蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

久し振りの、世間との会話

2021-11-19 18:50:44 | 朽ちゆく草の想い

 11月になって、今年も庭に"落ち葉の絨毯"が、敷き詰められた。 

 見上げると黄葉が眩しい。ホッとする秋景色。

リクライニングシートにカラダを沈め、眺めていると、このまま死んでもイイか、とも思う。
今はもう税金も年金も払っていない、"お上"にとっては、何の価値もないニンゲンなンだろう。しかしシブトク生きている。

ふと気づくと、窓枠の端を横切る"頭"が二つ。よく見ると、作業服姿の若い男女。庭を横切り南側の私道から、ススキが茂った空き地へ入っていく。
「ナンヤ、アイツら?」、表に出ると、北側の公道に安曇野市のライトバンが止まっている。要するに市役所の職員らしい。

ヤツらは、東側の私有地の庭を巡り、戻って来た。
「スイマセン、直ぐ動かします」、確かにそこに停められると、隣のМさんもお出かけ出来ない。
「いや今はジャマにはならンけど、でもこの辺、柵や門はないけど、ヒトの敷地やから勝手にズカズカ入るのはマズいよぅ」
「スイマセン、松枯れの木ぃ、調べてましてぇ、住民から連絡があってぇ」、と地図を見せた。
ウチの北側と東側の2本は判ったそうだが、南側の空き地の外れにある木が判らないらしい。

何もすることがないヒマなワタクシ、頼まれもしなかったが、一緒に探した。
「多分、アレだと思うンですけど」、それは南側の別荘の南端にあった。
しかし私有地にある木を、他人からの連絡で市役所が処理できるンだろうか。

まぁ、ウチの北側の1本が枯れ朽ちて、この小屋に倒れてきても、屋根の端が一部ヘコムむだけなので、気にしないことにする。
木に囲まれて生きていくというのは、そう言う事なのだ。

ここは別荘地、普段は人がいない。ほとんど会話はない。よってこの市職員の訪問は、久しぶりの会話になった。
現役時代は営業であり、客と喋らないとモノは売れない。要は喋るのが仕事、しかしベラベラ喋るのは好きではなかった。
独り暮らしは20年近くなり、仕事を辞めて10年程、その間ほとんど会話はしていない。よってこの時の会話はホントに久しぶりだった。
ワタクシが神戸から5年前、ここに移住したと言うと、女性の職員は、昨年、兵庫県から来たと言う。
「豊岡にいました」、オネエチャンとの会話も久しぶりだ。ナンカ楽しい。

まぁなんとか、楽しく世間と会話は出来るらしい。

 

 


モウロクジジイのお騒がせ

2021-09-26 23:28:21 | 朽ちゆく草の想い

 先週、松本の銀行へ行って、溜っていた未記帳分を付け込んだ。ほとんど年金の振込とクレジット会社への支出なのだが、2月に損保会社への20万強の出金があった。

損保会社となると、火災保険のハズ。しかしここの火災保険は別の会社だった。ナンヤ、これは!!!
詐欺?不正?、毎日が平和過ぎて、ヘンな疑惑がよぎる。

しかし、火災保険となると、神戸・垂水のマンションかも知れない。今は配偶者しか住んでいないが、所有者はワタクシなのだ。
取り合えず、メールしてみた。

しかし、届かない。配偶者とは長年、やり取りがない。生きているとは、思う。

仕方なく娘にメールし、転送を頼んだ。
直ぐに配偶者からTELがあり、「知らん」、請求あれば、都度チャンと振り込んでいる、との事。

損保会社に確認するのが早いが、相手は大所帯、どこが担当なのかも判らない。

取り合えずネットを見た。中身は保険商品の案内ばかり。
そして最後に、相談窓口が載っていて、そこへTEL。

出て来たオネエサんは、「お手元に証券はありますか?」、「イヤ、契約してルかどうか、も判りませんネン」、「お名前は?」
てな具合でやり取りをして、即、"正体"判明。

