蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

夏の終わりの復活、シート貼り替えたミニバイクとのシブトイ30年間

2013-09-28 23:47:04 | 朽ちゆく草の想い

ここへ引っ越して来た30年前、まだ地下鉄は通っておらず、垂水駅へは約4km、標高差約100m。

しかし通勤バスは、片側2車線の広い道をグルっと廻って舞子駅へ着く。
朝の渋滞時は満員バスで20分程。そして事務所がある元町へは満員電車で更に20分。
それまで住んでいたアパートからは、元町、三ノ宮へは歩いて行けたから、これにはマイッタ。
夜は駅に着いても垂水駅前の商店街は閉まっており、舞子駅前には商店街もなく、淡路島があるだけ。そしてバスで内陸部まで20分、とにかく辺鄙で寂しく、これにもマイッタ。

社会人になった‘70年代半ばは、高度成長期が終わって安定成長期と呼ぶそうだが、ワタクシが学校を卒業した年は、ナゼか理系は就職難だった。
何とかもぐり込んだ会社は、舶用室内艤装品メーカーで、造船業界はその数年後には斜陽産業となり、年末一時金、所謂ボーナスは1ヶ月分強しかなかった。
家族が増えるので少しでも広く、長く住める住居に移らないといけない。
しかし、低所得者は、ごく標準スペックの、辺鄙な場所に建つ“低所得者救済”マンションにしか住めない。ビンボーだから仕方ない。

ただ朝の、特に夏の満員バスはホントにマイッタ。

で、少し悪いコトを考えついた。
まぁ誰でも考える事だと思うが、要はバスの定期代でミニバイクを買って、それで通うと言うモノ。確か、1年半ほどでモトがとれ、それ以降、定期代はオコヅカイ。
申告した通勤手段ではないので、事故をすると労災はおりないが、風を切っての通勤は快適だった。冬は少し寒いけど。

定期代をゴマ化して手に入れたミニバイクは、発売されて直ぐの初代JOG、速度計は70km/hまで刻まれている。今でも須磨浦公園あたりのR2で、ミニバイクとしてはイリーガルなスピードで走ってくれる。頼もしい。

016 距離計は30年間で3回以上、9999.9kmを越えている。

 
それでも、中々壊れない。
酔っ払って走行中2度転倒、1度右折車と衝突した。ぶつかってカラダは相手の車のボンネットへ飛び上がり、フロントガラスへ突っ込んでいったが、不思議とケガはなかった。ヘベレケに酔ってカラダがフニャフニャだったからかも知れない。バイクの割れた外装パネルは、相手の保険でサラになった。
懲りずに酔っぱらい運転を続けていて、遂に20年程前、Kサツに捕まり免停になった。罰金25,000.-に処せられた。当然その後、酔っぱらい運転は一切ヤメた。

壊れない、とバイク屋のオッチャンも言っていた。
「コレ、壊れヘンからお客さん、なかなか買い替えヘンねん、ホンマ、バイク屋泣かせやワ」、オッチャンはイタズラで壊されたキーのシリンダーを直しながらそう言った。「シリンダーまで分解して直す、てワシくらいしかおらんでぇ」、と自画自賛しながら、壊れヘンバイクの部品をオッチャンは直してくれた。この時は交換部品がなく、修理はタダだった。

そして、行方不明にもならなかった。
ほぼ毎週、駅の駐輪場に留置いて出張していた時期もあったが、数日後帰って来ると、ちゃんと元の位置で待っていた。
免停後は、呑んだ後の週末も留置くことになったが、一度元の位置にいなかったことがあり、しかし探すと少し離れた路上に、ポツンと放置されていた。
口の悪い同僚は、「あんなボロいバイク、誰も取ろとは思いませんでェ、イヒヒ」と、言った。
しかし、このボロいバイクであの震災時、JRと地下鉄が動かない数週間(?)、片道約20kmを通勤した。

と言う事でこのJOGとは安易にオサラバ出来ない。修理したらまた動く工業製品は棄てられないし、買い替える経済力も今はもうない。

そして、キーのシリンダーまで分解して修理してくれたオッチャンのバイク屋は、いつのまにかなくなり、10年程前からオニイチャンがやっているバイク屋サンで、色々面倒を見てもらっている。

このオニイチャンの店を初めて訪れた時、彼は「修理は出来ません、交換せえと言われたモンだけ交換します」と、言った。
この時、この個体は生産後20年程経っていた。生産時、彼はまだ小学生だったハズだ。
「いつ壊れてオワリになるかも知れません、次から次、チョコチョコ直さないといけなくなるかも知れません、部品がないかも知れません、修理は保障できません」と、付け加えた。

