蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

11ヶ月ぶりに自転車に乗って

2012-10-31 13:43:44 | 自転車でブラブラ

去年11月30日、自転車で加古川まで行ってその帰り、西舞子のバス停で53系統の神戸市バスに殺されかけてから後ズッと、自転車とはゴブサタだった。

別にバスがコワくなったからではなく、寒くなってきたし、5月頃から2000km以上走っていて、もう飽き出していた。
年が明けて、5年目の信州雪山通い。
それが終わると後はダラダラの生活。何度か走ろうとしたが、いざという時にナゼか、ダルい、シンドい、もうエエわ、でオシマイ。アァなさけない。
このままだとこの一年、一度も乗らずに終わることになる。特に義務感はないが、それではあまりにもなさけない。

と言う事で一昨日、まずはホコリ払い。しかし、お一人様の家の中の、使っていない倉庫の様な部屋に入れていたので、ほとんどホコリはなく、チェーンも仕舞う前に洗っていたのかキレイだった。とあえずタイヤをパンパンにしてスタンバイ。

そして昨日、予備チューブ、空気入れ、工具等を携行してさぁ出発!
ン?、アレレ、前輪の空気が抜けている。
もうエエわ、ヤメよぅ、となりかけたが、イヤ、今回は何としても走るのだ、ワタクシっ!

パンク修理、毎度のことながらタマにしかやらないので、サッサとできない。おまけにダラ~っとした生活が続いていたので力が出ない。リムからタイヤを外すのに苦労する。アァなさけない。

タイヤ、チューブを外して驚いた。

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この車輪は昨年、リムテープが破れて、むき出しになったスポーク穴でパンクしたことがあった。この時交換したリムテープ、幅が狭いのでスポーク穴が覆えないと思い、2回巻したのだが、それが左右にずれたのか、また見事にスポーク穴がむき出しになっていた。余計なコトをしてしまった様だ。アァなさけない。

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テープを巻き直し、昨年修理したチューブに交換。タイヤをリムにはめ込み、自転車に装着。やっと終わったフゥ~ウ。ン?、回転方向を逆に装着している。ホント、スンナリ出来ません、ワタクシ。

装着し直して、空気を入れる。パンパンになった。さぁ出発!

ン?、シューっと勢いよく、空気が抜けていく。エエっ?なんでぇ?

今度という今度、ホンマにもうエエわ、ヤメよぅ、となりかけた。しかし、今回は何としても走るのですっ、ワタクシっ!

再度分解。昨年パンク穴に貼り付けたイージーパッチに接着不良があった。チューブの合わせ目が段になっていて、その部分がチャンと貼れてなくて空気の道が出来ていた。クソっ!

工具箱の中にもうイージーパッチは残っていなかった。

とにかく何がなんでも走るのだ、近所のSPORTS DEPOへ買いに行きますッ、ワタクシっ!

火曜日の昼過ぎ、SPORTS DEPOはガラガラ。
しかし、自転車売り場には先客がいた。同世代のオジサン、買いものカゴにはナンヤカンヤ入っていて、タイヤを選んでおられる。
ワタクシが買うのはイージーパッチ一個だけ。レジで470円払って、「袋、いりませ~ん」

今度は合わせ目の段になっている箇所をヤスリで落し、パッチをゴリゴリ押しつけて貼った。

再度、タイヤ装着、空気をパンパンに入れて今度こそ出発!14時を過ぎていた。

まず、近所の公園を一周。

この公園のジョギングコースには、100m毎に標石があって、久しぶりに走る時はこれでサイコンの距離があっているかチェックしないと、なにか不安なのだ。

その後は、西舞子からR2へ。

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明石からR175~明石川沿い~藤原橋~農業公園前~学園都市で17時半無事帰宅。約40kmの走行だった。

Imgp4096 タンボはもう稲刈りが終わっていた。

さて後2ヶ月、どれ位走れるンでしょうか、ワタクシ。








“ キャタピラー ” の結末-そこから何を学ぶのか

2012-10-29 14:14:39 | 朽ちゆく草の想い

酷暑が過ぎ去り、朝晩寒くなる程の快適さが戻ったが、相変わらずダラ~っ、デレ~っとした毎日が続いている。
山へも登らず、ロードバイクにも乗らず、カラダを動かすのは、せざるを得ない炊事と洗濯の時だけ。

