蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

12年振りのハチ北

2011-01-30 01:40:14 | 山とスキーでブラブラ

一昨日はハチ北へスキーに。

12年前、そろそろ日本のオートルートとか言われる 山スキーコースへ行っておこうと思った。 お付き合いしてくれる仲間はいないが、一応 山スキーヤーだし、体力落ちる前に行っておかないと。
立山・室堂から薬師岳、槍ケ岳を越え上高地までのこのコース、登ったり滑ったりの繰り返し、登る体力は当然いるが、上手く滑れないと面白くない。
少しばかり上手くなっておこうと、ハチ北へ何度かスキートレーニング、12年前の冬。
しかし、初めての4駆+スタッドレスで雪道を走りたかったこともある。 金曜日、単身赴任先から帰って来て、大雪警報の土曜日、ワクワクしてハチ北通い。

しかしその後、ご無沙汰していた。

7時出発、R175、山南から氷上へ抜け、青垣から北近畿豊岡道で和田山。R9は除雪されていたがハチ北口から駐車場までの約8キロはスタッドレスが本領を発揮し、10時半着。 ウィークディだからか、車はまばら。 雪は降り続いている。

ハチの山頂はほぼホワイトアウト。Imgp2417

北壁は全面新雪。左沿いのコースの中間あたり(アルペンコース?)もほぼ新雪。その他、特にコースを外れなくても新雪が楽しめた。

今日は村岡小学校のスキー教室(?)。 子供たちはゼッケン付けて一生懸命スキーレッスン、休憩室へ入ると付き添いのお母さん達、ダペっていた。

右沿いのコース(スカイロード?~中央ゲレンデ)、真ん中のコース(北壁~中央ゲレンデ)、左沿いのコース(樹氷コース?~アルペンコース)を順番に3回ずつ滑って14時半。

アルペンコースの上部からやっと下界が見えた。Imgp2418

アルペンコースを下りきった所にあった食堂はなくなっていた。またアルペンコースから中央ゲレンデに出た所に食堂兼ロッジがあったはずだが、それもなくなって整地されていた。
しかし、客が減って、店閉めても、放置されているのではなく、きれいに撤去されていて、チョット感心。

そろそろ飽きてきたので、右沿いのコースをもう1回滑って駐車場へ。 5時間ほとんど滑っていた。

まぁまぁ満足な一日でした。


スキーは儲からない

2011-01-25 22:07:52 | 山とスキーでブラブラ

3年前からお世話になっている栂池の民宿、先週は貸し切りだった。5時から広い風呂に入り、6時から広い食堂で夕食、「たった一人の為にスイマセンねぇ」
宿のオカミサン、「イエイエ、ゆっくりしていって下さい」

しかし、今週は泊れない、保育園児に占領されるからだ。毎年、恒例のスキー保育。一度遭遇した事があったが、風呂も食堂も廊下も、もういたる所、幼児が走りまわっていた。
この民宿はウィークディに一人/一室で泊ると、二食付いてたったの6千円。 ワタクシが貸し切っていては長続きません、たまには満室で繁盛してもらわないと。

宿のご主人、「申し訳ないですねぇ、この後はまたしばらく空いてますので」
「とんでもない、また翌週からお願いします」

今年から各室のTVは地デジに替っていて、トイレの一部にウォッシュレットが追加されていたが、料金据え置き。
「その分、値段、上げたらエエですやン」
オカミサン、「いや、建物古いし、汚いし上げられませんよ」

確かに、古くて汚い、と言われればそうかも知れない。しかし、こっちは一日雪と遊び呆けた後、風呂に入れて、酒呑みながらゆっくり夕食とれて、温かい部屋で寝れれば充分。

3年前、会社辞めて信州スキー場通いをしよう、と早速以前宿泊したことがあるロッジに予約を入れた。
しかし、ナント週末中心の営業なのウィークディはダメ。  次に連絡したのはオーナーの趣味が写真とかの洒落た和風の宿。 しかし一人はダメ。
その後手当たり次第に何軒かに問い合わせたが、どこも同じような状況でオコトワリ。
最近スキー客は減っている。 宿も客の少ないウィークディは閉める、効率の悪い一人客は断る、当然の成り行きだ。