しかし、一見そのそっけない言い分は真実であり、逆に好感が持てた。
「エエよそれで」と、彼との付き合いは始まったが、交換すると言っても、タイヤ、プラグ、バッテリー、ブレーキシューと言った消耗品ばかり。
毎回エンジンのかかりが悪かったので、キャブのO/H部品一式を交換したが、それで直らず、しかしヒィヒィ言いながら数10回キックしたらかかるので、その不具合は諦めた。

幸い、次から次、チョコチョコ直さないといけない状況にはならず、年1回程度の消耗品交換をしている中で、彼はトコトン修理して使うワタクシの我儘に付き合ってくれるようになった。但し、直らないモノがある、急いで直さない、と言う暗黙の了解があった。

駐輪場ででサンザン当てられて割れた外装パネルは、入手できる範囲で交換し、見た目はマッサラになった。
また、コケた時に割れたステップボードは当初、手に入らなかったが、その後海外品を見つけてくれたし、エンジンを分解しピストンリングを交換、しょっちゅう止まる“病気”を直してくれた。
「このバイクに関わらず、ニホンのミニバイクは事故でグチャクチャに壊れない限り、一生修理しながら使えます、ボクも機械を棄てるのはホントはイヤなんです」と、彼もワタクシと同感覚であることを“白状”した。

大体、一日10km、25日/月通勤で使ったとして、平均30km/hrなら、100hr/年の稼働。30年経っても3000hr、産業機械などと比べると超短時間稼働。交換の必要ないと彼が言ったクラッチオイルを替えた時、出て来た古いオイルはキレイな色のままだった。

そして、ピストンリングを交換した後3年弱、何も起こらなかったが、今年4月、クラクションが“枯れた”ようになり、ブレーキの効きも悪くなったように感じたので、「久しぶりに面倒見てェ」と、預けた。
彼は直ぐ、「後タイヤ、ツルツルです、これも交換せんと」と、TELしてきた。
数日後、引き取りに行くと「クラクションの不良は電圧が原因でした。しかしバッテリー交換してもどうせセルでかけたら、直ぐパァになるし、取りあえず調整しときました」、との事。

しかし8月、またクラクションが“枯れ”始め、「バッテリー替えてぇ」
彼は直ぐテスターでチョコっと計り「電圧は問題ありません、原因は別にあります」と、色々探り始めると、ヒューズボックスから延びるコードがポキッと折れた。コードの被覆樹脂が劣化し、線本体が腐食しているようだった。30年経っている、そうなっても仕方ない。
結局数日“入院”させ、断線部数ヶ所を新替えしてもらった。

そして9月、今度は左ウィンカーが点かなくなった。彼はまた、チョコっと調べ、「ランプ、リレーはOKです。原因は別です」と、言う事でまた“入院”、ランプから伸びるコードを触ると点いたり消えたりするので、どこかが断線していると判断、その辺りのコードをゴソッと交換してもらった。
断線部は他にもあるだろうと思う。彼が以前言っていた、次から次、チョコチョコ直さないといけない状況になりつつあるのかも知れない。まぁエエけどね。

また数ヶ月前から、シートが破れ始めだした。

そもそも、通勤に使うミニバイクのシートは、タチの悪い少年達に破かれるモノである。
我がJOGも、垂水駅南側の、海神社の塀のそばの狭い駐輪場で破かれた。
カッターでチョコっと切られた後、それが序々に大きくなってスポンジの中身がむき出しになった頃、ワタクシは転職し、東京勤務となった。
川崎、横浜の地域担当になると決まっていたので、住居は東急・東横線日吉駅から歩いて10分程の所にアパートを見つけた。
そして、通勤にバイクを使う必要はなくなり、JOGはそのアパートの軒下に置いておく事になった。

新しい職場、その業種でモノになるかどうか、家族を喰わしていけるかどうか、頭の中はただそれだけ、相変わらず定時21時の生活が続く。
1年半ほど経って、何とかモノになると確信し出した頃、JOGはスタンドとタイヤが数センチ、土に埋もれた状態になっていた。

これ、チャンと動くンやろか。セルを廻すと暫くしてエンジンはかかった。嬉しかった。
しかし、1年半ほど動かしていなかったとは言え、生産後まだ5年程、動くのはアタリマエ。
早速、綱島街道近くのバイク屋サンで、破かれたシートを貼り替えてもらい、港北区近辺をあてもなく走りまわった。
そこは仕事で走り回っているエリアだったが、JOGで走った時の風景はそれとは異なり、とても新鮮で楽しかった。

そして更に1年半後、神戸へ戻り、またJOGでの通勤が始まった。それはまたシートが破かれる環境になる。

Imgp5188 このシートは、神戸でひどく破かれたため、‘05年6月に替えたモノ。バイク屋のオニイチャンには貼り替えをお願いしたが、ベース、スポンジを含むコンプリートでの交換になっていた。
マッサラにはなったが、モノはこの初代JOGが生産中止になる頃、製造されたはず。従って劣化は進行しているハズで、柄プレスの箇所から破れ始めた。
補修用の粘着剤付きシートをTQハンズで見つけて貼ってみたが、一度完璧に切れた個所はスポンジの反発力が効いて中々上手く貼れない。しかもこの暑さで粘着剤が溶けかけている。

さてどうするか?

