、国民はまたソイツら文句も言わずスルーさせてしまうンでしょうナ。あぁ嘆かわしい。