蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

不毛な内容証明とメカケ根性

2019-11-18 16:38:44 | 神戸布引谷での出来事

一昨年5月、神戸から全ての道具を運び入れ、安曇野への引っ越しが完了した。
せめてオフクロの寿命までの、あと20年、神戸との全てと縁を切って、ワタクシは信州で遊び呆ける、と決めた。

しかし4ヵ月後、叔母が遂に亡くなって、又神戸へ戻ることになった。叔母の葬式を執り行うのはワタクシしかいない。
叔母は痴呆で、10年ほど前から“豪華”養護施設で寝たきり、ワタクシの意識では既に亡くなっていて、実際に亡くなって、ホッとした。

25年程住んだ垂水の"低所得者救済マンション"は、ワタクシの信州移住に合わせて、配偶者がリフォームし住むことになったが、彼女は毎日、正社員として仕事をしており、その留守中に、ワタクシがチョコチョコ出入りして欲しくないはず。それは当然だ。
納骨の時には、それが済んだら直ぐ帰って欲しい、と言われた。
ワタクシには、神戸をノンビリうろついたりする為の居場所はなくなった。

そして11月の終わりに納骨をして、改めて神戸とは縁が切れた。
その後約2年、神戸には帰っていないし、配偶者ともTEL、メールのやりとりすらなく、それで不自由、不具合は一切ない。それでイイのだ。

しかし、神戸での事故、事件の情報はネット等で入って来るし、それがどこか、どんな場所だったのか、大体わかる。
年10月に起きたヤクザの発砲事件は、花隈が現場だと直ぐに判ったし、教師間イジメと言うか、教師による教師への集団暴行事件の現場も、板宿の一つ西の駅の近くにある小学校だと判った。
近道や信号迂回とかで、あちこちの路地、神戸の隅々を巡っていたので、ニュースの写真を見れば、大体どこの街角なのかが判ってしまうのだ。

そして昔、その近くで何をしたのか、何があったのか、しばし思い出にふけり、ふと外を見て、安曇野の森の中にいることに気付く。
何しろ、神戸には60年以上暮らし、安曇野にはまだ2年半、記憶と記録に中で生きるワタクシは、まだ神戸で生きている。やり切れないが、仕方ない。

8月の発砲事件、ヤクザの事務所の前での銃撃事件は、あちこちの見覚えある場所とは、かなり違うレベルだった。
そこはワタクシが通っていた幼稚園の直ぐ近くで、その後、小・中・高と10年以上、その事務所の前を通学していたのだ。
幼稚園を経営していた神社は、熊内の高台にあって、その崖の下と言うべき場所に、その“豪邸”が建ったのは高校の頃、いやもう少し前か。全面半透明の反射ガラス(?)張りで、不気味な雰囲気満載だったが、他にも似たような雰囲気の、ヤヤコシそうな“豪邸”な点在しており、あまり気にはならなかった。むしろ“豪邸”の前の道を掃除する“若い衆”は、アイソよく挨拶するので、それは好ましかった。
そこがほんとにヤバい“豪邸”だと教えてくれたのは、10年程前、不動産屋のオッちゃんだった。「あそこはマジ、ヤバいトコですワ」、ほとんどの不動産屋は、あの辺りを扱う時は非常に気を遣うそうだ。しかし銃撃事件があるまでヤバいとは感じなかった。

しかしもうそこへ行くことはない。その上の布引山中にあった実家は、安曇野に来る前に手放している。どうしてもその家が欲しい、と言う“奇特”な人がいて、お譲りした。50年程続いた布引谷との縁も終わった。後は何かのキッカケで、また思い出にふけることもあるだけだ。

ところで、どんな経緯で始まったかは忘れたが、アンケートとかリサーチを定期的に送ってくるサイトがあって、10月の初め送られてきたのは、「内容証明を利用したことがありますか?」と言うテーマだった。

内容証明とは、送った内容を郵便局が証明、管理するもので、“愛の告白”などに利用するものではない。
要するに、「金、払え!」とか「金、返せ!」との要求に、相手が中々応じないので、もう話し合いはヤメて、正式に文書で要求し、したことを郵便局が証明してくれる、と言うだけのハナシ。
いずれにせよ、民事上のモメ事において、郵便局が要求文書の有無を証明するだけで、解決のための法的効力はない。その後民事訴訟を起こした場合、要求を出したことの証拠になるだけ

