ここへ引っ越して来た30年前、まだ地下鉄は通っておらず、垂水駅へは約4km、標高差約100m。
しかし通勤バスは、片側2車線の広い道をグルっと廻って舞子駅へ着く。
朝の渋滞時は満員バスで20分程。そして事務所がある元町へは満員電車で更に20分。
それまで住んでいたアパートからは、元町、三ノ宮へは歩いて行けたから、これにはマイッタ。
夜は駅に着いても垂水駅前の商店街は閉まっており、舞子駅前には商店街もなく、淡路島があるだけ。そしてバスで内陸部まで20分、とにかく辺鄙で寂しく、これにもマイッタ。
社会人になった‘70年代半ばは、高度成長期が終わって安定成長期と呼ぶそうだが、ワタクシが学校を卒業した年は、ナゼか理系は就職難だった。
何とかもぐり込んだ会社は、舶用室内艤装品メーカーで、造船業界はその数年後には斜陽産業となり、年末一時金、所謂ボーナスは1ヶ月分強しかなかった。
家族が増えるので少しでも広く、長く住める住居に移らないといけない。
しかし、低所得者は、ごく標準スペックの、辺鄙な場所に建つ“低所得者救済”マンションにしか住めない。ビンボーだから仕方ない。
ただ朝の、特に夏の満員バスはホントにマイッタ。
で、少し悪いコトを考えついた。
まぁ誰でも考える事だと思うが、要はバスの定期代でミニバイクを買って、それで通うと言うモノ。確か、1年半ほどでモトがとれ、それ以降、定期代はオコヅカイ。
申告した通勤手段ではないので、事故をすると労災はおりないが、風を切っての通勤は快適だった。冬は少し寒いけど。
定期代をゴマ化して手に入れたミニバイクは、発売されて直ぐの初代JOG、速度計は70km/hまで刻まれている。今でも須磨浦公園あたりのR2で、ミニバイクとしてはイリーガルなスピードで走ってくれる。頼もしい。
それでも、中々壊れない。
酔っ払って走行中2度転倒、1度右折車と衝突した。ぶつかってカラダは相手の車のボンネットへ飛び上がり、フロントガラスへ突っ込んでいったが、不思議とケガはなかった。ヘベレケに酔ってカラダがフニャフニャだったからかも知れない。バイクの割れた外装パネルは、相手の保険でサラになった。
懲りずに酔っぱらい運転を続けていて、遂に20年程前、Kサツに捕まり免停になった。罰金25,000.-に処せられた。当然その後、酔っぱらい運転は一切ヤメた。
壊れない、とバイク屋のオッチャンも言っていた。
「コレ、壊れヘンからお客さん、なかなか買い替えヘンねん、ホンマ、バイク屋泣かせやワ」、オッチャンはイタズラで壊されたキーのシリンダーを直しながらそう言った。「シリンダーまで分解して直す、てワシくらいしかおらんでぇ」、と自画自賛しながら、壊れヘンバイクの部品をオッチャンは直してくれた。この時は交換部品がなく、修理はタダだった。
そして、行方不明にもならなかった。
ほぼ毎週、駅の駐輪場に留置いて出張していた時期もあったが、数日後帰って来ると、ちゃんと元の位置で待っていた。
免停後は、呑んだ後の週末も留置くことになったが、一度元の位置にいなかったことがあり、しかし探すと少し離れた路上に、ポツンと放置されていた。
口の悪い同僚は、「あんなボロいバイク、誰も取ろとは思いませんでェ、イヒヒ」と、言った。
しかし、このボロいバイクであの震災時、JRと地下鉄が動かない数週間(?)、片道約20kmを通勤した。
と言う事でこのJOGとは安易にオサラバ出来ない。修理したらまた動く工業製品は棄てられないし、買い替える経済力も今はもうない。
そして、キーのシリンダーまで分解して修理してくれたオッチャンのバイク屋は、いつのまにかなくなり、10年程前からオニイチャンがやっているバイク屋サンで、色々面倒を見てもらっている。
このオニイチャンの店を初めて訪れた時、彼は「修理は出来ません、交換せえと言われたモンだけ交換します」と、言った。
