蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

身近に存在していたフタマタ、メカケのショ~もない実話-その2

2012-05-30 23:56:51 | 駆け抜けた一回性の記憶

阪神大震災の翌春、まだ周りにはまだ沢山の空き地が目立っていた頃。

「あの娘ォ、フタマタかけとったらしいなぁ」、5年前まで勤めていた特殊機械メーカーの営業トップは、ニャ~っと笑ってそう言った。
「あの娘ォ」とは、神戸営業所員A君の不倫相手で、技術部員B君の不倫相手でもあった。二人とも身長180センチ前後、しかし先頭に立つような、集団の中で目立つような派手さはなかった。
但し、不倫時期が重なっていたかどうか、つまり「フタマタ」かどうかは知らない。営業トップは「フタマタ」と言う事にして楽しんでいる様だった。

営業部のA君は、阪神大震災の1年ほど前、東京から転勤して来た若者で、数年後に予定されていた広島営業所の開設要員。第2子(娘)が生まれたばかりだった。
技術部のB君は、その頃から増え出した女子派遣社員とのウワサが色々あって、そう言えば何かの宴会でもそんな女性の側に座って、楽しそうにしていた。中学生くらいの娘がいたはずだ。

そして二人の不倫のお相手の「あの娘ォ」は、技術部の派遣社員。
女性なのに遅くまで仕事をしていて、見積に添付する特殊なタイプの図面を、夜遅くても捜してくれたりして、営業にとってもアリガタイ存在だった。
華やかさや色気を感じさせないガンバリ屋サン、ワタクシ、酔った時には「あの娘ォ、ええなぁ」と、一人はしゃいでいた。

その夜は阪神大震災の一周忌の月末。

毎年1月のオーダーは寂しく、その年も一層寂しかった。
自身の受注も営業所の受注もエゲツない結果になりかけたが、欲しかったオーダーがギリギリに決まって、夜遅くまでその処理をし、何とか体裁を保つことは出来た。
そして明日は四国へ出張。直行するので社用車で帰った。
1月を何とかヤリ過ごしても、ホッとしている余裕はない、もっと寂しい2月が待っている。ワタクシはタダのプレイングマネージャー、ああシンド。

会社を出て高松通りを西へ、須磨でR2に出ると、大きな交差点は赤。

その場合、交差点直前の、阪神高速を降りて来た車がフェリー乗り場へ行くのにR2をUターンするための、中央分離帯の切れ目を使ってUターン気味に対向車線を横切り、住宅街に入って離宮道方向へ抜ける。
このセコイ方法は、いつも不平不満ばかりをブツブツ言っていて、当時名谷に住んでいた前営業所長に教えて頂いたルート。セコいオヤジはセコいルートを見つけ出すものだ。

時刻は22時前、とにかく早く帰りたい。極フツーにそのセコいルートに従う。
Uターン後、偶々対向車線を別の車が走っていたので、いつも曲がる角をヤリ過ごし、その先の角を左折、住宅街に入った。
すると狭い通りの向かいから、タクシーがやって来て客を降ろし始めた。
ワタクシ、一旦停止。降りた客はワタクシの車の右横を通過していく。
ン?アレレ、アイツやん。声をかける間もなく、振り向くとアイツは通りを横切り左手の建物に消えて行った。

アイツとはA君。しつこくもう一度説明すると、阪神大震災の1年ほど前、東京から転勤してきた、数年後開設予定の広島営業所要員、生まれたばかりの娘の父親。
毎週、広島へ出張しているが、その日は月末なので神戸にいた。
しかし、受注処理はせず、ただ旅費精算などをして、夕方のミーティングを済ますと、恩師の退官の宴会があるとかで、さっさと帰っていった。彼は生まれも育ちも神戸、出身大学も地元神戸にあった。
宴会が終わって帰って来た時間としては不思議ではないが、彼のお家は鷹取駅前だったはず。ナンデこんなトコにいるの?引っ越ししたの?

