日曜日、久しぶりに車でブラブラした。
取りあえず山陽道を姫路西ICで降りて、R29を北上。
5年前の3月、毎週氷ノ山へ通っていて、ここで車を停めさせてもらっていた。 その時は1m以上の雪に埋もれていたけど。
外気温20数度。 ご主人は雑草刈りをしておられて、ゴアイサツ。
8:29発、鳥取行きが客待ちをしていたが、8時半を大分過ぎてから発車して行った。
地元の人がチラホラ、ザックを担いだ旅行者が一人、他に観光客は見当たらない。
仮屋通り、蔵通りの観光案内があったので、横の駐車場に車を停めて、ちょっと散歩した。
反対側には、お寺が並んでいた。 中々イイ雰囲気の通りだ。
ン?、端の土蔵に何かプレートが掛ってル。土蔵に関する説明とかではない。
確か、「貧しい土蔵の所有者を、豊かな自治労は、食い物にするな」 なんて事が書いてあった。
その対面の日陰に、ステテコ姿の老人が折りたたみ椅子に座っていた。 ウェスタン調の皮のサンバイザーを被って、杖を持っている。 プレートに書いてあるのはどう言う事か、訊いてみた。
「判らンか」、老人はそれを訊くワタクシが悪い様に答えた。
要は、土蔵群を観光の売り物にしているのは自治労で、土蔵の持ち主は現在その維持が大変で、売り物にするならその所有者に、自治労は幾ばくかの補助をすべきなのに、何もしない。 自治労はこの辺りの労働者より、格段に高い給与を取っており、休みも沢山あって、官公労から資金が沢山流れて、豊かな身分で、許せン、と言う事らしい。
昔、一般民を戦争に駆り立てたのもそう言う輩で、兵隊に戦えと言って後ろから鉄砲を向けとった、という様な事も言っていた。 軍事官僚が進めた戦争、それはそうだけど。
老人はその後も何かブツブツ言っていたが、方言混じりのジイサンの話なので、あまり判らなかった。
ただ怒っていた、何もかも一緒くたにして怒っている様だった。
確かに、官公労、自治労には色々問題がある様だが、何故こんな観光オコシと関係させるのか、良く判らない。
それで自治労が大儲けでもしているのなら別だけど。
氷ノ山麓の穏やかな集落の雰囲気が台無しだ。 不愉快になって、そこを離れた。
駅前に戻ってきたら、ハイカー姿のお年寄りの一行が、ガイドさんらしき人に連れられてやって来た。
ここで、暫くトイレ休憩らしい。
同じグリーンの帽子を被った人が二人、同行している。 そのお一人に「ガイドさんですか?」と訊いた。
先程の怒りの老人より大分お若いが、ワタクシよりはかなり年配の好々爺に見えた。
「ガイドではありませんが、ガイドはします」と、仮屋通りの歴史や街中を流れる清流の事、駅の中の機関車転回設備の事、鬼ケ城を巡るコースの事、色々説明してくださった。
まちづくり協議会の会長サンだった。
「ところで、今、土蔵通りを歩いて来たンですが、あの自治労がどうのこうの、と書いてあるの、何ですか?エライ、怒ってルおじいさん、いましたけど」
「エエ、あの土蔵の持ち主、あのエリアを観光の売りモンにするなら、固定資産税、免除せぇ言いだして、今、滞納してます」
「そやけど、固定資産税、払わんのと自治労とは関係ないでしょ」
「イヤ、滞納分、はろうてくれ、と言いに行ったのは職員なんで、それで ・ ・ ・ 」
「折角のイイ雰囲気が台無しですね」
「イヤぁ~お恥ずかしい」
ナルホド、あの怒っていたジイサン、タダの税金滞納者だったンですね。
しかし、あれだけの土蔵の持ち主と言う事は、それなりのお金持ち、あの町の名士だったはず。
本来なら、まちおこし、まちづくり的な動きの中心になるべきだ。
なのに、土蔵の観光オコシを逆手にとって、税金免除と言う “ 利 ” を得ようとしている。ナント、欲深い、ナサケナイ。
まちづくり協議会の会長サン、汗をかき掻きガイドに戻って行かれたが、その後ろ姿は益々好々爺に見えた。
蒸気機関車の前方に転回設備がある。 街中を流れる清流が引き込んであって、ラッセル車の雪を流したそうだ。
結局、若桜宿に10時前までいた。
その後、鳥取駅前を通り、R9~養父・関宮~大屋~富士野トンネル~笠杉トンネル~R312~福崎~加西~小野~三木経由で、16時帰宅。
悠々自適なヤマメ茶屋のオジサン、税金滞納者だった怒りのジイサン、まちづくり協議会の好々爺会長サン、色んな人に遭遇した一日だった。