5年分の自動車保険だった。

調べると、昨年12月の振替依頼書も出て来た。その時の書類も全てあった。

程なく損保会社の、先程のオネエサンからまたTELあり、証券がないのならコピィでも送りましょうか?、との事。
「全て判りました、お騒がせしました」と平謝り。

何をしているのか、ワタクシは。
タダのモウロクジジイのお騒がせだった。嗚呼、ナサケナイ。


預金通帳の新規作成に、手数料を取られる時代になったらしい

2021-09-18 00:11:43 | 朽ちゆく草の想い

 

今や、ワタクシの世間への支払いは、ほぼクレジット。
クレジットなので、キャッシュレスだが、どこからもモンクが出ないので、チャンと支払い出来ているのだろう。

要はかなり前から、現金で支払う機会がほとんどない。手元にお金が無くても生きていける、ある意味ヘンな時代だ。

そもそも欲しいモノはもうない。ここに移住して5年目、必要な設備、装備はすべて揃えて、その後何かが壊れて、新替えもない。金は要らない。

しかし食費とか電気ガス代もクレジットなので、確実に預金は減っている訳で、定期的に記帳はすべき。
郵貯と地元の八十二銀行は、買い出しのついでに出来るが、ミズホは松本にしか店がない。まぁネットで状況は判るのだが、それも古いデータは表示できない様子。
という事で、気が向いた時期に松本のミズホに行く。 

先月、数ヶ月振りに松本へ行って、未記帳分を付け込んだが、通帳が一杯になってしまった。
窓口で新替えすればいいのが、15時を過ぎており窓口は閉まっていて、出直し。
そしてその時、CD機の画面に、通帳の新発行には、手数料千円程が掛かる、と出た。通帳が有償?、ナンヤそれ、ふざけんな!!!

この通帳を作った時、ワタクシは船室艤装金物メーカーの経理にいた。この会社は川重の協力工場になっていて、その関係でメインバンクは第一勧銀。
売上は当座預金に入るので、金利が付く通知預金に移すのが、経理の仕事。
下っ端のワタクシは、言われるがまま毎日、第一勧銀とその他、神戸の栄町通りにある銀行へ通った。
そして、給与は現金支払から口座振込に代わる時代。新入社員が入る度に彼らの通帳作りも経理の仕事。
銀行も新規預金者獲得に躍起で、通帳作りは大歓迎。
それから40年以上経ち、通帳作りが有償になった。

まぁ世間の殆どのゼニが銀行へ入り、そこから出て行くシステムで出来上がっているので、全ては銀行の取りたい放題。
そしてわずかな手数料を寄せ集め生きているのが、銀行なのだ。あぁナサケない輩たち。

まぁワタクシも、僅かなお金を預けてるだけ。要するに関係ない。
ただ社会人になった時に関わった業界なので、アホクサイ親近感はあった。

しかし40年以上前に数年関わっただけ、新しく通帳を作ることも今はない。 もうどうでもイイ。

 

 


世間は鬱になり、それはオモロイ

2020-04-18 19:20:43 | 朽ちゆく草の想い

 3/26の朝は、真冬の雪景色。

 水を含んだ重い雪との事で、重さに耐えきれなかった松の枝がアチコチで折れ落ちて、悲惨な姿を見せ散らかせている。
しかし暖冬だから、陽が上がるとすぐに融ける今年のパターン、昼過ぎ雪はほぼ無くなった。

ただ、栂の森ではまだスキーには充分残っているし、何なら今季初めてのシール登行をしてもイイか、一応まだ山スキーヤーだし。
そんなコトを思っていたら、4/8、緊急事態宣言とやらで栂池スキー場も終わってしまった。緊急事態の対象となる、首都圏や関西からの客が多いので、そう言うノからうつされたくない、と言うホンネらしい。ナルホド!
しかし、もともと客も少ない、緊急事態をキッカケに止めよう、と言うのがホントのホンネだと思う。