インターネットで調べると、貼り替え用シートカバー、適合機種JOG27V前期、と言うのが見つかった、これや!
送料込みで2,994也、この価格なら失敗しても苦にならない、早速振り込んで、今週の日曜日モノが届いた。

月曜日、作業開始。

Imgp5189 まず破れたシートを外す。ホッチキスの歯ァを抜く要領で、40本近い歯ァを10分強かけて抜いた。

するとシートの中身、スポンジ部がズッシリ重い。破れた箇所から雨水が入りスポンジに浸みこんでいる。絞るとボトボトと滴り落ちた。

Imgp5190 これはジックリ時間を掛けて水分を抜き出すしかない。いずれにせよ、新しいシートは貼れない。シートペースをゴミ袋で養生し、この日の作業はオワリ。

Imgp5193 スポンジを部屋に持ち帰り、新聞紙を当てて水分を浸みこませる。 

Imgp5194 何度も新聞紙に浸みこませたが、乾くのはいつになるのか。陽に当てて乾燥させるのは、スポンジの劣化につながるのでヤメた方がイイらしい。いずれにせよ、室内でゆっくり新聞紙に浸みこませるしかない。

しかし火曜日、何とか乾いた様子。取りあえず午前中は陰干しして風を当てる。

Imgp5195 午後から貼り付け作業開始。パイピング部から雨水がしみ込むので、防水シートをはさむ様、サイトに載っている。ナルホド。
しかし防水シートとか言うイキなモノは手元になく、ビニル袋を代用し、ホッチキスの歯ァをハンドタッカーでバシバシと打ちこんでいくが、どうもシートがスポンジより大きい。

シートのパッケージには、「JOG前期27V」とのシールがキチンと貼ってある。何故大きいのか。
ヒョットすると、‘05年6月に替えたコンプリートのシートが「JOG27V前期」のモノではなかったのかも知れない。

Imgp5196 後側がかなり余っている。

Imgp5200 スポンジとの隙間、空間部分には不要になった靴下を裁断してポリの袋に入れて詰めたが、やはりその段差が目立つ。
しかし、まぁイイでしょ。大体、30年前の貼り替え用シートが見つかっただけでも恩の字なのだ。

これでまたシートは復活した。
我がJOGは中々シブトイ。それを直しながら使おうとするワタクシもシブトイ。

どちらがシブトイのだろう。
ヒョットして、コイツはワタクシよりシブトく、ワタクシが死んだ後も動き続けるのかも知れない。
このボロいミニバイクを、動かそうとするモノ好きがおればのハナシですけど。


50年ほど前の熟年“再婚”物語

2013-09-24 20:37:58 | 一人ブラブラ

先週金曜日の朝日ホール、神戸映画サークル協議会の市民映画9月例会は、“屋根裏部屋のマリアたち”だった。

Imgp5183_2 ‘10年のフランス映画だが、舞台は‘60年台のパリ。

大体のストーリーは以下の様な感じ。多少話し、前後してルかもしれませんが。

屋根裏部屋とは、パリの通りに面した、外装が重厚な石造りのビルの、最上階にある超狭シングルルーム。炊事、洗面、トイレは共同で、室内は客車のコンパートメントの感じ。
“マリアたち”とは、そこに住むスペイン人のメイド達のこと。ポスターの上の6人。
マリアはそのメイドの中の1人の姪で、新たにメンバーに加わる。6人の左端の美女。

ポスター下の2人は、そのビルのワンフロアー、大勢でパーティ出来るほど広い豪華な部屋に住むブルジョア夫婦。2人の息子は寮生活の学生。

夫婦はエレベーターが使えるが、メイド達は狭い階段を6F(?)まで登らないといけない。

夫、つまり“ご主人さま”は、祖父が興した証券会社の社長。妻、つまり“奥さま”は、他のブルジョア奥さまとセレブ生活を満喫している。

この夫婦には、先代からのメイドがいて、“大奥さま”の慣習を貫き通し、“奥さま”とは部屋の模様替え等でモメごとが絶えない。また、朝食の茹で卵が“ご主人さま”の好み、3分半で作れない。結局、夫婦とケンカしてクビになる。
先代メイドは泣きじゃくり、メイド仲間は憤慨し、労働争議(?)を起こせ、と言うメイドもいたが、マリアは土産に持ってきたマラガのワインを先代メイドにふるまい、それで落ち着きが戻った先代メイドは、翌朝イナカの娘の所へ帰って行った。

このメイド達はもともとフランコ独裁政権から迫害を受け、出稼ぎを兼ねて(?)パリへ逃げて来た女性たち。労働争議を起こせ、と言ったメイドはスペイン戦争の時、人民戦線側だったのか、フランコ派に家族全員を虐殺されたらしい、何かにつけ資本主義を批判する。