この時、この個体は生産後20年程経っていた。生産時、彼はまだ小学生だったハズだ。
「いつ壊れてオワリになるかも知れません、次から次、チョコチョコ直さないといけなくなるかも知れません、部品がないかも知れません、修理は保障できません」と、付け加えた。
しかし、一見そのそっけない言い分は真実であり、逆に好感が持てた。
「エエよそれで」と、彼との付き合いは始まったが、交換すると言っても、タイヤ、プラグ、バッテリー、ブレーキシューと言った消耗品ばかり。
毎回エンジンのかかりが悪かったので、キャブのO/H部品一式を交換したが、それで直らず、しかしヒィヒィ言いながら数10回キックしたらかかるので、その不具合は諦めた。
幸い、次から次、チョコチョコ直さないといけない状況にはならず、年1回程度の消耗品交換をしている中で、彼はトコトン修理して使うワタクシの我儘に付き合ってくれるようになった。但し、直らないモノがある、急いで直さない、と言う暗黙の了解があった。
駐輪場ででサンザン当てられて割れた外装パネルは、入手できる範囲で交換し、見た目はマッサラになった。
また、コケた時に割れたステップボードは当初、手に入らなかったが、その後海外品を見つけてくれたし、エンジンを分解しピストンリングを交換、しょっちゅう止まる“病気”を直してくれた。
「このバイクに関わらず、ニホンのミニバイクは事故でグチャクチャに壊れない限り、一生修理しながら使えます、ボクも機械を棄てるのはホントはイヤなんです」と、彼もワタクシと同感覚であることを“白状”した。
大体、一日10km、25日/月通勤で使ったとして、平均30km/hrなら、100hr/年の稼働。30年経っても3000hr、産業機械などと比べると超短時間稼働。交換の必要ないと彼が言ったクラッチオイルを替えた時、出て来た古いオイルはキレイな色のままだった。
そして、ピストンリングを交換した後3年弱、何も起こらなかったが、今年4月、クラクションが“枯れた”ようになり、ブレーキの効きも悪くなったように感じたので、「久しぶりに面倒見てェ」と、預けた。
彼は直ぐ、「後タイヤ、ツルツルです、これも交換せんと」と、TELしてきた。
数日後、引き取りに行くと「クラクションの不良は電圧が原因でした。しかしバッテリー交換してもどうせセルでかけたら、直ぐパァになるし、取りあえず調整しときました」、との事。
しかし8月、またクラクションが“枯れ”始め、「バッテリー替えてぇ」
彼は直ぐテスターでチョコっと計り「電圧は問題ありません、原因は別にあります」と、色々探り始めると、ヒューズボックスから延びるコードがポキッと折れた。コードの被覆樹脂が劣化し、線本体が腐食しているようだった。30年経っている、そうなっても仕方ない。
結局数日“入院”させ、断線部数ヶ所を新替えしてもらった。
そして9月、今度は左ウィンカーが点かなくなった。彼はまた、チョコっと調べ、「ランプ、リレーはOKです。原因は別です」と、言う事でまた“入院”、ランプから伸びるコードを触ると点いたり消えたりするので、どこかが断線していると判断、その辺りのコードをゴソッと交換してもらった。
断線部は他にもあるだろうと思う。彼が以前言っていた、次から次、チョコチョコ直さないといけない状況になりつつあるのかも知れない。まぁエエけどね。
また数ヶ月前から、シートが破れ始めだした。
そもそも、通勤に使うミニバイクのシートは、タチの悪い少年達に破かれるモノである。
我がJOGも、垂水駅南側の、海神社の塀のそばの狭い駐輪場で破かれた。
カッターでチョコっと切られた後、それが序々に大きくなってスポンジの中身がむき出しになった頃、ワタクシは転職し、東京勤務となった。
川崎、横浜の地域担当になると決まっていたので、住居は東急・東横線日吉駅から歩いて10分程の所にアパートを見つけた。