10年以上前、会社を早期退職して、山とスキーで遊び呆けることにしたが、行くのはウィークディ、当然フツーのカタギはお仕事なので、山もスキー場はガラガラ。
ワタクシは早割シニア向けシーズンパスを使っているので、リフト券を都度購入することはなく、スキー場に日銭を落とすことはない。休日にどれだけ賑わうのかは知らないが、いずれにせよ日銭が入るのは12月から5月の連休まで、4月になれば客もドンと減るので、1ヶ月程早く閉めても、大して売り上げ減にはならないハズだ。

10年以上前に会社を早期退職した頃も、長年の営業のクセで売り上げが気になっていた。それまで関係のなかった業種、業界など、要するに世間の売り上げが、気になった。
一人分の売り上げは自分の支払額なので、周りにいる客を数えれば、誰でも算出できる訳で、中にはそんな売り上げで商売が成り立つのか、というのもあって、余計なお世話だか、他人のフトコロを気にしていた。ヒマだったし。

そもそも就職する時には、売り上げを問われる営業職には、全く興味なく、営業を志望する同級生の気持ちが判らなかった。
学校を卒業して最初に入った舶用艤装品メーカーは経理課で、4年が経った頃、営業へ行けと言われた。それは経営が創業一族から冷凍設備メーカーに代わった時だった。
造船業業界は10年程前(?)から斜陽産業になりつつあり、そのメーカーも傾きかけ、創業一族は遂に冷凍設備メーカーに経営を売り渡した。

そして営業へ移籍して1年も経たない間に、大阪地区を担当する様指示があった。
大阪の工場には営業所があり、ベテランの課長は現役を退き、次の中堅はウラ営業がバレてクビになり、次のリーダーと目されていたホープは客を怒らせて営業をクビになり、要は大阪地区の営業体制はメチャクチャになっていた。
そんなメチャクチャな営業部署に放り込まれたのだが、そもそも会社自体が傾きかけていてメチャクチャだったので、どこの部署でもメチャクチャ、斜陽産業の造船業界にいる限り、同じなのだ。
営業になったが、売上がナンボなのかは、全く気にならなかった。と言うか、気にするヒマがなかった。
造船不況で数は減ったが、それなりに船は作られていて、客先との接触は多かった。要するに、あれせい、これせい、はよせい、と言うヤツで、「アリガトウゴザイマス」と言って、キッチリ済ますと、それじゃ次は、これ、あれ、とお話は続く。
要するに、お客さんが要求するコトをキッチリすると、ワケの判らん営業テクニックなどは必要なく、お話はズゥ~っと続くのだ。
ただ、キッチリ済ますのは中々シンドイ、よって売上がナンボなのか、気にするヒマはなかった。気にしなくてもシンドイ分、充分に売り上がるのだ。
しかし、充分に売り上がるのも、船がある限り。

そして、90年代終盤になって、遂に船がなくなり始めた。
人件費の安い、韓国、中国に次々と負け始め、この国の造船業界は更に傾いて行った。
「造船の様な“労働集約型”はいずれこうなる。」、昔から判ってたでしょ、という口ぶりで造船所も業者も、そう言った。
どこへ行っても不景気な話ばかり、皆サン元気なく「まぁ、仕方ないワなぁ」、と言うばかり。
もう売り上げは近い将来、無くなるのだ。

しかし、家に帰ると未就学の子供が二人いるし、低所得者救済マンションとも言うべき、安普請のローンもまだ30年ほど残っている。
ワタクシはあるツテで紹介された、特殊機械メーカーに転職した。

この特殊機械は、独特の機能、特徴、性能を備えていたが、価格が高かった。汎用機械の2~3倍、モノによっては10倍もした。
機能、特徴、性能がイイのだから価格が高いのはアタリマエ、なのでその価値を客先が理解すれば売上はあがる。
競合がほとんどなく、ハードネゴはなかった。「資材部の立場もあるので、チョットだけ安ゥして」と言うお願いはあったが、造船業界ではアタリマエだった「とにかく安ゥせい」という、強引なネゴはなかった。