しかしこの宿、「あのぅ、一人で火曜から木曜まで3泊、イイですか?」
「はい、いいですよ、食事はどうします?」
「当然、要りますッ」
「最近はコンビニで買ってきたり、隣のラーメン屋で済ましたりする人多いンですよ」
「そうですか。いや他の宿、何軒かあたったンですが、ウィークディはダメ、一人はダメと言われ困ってました、毎週でも通いたいンですが、いいですか」
「エエいいですよ、ただでさえお客、少ないのに、断るなんてどう言う気なンだろう」

と言う事で3年間、二十日以上泊めてもらっている。 古くで汚い、と宿の女将さんは言うが、この人の料理は美味い。 色々工夫もされていて、量も充分。 時々娘さんが作られるケーキも美味い。 栂池のメイン通りに面していて、ゴンドラにも直ぐ乗れる。スキー宿としては申し分ない。

今年4年目、我が定宿は今まで通り、ワタクシの雪遊びを支えて頂いている。

しかし、向かいの宿はズッとカーテンが閉まったまま。 その宿は、北アルプス北部に何軒かの山小屋を経営している有名な会社がやっていたはず、以前から “ 山渓 ” の付録、山の便利手帳の宿泊宿リストにも載っている。
「お向かいはもうヤメたンですかぁ」
「そうなのよぅ、お客サン少なくて。ウチ見たいに家族でやっていないから、やるとなるとコックさんも何人か雇わないとダメだし、全館暖房もしないといけないし。儲からないンで、東京で経営見てる人達が判断したらしいよぅ」
「しかし、ここ、栂池のメイン通りですよぅ」
「ホントに寂しくなったねぇ、ウチの裏もヤメたし」

確かに、ゲレンデはガラガラだ。 リフトにはズッ~と前まで誰も乗っていない、後ろを振り返っても誰もいない、そんな事も度々ある。 これはウィークディだからと思っていた。
しかし、スキー客は全盛期の1/3に減ったらしい。もう何年も前からその低値安定しているとか。
土日祝日しかリフトを動かさないスキー場もあるそうだ。それどころか、御嶽山のスキー場は今年から営業停止。
「この辺りも外人客が来なければ既に終わっていたかも知れない」、昨春、小日向の湯から栂池駐車場まで戻るタクシーの中で、都会を出て岩岳の村に住みついた運転手さんはそう言っていた。

今年はこの国にスキーが伝来して100年になるらしい。
そして今、ある統計によると休眠スキーヤーは400万人以上いるらしい。
スキー発祥100周年委員会なるモノが出来て、この400万人をどうやってゲレンデに戻って来させるか、スキー文化の再興を目指すらしい。

しかし、もうイイでしょ。 そんなに沢山の人がスキーしなくても。 そもそも人がいなくてイイ場所に大ぜいでやって来て遊んでいるだけだし。
1/3に減ったと言っても、その分母の数値はバブルの頃の客数だったはず。 大体、何も生産しない業界なのだから、そんなに儲かるはずがない。

いつも帰り寄るお酒やサンには、今年もありました、この時期だけの “ 小谷錦 ”。
「いつもあちこちで立ってル、『小谷錦あります』のノボリ、今年見なかったンでどうなっているか、と思ってたンですよ」
「あッ、いつもありがとうございます」
ここのオバサン(と、言ってもワタクシより若い?)、冬しか来ないのにワタクシを憶えている。
「お客さん減って、土産モン屋さんも大分、店仕舞いした様なんですよぅ、落倉のお酒屋サンも閉めた様だし」
「しかし、お宅はやってますヤン」
「ウチも儲からないけど、ガンバってるだけですよぅ、偶ぁにでも白馬へ来たら必ず寄ってくれるお客サンいるし、アハハ、」
ハイ、ワタクシもその一人です。