家に着くまでの間、色々記憶を巡らせてみた。

だいぶ前、多分前年の夏が始まる頃。帰ろうとすると「あの娘ォ」はまだ仕事をしていた。一人だった。
派遣社員の女性を一人残して帰る、技術部のノンキさには呆れたが、その夜も「あの娘ォ」には図面を頼んだりしていたワタクシ、置いて帰るわけにはいかない。
ついでにバンゴハンを軽ゥ~くご馳走することにした。
「あの娘ォ」が遠回りして帰らなくてもいいエリアに、老舗焼き鳥屋の須磨店があり、そこへ行って食事をした。
そして、店を出ると「あの娘ォ」は東の方向へ歩いて行った。

暗かったのでピンと来なかったが、あの店から東へ歩くと、A君が消えた建物辺りになる。
と、言う事はA君が消えた建物は「あの娘ォ」の家?、と、言う事は ・ ・ ・ 。

「A君とあの娘ォ、デキテまっせェ、ボク判りますねン、昔からオトコとオンナ、並んでルのを見ると100%、デキテルかどうか判りますねン。蒼馬サンもあの娘ォ、エエ、エエて言うてはったし、歳はなれてるから、変なコトにはなってへんとは思てますけど、まさか三角関係とかには ・ ・ ・ 、気ィ付けはった方が・ ・ ・、ウヒヒ」
そんな「ご忠告」をしてくれたのはもう一人の中堅営業所メンバーC君。彼は営業能力ではなく、男女がデキテルかどうか見定める能力を自慢し、ワタクシをからかった。
「ンなアホなぁ、アイツ、今度次の子供生まれるねんでぇ、それどころやあれへんやろ、大体、それ、不倫やン」
「そうですワ、でも次の子供の事なんか頭にないンとちゃいますぅ、蒼馬サンも、あの娘ォ、エエ、エエて言うて、不倫、期待してはったンちゃいますのン、家の事、忘れて、ウヒヒ」
「ちゃうわい、アホ言うな」

前年の終わり頃、そんなC君とのやり取りがあって、この夜、彼の能力はホンモノだと言う事が判ってきた。

何と言う偶然の重なり。

普段は広島出張中なのに、偶々月末で神戸にいたA君。
月末のオーダー処理で、偶々いつもより遅くまで会社に残っていたワタクシ。
偶々2月の始まりの日に四国出張をすることになって、社用車で帰ろうとしたワタクシ。
セコいUターンコースに、偶々別の車が走っていて1つ先の通りへ左折したワタクシ。
偶々その時間に不倫相手宅へ帰って来たA君。

ホントにこう言う事があったのだ。

かたや、B君と「あの娘ォ」のお話し。それは確か、前年の秋頃。

いつも不平不満ばかりをブツブツ言っていた前営業所長が、帰りに偶々B君の車の前を走っていて、その助手席に座っていた「あの娘ォ」との、タダモノではない雰囲気が、ルームミラーに映っていた、と一部の人間に、B君と「あの娘ォ」との不倫を密告し始めた。
それは我々レベルの耳にも届き、「そやけどB君の相手て、別の娘ォやったンちゃうン」と周りは噂していた。

あぁアホクサ、1月に大地震があったばかり、世間は大変なのに、コイツらようやるわ、いずれにせよ、これらは技術部の話し、営業は関係ない、とワタクシは傍観、対岸の火事。

しかし、これにA君が絡んでくるとそうはいかない、A君は営業の、ワタクシの部下。
営業トップが、広島営業所開設を念頭に置いて採用した、と目される若者。
それが月末にオーダーも上げず、不倫相手宅に帰っていった。最近は広島営業所開設を、疑問視し始めていた。
これは報告すべきか否か。

取りあえず、「あの娘ォ」の上司にあたる、技術部のグループリーダーDサンに、A君と「あの娘ォ」との一部始終を伝えた。DサンはB君の上司でもある。
「ボク、そう言うコト、ウトいしなぁ、取りあえず聞いとくわ」、Dサンはボソっと答えた。彼は趣味の音楽以外には全てにウトい人だった。