ただ強引なネゴは、造船業界だけではなく、建築土木業界も同じ。「こんなモン、ブッ叩けばいくらでも安ウなるもんナンだよ」と、スーパーゼネコンのマネージャーは息巻いていた。
そのスーパーゼネコンは、大阪・堺の大手造船所から、アラスカ石油掘削基地の海上宿泊施設を丸請けしていた。
元請は造船所だが、造るのは船ではなく、海上ホテルのようなモノ、しかもルールはULとなっていて、堺の大手造船所を縄張りにしていた業者、メーカー等は全てギブアップ、逃げて行った。
ワタクシは取り合えず、そのゼネコンの事務所を訪ね、従来通りの営業をした。「UL認証は取ってませんが、USCGはあります、それで使えませんか」。
そもそもガチガチにスペック通りヤル必要はない。 同等品、代替品なども使い、 やり易い様にする方法もあるのだ。それはヤル側の交渉力だ。
結局、ゼネコンと相談しながら、建築試験場でテストをして、正式にUL認証は取らなかったが、
数千万の受注を獲得した。
そして、そのゼネコンに、ネゴでブッ叩かれることはなかった。スペックを確定する側で、ハナシを進めていたのだからアタリマエだ。

その後、造船業界の仕事は、想定通り徐々に無くなっていき、ワタクシは造船業界からオサラバした。
と言うか、中韓とのコスト競争に勝てなかった造船業界の方が、経済の舞台からオサラバした、そんな感じだった、と思う。

勇ましく「とにかく安ゥせい」と言っていた造船業界は長年、エネルギー溢れる"躁"の状態だった。

しかし、そもそも人間社会は、"躁"状態は続くとシンドくなるし、飽きて来るのだろう。そして、出来れば、何かのキッカケで辞めてしまいたい、造船業界はいつしかそう考えるようになっていった、そんな気がする。
中韓にコストで負け出すと、それをキッカケに「まぁ、仕方ないワなぁ」となり、大阪・堺の大手造船所に久しぶりにやって来た大型物件は、ルールがULだと判明すると、それをキッカケに、ほぼ全業者は商売を諦め逃げて行った。
その状況は、どう考えても
“鬱”だった。

そしてワタクシは、最近の世間もその当時と同じ“鬱”を感じる。
緊急事態宣言され、世間は自粛、自粛で、売上ゼロが何軒もあるらしい。数か月続けば年間売り上げは2~3割ダウン。これは企業としてはオオゴトだ。会社、ツブレてまうでぇ。

ワタクシが造船業界からオサラバした90年代後半、「とにかく安ゥせい」と言っていたのは、造船所やゼネコンのエラッそうにしていた、資材のヤカラだけではなかった。
世間も、つまり我々一般消費者も「とにかく安ゥせい」と言っていた。

その後、あらゆる商品がドンドン安くなり、結果として店にはメイドインチャイナが並んだ。
安モンの店も、専門店も、ことごとくメイドインチャイナで、世間つまり資本主義はそれで満足した。ナンセ安いのだ。モンク言いようがない。
そして、安くても充分に使えるし、品不足はなく、こんなスゴイ"この世の春"はなかったと思う。

しかし、競争原理が絶対的な資本主義は、"この世の春"が全般に訪れてはダメなのだろう。“この夜の春"は自分だけに来ないとダメなのだ。

そう言う競争を続け、全てを安くした資本主義が、この21世紀に、売上がゼロになって、ワタクシはオモロイ。他人様の売り上げを気にしていたが、非常に、オモロイ状況だ。
しかもキッカケはパンデミックなウイルスなのだ。

これらがキッカケとにり、この世間は“鬱”になった。オモロイ。

 4/16、まだ稜線には充分な雪、周辺は自粛要請がないのに誰もいない。

ヘンなウィルスには罹りようがない、安曇野の森。


安曇野へ来て、仏を拝む習慣が始まった

2019-09-27 16:17:02 | 朽ちゆく草の想い

一昨年の9月、叔母が亡くなった。安曇野への完全引っ越しが終わり、約4ヶ月経っていた。

神戸で棚に入っていたモノは棚に納め、床に積んでいたモノは、新たに作った棚に納め、荷物はほぼ片付いて、晴れた日は、この地に生えていて、小屋を建てる為に伐採された切株を、セッセと片付けていた。