その酒屋の駐車場から五竜岳が綺麗に見えた。Imgp2413


信州・栂池通い、 2回目の報告

2011-01-23 22:03:20 | 山とスキーでブラブラ

明らかに、前週より雪は増えていた。

名神の多賀SAはもう立派な積雪だったが、除雪が行きと届いておらず、とんでもないスペースに車が停められていたりしていた。
その後、中央道・駒ケ岳SAに着くと、除雪は完璧。しかし、ガラガラの普通車スペースに大型トラックが堂々と2台もナナメに停まっていて、まぁ色んな停め方、何と言うオギョウギ。

南大町手前から蓮華大橋、木崎湖入口へ抜ける大町市街のう回路は、完全に雪に覆われていて皆さんノロノロ、前週同じ10時過ぎ、定宿着。

18日は馬の背とハンノ木を3回滑って、19日。天気が今一つ優れない、朝飯の後、本読んでたらいつの間にか眠ってしまい、気が付くと11時。 取りあえず滑る事にして、定宿から近い鐘の鳴る丘ゲレンデのリフトで上がろうとしたら、ナント強風で、ゴンドラ中間駅から上はリフトも休止。 上のゲレンデには登れない。

鐘の鳴る丘はただただッ広い平原だが悠然と滑るにはイイ斜面。 しかし、直ぐ飽きてしまう。 隣の丸山ゲレンデを少し滑って白樺ゲレンデへ。
そこからチャンピオンゲレンデへ続く斜面、気持ちよく飛ばしていたつもりが、飛ばされていた、ヴァ~ンと。
3年前からここへ通い続け、スキーの感覚は若いころに戻っていた、と思う。 しかし、筋力、脚力は歳を経るにつれ劣っている。 それに気付かず飛ばしているつもりが、飛ばされてしまった。 制御不能でコケて、もうバラバラ、ボロボロになっていた。気が付くと左足を伸ばそうとしたら、痛い、ナサケナ。
しかし、板履いて滑る姿勢を取るとそれほど痛みは感じない。 その後チャンピオンゲレンデを4回滑ってこの日は終わり。
フツーに歩いていて、後ろ脚が伸びる瞬間、アキレス腱をストレッチする姿勢をとると痛い。 宿で左足を引きずっていたら宿の女将さん、どうしたンですか? 「白樺からチャンピオンに行く斜面、あるでしょ、あそこでコケました」、「あぁあの急斜面ネ、よくレースやってるトコね、で、大丈夫?」

翌20日、相変わらず左足、痛い。伸ばそうとするとフクラハギの付け根、膝の裏が痛い。 どんな捻り方をしたンだろうか。 相変わらず引きずらないと歩けない。 今日は宿でオトナシクしていよう、本でも読んで。
しかし、昼前になるとジッとしていられなくなって、靴はいて板持って出ようとすると、宿のご主人、「オッ、それでも滑るのォ?」「鐘の鳴る丘ゲレンデでノンビリしてきます、あそこならストックつかなくても滑れるし」
ゲレンデに出るとリフトは上まで動いている。結局栂の森まで上がり、ハンノ木3回、馬の背2回滑って、この日も終わり。

21日、 相変わらず左足、引きずっている。 でもこのまま帰るのはナサケナイ。 宿泊代払って、荷物を大部屋に移して出ようとすると、宿のご主人「オッ、今日もがんばるぅ?」「エエ、ちょっとだけ」