17時を過ぎると、4Lペットボトル入りブラックニッカの安物を、1缶38円の炭酸でハイボールにして、呑みながら晩メシ作り。孤立生活が始まってからズッとこのパターン。
そして、ハイボール3杯が終わる頃、晩メシが出来て、それ喰いながら、地酒をコップ2杯呑み終えると、近くの横になれるスペースでほぼ毎日キゼツしてしまっている。
過ごしやすい涼しさの中、キゼツする瞬間はサイコーだ。

このままズ~ッと目覚めなければ、いずれ異臭の通報を受けたケイサツによって、ワタクシの孤立死体が発見される。
しかし、残念ながら日付が変わる頃、ナゼか目覚め、その後の後片付けとお風呂が死ぬほど(?)ツライ。気絶する瞬間はあんなに気持ちイイのに、生き返ると死ぬほどツライ。生きるのはツライ。
それから後はヘンに眼が醒めて、結局ウツラウツラしながら朝になり、またダラ~っとした一日が始まる、ア~ア。

従ってブログにUPする楽しい出来事など最近はなく、放置気味が続くが、先日久しぶりにアクセス数を見て驚いた。

このブログのアクセス数は多い時で10件/日。そもそも早期リタイヤ後の、自分の覚書みたいなもので、ごく親しい、ごく僅かな人だけにしか言っていないので当然。
いつ孤立死するか判らん失業者の覚書に、アクセスする人などいないのは当然。

それが17日頃から急に増えて来て、18日は50件近く、19日も30件、その後一週間程15件近い日が続いていた。
一体このモノ好きなアクセスは何?

アクセス解析を見ると、全て「キャタピラーの結末」と言う2年前の記事へのアクセスだった。
監督の若松孝二サンが事故死されて、この映画の題名をフレーズとした検索に引っかかった様だ。

この映画の存在は、元町の中華料理屋で見たスポーツ新聞で知った。
これまでも過激でエロいシーンが多いらしい歌舞伎役者一家のお嬢サマが、この映画でも戦闘で手足もぎ取られキャタピラー:芋虫の様になった夫とセックスシーンを演じる、と載っていた。
その後、他誌でも同様の記事をよく見掛け、しかしいずれも反戦映画だと紹介されている。
夫が中国大陸の戦争で手足をなくして障害者となり、妻はあらゆる介護をする、そういうあらすじを知ると、ではその結末は?、と言う事が気になる。そして、あのピンク映画出身の反権力映画監督は、どのように反戦を表すのだろう。

結末はあっ気なかった。
終戦の日、このキャタピラーは池(水溜り?)に入って死ぬのだ。
介護すべき妻はその時、戦争が終わって他の村民と一緒に「バンザイ!」「バンザイ!」をやっていた。この映画で初めての笑顔だった。

この映画の表す反戦は単純明快だったと思う。
まず、普通の農家の息子でも、侵略者として戦争に行かされると殺人、破壊、強姦等をフツーにしでかす、と言う事だ。
そして勲章もらって「軍神様」と崇められても、戦闘で手脚を吹き飛ばされたら、ただの不幸な身体障害者となり、最後は自分が行った殺人、破壊、強姦等の罪業に苛まれて死ぬだけ。
竹ヤリやバケツリレーの訓練をしながら出兵兵士を送りだしていたオバサン達の「バンザイ!」「バンザイ!」は、ホントは嫌々やっていて、心底喜んで「バンザイ!」「バンザイ!」したのは戦争が終わった時だった、と言う事だ。

しかし、今更「キャタピラーの結末」を検索して、それを知ってどうするンだろう。この映画から反戦の何らかをキチンと学ぶのだろうか。


荒唐無稽な宣伝を載せた神戸新聞、そして凶々しい日々

2012-10-20 20:26:49 | 朽ちゆく草の想い

先週の土曜日、神戸新聞朝刊を見て驚いた。

5面の全面広告、「このままでは日本は占領される」と大きく書いてある。なッ何やこれッ!?

