蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

戦争を知らない子供達が想う敗戦記念日

2014-08-18 20:30:46 | 朽ちゆく草の想い

毎年8月になると、広島、長崎のきのこ雲、焼け野原の風景や、降伏したという15日の天皇のラジオ放送と、正座しそれをうなだられ聞く国民、そんな写真や記録が新聞などで流れ、それを知らされる度、改めて認識するコトがある。

それは、武力で国は守れず、国は国民を守らず、国民の多くはそんな国に文句を言わなかった、というコト。

ワタクシの小学生の頃はまだ、少年雑誌などで、旧帝国陸海軍が保有していた武器、兵器がいかに優れていたか、などがよく載っていて、いつもワクワクしながら、それを読んでいた。

46センチの大砲を9門搭載した史上最大の戦艦、「大和」と「武蔵」、それを改造してまたまた史上最大の空母にした「信濃」、確か「伊-400」とか言っていた、戦闘機も積める程のデカイ潜水艦に、「富嶽」とか言う、これも史上最大の爆撃機でアメリカ本土を爆撃する計画とか。
軽快で、アッという間に高空まで飛び上がり、ドン臭い米軍機を次々撃墜して行った海軍の「零戦」に陸軍の「隼」、局地戦闘機の「雷電」。
「紫電改」には更にデカイ星型エンジンと20ミリ機関砲を4門も積んでいた。

更に500キロ爆弾を積んだ特攻の零戦。
飛行士が操縦して敵の米艦船に当てる訳だから、こんな命中率がイイ攻撃はない。
同じくニンゲン魚雷「回天」、ニンゲンミサイル「桜花」とか言うのもあって、いずれも今はアタリマエの追尾する魚雷、ミサイルと機能は同じ。やっつけるべき鬼畜米英の標的は絶対外さない。

その都度、ニッポン兵士は必ず一人は死ぬけど、「みごと散りましょ、クニぃのたぁめェ~」、とか言う歌もテレビ番組では流れていて、ナルホド、そう言う事かと理解した。
もしも多くの兵士が散っても、イザとなると「カミカゼ」が吹いて、絶対ニッポンは負けない、と言う精神的バックボーン(?)もあったそうだし。

こんなワタクシ世代、それは決して軍国少年と言うことではなく、戦時中の工業製品のスゴサを知って喜んでいた、“戦争を知らない子供達”だったと思う。
同級生の中にはもっと詳しいヤツがいて、ウソかマコトか、来襲してきた雲霞の如き米雷撃機の大軍に向かって、「大和」が46センチ砲をブッ放すと、空を埋め尽くした米軍機の壁に大きな穴がボンボンボンと開いた、とか感激しながら話していた。

しかし実際は、その20年程前にはニッポンはアメリカに負けていて、史上最大の「大和」と「武蔵」は、その46センチ砲でアメリカの空母をほとんど撃沈するコトなく、逆に空母から飛んできた雷撃機にアッサリ沈められ、「信濃」も出撃前に沈められ、「伊-400」や「富嶽」は絵にかいたモチに過ぎず、与圧室を備え高度1万mを悠然と飛んでくるB29を、「雷電」、「紫電改」は大して迎撃出来ず、500キロ爆弾を積んだ特攻機は、目標敵艦船に当たる前に多くが撃墜され、国内の軍需工場は空爆でことごとく破壊され、家屋は焼き尽くされ、最後は2つのきのこ雲。

結局「カミカゼ」は吹かなかった。

要するに、あれだけスゴかった、史上最大の兵器、武器で神国ニッポンは守れず、中国に侵略しアメリカに奇襲攻撃を仕掛けた神国ニッポンは、自国の戦死者、約300万人の命を守らなかった、と言うことだ。

そして、小学生の頃、旧帝国陸海軍の武器、兵器のスゴサを読んでいて、なんでェ?、と思うコトがいくつかあった。

まず、イギリスにはスピットファイヤー、ドイツにメッサーシュミットと言う、V型の長いエンジンを積んだスマートでいかにも速そうな戦闘機があって、それが主力なのに、なんでニッポン帝国には星型エンジンを積んだ先端がモッコリした形のが主力だったのか。

アメリカにはトンプソン、ドイツにはシュマイザーとか言う、バババっと撃てるサブマシンガンがあるのに、なんでニッポンには、ボルトアクションの一々ガチャガチャしないと撃てないライフルしかなかったのか。

アメリカにはキレイに溶接した鋼板に覆われたシャーマン戦車があるのに、なんでニッポン帝国にはリベットだらけの不格好な戦車しかなかったのか。

戦闘機のなんでェ?の答えは、自動車の雑誌に載っていた。

スピットファイヤーのエンジンはロールスロイス製、メッサーシュミットのはダイムラーベンツ製、いずれも水冷V型12気筒。
神国ニッポンは、同盟国ドイツのダイムラーベンツ製をコピィし、それを「飛燕」に積んだ。
しかしその水冷V型12気筒は、上手くコピィ出来なかった。
と、言う事だった。