メイドがいなくなったブルジョア夫婦宅は荒れ放題となり、“奥さま”はセレブ仲間から、「メイドはスペイン人がイイ」、と言われ、マリアが試用されることになった。

“奥さま”は「帰って来るまでに部屋をキレイに片付け、ベッドメイキングもキッチリ済ませるように」、などと言って出かける。
マリアはそれを、伯母とメイド達の助けを得て完璧に済ませる。
帰って来た“奥さま”は飾り棚の天板を掌でなぞって、完璧に掃除されたコトを確認する。
また“ご主人さま”は、3分半の茹で卵を指示し、マリアはそれも完璧に済ませる。

そしてマリアは正式に採用され、そのソツのない仕事ぶりにブルジョア夫婦は大満足。
確かに、髪を後ろに全て束ね、黒い制服に白いエプロンを付け、アゴを引き上目づかいで、“ご主人さま”と“奥さま”をキッと見つめ、その言いつけを聞く態度は、とてもステキだ。メイドと言う“職人”の矜持さえ感じる。
そして、報酬についてもマリアは媚びることなく、“ご主人さま”の申し出250フラン(?)に対してと400を要求、“ご主人さま”は、「紹介状付きでも250は高い方だ」、と言いながらも了解する。但し、“奥さま”に内緒でと言う条件付きで。

ブルジョア夫婦はマリアを信頼し、色々身の上話などもする。

“奥さま”は、「自分はイナカ娘で必死でイイ男をモノにしたかった」、とか言うような話をし、それに対しマリアは、「好きな男はいたが、ワタシをモノにしなかった男は自業自得」、などと応え、また“ご主人さま”は、「この広い豪華な部屋で生まれ、バカンスで妻子が出かける時もここで留守番、ズッとこの部屋にいる」、とか言う様な話をし、それに対しマリアは「若くして働き出し、ズッと狭い寮住まいだった」、などと応える。
“ご主人さま”は、マリアの部屋がみたい、と言い出し、マリアに連れられ狭い急な階段を登り、屋根裏部屋を訪れ、そこの住人を改めて認識する。
そして、そこの共同トイレが詰まり、汚物が溢れている状況を知り、修理屋を呼ぶ。
修理屋は修理対象が屋根裏部屋のキタナイ共同トイレだと知り、作業を渋るが、“ご主人さま”は「代金を倍払う」と言って修理させる。この事で“ご主人さま”はメイド達と親しくなる。

このブルジョアの“ご主人さま”は、いわゆる金持ちの人の良いボンボンらしく、その後も親族と連絡が取れないメイドの為に国際電話を掛けてやり、そのメイドは親族が無事出産したことを知ることが出来たり、夫に暴力を振るわれたメイドの為に、顧客の不動産の管理部屋を世話したり。それで、メイドからは“聖人”とか呼ばれる様になり、益々親しくなる。
そしてスペイン語を勉強したり、スペイン人が通う教会に行ってみたりする。

また、“奥さま”もマリアにフロの使用を許可し、それを知らない“ご主人さま”は、誰かが入っている様子のフロの扉を少し開け、鼻歌交じりでカラダを流しているマリアのナイスバディを覗き見、ウオッ。
それで発情したのかどうか、いきなり、久しぶりに(?)“奥さま”に鼻息荒く迫り、“奥さま”もまんざらでもなく2人は抱き合ってBed in、しかし翌日“ご主人さま”はdownしてしまう。
“奥さま”は、「しっかり世話してやって」、とマリアに言い残しセレブ仲間との集まりに出かける。
“ご主人さま”が、「牡蠣にあたった様だ」、とマリアに告げると、マリアは「私にお任せを」、と言ってメイド仲間に相談し、スペイン伝来の(?)不気味な飲み薬を作り、“ご主人さま”に飲ませる。
それで治った“ご主人さま”は、更にスペインのメイド達と親しくなる、と言うかマリアとスペインが大好きになる。

そんな中、ブルジョア夫婦は、広く豪華な部屋で証券会社の顧客やセレブ仲間を招いてパーティを開くが、その時に雇われたバーテンダーはいつもとは違う代役で、これがトンデモナイ女たらし。客に酒をサービスしながら、ツマミをサービスしているマリアを追いまわし、最後はパントリーでマリアに抱きつき接吻を迫ろうとする。
“ご主人さま”はそれを見逃さず、バーテンダーに金を払い追い出す。同時にマリアを責めるが、マリアはしたくてやったことではない。
結局ケンカ状態になり、マリアは、茹で卵が載った朝食トレーは“ご主人さま”の前にドン!と置いたりする。