よってフツーの商取引において、利用する事はほぼなく、不渡りを出した取引先の売り掛け回収などで使う事もない。

一般消費者相手でも、フツーのサラリーマンなどとは異なり、ならず者、やくざ者に対してしか、利用する機会はないと思う。フツーの人は借りたモノには返す、買ったものには払うのだ。

そのリサーチの結果を見ると「出したことがあるが17.7%、受け取ったことがあるが11.5%、どちらもあるが8.7%」だった。
この結果をどう読み解けばいいのか、ワタクシには判らない。むしろ「内容証明で解決した経験はありますか?」ならもっと面白かったのに、と思った。
いずれにせよ、内容証明など
を使うのは、2割もない、という事だ。内容証明とは、マトモなカタギには縁がない不毛なモノなのだ。

で、ワタクシは神戸・布引谷で内容証明を受け取り、内容証明で反論、拒否し、解決したことがある。相手は隣の茶店の主人だった。

昭和32年に、オヤジは神戸・布引谷で、“建坪七坪九合”の安普請を¥28,400.-で購入した。売主は隣りの茶店の先代さん。
神戸の百貨店専属の運送会社に就職することになったオヤジは、オフクロと5歳のワタクシを連れて、神戸・布引谷に移住した。
そこは新神戸駅から布引の滝、布引貯水池を越え、1時間弱歩いた所、商店等はなくハイカー相手の茶店が数軒あるだけだった。しかし茶店の周りに民家が点在し、別荘や百貨店の保養所、駐在所もあった。

同級生も数人いて、10人以上の小中学生が麓まで歩いて通学していた。

しかし布引谷の東側に聳える世継山のてっぺん周辺に、ゴルフ場が開発され、それが原因でワタクシが中3の夏、大規模な土砂崩れが発生し、21人が亡くなった。
当然ゴルフ場は閉鎖、それに伴い住人は徐々に減っていき、翌年高校生になったのはワタクシ一人だった。我が家は被害地点から500m程離れていて、全く被害はなかった。
結局、ワタクシは街で所帯を持つ28歳までそこで暮らし、オヤジは63歳まで、オフクロは86歳までそこで生きた。

10年程前、オフクロが亡くなったので、ワタクシは神戸・布引谷に戻ろうとした。昔の遊び仲間は全ていなくなっていたが、2軒の茶店と数人の老人が残っていた。老人の一人は小学校の20歳先輩、ワタクシを子供の頃から知っている茶店の女性だった。
当時ワタクシは、里山の保全保護ボランティアなどに興味があり、布引谷に戻って、茂り過ぎた樹木の伐採等をするつもりだった。

取り合えず、道の周りの枝、灌木をかなり伐採し、茶店の女性にも喜ばれたが、暫くして、慣れ親しんだ昔とは何か違う、と気になりだした。
それは木々が茂り過ぎた景色と、布引谷の水の色、濁りだった。

木々が茂り過ぎ、遠くの景色が見えなくなり、下草が生えなくなって、地面が剥き出しとなり、その景色も不気味だった。
また貯水池の色が、深い緑から白っぽい緑に替わり、風呂を布引谷の水で満たすと、緑がかっていた。布引ウォーターに藻が発生していたのだ。
茶店の女性は、そんな状況を諦めていたが、「気になるンやったら、ワザワザこんなトコに住まンでもエエやん、街に家あるンやし、もうローンも終わってるンやろ」、そう彼女から言われ、ワタクシは布引谷へ戻るのをヤメた。オフクロの3回忌は済んでいた。

隣りの茶店の主人から内容証明が届いたのは、その頃だった。
その男との間に、督促されるような揉め事はなく、内容は“お願い”だった。しかし長年“お願い”される様な事もなく、いきなり内容証明を送るなど、チョットおかしいンちゃうか、と誰もがそう思うはずだ。

