前シーズンは、11月中頃から雪はドンドン積もり始め、今まで通りの積雪量、しかし4月になるとドンドン融け始め、終わりは早かった。
“今まで通り”とは3m以上であり、それは’15年頃まで続いていた。しかしその年は、オープン時には雪不足、年末のドカ雪で何とか“今まで通り”になったそうだ。
その時、クリスマスと年末には必ず寒波がやって来て、何とか辻褄が合う様になるモノなのか、と思っていた。
しかし、その翌年は1m少なく、その翌年は更に1m少なく、前シーズンはまた“今まで通り”に戻った、と思ったが、今シーズンはエルニーニョの暖冬。12/20頃積雪はやっと1mを越えたが、その後また少なくなり年末やっと1m越えで、正月休み明けは1.5m程らしい。
これは“今まで通り”の半分。今後チョコチョコ降り続いて、“今まで通り”3mを越えてくれればアリガタイのだが、ニンゲンの経済活動が少しでもマシになって、地球の温度が下がらないと、どうしようもない、とワタクシは思う。
年々ダルく、シンドくなり、ワクワク、ウキウキすることが減って来て、安曇野に移住してもダラダラの生活ペースは改善されず、しかし折角信州に移住したのだから、ここは「ズク」出して雪山通いを始めることにする。
1/8、水道凍結対策で元栓を止め、水抜きをして小屋を出る。
小屋の周りのタンボは雪に覆われておらず、大町辺りまで来て路肩は雪まみれになり始めて、風景は今までと変わらないが、やはり雪は少ない。
雪山通いシーズンの初日は、毎年必ず忘れモノがあって、今回はデジカメを忘れていた。取りに帰っても片道1時間なのだが、それがないとエラいことになるモノでもないので、今回はナシとする。
定宿に着いて、大オカミとチナツちゃんに「お久しぶり」の挨拶をして、ゴンドラの事務所で早割予約のシーズンパスを受け取り、12時過ぎ、栂の森に上がる。
ゴンドラの板を差し込むケースが今年から新替えされ、今まで分割しないと入らない幅広の板が、今年から両板セットしたまま入るようになったとのこと。「但し今年は50台分のみ、3年かけて全替え予定です」と、顔見知りの係員が教えてくれた。
毎年栂の森で撮る、シーズン開始のショットは当然ナシ、周りの景色は今まで通り、しかしよく見るとアチコチでブッシュが目立つ。度々ナダレ事故が起きるヒヨドリ峰の斜面もヤブだらけ。
夜から雪との予報だが、日中も雪はサラサラ、シンシンと降り続き、そのせいか新雪の緩斜面では滑らない。林道はひたすら歩くハメになってしまった。
しかし同じ様な状況で、いつもは同じ様に苦労しているボードはスイスイと滑って行く。
使っているワックスは液体フッ素で、低温、乾燥の雪質では滑らないとなっている。これが滑らない原因かと思ったが、よ~く考えてみると、この板、前年5月にクリーナーで拭いて液体フッ素塗って放置後、そのまま積んで来たモノ。要はメンテ不良かも。
そしてそのクリーナーとワックスは、今回忘れて来ている。またまた忘れモノ発覚、嗚呼ナサケナイ。
場内の店で売っているワックスを買うしかないか、と思いながら、滑走面にネトッと付着した雪をそぎ落とした。
脚ツリまくり、上から下まで3往復して、初日は終了。
1/9の予報は降雪、脚は痛いし、朝食後ボォ~っとしていたら、いつの間にか寝てしまって、11時半気が付けば、外が明るくなっている。
前日同様、12時過ぎ栂の森に上がる。
上から下まで4往復して終了。
鐘の鳴る丘に戻ると、大阪の地名が付いた小学校の、少年少女のスキーレッスンがまさに終わったところらしく、リフト乗り場はワイワイガヤガヤ大混雑。
毎年、正月休み明け、我が定宿は貸し切り状態になる。しかし今年は家族連れが二組。
何年か前、若オカミに代わってから、客相が変わったとかで、まぁオヤジの貸し切り状態から、家族連れが増えて、いいことだが、この日はもう一人、小柄な老人がいた。
風呂で遭遇して、「どちらから?」と訊いてきたのはその老人。
失礼ながら、見た目ヨボヨボのこのセンセは、名古屋の齢76歳で、取りあえず80歳までガンバるとの事。
よく行くのは志賀高原らしく、奥志賀のペンションでは90歳の大センセと遭遇されたらしい。そしてこの大センセは長逗留で、天気や状態が悪いときは決してムリせず、宿で読書でもしながら優雅に過ごしているとか。
ナルホド、歳往くとスキーはそうして遊べばイイわけか。
このセンセや大センセの歳まで、ワタクシまだ10年、20年あるが、今既にダルく、シンドく、フラフラ、ヨロヨロ、今からでもそうしますか。
とは言え、このセンセ、翌朝はサッサと朝食を済ませ、板を担いでサササッと出て行かれた。ワタクシ、食堂からその矍鑠としたお姿をスゴっ!と感嘆しながら、只々眺めていた。
1/10の予報は晴だったが、10時過ぎは高曇り、あのセンセに触発された訳ではないが、ワタクシも出発する。
リフト乗り継ぎで上へ行くべく鐘の鳴る丘へ行くと、リフト乗り場の中でご婦人が一人、不安そうに突っ立っている。ワタクシが近づくとそのご婦人、英語で話しかけて来た。
どうやら一人で乗るのは不安らしく、一緒に乗って欲しい、と言っているようだ。出来ればもっと若い女性がイイのだが、この女性とてワタクシの娘世代、そして何と言っても、こちらに選り好みの権利はない。
ワタクシ英会話はほとんど出来ないが、この女性、シンガポール人らしく、スキーもリフトに乗るのもこの日が初めてらしい。息子、娘と一緒に昨日ハッポーワンに着いて、今日は栂池、子供達二人はスキーがグッドで、上へ行ったとか。HAPPO-ONEを外人はハッポーワンと読む、ナルホド。
ご婦人と鐘の鳴る丘でバイバイして、栂の森へ着き、一旦鐘の鳴る丘まで下って、またリフト乗り継ぎで栂の森へ戻り、中間駅まで下って板を外していると、現れたのは松川村の写真家Sさん。今年も会えました。
その後Sさんと栂の森を何回か往復し、中間駅まで下り、栂の森へ登り返すと、「もうアガリます、今年もよろしく」、Sさんは帰られた。
ワタクシはもう一度中間駅まで往復し、最後は鐘の鳴る丘へ下った。
鐘の鳴る丘は昨日と同じ、レッスンが終わった小学生で大混雑。どうやらケガ人が出たらしく、まさに担架から車に乗せ換えられようとしていたところだった。
1/11、脚は益々痛く、腰も痛い。一旦安曇野へ帰る日、暖冬雪不足のはずが、8日の雪が車にそこそこ積もっていて、掘り出しには10分以上掛かった。
8日の雪は安曇野でも降っていたハズで、さて小屋の周りはどれだけ残っているか。
しかし全くと言っていいほど残っていなかった。
エルニーニョの暖冬、今後も大した積雪はないのだろうか。