その下に「日本で、海外で大ヒット上映中、衝撃の近未来予言」、どうやら映画の広告らしい。よくある映画広告の出演俳優などは載っていない。これはアニメ?
大ヒット上映中???、そやけど、こんな映画、聞いたコトないでぇ。

更に下に別の本の宣伝らしきモノも載っている。そのタイトルは「アインシュタインの警告」
「原発ゼロは日本が中国や北朝鮮の核に対する抑止力を失うことを意味する」、と言う内容の本らしい。
その横に、「中国の核ミサイルが日本の14都市を狙っている、人類最高の霊能力が中国の謎の構造物を遠隔透視、そこには核ミサイル基地と宇宙人基地が存在した」、と書いてあった。

何と言う非現実、荒唐無稽。ナンヤねンこのデカイ宣伝。アホっちゃうか。

一番下に小さく、「幸福のナントカ」と言う宗教団体の名前が載っていた。

この宗教団体、幸福ナントカ党とペアの、あの団体だ。

幸福ナントカ党は、ニホンはチャンと軍隊を持って、危険な北朝鮮には先制攻撃すべし、と訴えたりしたビラ(他にも色々書いてはりますが、よう判りません)を時々我が家のポストに投げ込んでいる。(まぁ北朝鮮については、正式名称:朝鮮民主主義人民共和国だけど、オイ!どこが民主主義やねン、どこが共和国やねン、とツッコミたくはなりますが)

これらのビラはいつも厚めの紙でキレイなカラー刷りになっている。お金持ちに支えられているンでしょうナ。

確かにお金持ちにとっては、変な国に占領されたら大変!「貯め込んだお金や広い土地、全てとられチャウ、どうましょう?」と言う事でしょうが、ワタクシ、お金、持ってませんのでどうでもイイです。(親から相続した土地はありますが、それは六甲山中の何の価値もない土地です)

最近、色んな人が色んな場面で国を守る話し、国防自衛の話で騒がしい。
中国は経済成長著しく、儲けたお金で空母まで作って、ズッと前から核保有国だし、脅威と言えば脅威なのでしょうね。

でもネ、1円でも安いモン手に入れたい、と言う事で中国に沢山の色んなモノ、発注したのはこっちで、その結果、当然のごとく経済大国になるのは当たり前で、この国だって戦後そう言う道を歩んできたのだし、陸海空軍その他の戦力は持たない、と決めているのに世界で何番目かに強い自衛隊を持つまでになって、しかも過去の侵略を自衛だと言う、勇ましいのも次から次、表れて、そらぁ向こうもエエ気はしない、同じ様な勇ましいの出て来て脅威となっても仕方ない。

中国、北朝鮮から攻められる、どうすればいいのかッ!、そんな質問を投げかけると、多くの人は武装しよう、場合によっては先制攻撃してもいい、相手が核攻撃するかもしれないなら、こっちも核武装してその前にイテまえッ!と思うハズだ。

しかし、武力でイテまおうとしても、相手もそれでは終わらない訳で、サンザン殺しあった挙句、最後は講和とか和睦とか休戦協議とかになって、結局は話し合いでチョン。

攻撃し合って、話し合いで納まって、残るのは多くの悲しみだけなのは、今まで歴史が語っている。
そんな悲劇だけを残す国家間の争い、それに繋がる様な不安を煽るのは絶対にダメです。

その時、フト気がついた。
今自分が見ているのは、「幸福ナントカ」と言う宗教団体やそのペアの政党が、ポストに投げ込んだビラではない。神戸新聞に載っている5面の広告なのだ。

ナンカ、気分がわるくなった。

一体、神戸新聞はどう言う意思、意図でこんな広告を載せたのだろう。
その内容に同調しているのか、それとも宣伝費が欲しいだけなのか。どうせこんな広告を見てもそれに乗せられる人などほとんどいない、と思っているのか。

いずれにせよ、国も人々もヒステリックになっている最中に、武装して、先制攻撃しようと言う人達の広告を載せてはいけないと思う。

国家間の紛争は、あくまでも話し合いで解決する、と言った強い決意さえあれば、どこが攻めてこようが怖いコトは何もない、もっと冷静に!
そう言う雰囲気作りも、新聞の大きな役割だ、とワタクシ思いますけど。

過去何十年間、大手新聞はオモロないと思って、地元、神戸新聞をとっていたが、もうヤメることにした。
どうせ、ワタクシの購読料など大したことないし、どうぞこんな武力がお好きなお金持ちの広告収入で、今後のご発展をお祈り申し上げます。