Dサンに話した数日後、事態は思わぬ方向に展開する。
ナント、ワタクシが「あの娘ォ」にストーカーしている、と言うのだ。

実はあの「偶然が重なった夜」、A君もタクシーを降りてワタクシの車の横を通過する時、ワタクシに気付いていたらしく、それをワタクシが夜に「あの娘ォ」の家の周りをウロウロしている、と曲解し、Dサンに相談したのだ。自分の不倫は棚に上げて。
もともと被害妄想のA君のやりそうな事だ。
と言うか、自分の不倫が暴露される前に、手を打とうとしたのかも知れない。だからと言って、自分達の不倫事件が消え去る訳ではない、ワタクシのストーカーが笑いのタネになるだけだ。

いずれにせよ、Dサンには一部始終を話している。

DサンはA君と「あの娘ォ」に、それは単なる「偶然が重なった夜」だったと、ワタクシの前で説明したが、それだけではワタクシの気が済まない。
「そんなことより、君、下の子が生まれたばかりやろ!不倫なんかしとってエエンかッ!」
するとDサン、「ちゃうねん、この二人真剣やねン」
「エエッ!真剣ちゅうて、下の子が生まれたばかりですよ」
「イヤ、その辺、キチンとするらしいわ」
「あの娘ォ」と並んで座っていたA君は、「キチンとします、信じて下さい、許して下さい」と泣きそうに言った。

とにかくしばらく、大騒ぎするのはヤメましょう、その日はそう言う結論になった。

その後、A君は家庭を捨ててまで選択した「あの娘ォ」の不幸な半生を語り出した。
曰く、そこそこ高レベルの県立高校を卒業したが、何故か進学せず就職、職場結婚したが、ダンナが働かず夜は居酒屋でアルバイト、その後この特殊機械メーカーに派遣された頃、ダンナとは離婚して、B君とエエ仲になったが、B君は中々離婚せず、挙句の果てB君のヨメハンに怒鳴りこまれた、「泥棒ネコ」と、云々。

「あいつ(B君のこと)、その後も彼女の家に来ては、ヤル事だけやって、帰っとったらしいですワ、ボク、あいつ許せません」
「せやけど、許されヘンのは、生まれたばかりの女の子、捨てて行く君の方とちゃうかぁ」、ワタクシ呆れてそう言うと、
「イヤ、子供二人とも引き取ります。あんなヨメに任しとられません、子供、公園とかに連れ出して、他の子供と遊ばしたりしよれヘンのですワ、子育てとか家事とか出けヘンオンナですねン、前からそれでケンカばっかりしとったンですワ、彼女の両親も急に孫が出来てエエわ、言うてはるそうです」

へぇ、そうですか、ヨカッタヨカッタ。
しかし、ホントにこのままこの不倫事件を上に報告しないで良いものだろうか。

その後、B君以前にも技術部には色々不倫事件があった事を知った。
それはそこそこ有名な噂にもなって、本社の空き部屋に連れ込んでヤリかけたオトコもいたとか。
ある女性社員からは、「蒼馬サン、そんなコト、知らんかったンですかぁ」とまで言われた。
これら不倫事件は全てDサンがリーダーのグループ。確かにメンバーも多いし、ケッタイな事件が発生する危険性は高いが、いくらDサンが、「そう言うコトにウトい」としても、いつまでもそれで済まされる訳ではない。

「やはりこのまま放っとけませんよ、ボクは一応、上に報告します」、とDサンに言った。

その数日後、事態は又、思わぬ方向に展開する。

ナントA君のヨメサンには、東京在住時からの、同じ社員のヨメサンとのお付き合いがあったらしく、そのルートから全てがバレた。
「アイツ、神戸で不倫して、その挙句、離婚すると言い出して、ヨメサンと揉めてムチャクチャになっているそうですよ」、ワタクシが報告する前に、東京の連中は営業トップにそう報告した。

全てチョンバレになって、A君はその特殊機械メーカーを辞める、と決断した。

また神戸営業所はC君と二人の、一年数か月前の状況に戻るが仕方ない。広島営業所開設も延期となるが、そもそもワタクシはどうでもイイこと。

月末のオーダー処理を自ら行って、何とか営業所の体面をギリギリに保った上司を、ストーカーだと曲解し、しかも自分は営業所の成績には何の貢献もせず、さっさと恩師退官の宴会へ行って、不倫相手宅へ帰る、そんなA君を部下として、それ以上付き合いたくなかった。