マリアとのケンカ状態が続くまま、“ご主人さま”は帰宅途中、偶々メイド達と遭遇し、管理部屋を世話したメイドの転居祝いに強引に連れて行かれる。
しかし、この“スペイン流”パーティはとても楽しく、“ご主人さま”は大満足、途中で合流したマリアとも和解する。
ただ、“ご主人さま”はこの“寄り道”を、事前に“奥さま”に伝えていなかった。

あのセレブパーティに訪れた女性の中には、男を誘惑する事で有名な顧客がいて、その女性が書いた“ご主人さま”を誘ったメモを、“奥さま”は見つけていて、楽しい“寄り道”を過ごして帰って来た“ご主人さま”に、「彼女と一緒だったんでしょ」と問い詰める。
“ご主人さま”はメンドくさくなり、それを認めてしまい、“奥さま”から「ここを出ていけ」と言われる。

“ご主人さま”は翌朝、大きなトランクに荷物を詰め出て行こうとするが、外は大雨。
結局、ナント、メイド達が暮らしている屋根裏部屋に住みつくことになる。
朝起きて、メイド達が洗顔のため、洗面器に水を汲もうと出て来ると、“ご主人さま”が鼻歌交じりで髭を剃っている。唖然とするメイド達。
そして今まで通り自分がオーナーの証券会社に出勤する。

管理人の口うるさそうなオバサンは、メイド達の郵便物と一緒に“ご主人さま”の郵便物も最上階へ運ぶことになった。メイド達に混じってワイワイ言いながら“ご主人さま”も郵便物を受け取る。
管理人はその異常な状況を“奥さま”にチクる。

“奥さま”がその異常な状況を確認すべく、階段から見上げると、階上からメイド達と“ご主人さま”が、なにやら楽しそうにやっている様子がうかがえる。
我がダンナがまるで生まれ変わった様にいきいきと暮らしている様子を察し、“奥さま”はそんな生き方もアリかな、と思う様になる。
それは地位とか富とかこれまでの価値観から脱却し、自由になろうとしているダンナへのリスペクトすら感じる。
そもそもこの“奥さま”はイナカ娘、セレブ原理主義者(?)ではない、いわゆる“転向”した訳ではない。
そしてマリアには、洗濯だけはちゃんとしてやって、と指示する。

“ご主人さま”は屋根裏部屋へ帰ってきて、ワインをグラスに注ぎ、惣菜の様なモノを挟んだパンを頬張っている。その部屋は、ワタクシが15年前から3年弱過ごした、広島単身赴任でのウィークマンションより明らかに狭い。
しかし、当時のワタクシより明らかに楽しそうだ。

“ご主人さま”と“奥さま”には息子が二人いる。一人は額に汗する仕事をすると言い、一人は産婦人科医になると言って、曾祖父の証券会社を継ぐ気はない。だからと言って独立心旺盛なエナジーもなく、ただ好き放題言っているアマちゃんの感じなのだが、母親からこのオヤジの奇行を知らされて、屋根裏部屋を訪れる。
オヤジは、自分はあの豪華で広い部屋で生まれ、初めてそこを出た学生時は寄宿舎で、また戻ってきてズッとあの部屋に(囚われて?)いて、今回初めて自由になった、と息子達に告げる。息子達はボーゼンとするだけ。

“ご主人さま”とメイド達の仲は更に深まり、タンス預金にしているお金を投資するよう勧める。先進国の経済はまだまだ成長、膨張している時代、どこに投資しても損はしない。
メイド達は証券会社に招かれ、社員が唖然と見つめる前で、タンスに丸めて貯めていた札をバックから取り出し、お薦めの株などを買う。メイド達は投資家となり、人民戦線側で、いつも資本主義を批判していた女性もその仲間になる。
また、メイドの1人が結婚すると発表すると、ウェデングドレスをプレゼントすると言い、ワインセラーに保管してあった高級品を、お祝いパーティに差し出す。

ワインセラーでワインを選んでいる時、マリアは自分には8歳の息子がいて、養子に出していて、それは以前の“ご主人さま”との子ォで、それがバレてクビになった、と告白する。

古今東西、“ご主人さま”は美人のメイドに手を出すモノなのだ。メイド達も「“ご主人さま”の部屋のフロを借りていたら子供が出来た」などのヨタ話を飛ばしている。
男はビンボーでも美女には惚れ、女はブサイクでも金持ちには惚れる、ただそれだけのハナシ、アァアホクサ。

メイド達との楽しい屋根裏部屋生活が続く中、メイド達が何かの宗教行事に列車で行く事を知った“ご主人さま”は、「ボクが車を出そう」と言って、彼女達をシトロエンに乗せて連れて行く。
そして、帰りにピクニックを楽しむ。

川辺で皆と少し離れ、仲睦まじく散歩する“ご主人さま”とマリアを見て、マリアの伯母はとっておきの秘密をマリアに告げる。
それは、マリアの息子が養子先から寄宿舎に出された、と言う情報、「アンタに前と同じ失敗をさせないために」と、今になって話す理由も説明。