そして、通勤にバイクを使う必要はなくなり、JOGはそのアパートの軒下に置いておく事になった。
新しい職場、その業種でモノになるかどうか、家族を喰わしていけるかどうか、頭の中はただそれだけ、相変わらず定時21時の生活が続く。
1年半ほど経って、何とかモノになると確信し出した頃、JOGはスタンドとタイヤが数センチ、土に埋もれた状態になっていた。
これ、チャンと動くンやろか。セルを廻すと暫くしてエンジンはかかった。嬉しかった。
しかし、1年半ほど動かしていなかったとは言え、生産後まだ5年程、動くのはアタリマエ。
早速、綱島街道近くのバイク屋サンで、破かれたシートを貼り替えてもらい、港北区近辺をあてもなく走りまわった。
そこは仕事で走り回っているエリアだったが、JOGで走った時の風景はそれとは異なり、とても新鮮で楽しかった。
そして更に1年半後、神戸へ戻り、またJOGでの通勤が始まった。それはまたシートが破かれる環境になる。
このシートは、神戸でひどく破かれたため、‘05年6月に替えたモノ。バイク屋のオニイチャンには貼り替えをお願いしたが、ベース、スポンジを含むコンプリートでの交換になっていた。
マッサラにはなったが、モノはこの初代JOGが生産中止になる頃、製造されたはず。従って劣化は進行しているハズで、柄プレスの箇所から破れ始めた。
補修用の粘着剤付きシートをTQハンズで見つけて貼ってみたが、一度完璧に切れた個所はスポンジの反発力が効いて中々上手く貼れない。しかもこの暑さで粘着剤が溶けかけている。
さてどうするか?
インターネットで調べると、貼り替え用シートカバー、適合機種JOG27V前期、と言うのが見つかった、これや!
送料込みで2,994也、この価格なら失敗しても苦にならない、早速振り込んで、今週の日曜日モノが届いた。
月曜日、作業開始。
まず破れたシートを外す。ホッチキスの歯ァを抜く要領で、40本近い歯ァを10分強かけて抜いた。
するとシートの中身、スポンジ部がズッシリ重い。破れた箇所から雨水が入りスポンジに浸みこんでいる。絞るとボトボトと滴り落ちた。
これはジックリ時間を掛けて水分を抜き出すしかない。いずれにせよ、新しいシートは貼れない。シートペースをゴミ袋で養生し、この日の作業はオワリ。
スポンジを部屋に持ち帰り、新聞紙を当てて水分を浸みこませる。
何度も新聞紙に浸みこませたが、乾くのはいつになるのか。陽に当てて乾燥させるのは、スポンジの劣化につながるのでヤメた方がイイらしい。いずれにせよ、室内でゆっくり新聞紙に浸みこませるしかない。
しかし火曜日、何とか乾いた様子。取りあえず午前中は陰干しして風を当てる。
午後から貼り付け作業開始。パイピング部から雨水がしみ込むので、防水シートをはさむ様、サイトに載っている。ナルホド。
しかし防水シートとか言うイキなモノは手元になく、ビニル袋を代用し、ホッチキスの歯ァをハンドタッカーでバシバシと打ちこんでいくが、どうもシートがスポンジより大きい。
シートのパッケージには、「JOG前期27V」とのシールがキチンと貼ってある。何故大きいのか。
ヒョットすると、‘05年6月に替えたコンプリートのシートが「JOG27V前期」のモノではなかったのかも知れない。
スポンジとの隙間、空間部分には不要になった靴下を裁断してポリの袋に入れて詰めたが、やはりその段差が目立つ。
しかし、まぁイイでしょ。大体、30年前の貼り替え用シートが見つかっただけでも恩の字なのだ。
これでまたシートは復活した。
我がJOGは中々シブトイ。それを直しながら使おうとするワタクシもシブトイ。
どちらがシブトイのだろう。
ヒョットして、コイツはワタクシよりシブトく、ワタクシが死んだ後も動き続けるのかも知れない。
このボロいミニバイクを、動かそうとするモノ好きがおればのハナシですけど。