しかし、事態は更に、思わぬ方向に展開する。

A君は辞めることなく、「あの娘ォ」とメデタク手に手をとって、広島へ行くことになった。

「今のヨメハンと別れたかったら、まず一緒に広島へ行ってそこで彼女と暮らせ、広島営業所が出来るまでは、神戸へ逆出張せい、家を借りたりする費用は会社が出したる、家にはパソコン置いて、そこそこ作業が出来る様にしたる」と、営業のトップはA君に指示したのだ。
「家にパソコン置くちゅうことは、会社の担当の人がウチに来て、接続作業とかをする言う事ですやン、そんなンイヤやし、大体、広島なんかへ行く気、ありませんワ」、直後A君はそう言っていたが、いつのまにか営業トップの指示を受け入れた。

予想もしなかったこんな展開、これには驚いた。

広島営業所開設は、実は役員会での賛同者は少なかったらしい。
しかし、営業トップはどうしてもやりたい。その為には、誰かをまず広島へ住ませたい。
つまり、A君の不倫と離婚を巧く利用したのだ。
この営業トップとは一体何なんだろう。どの様な思考回路からそんな発想が生まれるのだろう。

そんな諸々を、呑みながら昔の友達に話した。
「正に、目的のためなら手段を選ばンちゅう、マキャべリストやねぇ、しかしマキャベリは君主とか国家とかのレベルやし、そのオッサン、ただ育ちが悪いだけちゃうかぁ、メカケの子ォやったりしてェ」
「そんなン、メカケの子ォに対する差別やでぇ」
「しかし、メカケ根性ちゅうのはスゴイらしいでぇ、ボクらの想像を越える強欲らしい、あんまり関わらん方が身のためやでぇ」
「そう言われても、上司やし」
「給料エエらしいけど、大変やねェ」

営業トップは創業者の「メカケ」の子ォ、そんなウワサを聞いたことはあった。

「あの娘ォ」は「フタマタ」かけとった、とニャ~と笑って言った営業トップの全ての行為は、「メカケ」根性によるものだったのか。まぁどうでもエエけど。

ところで、男女がデキテルかどうか見定める能力を自慢していたC君も、実は「あの娘ォ」から誘惑されていたそうだ。
「ンなアホなぁ、ホンマかァその話し」
「ホンマですよぅ、あの娘ォから言われましてン、エレベーターの中で、ワタシ今度正式に離婚するンで、いつでも来て下さい、て」
「それやったら、ボクやなくて、君とA君とあの娘ォとの三角関係になりかけてたワケや、イヤ、君とA君とB君にミツマタかけとったちゅうことか、スゴっ」

イケメン男優の「フタマタ」騒動はもう終わった様だが、そのお陰で、昔のショ~もない出来事を次から次、思い出してしまった。

しかし、まだまだこんなショ~もない実話は続く。


美人画を見に、新快速で姫路へ

2012-05-29 15:08:42 | 一人ブラブラ

高校の生物の先生はよく言っていた。

「動物、特に鳥はメスよりオスの方が綺麗、というけど、ニンゲンもおんなじです、何故ならオトコはそのままでも見れるけど、オンナは化粧せんと見られない、要するにオトコの方が基本、キレイ、ちゅうワケです」
決して女性蔑視とかの猛々しい男性ではなく、むしろ女性的な優しい先生の、思いきったおフザケだったと思う。

ワタクシ、生物の先生に反論する訳ではありませんが、化粧してなくてもキレイな女性は多いし、やはりニンゲンはオトコよりオンナの方がキレイだと思いますけどねぇ。

しかし最近は、化粧すれば明らかにオンナよりベッピンさんに化けれるオトコも多い。
となると、やはり勝負はノーメイク(?)、まぁどうでもええけど。
そう言えば、以前、お気に入りの女性に、「いつもノーメイクでイイね」と言ったら、「ワタシ、ノーメイクで会社に行ったコト、ありませんッ!」と返されたことがあった。