マリアは戻ると早速、“ご主人さま”の部屋から国際電話を掛け、息子の存在を確認、その様子を見た“奥さま”に事情を説明。“奥さま”はマリアがスペインへ戻り息子を引き取ることを理解する。

続いて“ご主人さま”へもそのことを説明しに行くが、“ご主人さま”の屋根裏部屋に入った途端、“ご主人さま”はマリアに鼻息荒く(?)迫り、結局マリアはヤラしてあげることになる。
まぁエエでしょ、今までマリアとメイド達にサンザン便宜を図って来た訳だから、“一発”ぐらいは。

そして“一発”ヤッた後、狭いペットでマリアと身を寄せながら、“ご主人さま”はこれからの、二人での計画を、昔のフランス国王とスペイン王女との結婚になぞらえて話しだす。
マリアは、それならば「まず、“ご主人さま”は本来の部屋に戻って下さい、新たな旅立ちはあの部屋からすべきです」、とか言う様な事を言って、服を着て出ていく。
結局、“ご主人さま”はマリアの事情、真意は知らないまま。

翌日“ご主人さま”は、会社の幹部へ自分が辞めることを告げ、皆が唖然とする中、後任人事等諸々を決めてしまう。
その後、花を抱えて帰って来た“ご主人さま”を、“奥さま”は歓喜をもって迎え、抱きつき直ぐにでもBed inすべく、ダンナの服を脱がそうとするが、ダンナの心はマリアに奪われている。
必死に妻が迫って来るのに抗いながら、「マリアが入ってきたらどうするんだ」と言うと、「マリアは出て行った」と妻に教えられる。
服をダラしなくはだけたまま、“ご主人さま”は階段を駆け上がり、マリアの屋根裏部屋を開けると、そこにはキレイに片付けられた空間があるだけ。
メイド達を問い詰めると、彼女達も「マリアは出て行った」と言うだけ。そして、“ご主人さま”への伝言は只一言、「忘れて」。
マリアに棄てられた“ご主人さま”、あぁナサケナ。

3年後、スペインの田舎道を赤いカブリオレで走る“ご主人さま”。
到着したのはマリアの伯母の完成間近の新築住居。ダンナが工事している。
このダンナは妻がパリへメイドとして出稼ぎ中、浮気していて、それがバレ、今はヨメハンからボロカスに言われ、こき使われている。
近くにはもう一人のメイドもいて、3人は楽しい再会のひと時を過ごす。
“ご主人さま”は、あの後、妻とは離婚し、妻は画家と再婚した、とか身の上話も彼女達にする。
そして、マリアの伯母に彼女の居所を尋ねるが、伯母は、知っていれば言うけど「知らない」と応える。

しかし、肩を落として帰ろうとする“ご主人さま”に、ヨメハンからボロカスに言われている伯母のダンナがコソッと近付き、マリアの居所を教えてくれる。「アイツは愛すると言う事が判らないのだ」と言い訳しながら。

直ぐ教えられた村へ行き、マリアの家を仕事中の若者に訊ねると、そこにマリアの息子がいた。
息子に連れられて行くと、マリアは物干し中。

振り向き“ご主人さま”を見つけると、表情は驚きと困惑、しかし、直ぐ微笑み直す。
これは、マリアが雇われ始めた頃、“ご主人さま”が洗濯物を干しているマリアに近付き、チョット手伝って、マリアは初めて微笑み返し、2人の“緊張”が融ける、そのシーンに重なっている。

そして映画はハッピィな未来を予感させて、オシマイ。

この映画の‘60年代から遡る‘30年代、スペインでは選挙で政権についた人民戦線に対し、フランコ将軍が軍事反乱を起こし、スペインは内乱状態になった。
ヘミングウェイやジョージ・オウエルは民兵として人民戦線側に参加した。
ロバート・キャパは人民戦線側から歴史に残る数々の写真を撮った。恋人はそのゴタゴタの中で死んでしまったけど。
しかし、ドイツやイタリアのファシスト政権から多大な支援を受けたのフランコ側が、最後は勝ち、多くの人民戦線側の人達、つまりプロレタリアートは数々の迫害を受けた。このパリのメイド達はその人達の仲間なンだろう。
そのプロレタリアート達メイドは約30年後、パリのブルジョア、金持ちの人の良いボンボンから色々施しを受ける。
まぁそれはそれでイイでしょ。
そして、美しいマリアに惚れて、祖父から続く証券会社を棄てる。これもこれでイイ。

地位とか富、既得権益やこれまでの価値観、そう言うモノを一切を捨てドロップアウト、こう言う生き方は、今では珍しくはないと思う。ワタクシの早期退職も、それに近かったと思う。大した地位、富を棄てた訳ではないけど。
しかし、人生の3/4からは、家族、社会から離れ(当然、地位と富は棄てて)、林に一人で住む、つまり林住期の考えは、インドに昔からあった。最近まで知らなかっただけ。
と言うか、高度成長期では知ったとしても、そんなアホなコト出来ヘン、と無視されるだけだったのだろう。

