蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

今期の滑り初め

2020-12-31 00:40:02 | 山とスキーでブラブラ

相変わらず、何もする気がない日が続く。毎日、ダルく、シンドく、眠たい。

しかし白馬方面では充分な積雪。約1時間、走ればスキーは出来る。それをするためにここへ移住したのだ。

 12/25、ダラダラ準備していたら、出発は11時前になった。

 今まで通りのペースで走っていたが、簗場辺りから急にノロノロし出し、駐車場着12時前。
昨年までは、シーズンパスの交換ハガキが送られてきて、それを持ってを受け取ったが、今年はQRコードがメールされてきて、それを受け取りで提示するか、印刷して持って行く形に替わってた。

しかし、ダルく、シンドく、眠たいワタクシはフツーに滑れるのか。

 結局、栂の森着13時過ぎ。相変わらずフラフラだが、取り合えず滑り出す。

しかしイキナリ、左の板が外れ転倒。しかもその後、中々トゥーピースがはまらない。ナンデ?

吹雪の中、よ~く見ると、氷の粒が詰まっていた。よ~く見ると直ぐ判る事だが、アタマがボケているので気付かなかったのだ。
キッチリ嵌めると、当然フツーに滑れた。さっきから左のエッジが掛かりずらかったが、それも解消した。

仕切り直しで、再度上まで登り、滑ったが、一応、今までのペースで滑れた。1つの斜面を大体30ターンしていたが、それも出来た。
しかし、30ターンでフウフウ、ゼイゼイ。それが中々収まらない。もう1往復するつもりだが、帰ることにした。
ナサケナイが、これでイイのだ。

なんとか今まで通り、一定のピッチ振幅で連続して滑れることは判った。取り合えずホッとした。
しかし、年内までにもう1回のつもりだったが、相変わらず、ダルく、シンドく、眠たく、ダメだった。また来年!とする。

とにかく何かしないと、また何もしなくなる。極力それは避けたい。

 


全て、安曇野で、納まったクリスマスイベント

2020-12-22 17:06:02 | 信州安曇野での出来事

 12/14、11時前から雪が降り出した。

 12/17朝、庭は全面、雪に覆われた。

今年は何もすることが無くなり、何もしなくなり、何もする気がなくなり、死んだようになってしまったが、クリスマスが近づくと、何もしないでは済まなくなった。
それは孫娘へのプレゼント。しかしそれは、ワタクシの気まぐれ。何の義務も義理もない、ただ唯一のクリスマスのイベントである。

彼女はワタクシのムスコの娘。
しかしムスコは彼女が生まれて直ぐ(?)離婚し、養育費との引き替えで定期的に会っているのだろうが、普段、彼女の家庭には父親がいない。所謂テテナシゴ、言う事になる。

何年か前のこの時期、そんな彼女が急に可哀そうになり、クリスマスプレゼントを贈ることにした。父方のジイジからのプレゼントが喜ばれるのかどうか、とにかくワタクシは元町のファミリアへ行った。
ファミリアは子供服の店だが、女子高生もチョットした小物を、そこで買っていると言うウワサを聞いた事もあり、恥ずかしながら、始めて店に入った。
事情を説明すると、それなら商品券がイイですよ、と言われ、ファミリアのクリスマス用の包装に包まれたプレゼントを彼女に送った。
数年後、ファミリアの経営が代わって、商品券は普通のモノになった。これではワザワザ元町のファミリアへ行く必要はなく、名谷のデパートで、何かのついでに入手すればイイだけ。クリスマスのイベントと言う雰囲気は薄まった。

安曇野に移住後は、松本のデパートまで行って、クリスマスカードと商品券を入手し送っていた。

しかし今年、近所にそのデパートの支店らしき店があるのに気が付いた。店は閑散としていたが、普通に商品券は手に入った。
次はクリスマスカード。これはいつも行くスーパーの中の¥100ショップにあった。毎年デパートで¥数100だったモノが、ホントに¥100+税だった。
クッション付きの封筒も¥100ショップにあった。

結局、繁華街に行く必要はなく、クリスマスのイベントは全て安曇野で納まった。

何か味気ない気もするが、そもそも何もすることがない、ワタクシの身勝手なイベント、それでヨカッタのかも知れない。


死んだように生きていたら、冬が来た

2020-12-10 19:11:03 | 信州安曇野での出来事

 12月に入って、小屋の周りはスッカリ枯れ落ちた。

3年前、ここに移住した時は、小屋を建てる時に伐採、伐根した幹、株が庭に積み上げられていた。それらの処理には別に費用が掛かる、と工務店から言われ、自分でヤルことにした。
幹は、薪ストーブを使っている工務店の設計者から、欲しいと言われ差し上げ、残ったのは小山ほどの切株。
それを解体し少しずつ燃やすことにしたが、幹と違って切株はカパッ、カパッと簡単に割れない。
神戸・布引谷の山の家で使っていた手斧では手に負えず、スウェーデン製とドイツ製のゴツイ大斧と電動チェーンソーをネットで購入。3年がかりで全て解体、焼却した。

そして今年はすることが無くなった。何もしなくても、誰も困らんのだから、それでイイ、と隣人の杣人・Мさんから言われ、気にせず、何もしなくなった。
深夜までチビチビ呑んで、昼前に目覚め、午後もウトウトしていると、何もくなくても直ぐ夜になる。
一応、炊事、洗濯、掃除はしているが、"一応"だ。そして何もしなくなると、何もする気がなくなる。誰も困らんのだから、それでイイのだ。

何もする気がなくなって、イスにドカッと沈み込むと、そのまま寝入ってしまう。それはとても心地イイ瞬間だ。何もしなくてイイ、と言う環境はナント気持ちがイイのか。
舶用艤装品メーカーと特殊機械メーカーで、あれせい、これせい、と言われ続け、ひたすらそれらに対応し、そのオカゲで客先からは大事にされ、当然グビにはならず、ン十年。これはそのご褒美なのだ。

しかし、気持ちイイからと言って、この様に毎日、毎日、寝入ってしまうのは、もう死んでいるのかも知れない。
死ぬと言うのは、日々の全ての悲しみ、苦しみから解放される訳でもあるので、気持ちイイのはアタリマエ。
そして死ぬと、生きていて得られるヨロコビとも、オサラバすることになる。
人生には、悲しみ、苦しみとヨロコビ、どちらが多いのか。
ボサノバの名曲には、「幸せは儚く、悲しみは果てしない」と言う歌詞がある。有名な映画の最初シーンにも、これが流れている。

いずれにせよ、何もする気がない生活には、心躍るヨロコビとか言うのはもうない。
今年は春以降、この様に何もせず、何の記憶もなく死んだように生きていた。

 12/5、雪が降った。

 12/7、燕の稜線もかなり雪に覆われた。雪遊びシーズンも直ぐだ。

しかし何もせずダラダラして過ごして、これまでの様に雪遊びが出来るのだろうか。