確かに「飛燕」という、スピットファイヤーやメッサーシュミットに似たスマートな戦闘機の存在は、少年雑誌で読んで覚えている。
しかし、それに積む水冷V型12気筒は、図面を見て作れても、動かせない、調整出来ない、整備出来ない、と言うコトだったらしい。
神国ニッポンにはロールスロイス、ダイムラーベンツと言った伝統あるメーカーはなかった。
単純な空冷星型エンジンは作って上手く動かせても、複雑な水冷V型12気筒は、それをモノに出来る技術力はなかった訳だ。

サブマシンガンも旧帝国陸海軍にあったそうだが、兵站の問題で使えなかった。バババっと撃てるだけの弾を充分に供給出来なかったらしい。

リベットだらけの戦車も、多分、キレイに溶接した鋼板も作る能力がなかったからだろう。

結局、神国ニッポンの科学、工学、工業力など、そもそも大したコトなかったと言う訳だ。小学生の頃、ワクワクして読んでいた少年雑誌に裏切られた様な気がした。

また、ミッドウェーでの敗戦も山本イソロクの戦死も、旧帝国海軍の暗号を米軍に解読されていたことが大きな原因だったそうだ。
つまり旧帝国海軍の、今話題の“特定秘密”は国内では秘密でも、敵にはチョンバレ、あぁアホクサ、結局インテリジェンス面でも劣っていた訳だ。
こんなアホさ、アメリカの一部からイエローモンキーと言われても仕方ない。

神国ニッポンのエライさんは、こんな力関係が分析できず開戦したのか、分析できていたのに勢いでやっちったのか。どちらにせよ、アホはアホ。どこが「神国」やねん、あぁアホラシ。

神戸布引谷へ住み出して数年後、市ケ原の河原の先の高台に引っ越してきた家族があった。確かオヤジさんの仕事は警察関係、オフキロさんは元看護婦で、2人の兄弟とは直ぐトモダチになった。親同士も直ぐ親しくなった。

ある日、そのオヤジさんが戦争に行った時の話をしていた。

ウチのオヤジはガリガリで、それで徴兵検査にもれたのだと思うが、そのオヤジさんは体格もよく、徴兵されるのはナルホドと思った。
ワタクシはそのオヤジさんの従軍体験をオフクロの横で聞いていた。

それは、鬼畜米英をやっつけたと言った勇ましい体験では全くなく、いつもハラが減っていて、いつも上官から殴られてばかりだったと、言うモノだった。
なにかにつけ意味もなく、「貴ッ様ァ、足るンどルぅ」と、いってビンタされたそうだ。

これは上官によるイジメ、今でいうパワハラになる。こんなコトやっとってエエのん?、鬼畜米英に勝てンのん?
自らの敵は米英ではなく、神国ニッポンの上官だった、と言うことになる。アア、アホクサ。

そのオヤジさんは確か、「終戦記念日」とは言わず、「敗戦記念日」と言っていた。
それは自分達ヒラの兵隊を、ズッと飢えさせビンタ打ちしていた上官とか部隊長、更にもっと上の連隊長とかが、負けたと日だとの想いだったのだろう。

しかし、それならなんで、そのオヤジさんやその同僚は、直属の上官はまだイイとして、その上の部隊長とかを敗戦後、キッチリ裁こうとしなかったのか。

と言うか本来なら、こんな負けるべくして負けたイクサに導いた、神国ニッポンの超エライさんに、敗戦時の国民はキッチリ文句を言って、裁くべきだったのではないか。
お上、お殿さまを国民は裁けなかったのか。アア、ナサケナ。
まぁ連合国のハクジンに先に裁かれ処刑されてしまったから仕方ないけど。

そして、あの戦争を導き、指揮し、強いたにも関わらず、負けてもハラも切らず、戦犯としても裁かれず、つまり戦争責任から逃げおおせた卑怯で臆病な軍人、軍属がかなりいる、と言うハナシを聞いた事がある。
その多くは戦後、アメリカに寝返り、その結果多くの富を得、ほとんどはもう、布団の上で家族、子孫に見守られ逝ったそうだ。

で、その子孫たちの多くは機会ある毎に、先祖が祀られているかどうかは別にして、A級戦犯も“英霊”として祀られているヤスクニにお参りし、集団的自衛権と言う、“参戦権 with USA”を行使しようとしている様に思える。