その男が布引谷にやって来たのは、例の大水害の少し前だった。なぜこんな辺鄙な処へやって来たのか。

それは先代さんの奥さん、つまり茶店の女将が亡くなったからだ。
女将が亡くなって程なく後妻がやって来た。ワタクシは詳しくは知らないが、後妻とは花隈の芸者で、先代さんはメカケを囲っていたらしい。

先代さんは、鈴木商店の頃の神戸製鋼へ、顔パスで出入りする程、ハデに商売をしていたそうで、メカケを囲っていても不思議ではない。
そのメカケとの間の息子がその男で、ワタクシより5歳上だったから、来た当時は既に社会人。一緒に通学したり、布引谷の河原で遊び呆けた仲ではない。なんか暗く、全く存在感はなかった。

先代さんは、鈴木商店とハデに商売出来る、そこそこ“立派”な人物で、先妻さんとの子供も、そこそこ“立派”だったそうで、夏休みには賢そうな兄弟、美人姉妹のマゴも遊びに来ていた。
そのおマゴさんもワタクシの数歳上だったから、先代さんには同世代の子供とマゴがいたことになる。

良いタイミング(?)で本妻が亡くなり、若い後妻と、マゴほど年が離れた息子、美人の娘もいて、4人で暮らし始めた先代さんを、大人達はヤッカミと羨望で眺めたそうだが、その一部は例の大水害で亡くなっている。

そしてメカケの後妻は、それまでの本妻さんとの繋がりを全て切ってしまい、茶店は急激にスタれて行った。親族、関係者は当然、仕入れ先や常連客も離れて行ったらしい。そうなっても当然、と言う気もするが、いずれにせよ、店の雰囲気はゴロッと暗くなった。

ワタクシが傍で、そんな様子を見聞きしていたのはその頃まで、その後ワタクシは街で所帯を持ち、布引谷を離れた。ただ母親が一人で暮らす実家なので、月1回程度は帰っていたが、オフクロは村のツマラナイ話などはしなかった。先代さんや後妻が亡くなったのも、オフクロから聞いた。

しかし揉め事は色々あったようだ。その男が茶店を継いで、谷の出合の空き地に、プレハブ事務所を建てた時はかなり揉めたらしい。
彼は茶店以外に建設機械のレンタルもやっていて、熊内あたりに事務所を構えていたそうだが、賃料節約で(?)移したのか。また、仲間と始めたそのレンタル業は、その後、仲違いしたそうで、それで事務所を追い出された、と言う噂もあった。

ただ、布引谷は例の水害があった後、市街化調整地域となり、プレハブとは言え新築は出来ない。また空き地は神戸市の所有地になっており、その事務所は違法建築物の不法占拠となる。そういう違法行為を彼は認識していなかった様だ。

また、建機のレンタル屋だから、プレハブの周囲には在庫の機械が放置されていた。それらは野ざらしでサビだらけ。
その汚い光景はしょっちゅう布引谷を訪れる、ハイカーからも非難されていた。布引谷は瀬戸内海国立公園・六甲山地区の中にある。それに相応しくない光景だった。揉めるのは当然だった。

そして、彼がワタクシに内容証明で送って来た“お願い”とは、家の出入り箇所を変えて欲しい、と言う内容だった。

その家は市道に面した石垣の上にあり、市道に出るには茶店の土地にある階段を使っていた。要するにその階段を使うな、という事らしい。しかし別に階段を作るとなると、石垣を潰さないといけない。これはそこそこ大工事になる。
しかしその階段は、ワタクシが布引谷に来た5歳の時から使っている。

つまり使用についての既得権があるのではないか、そう思って市役所の法律相談へ行ってみた。
相談員の女性は、その土地にはそもそも通行権があると思う、と言い、弁護士を呼んだ。

弁護士は石垣があるのだから、市道に面しているとは言えず、この土地は囲繞地となり、囲繞地通行権がある、と教えてくれた。
ワタクシはその旨を書いて、“お願い”には応じられない、と内容証明を送った。

その後その男は、その階段の地目を保安林から山林に替えたので、今は納税しており、通行料が請求できると返事してきた。しかし、分筆により囲繞地となった場合は、通行料は免除されると民法に書いてあったので、再度その旨書いて返した。そして全て終わった。