いずれにせよ、この“ご主人さま”のドロップアウトは、‘60年台ではかなり稀と言うか、ヤルなぁ、粋やなぁ、と言う感じがする。マリアをモノにするなら、ブルジョア生活を保ったまま、メカケとして囲う事も出来たハズだし。

ただ、この“ご主人さま”、地位とか富を“捨てた”、と言うより“売った”コトになるはず、少なくとも証券会社の株は、後継者に売りつけたはずだ。
つまり、引き続きブルジョア生活に近い暮らしは出来る、エエなぁ。しかし、これではドロップアウトと言えるのか。
また、離婚してもヨメハンは画家とキッチリ再婚してルし、“ご主人さま”にもマリアは微笑んでいる。
これ、要するに近年の熟年離婚物語でもない。只のハッピィな熟年“再婚”物語ではないか。

お独りさまでキチンと林住期を生きるワタクシは、そんな悪態をつきたくなった。

Imgp5198_4 これは最後のシーンで、元“ご主人さま”に微笑むマリア。まさにハッピィな未来を予感させる微笑み。

演じるのは‘75年にブエノスアイレスで生まれたナタリア・ベルベケと言う女優さん。エエですねぇ。
出来ましたら、次回は富も地位もなく、夢も希望もないブサイクなジジィが相手の、恋物語にでも出演してもらえば、と思いますけど。


部分入歯のその後-全ては淘汰され、長くやっていた方法が一番イイ

2013-09-11 13:03:53 | 朽ちゆく草の想い

5月連休明け、遂に入歯とのお付き合いが始まり4ヶ月程経った。

慣れたかと訊かれれば、慣れたと応えるが、密着していない“異物”を口の中に入れて咀嚼すると言う事は、やはり異様。口の中で食物と入歯がグッチャグッチャになっている。

そして、特にガシガシ噛んでいると、グッチャグッチャのモノが隙間に入り込んで痛くなり、それらを除去しないといけない。
食後は入れ歯を洗うよう言われていたが、この時も都度外して、洗い流すことになる。
しかしその後、口内のモノを極力呑みこんでから外して、しゃぶればイイことが判ったが、いずれにせよ人前では出来ません。キタナイしお行儀悪いし。食中のニンゲンの口の中はいかにキタナイものなのか、と言う事がよく判った。
そして最近、金属部だけを親指で浮かして、舌で外し、モゴモゴやってキレイにして、そのまま再装着するワザを編み出した。これなら口を塞いだまま出来るので、他人様に見られてもお行儀悪くありません。
再装着する時は、ソフトに噛まないと金属部がうまく嵌らないので、まだまだ練習しないといけないけど。

5月下旬、最終調整が終わった時、1ヶ月位後に少し沈んで当たるかも知れない、と歯医者のセンセから言われた。
しかし、約2ヶ月後の8月初めに痛くなった。沈んだ感覚は無かったが、明らかに5月初めに当たって痛かった時と同じだった。

早速、再調整。直ぐ痛みはなくなった。
「センセ、これからもまた沈んで痛くなるンですか?」
「エエ、また沈みますねぇ」
「するとその都度調整することになるンですか?」
「エエ、また調整せンといけませんねぇ」
「いずれはどこかでバランスとれて、オワリちゅうことにはなりませんノ?」
「イヤ、そう言うふうにはなりません、ドンドン沈んでいって、最後は作り替えです」
「確か、半年以内は保険効かン、言われてましたけど、これ要するに、半年間は作り替えるトコまで沈まンちゅうことですか」
「イヤイヤ、そんな早よ沈みませんよ、早くても1年位は使えますよ」
「ところでセンセ、入歯の歯茎に当たる部分、プラスチックじゃなくてエラスチックなものに出来ませんノ?当たっても痛くない様に」
「アアそれね、昔やったことあったンですが、結局ダメでした、総入れ歯でやったらしいンですが、やっぱり硬い素材でないとグラグラしてダメやったそうです」
「ナルホド、誰でも思いつくことかぁ」
「結局ね、長くやっていた方法が一番イイんですよ」、このセンセ、インプラントはやらないそうだ。
「ナルホド、結局全ては淘汰されている訳だ、よう判ります、以前から工業製品とかは淘汰されたと思てたンですけど、歯医者さんの世界も淘汰されてルちゅうことですかネ」
「まぁそう言う事ですね」

学校を卒業して最初に就職した船舶艤装品メーカーは、入社後数年で経営がヤバくなって、新たな経営者として冷蔵設備工事会社から入って来た専務サンは、メーカーは開発を続けないとスタれると言っていた。
しかし、経営者が替わっても何も開発出来ず、結局ますますスタれて、最後は本社の土地まで売却し、ワタクシは退職した。バブルが始まった頃だった。
船舶艤装業界に開発の余地などなく、全ては淘汰されていた。