姫路でやっていた美人画展「麗しき女性の美」、気が付けば27日は最終日。絵画とか美術には縁遠いが、キレイなオネエチャンの絵ェは見に行かないと。
で、久しぶりに姫路へ、JRで行くことにした。

姫路へは、特殊機械メーカーで営業をやっていた頃は、ほぼ毎週車で、そこを辞めてからは年何回か自転車で。

しかし今までJRで姫路駅に降りた記憶がほとんどなく、小旅行の様な感じで、ナンカワクワク。
行けば垂水から45分、西明石で新快速に乗り換えてから20分だった。案外近い。

Imgp3283 姫路城大手門前、自転車で来た時、到着記念写真を撮り、引き返す地点。

Imgp3285_3 城の横をぐるっと廻るとレンガ建ての美術館。

「美人画」と言うジャンルの、有名な日本画家サンの、ほとんどが明治~昭和戦前の作品が70点ほど。
沢山のキレイなオネエサンに、その都度、「ほぉ~」「へぇ~」、髪の生え際、着物の柄、髪飾り、背景の花、それらの細やかな描写が見事なのはアタリマエか。

しかし、これらの美人は、やはり化粧してキレイになったオネエサンと言う感じがする。
大体、こんなンが、夜道にヌゥ~っと現れたり、一人しかいない部屋の鏡に映っていたりしたらコシ抜かしまっせ、ホンマ。

ワタクシはやはりノーメイクがイイですな。

Imgp3287_2 美術館を出てチョット北へ行くと野里門、もうチョット北へ行くと伊伝居(イデイ)。その辺りに昔、祖母とオフクロ3姉妹が住んでいた、と聞いた事があって少し散歩した。

Imgp3288_2 通りに掛っていた案内板。

Imgp3289_2 伊伝居交差点。

ごく普通の住宅街だったが、店の多くは閉まっていた。日曜は休みなのか、それともシャッター通りになってしまったのか。そして、オフクロ達はどこに住んでいたのか。

城の方へ戻ると、何か騒がしい。生のロックかジャズが、遠くから聞こえる。
その日は何かのお祭だとかで、大手前公園では屋台の様なのが沢山並んでいて、ステージではどこかのバンドがフュージョンを演奏していた。

みゆき通り商店街から駅に戻ると15時前だった。今度は地図持参で、詳しく伊伝居を探索してみようと思う。

 


ヤマツツジの六甲山

2012-05-24 21:31:59 | 六甲山をブラブラ

まだ信州で山スキーは出来るが、名神は集中工事で夜は通行止め、昼は渋滞気味らしく、今一つ行く気がしない。

こう言う場合は六甲山へ行きましょう。

前々回の4月中頃はタムシバ前回は4月の終わりで、サクラ、スミレだったが、まだまだ花シーズンは続いているはず。1ヶ月程経って、どんな花に移り変わったか。

23日、これまでより少し早く出て、有馬温泉駅着11時過ぎ。
これまでの様に駅横のコンビニでお茶と食料を買って出発。

昔、飲料は山へ入って、支流の谷の流れを汲む水だったが、いつの間にかフモトのコンビニで調達する様になってしまっている。これはイイことなのか、どうか。

Imgp3270 湯槽谷山の手前の斜面がスゴイ規模で崩れている。以前はなかったはず、いつ崩れたのか。かなり上部の自然林の斜面、それにしてもスゴイ。何故崩れたのか。

Imgp3271 紅葉谷の上部の主稜線、木々の緑は大分深くなっている。

Imgp3272 湯槽谷をつめて稜線手前の急登、谷筋にあったブッシュが流されて、その上に出来た踏み跡がメジャーになっていた。

ここは昔、右手の(左岸側)の崖に踏み跡が付いていた。そこには長年、いつ切れても不思議ではない様なボロいロープが掛っていて、危ないので一度片付けたが、どこかのおバカがその後も100円ショップでも売られているトラロープを垂らしている。
フィックスロープは張った者が片付けるのが常識、それがズッと残っている。これはタダのゴミなのに、それが判らないおバカ達。あぁアホクサ。