しかし、ケンカ好きの弁護士市長や芥川賞都知事が、争いの元になる様な事を色々と言われて、しかもこのお二人は人気があって、嗚呼、凶々しい日々。


LPの復活-あなたが・いなければ・わたしは・どこにもいない

2012-10-19 14:37:33 | 朽ちゆく草の想い

長谷川きよしサンは、ギター弾きながら歌うので、フォーク歌手と言われることが多いが、ホントはシャンソン歌手なのだ、とライブのCDで喋っておられます。

この人の歌を初めて聴いたのは高校の頃。
既にフォークソングが流行り出していて、C、Am、F、G7のコードをジャ~ンと弾けば、誰でもフォークシンガー。ワタクシも単純なコードをジャ~ンとやって、フォークのマネしてました、恥ずかしながら。

しかし、長谷川きよしサンは歌いながら、複雑そうなコードをジャ~ンと弾いていて、更に複雑そうなメロディも聴こえて来るので、もう一人か二人、別にギターリストが伴奏しているのかと思った。

曲名は「別れのサンバ」。ブラジルにサンバとかボサノバというフォークとは別の音楽がある、と言う事は高校生でも知っていた。

そしてTVの深夜番組で、ただ一人、あの複雑そうなコードとメロディを弾きながら歌っているのを見て、ズゴイ!、と思った。
長髪にサングラス。これはフォークシンガーのよくある風貌だか、この人はフォークとは別モノなのだと判った。ナンセ、フォークよりカッコイイ。
また、我が高校の先輩に当たるらしい野坂昭如センセイは、深夜でも黒メガネでTVに出ておられたので、夜にサングラスはファッションだとも思っていた。
長谷川きよしサンが、幼い頃から眼が不自由だった事をあとで知った。サングラスはファッションだけではなかったンですね。

その後、ワタクシはジャズファンになったので、強いて長谷川きよしサンのLPを聴くことはなかった。

長谷川きよしサンのCDを初めて買ったのは、20年程経って、毎週、中・四国地方へ出張する営業マンの時だった。

当時、出張の帰り、毎回新神戸駅そばのショッピングセンターをブラつき、浮かした出張費で時々CDなどを買っていた。
ショッピングセンターにあったレコード屋サンは、本社が東京の全国展開の大企業、スイングジャーナルとの共同でLP再販の企画をやったりしていて、学生の頃、ジャズ喫茶で聴いただけのLPも何枚か買った。

ジャズに少し飽きた頃、その店で長谷川きよしサンのCDジャケットが眼についた。
青みがかかった黒い背景に、赤いシャツが鮮やかな長谷川きよしサン。相変わらず長髪にサングラス。早速買って帰った。

作品は当然、フォークではない。
ピアノとペースとパーカッション、そして妖しく、エロチックな吉行和子サンとのダイアローグ。
「エエやン、粋やン」、しかし、CDはそれだけ。その前はLPらしい。

数年前、それらLPの一部、70年代後半のモノがCD化され、全て通販でGet出来たが、加藤登紀子サンとの「LIVE」がナゼか抜けている。フォルクローレの作品なとが含まれている様だが、ナゼCD化されないンだろう。
そうなると、どうしてもGetしたい愚かなサガ。

先日、フト思いついてネットで探して見ると、中古レコード屋サンのサイトにあった、送料込¥2,080.-。これ1枚だけだった。

で、早速ゆうちょ銀行の指定口座へ振り込み。

そして、フト思い出した。レコードプレーヤーのベルトが伸びてる。何年も前からだ。

ロクに聴きもしないノもあるが、いつの間にかLPレコードが300枚弱、貯まっていた。その約8割はModernJazz。
同居人はいないので、ガンガンかけても文句は言われないが、度を過ぎると近所に迷惑かける。ひとりジャズ喫茶は遠慮気味にやらないといけない。

しかしベルトが伸びればどうしようもない。
ホーンの入った早いリズムの曲なら気にならない事もあるが、例えばBill EvansのMy Foolish Heartの出だし、ポン、ポンと来てScott LaFaroがドンと入って来るこのマが、まさに伸びて情けない。杏里チャンの声もダラしなく伸びて、カラダの調子が悪いのか、と心配しそうになる。