再就職した特殊機械メーカーは、毎年増収増益を繰り返していて、経済誌が発表する利益額1万社(?)とかにランクインされていた。
その特殊機械は優れた機能、特徴を有し、同じ分野の汎用機に比べて数倍もの価格だったが、それでも売れた。経営TOPも営業TOPも、技術力で売っている、と言っていた。従業員もそう思っていた。
船舶艤装品は競合の世界だったので、安くしないと売れなかったが、高くても売れるこの特殊機械はスゴイ、と思った。そして開発にも力を入れていた。
しかし、それが汎用的に使われている業界向けでは競合があった。その時は半額以下でしか売れなかった。結局、船舶艤装品と同じだった。
また、開発提案を全社的に集めていたが、客先現場を知る営業が出す提案は出来ないモノが多く、客先現場を知らない経営陣、技術部が出す提案は売れないモノが多かった。
突拍子もない提案、常識を覆す提案も、最初は注目されたが結局はダメだった。
ワタクシも、私的試行品の標準採用、コアな部分の改善、新規基本構成等、色々提案したが、結局は出来なかったり、過去に一度やってダメだったモノが多かった。
ここでも開発の余地などほとんどなく、ほぼ淘汰されていた。

淘汰された分野、世界は他にも色々ある様に思う。

ワタクシ、政治や経済の世界はよく判りませんが、例えば、競争原理が好きで、争いもお好きで、“反”弱者の弁護士サンは、府知事や市長になられて新たな構想を出されたり、何かを変えてくれると期待されたが、その構想は中々具体化していかないようで、また民間から公募した区長や校長がセクハラ等色々問題を起こされていて、大体 “イシン” とか言う集まりには、巨大保守政党からスピンアウトした“ ゴンタクレ” も多いらしく、多分、「フツーにおとなしい庶民」に役に立つことは何もやらない様に思う。
彼らは既得権益に対する“改革” を声を大にして訴えていた様だが、結局、弱者にある既得権益に対してしか、“改革”出来ないのではないか、基本は“反”弱者だし、“改革”とか言うのも既に淘汰されていたりして。

そもそも明治維新とか言うのも、「フツーにおとなしい庶民」に対して、ありがたい“維新”だったのか、ワタクシ、よく判りません。
維新を進めた坂本竜馬、桂小五郎、西郷隆盛は早く亡くなり、藩が県になり、サムライは刀を差さなくなり、ちょん髷はザンバラ頭になり、文明開化とは言え王政復古で、士農工商はなくなったが、エタはとして差別されたままで、始まった選挙制度で投票できるのは一部の男だけで、テンノウと言う“ヒト”を“カミ”として国民全体で崇めさせるため、神仏習合から“仏”だけを消した、そんな感じでしたよねぇ。(ワタクシ、この時の廃仏毀釈で、ニホンジンの本来の“道徳”が消え始めたのではないか、と言う気がする)
歴史のコトよく知りませんが、これ要するに権力が徳川から薩長に移っただけ、「フツーにおとなしい庶民」にとっては何が新しく、ありがたかったのだろう。富国強兵で半世紀近く続いた戦争の時代に巻き込まれただけではないか、あぁアホクサ。

いずれにせよ、“維新”を名乗る人達に対して、「フツーにおとなしい庶民」は気を付けた方がイイと思う。まぁどうでもイイことですけど。

センセの調整で痛みは直ぐなくなったが、その後2回通った後、3週間後に最終確認するとかで、先週月曜日、なんとか忘れずに行った。
別の箇所がチョット当たる感覚があったが、「これはこのまま様子を見ましょ」
「ところで、ドンドン沈んでいって入歯は作り替え、と言われてましたけど、それ要するに入歯が被さっている山の部分、つまり歯茎は最後には無くなってしまう、と言う事ですかァ」
「イヤ、沈むと言ってもホンの僅か、骨の部分まで沈む前に死んでしまいます」、ナルホド。

いずれにせよ、痛くなくても6ヶ月後には定期健診に来ないといけない。歯医者さんとのお付き合いが欠かせないお年頃になった訳だ、死ぬまで。
何かの本(多分五木寛之センセ)に、ニンゲンの歯の耐用年数は50年と書いてあった。それを越えると歯医者さんとのお付き合いが欠かせないのはアタリマエだ。

しかしホントだろうか。
「統計的なそう言う論文があったのかも知れませんが、耐用年数と言うモノはありません。40歳で総入れ歯と言う人もいるし、また80歳で20本残す、と言う目標があってそれ以上残っているお年寄りもいます。しかし、長いコトやってて、平均的に50歳?55歳?と言われればそうかも知れない」

ここ数日、晩メシがナゼか美味く作れる。入歯でも美味く噛めている。アリガタイ。