でもそんなコトをして、またこの国にエライ戦禍をもたらしても、ソイツらはまた自衛のためとか言い訳をして、国民はまたソイツら文句も言わずスルーさせてしまうンでしょうナ。あぁ嘆かわしい。


Bloodyな時を生きていくという認識

2014-08-10 23:50:14 | 朽ちゆく草の想い

相変わらず毎日ボォ~と、世間と係わりを持たず生きているが、新聞やネットで世間の出来事はイヤでも知ることになり、無差別殺人、通り魔殺人、ストーカー殺人とやらが、定期的に世間を騒がせているコトも知らされいる。

先月は、人をコロしてみたい、解剖してみたい、と以前から言っていた女子高校生が、遂に仲の良かった同級生をコロし、解剖しかけていたらしい。

そう言えば昨年、タレント活動もやっていた(?)女子高生は、元カレから交際時の写真をネットにリベンジポルノされた上、その元カノに刺しコロされたいう事件もあった。

アイドルが定期的に行っているらしいイベントでノコギリ振り廻し、美少女二人を傷つけた、というのもあった。

事件現場は血だらけ、殴り合いをして出る程度ではなく、血はドバッと出ているハズ。それは超日常的なBloodyな世界。
ナント世間は凶悪で残酷でエゲツナイ。

そして、そんなエゲツナイ出来事がある都度、必ず世間は再発防止、再犯抑止を叫んでいる。

しかし女子高生の殺人遺体損壊事件が起こった町では、10年前も小学生が同級生をコロしていて、その後「命の教育」とやらをやっていたそうだか、それはどう役に立ったのか、それはどう評価されるのか。

まぁ大体、教育委員会とか、学者、専門家のエライさんがやる再発防止は、あまり効果のないモノだという気はしてましたが。

北海道では、朝から夕方なで浜辺で酒呑んで、ヘベレケの状態でSUVを走らせ、100キロ程の速度でオネエチャン4人をハネ飛ばし、死傷させたおバカがいた。
本来なら、オヨメサンになってチョウダイよ、とお願いすべきオネエチャンを、酔っぱらって2トン近い鉄の塊ぶつけてコロした訳だ。なんと愚かな。

飲酒運転が度々ヒトをコロし、その再犯抑止として厳罰化が科され、死傷事故でなくてもン十万の罰金と聞いて、昔、酒気帯び運転で免停になったワタクシ、酒呑んで車、ミニバイクに乗るのヤメました。
しかし、それでも未だにどこかのおバカが、飲酒運転でだれかをハネ飛ばして、更に逃げる事件が絶えない。なんとエゲツナイ。

再犯防止の厳罰化もどれだけの効果があったのか。

いずれにせよ、凶悪で残酷でエゲツナイBloodyな世界は、シリアやパレスチナ、ウクライナだけではない。「蒼ざめた馬」は、このクニでも走りまわっている。

交通事故者が1万人(?)を越えていた頃、その事態を世間は「交通戦争」と呼んでいた。
そして、自殺者が3万人を越えていたつい最近、その事態を五木寛之センセは、「こころの戦争」とか書いておられた、そんな記憶がある。

昨今の凶悪で残酷でエゲツナイBloodyな世界も、「こころの戦争」だと、言えるのではないか。ワタクシ、そう思います。

ところで、血がドバッと言うほどではないが、福島では原発事故後、鼻血がトロ~ッ出る人がいるというマンガ。

福島へ行った主人公が鼻血を流し、地元の前町長も大勢の人も鼻血が出ていると描いたら、「風評被害を招く」とか、急性障害で鼻血が出る程の放射線を浴びた例はなかったとか、ムチャクチャ批判され、結局ナンカよく判らない形で騒ぎが治まったような感じだったが、実際には原発から飛散した放射性セシウムなどが、金属粒子にくっ付いて拡散したことは判っていて、それが鼻の粘膜に付着し、内部被ばくを起こした可能性がある、との記事が先月中頃、神戸新聞に載っていた。
それは、神戸のお医者サンが日本社会医学会で発表されたそうだ。

このセンセの話では、福島からの避難者の半数程が、家族などの鼻血を体験していて、それは子供に多く、避難後はほとんどの症状が治まっているとか。

また、岡山大のセンセは、鼻血を出す人の割合を疫学的手法(?)で調べ、福島県双葉町と滋賀県長浜を比較すると、その割合は双葉町の方が3.8倍多かったことを確かめたそうだ。

マンガが出た数か月前、それに批判が集まった頃、福島のオバサンが、「ワタシの周りで鼻血出した人は居ませんッ!」と、ヒステリックに喋っていたが、やはり原発事故後、鼻血を出す人は増えていた訳だ。
このオバサン、原発事故被害を話題にしたくない勢力の身内、ヤラセだったのか。