Imgp3273 12時半、無名の750m峰着。

その先で遂に今年も出会いました、縞がバッチリ、成蛇のシマヘビちゃん。必死で斜面上部の枯葉の中に逃げようとしている。ヘビは苦手だけど、迷惑なのはむしろ突然、彼(彼女)の前に現れたワタクシ。ゴメンねぇ。

Imgp3275 13時過ぎ、番匠屋畑尾根を登りきると、ヤマツツジがお出迎え。

Imgp3276

チョットだるかったので、紅葉谷を下り白石谷を登り返すトレーニングコースはヤメ。

Imgp3279_3 大人しくドライブウェイ沿いの縦走路を行くと、またまたヤマツツジが満開。

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Imgp3277 しかし、この白い花は梅花ウツギ(?)。

Imgp3278 

Imgp3281 番匠屋畑尾根でお会いしたのはシマヘビちゃん、で、今度はマムシ草。

14時前一軒茶屋着。ビール1本飲みながら本読んだりして15時。さぁ帰りましょ。

下りは前回と同じ住吉川、魚屋道のオモテ側。

Imgp3282 五助堰堤の周りの木々の繁みはもう夏の形相。

17:15、阪急御影着。ヤマツツジの六甲山は無事終了。


身近に存在していたフタマタ、メカケのショ~もない実話-その1

2012-05-23 22:08:13 | 神戸布引谷での出来事

大きな谷が、同じ位の規模の、左右の谷に分かれる場所を二俣(フタマタ)、と言ったはずだ。右に登ると右俣谷、左に登ると左俣谷。

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先々週はワタクシ、蓮華岳の大沢右俣を稜線直下でギブアップ。
しかし、右俣も左俣も登って、滑り降りられるスゴイ人もおられるそうで、ホントにまぁスゴイ。

と、いう事は、このスゴイ人たち、明らかに左右の二俣を駆けているが、最近よく耳にする「フタマタ」をかけたイケメンとは全く別モン。

そもそも、自らのフタマタ交際を皆からボロカスに言われ、芸能記者達の前で泣いていた男優サンが、標高差1000m近い谷を登り降りする様な、シンドイまねをするワケない。

ワタクシ、文学とか言うノとは疎いので、よく存じませんが、愛人と入水自殺した命日を“桜桃忌”と称して、沢山の女性から偲ばれる有名な作家サンには、同い年の娘さんが二人おられるそうだ。
これって、つまりヨメハンとは別の女性と夫婦生活をしていた証しで、明らかに「フタマタ」、こんなンエエのン?
「ボクは広島で単身赴任しててもアイジン一人作らず、君ら家族の生活を維持して来た、フタマタかけて、同い年の娘ふたり作るなんて、許せん、人生ナメとうで」
「イヤ、ええねん“ダザイ”は、あんたとはチャウ、ニンゲンの質が、大体アンタにあんな作品書けるかぁ?アンタ、あの作品の良さ判らんやろ、“ダザイ”は背ェも高いし、モテル。アンタ、チビやん、モテへんし」、そう言って、背ェ高い無頼派作家の「フタマタ」を認める我がヨメハンは、出て行った。
炊事、洗濯、掃除が別に嫌いではないワタクシ、ヨメハンに棄てられても特に不自由なく、逆に扶養家族がゼロになって、オカゲサマで信州・雪山通いも出来る様になった。

そう言えば布引谷・山の家の隣のヨメサンも、同い年の姉妹がいる、と言っていた。父親が婿養子(?)で家業を継いだが、色々あって別宅(メカケ)を構えていたそうだ。

隣のその若夫婦を、「あのフウフは、とった方と、とられた方やねん」とオフクロは言っていた。

それがいつだったか詳しくは覚えていないが、オヤジとオフクロが陽が暮れても帰って来ない事があって、それは隣の茶店の先代サンご夫妻の金婚式で、ご近所さんも三ノ宮で催されたお祝いに呼ばれた日だった。
しかしその後、奥さん(オバアチャン)は亡くなって、直ぐに別の奥さん(オバサン)が娘と息子を伴ってやって来た。
同時に、先妻(本妻)サンのと繋がりは全てリセットされた。