天気はまずまず。ケンタッキーのオジサンもゴンドラに乗って宣伝していル。Imgp2411_3 

乗鞍方面は雲がかかっている。Imgp2406

白馬方面は見えない。Imgp2408

栂の森ゲレンデはキレイに整地されている。 こんな状態をファットで滑るのは贅沢?Imgp2407

下まで滑り降りると、鐘の鳴る丘ゲレンデはガラガラ。Imgp2409

振り返ると、乗鞍方面は雲に覆われていた。Imgp2410

馬の背2回、ハンノ木3回滑って終わりにしました。

今回は雪少なく、10分足らずで車は出せた。去年はこの時期、40分以上掛って掘り出したのに。Imgp2412


’11.1.13.の記録:天狗原まで

2011-01-17 20:03:03 | 山とスキーでブラブラ

11日、3:35垂水出発、’11年の信州通いスタート。
栂池までほぼ500キロ、途中多賀SAでコーヒー飲んで、駒ケ岳SAで朝食と朝便すまして、定宿着10時過ぎは、例年通り。

定宿の女将さんは相変わらずフレンドリィ、主人は相変わらず無愛想、庇の雪を掻き落してはりました。 「元気そうじゃない」 「何とか一年生きてましたネ」

Imgp2402 11日は晴れ間もあり馬の背コースも解放されていたが、夜から雪。

翌12日も朝から雪。
女将さん、「去年と同じ、蒼ざめた馬サンが来ると、雪降るネ、キャハハ」、馬の背コースは終日閉鎖。

13日、山はキーヤーとしては、雪が降り続いていてもゲレンデにズッといる訳にはいかない。 取りあえず自然園辺りまで行く旨、ご主人に伝えて出発。「新雪、大分積もっているはずなので気をつけてねぇ」
林道でシール貼っていたら、年輩(?)カップルのテレマーカー登場。
9時過ぎ発、トレースはカモシカ(?)さんのものだけ。 Imgp2403
林道から膝下辺りのラッセル。 時々青空が見えるが八方尾根、鹿島槍はガスに覆われて見えない。  
しばらく進むと、カップル追い付いて来て、その♂ 「ラッセル、交代します」 、ワタクシ、こう言う場合は快く 「ありがとうございます、お願いします」
しかし、先頭は膝下までのラッセルでも、こっちは最後尾、二人に踏み固められているのでフツーに進んでいても二番手の♀に追突しそうになる。 ペースを見計らって 「ラッセル交代します」と言って前へ出たが、カップルの♂はその後直ぐまた「ラッセル交代しましょう」。
この人たち、ガイドと客(?)、それなら一般人にラッセルしてもらっているとガイドのコケンに関わる、ナルホド。 そのともフツーの中年カップル(?)、それならお邪魔してはいけない。 と、言う事でカップルのトレースを離れ一人ラッセル。色々気ィ遣いますワ、山でも。

そもそも一人でも行く気概があったはず、それはどこへ行ったのか、他グループのトレースに頼るなッ!、と自分を叱咤。 一人黙々と、相変わらず膝下辺りまで沈むラッセル。

成城大小屋からカップルは尾根の夏道ルートへ。 ワタクシ、ここから先、夏道を登った事、ほとんどない、 そのまま谷沿いを進みます。
積雪時の谷筋登高は危険、非常識と言われるが、雪が積もって最短のルートが採れるのに、ワザワザ遠回りするのは不自然でしょ。 安全だと判断したなら行けば良い、と思う。 判断基準は、傾斜、木々の存在、降雪後半日位経過しているかどうか。

ここからの谷沿い、谷の穴の埋まり具合を観察するのが楽しい。 今年もまだ4カ所、埋まっていなかった。 それが段々埋まって行って、3月後半になると全ての穴は消える。
雪の少なかった一昨年は4月まで埋まらなかった穴があって、落ちたおバカもいた様だ。 多分ボーダー、落ちたシュプール、登り返したツボ脚の跡があって、思わず笑ってしまった。

穴を観察した後、針葉樹の大木帯をくぐると、天狗原への急斜面を登りきった所にある白樺の大木が見える。今年もここまで来る事が出来た、あともう少し。 少し上をカップルが登っている。

白樺の大木で休憩していたカップルを迂回して天狗原へ。
Imgp2404 祠へお参りして12時半、林道から3時間半もかかっている。 ズッと膝下ラッセルだったので仕方ないか。