他にも、オヤジが20年以上も前(!)に建てた物置が、境界から出ているから動かして欲しい、とかも言って来たが、法務局の登記図を示し、境界内に納まっている、と主張し、それも終わり。

つまり彼からの要求は、全て断った。そしてワタクシは、内容証明など不毛だという事を証明した。

布引谷の周囲全体、市街化調整区域で新築、増築は出来ない。従って、少々広くなっても、保安林を山林にしても土地の価値は上がらない。なんでそんなコトに拘泥するのだろう。

「メカケ根性と違いますか?」、市役所の相談員の女性はそう呟いた。
彼女は布引・新神戸近くに住んでいたことがあってたそうで、相談内容を説明する中で、昔話が弾んで、何故ワタクシが辺鄙な布引谷に住んだのかとか、ハーブ園の前にゴルフ場があって、それが原因の水害で沢山人が死んだとか、隣の茶店の先代さんからの関係、ワタクシの身の上話、世間話などもして、隣の茶店にメカケの後妻が来た、の場面になった時に、呟くようにそう言った。

市役所には世間のメカケから、色々法律相談があるそうだ。
「本妻には一銭も渡したくない、法律的に出来ませんか?」などの非常識な相談が多いらしい。「ナニセ、フツーの人なら考えつかないコト、言うてきますよ、そんなことするなら、他にすることあるやろ!と思いますワ」、と呆れかえっていた。“メカケ根性”、なるほど。

ホントにツマラナイ、くだらない男だったと思う。商売もうまくいかず、年金も少なく、借金だらけで、いっそ破産したろか、とも言っていた。人に使われるのイヤや、とも言っていた。つまり宮仕えの苦労からも逃げていた。
苦労もせずに寝ていて財産を増やしたい、それが“メカケ根性”なのか。「他にすることあるやろ!」、相談員の女性の言う通りだ、と思った。

ただ、オフクロの話では、子供の頃「メカケの子ォ、メカケの子ォ」とからかわれ、イジメられていたそうで、本人も、自分を「メカケの子ォ」にした両親を恨んでいて、仏壇を拝んだことがないと言う話も聞いた。その意味では可哀そうな境涯だったとも言える。

先代さんは、木々をむやみに伐採したり、傷つけてはいけない、自然を大切に、と隣に引っ越ししてきたガキのワタクシを、優しく諭す“立派”な人物でもあった。ワタクシは好々爺とは、こんな人のことを言うのだ、と思った。

しかし「メカケの子ォ」を作ると言う“罪作り”をしていた。

ただそんな“罪作り”は、形は違えど、他にも、現代だって多々あるのだ。

そう言えば、ワタクシの得たいの知れない祖父、流離の絵師「雲峰」も、私生児を3人も作った“罪作り”だった。オフクロ達3姉妹はそれなりにツライ想いもしたと思う。

しかしオフクロからも叔母からも、その頃のハナシはもう聞けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ズッと雨が降っていた10月が終わって、やっと晴れた11月

2019-11-09 10:31:58 | 信州安曇野での出来事

10月はほぼ毎日、雨、雨、雨。
過去に記録のない降水量で、あちこちで川が溢れ、山が崩れ、何軒もの家がなくなった。

海水面の温度が、過去に記録がない高温になり、過去に記録がない量の海水が蒸発して、過去に記録がない雨雲になり、過去に記録がない大雨を降らせる、と言うリクツだそうで、過去に記録がない高温にしたのは、ニンゲンの経済活動であるとワタクシは思う。
地球温暖化などと言うと、地球が勝手に高温になった様な言いっぷりだが、高温にしたのはニンゲンだ。
ニンゲンは一刻も早く悔い改め、地球の温度を下げないといけない。