当時、先代サンの茶店には、ワタクシより少し年下のお孫さんが同居していた。ヒロミちゃんと言って可愛い女の子だった。おかあさんはワタクシの小学校の20年先輩。
当然ヒロミちゃん母子もいなくなった。初めてのガールフレンドはいなくなった。
そして、新しく同居することになった息子は、ワタクシより5歳上。
ヒロミちゃんは先妻(本妻)サンのと末孫、もっと年長のお孫さんもいたので、先代サンには「ハラ違い」となる、同い年の孫と子供がいたかもしれない。

新しくやって来た奥さんは花隈の芸者だったそうだ。近所のオバサン達は、「あれ、芸者や言うても、寝るだけのマクラ芸者やったそうやでぇ」とか、噂していたらしい。
そもそも、先代サンの本業は茶店ではなく、かなり手広く商売をされておられたそうで、鈴木商店の頃の神戸製鋼へ顔パスで入れる程だったとか。当然羽振りはよく、花隈の芸者を「メカケ」に囲ってもおかしくはない。
むやみに草木を切ってはいけない、とワタクシに優しく諭していた隣の好々爺は、長い間「フタマタ」をかけていた。

やがて「寝とった」方のメカケの息子は、メカケに「寝とられた」方の娘をヨメサンにした。

寝とったメカケの最終目標は、そのオトコの財産。
先代サンには茶店を兼ねる大きな屋敷はあったが、土地は保安林。しかもメカケの親子がやって来た時は、別に地主がいたはずだ。
と言うか、先代サンはあの地に価値はない、むしろなくてもイイ、と思われていた様に思う。
都会にある土地ではない。無茶なゴルフ場の山間建設が原因となる人災とはいえ、水害で21人が亡くなった土地だ。その後、新たに建物を作れない市街化調整地域となり、実際に今も価値はない。

しかし、「とった方と、とられた方」の若夫婦は、「とった」土地を相続した後、その価値を何とか上げたい、と思っているらしい。
実際、地目を保安林から森林に替えたらしいが、何の意味もない。県庁の担当者もそう言っていた。
そんなン考えてルひまあったら、まともに働くべきで、一応茶店とは別の商売もしているが、それは神戸市の保安林を許可なく占拠した、建機のレンタル業。
布引谷にいた他の2代目は、全て山を出て、まともに働いているのに。

メカケとは色香で「寝とる」オンナ達。まともに働いて「とる」ことはしない。
「とった」方の息子はあきらかに「メカケ根性」を引き継いでいて、「とられた」方のヨメサンも「メカケ根性」が乗り移っているのかも知れない。

おバカな「メカケ根性」、あぁアホクサ。


あるじなしとて、ツツジは忘れず

2012-05-15 14:55:30 | 朽ちゆく草の想い

近所の景色が若葉色にかわり、いきなり初夏を越え真夏の暑さになったりして、順調に葉っぱの緑が濃く、深くなり出したと思ったら、先週は急に初冬の様な雰囲気。
そのまま直ぐ雪のシーズンになってくれるのなら、それでもイイけど、そこまでの異常気象ではない。大きな竜巻は起きたけど。

しかし、竜巻は平安時代に京都でも起こっていて、最近の異常気象のせいではない、そもそも地球温暖化などない、と言う人がまだいるそうだが、世界の10年ごとの平均気温の推移は、’71~’80までに比べて、’81~’90からは明らかに、急激に高くなっているらしい。

年がら年中、暑くもなく寒くもなく、空腹はなく、移動は速くて楽で、物を持ち上げるのに力はいらず、知りたい事は直ぐ判って、欲しいモノの多くは安く買えて、可愛いオネエチャンが歌って踊る様はいつでもどこでも見れて、そんな快適で豊かで楽な生活を求める「欲」は、資本主義の原動力で、「欲」を満たすために必要なお金稼ぎは、全てに優先してイイそうだ。
工場はボンボン火ィ焚いて、捨てる程モノを作り、お店は新聞よりブ厚い広告で宣伝して、お客さんは捨てる程モノを買って、皆さん、電気ガス、バンバン使って、快適で豊かで平和だ。