天気は悪くなく、風も強くない。しかし相変わらず八方尾根、鹿島槍は見えない。乗鞍頂上方向もガスで覆われている。まぁ今日はここまででエエでしょ。今年最初だし。

12時50分前、滑り始めるが、板、全く滑りません。
ワタクシ、昔からワックスと言うモノにこだわった事、ありません。 ああ言うのは1/100秒を競うレーサー達のもので、そこそこ快適に滑れればイイ山スキーヤーはどうでもええやん、と思っていて、しかし一応ワックスは携行してます。で取りあえず、それを塗りなおそうと板、外してウッカリ雪面に脚を降ろすと、何と太ももまでスブズブと、底なし雪。
こう言う場合、一方の板に片足置いてやる事も出来るが、ナンカ不自然な作業になるし、丁寧にバケツ埋めて足場作るのが良いんでしょけど、大体、携行していたのは低温、乾雪用だったかどうか。

と、言う事で、そのまま板履いてほぼ自分のトレースに沿って降りました。 真っ直ぐ滑っても大してスピードでない。 ボーダーはこんな感覚で滑っているのかも。 林道のショートカットに入っても、ほぼ真っ直ぐ。

栂の森カフェテリア着、13時40分。 ビール飲んで終わり、フゥ~。

14日は午前中馬の背コース、3往復してハンノキ経由で定宿に戻り、今年の初栂池は終わり。

ここへ通うようになって毎年、穂高神社にはお参りしてます。 神戸の神社には初詣してないのに。
信州はお酒の国でもある。Imgp2405


7年で、99,999km

2011-01-10 17:02:30 | 車でブラブラ

明日から信州通いが始まるので、スタッドレスで少し走っておこうと思い、小雪散る中、社の森公園まで行った。

Imgp2395

戻ると99,999kmになっていた。
Imgp2397

コイツがワタクシの処へ嫁入りして来たのは、’ 04年1月。 最初の4年間で約4万キロ。
その後会社辞めて、冬の信州通いが始まって3年で約6万キロ。 この7年間、機嫌はすこぶるイイ。

コイツに乗り始めてから、同じ職場の車好きの長者と競って、色々部品を取り換えた。

リアサスのリンク、スプリング、マフラー、排気センターパイプ、SUSメッシュブレーキホース。 ほとんどがこのメーカーのモータースポーツ部門を仕切る会社がプロデュースしたパーツ。

そして、取り替えて一番違いが判った(ヨカッタ)のがアルミ鍛造のホィールだった。 インチアップしても0.7~0.8kg、1台分約3kgの軽減。
しかし、超高価、1台分で一番安い軽四が買えるかも知れない。

その長者からは、「たった3キロやン、すぐ慣れて、そんな違い、すぐ判らン様になるでェ、そんなンにン十万もかけて、あほッちゃう」 と、言われたが、それが違う。 バネ下重量の軽減が車にとって非常に有効だ、と言う事がよく判った。

「すぐ慣れて、そんな違い、すぐ判らン様になる」、 これはワタクシがよくその長者に言っていた台詞だ。
この人はアースチューンオタクで、車はアースだらけ。 どこそこにアースしたらアレが良くなった、コレが良くなった、君もせぇ、と色々煽動されたが、その都度、「そんなン、チョット違うだけでしょ、直ぐ判らン様になりますやン、ようやりますネェ」 と、からかっていた。 それを言い返された訳だ。

「そやけどボクは、冬のスタッドレスは標準ホィールで、4月にこの鍛造軽量に履き替えますから、毎年その違い判りますよぅ、へへへ」
これでこのイビリ合いにはケリがついた。お互い、イイ歳をして、ようやってました。

しかし、車の稼働率は、冬の信州通いの方が圧倒的に高い。 鍛造軽量のホィールで走る事は、年間1万キロもない。その事はその長者には言っていない。

信州通いは4年目になる。 今年も無事過ごせるのだろうか。 遊び呆けてそろそろバチが当たる頃? まぁそれならそれでイイか。
取りあえず、穂高神社へはお参りに行く予定です。