スェーデンの少女も同じ思いで、国連の気候行動サミットとやらで、温暖化対策を訴えていた様だが、それは少しヒステリックな感じで、引く大人や嘲笑するオトナがいて、別のヘンなオトナに言わされているだけ、とまで評するおバカもいるとか。
何やらやり切れないが、いずれにせよ、そう言うおバカ達が、パリ協定から離脱したアメリカや、アマゾンの樹林を燃やしているブラジルのリーダーを選んでる訳で、要するに半分程度のニンゲンは、高温にしたことを何とも思っていない、という事だ。
と言うか、北極の氷が解けたら、新たに資源を掘り出して一儲けできる、と喜んでいる強欲者もいるらしく、まぁそういう強欲なオロカ者
とは接触もないので、どうでもイイが、このままでは来年も、再来年も、確実に過去に記録のない大雨は降るのだ。いずれ、大都会、帝都・東京をも水没させる大雨だって降ると思う。大変だぁ~。

 10/25、梅雨の様な雨が安曇野の森に降る。

 黄葉に梅雨の様な雨。

 窪地が池になったのは、今年何度目か。すぐに引くから別に気にならないが、ここに住みだして、初めての出来事だ。

 でかいキノコが車庫の前に生えていた。

10/27、雨の中、小屋の周りをウロウロしていると、奇妙なモノが落ちていた。火バサミで掴み上げ、観察する。
数センチ程の白濁色の有機物、周りにある落ち葉などの植物ではない。3片程が重なって地面に貼り付いていた。
ヘビの抜け殻(?)、それとも死骸の一部(?)、ヘビの腹部のウロコのようにも見える。しかしナニヤツがここへ運んだのか。

ソイツは鳥だと思う。
以前、庭の切株を解体していたある日、樹木の大きな破片が転がっていた。
切株は斧を振り下ろして潰していたので、庭には株の破片がパラパラ落ちている。しかしその樹木の破片は、ワタクシが斧で潰した時の木片より大きく、丁度その日は、近所で松の伐採がハデに行われていた。
その木片を隣人の杣人・Mさんに見せると、それは鳥、多分カラスの仕業との事。ヤツラはアチコチから色々摘まんで飛んで来て、気まぐれに落とすのだそうだ。
多分この不気味な有機物も、雨が降る前、鳥が落として行ったものだと思う。ワタクシはそれを藪の中に投擲した。雨が止むとアリが片付けてくれるだろう。
森には至る所にステキな役割分担があるモノだ。

 窪地から泥まみれの栗を拾い出した。 

 10/30、雨が止んで、車庫の前のはキノコは大きくカサを開いていた。

 あらゆる所にキノコが生えている。

 これは種類が違うヤツ。

 ここはステキなキノコの森なのか。しかしMさんからは、地面に生えた菌は無自覚に喰うモンではない、と言われている。

10/31、平穏な昼過ぎ、デカイ猿が庭に現る。しばらく栗の実を貪るように喰っていたが、もう一回り大きい仲間がやって来て、一緒に南側へ消えて行った。8月中頃に現れた大群のメンバーだろう。
Mさんの話では、最近のヤツラは、空の肥料袋に盗んだリンゴを詰め込んで、引きずって行くとか。「賢いよぅ」。
その後、北側に白トラ現る。ノラはいつも単独行動。集団のサルとは競わない方がイイ。

 11/2、今年も芸術家たちの作品展が始まった。

 ウチの近所の“やすこ”さんは、小物作家の様だ。

 少し離れたこの作家さんは、どんな作品を作っておられるのか、よく知らない。

11/3深夜、庭に何者かいる。身を翻して去ろうとした。ネコ(?)、2800lmのLEDを当てると太く長い尻尾、子ギツネだった。
ヤツは南側の道に出て、西方向へ消えて行った。その方向の別荘にキツネが住んでいる、とMさんの奥さんに聞いた事がある。その一家の子供らしい。

 11/5、やっと晴れ渡り、雪を被った稜線が見えた。

この日は燃えるゴミの日。独り暮らしで、キチンとゴミを選別すれば、燃えるゴミなど一番小さい袋が月一つ。
それを提げて集積所へ向かうと、東側の森の中で、何者かがギャーギャー泣き叫んでいる。鳥(?)、目を凝らすと太い枝にデカイ猿。かなりの大猿、素手では負けるかも知れない。例の大群の親分なのか。

長雨が収まり、動物も棲家でジッとしておれないらしい。