「欲」は次から次へと満たされて行く。
しかし、明らかに温度は上がっていると思いますけどねぇ。

もともと、節電節約とかは、原発事故以前に、地球温暖化対策の一環で、叫ばれていたはず。

いずれにせよ、ワタクシは5年前失業してからズッと、電気は消しまくっているし、寒けりゃ着こむし、暑けりゃ風通してガマンするし、1日二食だし、ゴミは極力資源回収に出して、神戸市の指定袋買わない様にしてルし、でもそこそこ豊かです。

布引谷・山の家の周りの景色が昔と違う事が気になり出し、また、布引ウォーターの色が緑がかったりして、そこへ再定住することを諦めたが、定期的には戻って雑草などを引いている。そうしないと、草木に覆われたオバケ屋敷になってしまう。
そこは、ワタクシの本籍であり、ここから20年以上、通園、通学、通勤していたのだ。

しかし、1月から4月頃までは信州・雪山通いでほぼ放ったらかし、その時期は雑草も元気ないので、まぁいいでしょう。

13日の日曜日、久しぶりに戻ってみた。

Imgp3252 布引谷は初夏の雰囲気。

Imgp3253_3 庭のツツジは今年も元気に咲いていた。

Imgp3254 あるじなしとて、春を忘れず咲いていた。

雑草もそこそこ元気だった。
咲き終わったスイセン、これから咲くカンゾウはモーレツに元気だった。スイセンもカンゾウも昨年かなり刈り取ったのだが、種イモが残っている限り毎年元気。自然は元気。

雑草を1時間弱で片付けると、後、する事がない。オフクロが残した古着、小物はほとんど片付けたし、古い写真、卒業アルバム、卒業証書、そして位牌は持ち帰っている。

で、櫻茶屋のレイコさんの様子を見に行った。

甲状腺ガンの手術が終わって、4月初めに退院されていたが、その後問題なくお過ごしとのこと。
「後20年、ダイジョウブですねぇ」
「後20年言うたら、ワタシ100歳やわ」
「よろしいやン、100歳のコワイ茶店のオバアサンで」

レイコさんはマナーの悪いハイカーには遠慮なく注意する。だからコワイ茶店のオバサン、と言う事になっている。
その日も非常識なボーイスカウトに注意したらしい。
最近はナント、ボーイスカウトがバーべキュウ道具と食材をワンボックスで運んで来て、川原で大宴会をするらしい。「ボーイスカウトなら、全て担いで登ってこい、ですよねぇ」
また、以前は奥の川原でキャンプするので、水をくれ、と言ってきた事もあったらしい。「水は川で汲め、ですよねぇ」

「ところで、5~6人のオバアサンとオジイサンのグループ、いつも奥のお地蔵さんのトコまで行ってはルそうですが、最近会わへンのですが、どうしてますぅ?」
「あぁ、あの人らねぇ、ロープウェイの定期、買うたらしいよぅ」
この老人グループはオフクロのおしゃべり相手だった。
いつもキャッキャキャッキャ、オバアサンの喋り声に、甲高いオジイサンの大声が混じり、遠くからでもその楽しそうな雰囲気が直ぐ判る。しかし、ロープウェイを使うのなら、ワタクシが午前中にでも庭にいないと、まず出会う事はないだろう。

「あそこの主人、最近どないしとンやろ、ほとんど付き合いないから知らんけど、ヨメサンは何ヶ月かに1回、水道代集金に来よるけど」
レイコさんはまた、もう1軒の茶店の話をしだした。
瀬戸内海国立公園六甲山地区の神戸市の土地を、スクラップの様な建設機械等の置き場として、不法占拠している茶店の事だ。

市ケ原の自然とレイコさんに惚れて、ここへ住み着いたご主人は、周辺の整備を色々行われたそうだ。その時、茶店が不法占拠している横の空き地も、車の転回場所として整備されたらしい。
その場所にも、以前からスクラップが置かれている。

レイコさんの許せない気持ちはよく判る。

スクラップから数10m離れたその茶店は、自然の中の軽食喫茶店的風情で、その日も営業していた。
常連客はそこそこいるらしいが、そのほとんどは、あの自然を汚すスクラップの所有者が、その茶店だとは知らないらしい。