叔母は生涯未婚で、妹はワタクシが生まれる2年前、亡くなっていて、姉には息子が一人、つまり叔母の葬式をして、後を祀るのは姉の息子のワタクシ。

母の実家は浄土真宗、ウチは浄土宗。しかしウチのお寺のセンセは、オヤジの法事などで叔母とは顔見知り、なので葬式からそのセンセにお願いした。親鸞サンは法然サンの弟子だし、同じナムアミダブツだし、まぁエエやろ、と勝手な判断。

納骨が終わり、翌日お寺へお布施を持って行って、「信州に戻ったら、叔母と一緒に、祖母ともう一人の叔母も祀らなあきませんネン」、と二人の戒名を書いた紙を見せると、センセの奥さんは、「そやったら、ウチでも過去帳に控えときますワ」と言われ、それをコピィして下さった。
この二人が亡くなってから50年以上は経っていたので、叔母とオフクロはいずれかの時点で、永代供養とやらを済ましていたと思うが、まぁこのお寺で拝んでもらっても、誰も怒らんやろ、と思った。どうせワタクシが生きている、後20年程のハナシだし。

安曇野に帰ってからは、毎朝、仏壇のホコリを拭い、茶器の水を入れ替え、ローソクと線香に火を点け、念仏十念。

しかし自分が祀る、とエラそうに言ったものの、水とローソクと線香だけでは見ずぼらしい、味気ない。取り合えず花とお供えをレギュラーに加えた。

ただスーパーで売っている花がデカイ。確か神戸のスーパーには仏壇用(?)の花が売っていた。仏壇とセットの花瓶に丁度イイ大きさだった。それがこっちにはない。
そもそもこっちのスーパーでは全てが大家族用(?)、神戸にあった様な少量パックとかいうのがない。
仕方なく、一番小さいのを買って、毎回、茎の部分をカットした。

近くに“イオンのディスカウントスーパー”とか言う、大きいスーパーがある。
しかし、ワタクシの購入量はお独りサマ様分、ごく少量なので、どれだけのディスカウントになるのか、よく判らないが、こっちの人は皆サン、ドカッと買って、段ボールに詰めて、軽四に積んで帰って行く。
売り場では、モノが段ボールに入ったままで並べられている。その反面、時々品切れがあって、前週まであったモノが、ゴソッとなくなっていることもある。
要は大量仕入れで、仕入れがない時はない。ディスカウントスーパーと言うのはそういうモノなのか。
そもそも市場がないのだから、ディスカウントスーパーが出来て、品種が少なくても、モノが手に入れば、それでイイという訳か。

ただ工場で大量生産されるモノ、と言うか大量生産しかできないモノはそれでイイと思うが、ヤサイ類はチョット違うのではないか、と思う。信州のタンボ、畑に囲まれたスーパーに、大量仕入れの県外(時々国外)
のヤサイが並べられている。これはナンカ気持ちが悪い。

という事で、ヤサイ類の調達は道の駅、JAの直売所へ行くことにした。
そこには野菜以外に、周辺にある和菓子屋、洋菓子屋のモノもあった。いずれも
信州の素朴な作品と言った感じがイイ。
直売所には当然花もあって、要は仏壇を飾るモノも直売所で調達できる。ただ花がスーパーよりデカイ。茎の部分をかなりカットしないといけない。

叔母の3回忌、お供えは小谷村産のチーズケーキと松川村産の巨峰。乳製品をホトケサンに備えていいのかどうかまでは、気にしなかった。

そして花も松川村産。この花が特にデカかった、まさに花束。

「あのォ、スイマセンがこの花、仏壇に供える位の大きさノん、ありません?」と、カウンターのオバサン(と言うかオバアサン)に訊いた。二人のオバサン(と言うかオバアサン)は、あれこれ相談しながら、花束を半分の大きさにカット、二つに分けてくれた。