蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

世間は鬱になり、それはオモロイ

2020-04-18 19:20:43 | 朽ちゆく草の想い

 3/26の朝は、真冬の雪景色。

 水を含んだ重い雪との事で、重さに耐えきれなかった松の枝がアチコチで折れ落ちて、悲惨な姿を見せ散らかせている。
しかし暖冬だから、陽が上がるとすぐに融ける今年のパターン、昼過ぎ雪はほぼ無くなった。

ただ、栂の森ではまだスキーには充分残っているし、何なら今季初めてのシール登行をしてもイイか、一応まだ山スキーヤーだし。
そんなコトを思っていたら、4/8、緊急事態宣言とやらで栂池スキー場も終わってしまった。緊急事態の対象となる、首都圏や関西からの客が多いので、そう言うノからうつされたくない、と言うホンネらしい。ナルホド!
しかし、もともと客も少ない、緊急事態をキッカケに止めよう、と言うのがホントのホンネだと思う。

10年以上前、会社を早期退職して、山とスキーで遊び呆けることにしたが、行くのはウィークディ、当然フツーのカタギはお仕事なので、山もスキー場はガラガラ。
ワタクシは早割シニア向けシーズンパスを使っているので、リフト券を都度購入することはなく、スキー場に日銭を落とすことはない。休日にどれだけ賑わうのかは知らないが、いずれにせよ日銭が入るのは12月から5月の連休まで、4月になれば客もドンと減るので、1ヶ月程早く閉めても、大して売り上げ減にはならないハズだ。

10年以上前に会社を早期退職した頃も、長年の営業のクセで売り上げが気になっていた。それまで関係のなかった業種、業界など、要するに世間の売り上げが、気になった。
一人分の売り上げは自分の支払額なので、周りにいる客を数えれば、誰でも算出できる訳で、中にはそんな売り上げで商売が成り立つのか、というのもあって、余計なお世話だか、他人のフトコロを気にしていた。ヒマだったし。

そもそも就職する時には、売り上げを問われる営業職には、全く興味なく、営業を志望する同級生の気持ちが判らなかった。
学校を卒業して最初に入った舶用艤装品メーカーは経理課で、4年が経った頃、営業へ行けと言われた。それは経営が創業一族から冷凍設備メーカーに代わった時だった。
造船業業界は10年程前(?)から斜陽産業になりつつあり、そのメーカーも傾きかけ、創業一族は遂に冷凍設備メーカーに経営を売り渡した。

そして営業へ移籍して1年も経たない間に、大阪地区を担当する様指示があった。
大阪の工場には営業所があり、ベテランの課長は現役を退き、次の中堅はウラ営業がバレてクビになり、次のリーダーと目されていたホープは客を怒らせて営業をクビになり、要は大阪地区の営業体制はメチャクチャになっていた。
そんなメチャクチャな営業部署に放り込まれたのだが、そもそも会社自体が傾きかけていてメチャクチャだったので、どこの部署でもメチャクチャ、斜陽産業の造船業界にいる限り、同じなのだ。
営業になったが、売上がナンボなのかは、全く気にならなかった。と言うか、気にするヒマがなかった。
造船不況で数は減ったが、それなりに船は作られていて、客先との接触は多かった。要するに、あれせい、これせい、はよせい、と言うヤツで、「アリガトウゴザイマス」と言って、キッチリ済ますと、それじゃ次は、これ、あれ、とお話は続く。
要するに、お客さんが要求するコトをキッチリすると、ワケの判らん営業テクニックなどは必要なく、お話はズゥ~っと続くのだ。
ただ、キッチリ済ますのは中々シンドイ、よって売上がナンボなのか、気にするヒマはなかった。気にしなくてもシンドイ分、充分に売り上がるのだ。
しかし、充分に売り上がるのも、船がある限り。

そして、90年代終盤になって、遂に船がなくなり始めた。
人件費の安い、韓国、中国に次々と負け始め、この国の造船業界は更に傾いて行った。
「造船の様な“労働集約型”はいずれこうなる。」、昔から判ってたでしょ、という口ぶりで造船所も業者も、そう言った。
どこへ行っても不景気な話ばかり、皆サン元気なく「まぁ、仕方ないワなぁ」、と言うばかり。
もう売り上げは近い将来、無くなるのだ。

しかし、家に帰ると未就学の子供が二人いるし、低所得者救済マンションとも言うべき、安普請のローンもまだ30年ほど残っている。
ワタクシはあるツテで紹介された、特殊機械メーカーに転職した。