原子力規制委員会のエライさんが、安全基準はクリアしているが安全とは断言しない原発を、絶対再稼働したい勢力は、絶対原発被害を話題にしたくない、そして世間の鼻血騒ぎは治まった様に見えた。
しかし、そんな勢力の動きに流されず、彼らが忘れさせたい事実を、きちんと明らかにしようとするセンセはいらっしゃる。大したモンです。

そしてこのワタクシ、放射性セシウムがくっ付いた金属粒子などは吸いこんでおりませんが、実は定期的に鼻血、出ます。

あれは一昨年の夏、とても暑くて何もする気がせず、毎日ダラダラしていたら、ハラ周りがボタ~っとダラしなくなり、久しぶりに腕立て伏せでも習慣付けようとやってみたが、10回程しか出来ず、その後鼻血が出た。

30代の半ば、3年程の予定で、横浜、川崎地区担当として東京へ転勤していた。
横浜の日吉に住み始めて直ぐ、娘がおたふく風邪に罹り、ワタクシにもそれはうつった。鶴見駅で乗り換えようとして、ナゼかフラフラし、始めてのナンかイヤな感じがして、それがおたふく風邪だった。関東での初めてのゴールデンウィークは、娘と二人でおとなしく寝ているしかなかった。
そしてそれが治ってから、しょっちゅう鼻水が出るようになった。
杉花粉の季節は、鼻水鼻づまりがひどく、寝ていて息が出来ず、このまま窒息死するのではないかと、思ったほどだった。
昼メシを喰った後も必ず鼻水、何かに付け鼻水。これはどこかおかしいのでは?と思って、何かあればいつもお世話になっていた近所の老医師に尋ねたら、「そら歳いったらそうなるで、40にもなったら体質も変わるワ」、要するに気にするな、鼻水出たら拭いとけ、というコト。

一昨年の夏、腕立て伏せをした後、鼻水だと思って拭いたら、血だった。
その後、クシャミをしたら鼻血、風呂場でうつむいて背中を洗っていたら鼻血、信州に向かう中央道で鼻血、場所、日時を問わず鼻血は出た。いつも右の穴から。

オトナのくせに、オトコのくせに、ワタクシ、血ィはキライです。
白い紙に赤い鼻血、その組み合わせは日の丸を連想する。

旧帝国陸海軍も掲げていた日の丸。八紘一宇、旧ニッポン軍が通った後、残っているのはエゲツナイBloodyな世界。
日の丸の赤は血の赤。その様に連想は続き、結果、日の丸もキライだ。

祭日の民家の玄関先に掲げられる日の丸はまだイイとして、体制側が催す、大勢を集めた式典などで、掲げられる日の丸はどうしても好きになれない。
大体、人が沢山集まる所へ行く事はあまりないが、そこに日の丸が掲げられるとなると、絶対に行かない。

しかし今、ワタクシは定常的に忌わしい“日の丸”状態。
とは言え、ウオッカをトマトジュースで割ったロングドリンク、ブラッディメリィは、以前から呑んでルけど。

ここ最近、暑くなって鼻血のペースが変わってきた。それまでの2~3日毎とか、1週間毎のペースが2~3週間毎、忘れた頃にやってくる、と気付いた。

キッカケは今までと同じ、鼻水が溢れる感覚。
紙で拭くと鼻血。紙で鼻を塞ぎ、上を向いて鼻を押さえる。
血は口側に流れだし、最後にフンッと吸うと、血の痰のようなものが口側に出て、鼻詰まりがスッと抜ける様な感じになってオワリ。
それは、土砂、樹木で満杯になったダムが決壊する感じだ。
最近の2~3週間毎は、また涼しくなると1週間毎になり、寒くなると2~3日毎になるンだろうか。ジックリ観察することにする。

今まで60年、鼻血など出たコトはなかった。だから正直、最初は少し怖く、病院へ行こうかと思った。
しかし、しょっちゅうお世話になっていた老医師はもうおらず、居抜きで別の女性医師に代わっていて、そのセンセには悪態ついて、今更看てくださいとは言えない。

以前、「40にもなったら体質も変わるワ」と言われ、高血圧は加齢による動脈硬化が原因だとも言われ、昨年の左眼眼の内出血も加齢と言われ、いずれも良くはならず。加齢は治らない。

もしこの鼻血が途轍もない病が原因で、後数年で死ぬ、と言われても、その時は60代半ば、まぁエエか。
そう思っている間に2年経った。体調に変化はないし、ダルい、シンドいのは2年以上前からだし。

Bloodyな時を生きるしかないと認識すれば、特に苦痛はない。ゴミ箱は忌わしい“日の丸”状態が溜まってルけど。