この特殊機械は、独特の機能、特徴、性能を備えていたが、価格が高かった。汎用機械の2~3倍、モノによっては10倍もした。
機能、特徴、性能がイイのだから価格が高いのはアタリマエ、なのでその価値を客先が理解すれば売上はあがる。
競合がほとんどなく、ハードネゴはなかった。「資材部の立場もあるので、チョットだけ安ゥして」と言うお願いはあったが、造船業界ではアタリマエだった「とにかく安ゥせい」という、強引なネゴはなかった。

ただ強引なネゴは、造船業界だけではなく、建築土木業界も同じ。「こんなモン、ブッ叩けばいくらでも安ウなるもんナンだよ」と、スーパーゼネコンのマネージャーは息巻いていた。
そのスーパーゼネコンは、大阪・堺の大手造船所から、アラスカ石油掘削基地の海上宿泊施設を丸請けしていた。
元請は造船所だが、造るのは船ではなく、海上ホテルのようなモノ、しかもルールはULとなっていて、堺の大手造船所を縄張りにしていた業者、メーカー等は全てギブアップ、逃げて行った。
ワタクシは取り合えず、そのゼネコンの事務所を訪ね、従来通りの営業をした。「UL認証は取ってませんが、USCGはあります、それで使えませんか」。
そもそもガチガチにスペック通りヤル必要はない。 同等品、代替品なども使い、 やり易い様にする方法もあるのだ。それはヤル側の交渉力だ。
結局、ゼネコンと相談しながら、建築試験場でテストをして、正式にUL認証は取らなかったが、
数千万の受注を獲得した。
そして、そのゼネコンに、ネゴでブッ叩かれることはなかった。スペックを確定する側で、ハナシを進めていたのだからアタリマエだ。

その後、造船業界の仕事は、想定通り徐々に無くなっていき、ワタクシは造船業界からオサラバした。
と言うか、中韓とのコスト競争に勝てなかった造船業界の方が、経済の舞台からオサラバした、そんな感じだった、と思う。

勇ましく「とにかく安ゥせい」と言っていた造船業界は長年、エネルギー溢れる"躁"の状態だった。

しかし、そもそも人間社会は、"躁"状態は続くとシンドくなるし、飽きて来るのだろう。そして、出来れば、何かのキッカケで辞めてしまいたい、造船業界はいつしかそう考えるようになっていった、そんな気がする。
中韓にコストで負け出すと、それをキッカケに「まぁ、仕方ないワなぁ」となり、大阪・堺の大手造船所に久しぶりにやって来た大型物件は、ルールがULだと判明すると、それをキッカケに、ほぼ全業者は商売を諦め逃げて行った。
その状況は、どう考えても
“鬱”だった。

そしてワタクシは、最近の世間もその当時と同じ“鬱”を感じる。
緊急事態宣言され、世間は自粛、自粛で、売上ゼロが何軒もあるらしい。数か月続けば年間売り上げは2~3割ダウン。これは企業としてはオオゴトだ。会社、ツブレてまうでぇ。

ワタクシが造船業界からオサラバした90年代後半、「とにかく安ゥせい」と言っていたのは、造船所やゼネコンのエラッそうにしていた、資材のヤカラだけではなかった。
世間も、つまり我々一般消費者も「とにかく安ゥせい」と言っていた。

その後、あらゆる商品がドンドン安くなり、結果として店にはメイドインチャイナが並んだ。
安モンの店も、専門店も、ことごとくメイドインチャイナで、世間つまり資本主義はそれで満足した。ナンセ安いのだ。モンク言いようがない。
そして、安くても充分に使えるし、品不足はなく、こんなスゴイ"この世の春"はなかったと思う。

しかし、競争原理が絶対的な資本主義は、"この世の春"が全般に訪れてはダメなのだろう。“この夜の春"は自分だけに来ないとダメなのだ。

そう言う競争を続け、全てを安くした資本主義が、この21世紀に、売上がゼロになって、ワタクシはオモロイ。他人様の売り上げを気にしていたが、非常に、オモロイ状況だ。
しかもキッカケはパンデミックなウイルスなのだ。

これらがキッカケとにり、この世間は“鬱”になった。オモロイ。

 4/16、まだ稜線には充分な雪、周辺は自粛要請がないのに誰もいない。

ヘンなウィルスには罹りようがない、安曇野の森。