エライこっちゃ、ナントカしないと。

メーカーのTRIOは名前まで変わって、当然レコードプレーヤーなど作っていないし、ベルトもズッと前から製造中止だし、自作しようにも正規の寸法判らんし。
しかし、これもネットで調べると、ナント、レコード針のナガオカでやっている事が判った。
伸びた現物の長さを測って、それに近いモノを選べばいい様になっていた。送料込¥2,220.-を早速振り込み。

先週、メデタク、LPとベルトが届いて、まずベルトの交換。

Imgp4079_2 左が新品、右との伸び具合がよく判る。幅と厚みが少し大きい。これでキチンとしたスピードで廻るのだろうか。

Imgp4081_3 そして、34年前のライブ盤。

魔法使いのオバアサン(?)の様になる前の加藤登紀子サンと、スティビー・ワンダーに近い禿あがり(?)になる前の長谷川きよしサンが並んでます。

プレーヤーはチャンと廻った。長谷川きよしサンの声は伸びていない。久しぶりのLP、バチバチ音が気になるが懐かしい。

LPの最初の曲はサンバ・プレリュード。
この曲、吉田慶子サンの1枚目のCDにも入っていた。
吉田慶子サンはボサノバやサンバ・カンソンを全てポルトガル語で歌いはるが、この長谷川きよしサンとのデュオだけは日本語。
慶子サマの柔かい、かぼそい声が「あなたがいなければ、私はどこにもいない」と歌っている、エエやン。

歌詞カードをよく見ると、訳詞:加藤登紀子、長谷川きよしで、書いたのはVinicius De Moraesと言う人らしい。この人、確かTom Jobimと一緒に沢山のボサノバを作った人だ。
「フィリシダージ」と言う曲で、幸せには終りがあるが、悲しみには終わりがない、と詠った人だ。
映画「黒いオルフェ」の最初のシーンでこの曲が流れて来て、「幸せは儚く、悲しみは果てしない」と字幕が出て来て、サウダーデちゅうのはこう言うコトか、と思った。

このサンバ・プレリュードでも「悲しみが過ぎゆき、悲しみがやってくる」と来て、「あなたがいなければ、私はどこにもいない」と続く。

しかし、長谷川きよしサンは、フツーにCDとかで聴くことが出来ない曲を沢山教えて下さいます。この曲もそうだし、ジルベール・ベコーなどの曲もそうだった。
そう言えば、金子由香利サンの日本語のシャンソンからも、シャルル・アズナブールを知った。

Imgp4084 ベルトを交換して、LPも復活した。アリガタイ。

~あなたがいなければ、私はどこにもいない~


移り、消え、空間が出来て、寂しいけれど、おもしろい

2012-10-15 15:23:17 | 一人ブラブラ

今年の暑い夏は、自転車にも乗らず、山にも登らず、北海道へ2回、高知へ1回、車でひたすらブラブラしただけだった。
運動せず、汗をかかず、ダラ~っとしていたので、筋肉はゼイ肉になり、2つかみ程がハラ周りに付いていて、醜い。
29インチのLevisがキツイ。屈んで靴のひもが結べない。あぁナサケナイ。

北海道と高知、車で走った道沿い、町の飲食エリアはどこも人がいなくて寂しかった。
京阪神と比べたら寂しくて当たり前、しかし京阪神と比べると正に無人状態に限りなく、近かった。

国道沿いの街は店が閉まっていてシャッター街道、夜の飲食街はシャッター通り、開いている店を見つけるのが大変だった。
そしてたまに見かけるのはお年寄りばかり。若者はコンビニにチョコっといたけど。

しかしまぁ、アラカンのオッサン一人旅、観光客で賑わうスポットには行かなかったので、寂しいのはアタリマエ。
皆が集うネットワークなどとは縁を切り、人のいない所を好んでウロチョロしていたのだから、アタリマエ。

しかし、お年寄りばかりで、若者がチョコっとしかいない土地でも、産業があり生活がある。

「都会の人から見ると確かにサビレてますけど、ボクら、生まれた時からこんな感じで育ってきたし、まぁナントカ喰えてますしねぇ、ただ小学校、毎年合併とかで無くなっていくし、確かに寂しくなっていきますねぇ」と、霧多布で居酒屋のオニイチャンは言っていた。
「そやけど、そんなンそう心配せんでもええでェ、神戸でも閉校は多いし、しかしウチの廻りは新しい住宅街出来て、ヒト増えてるなぁ、そうか都会は都心から郊外へ移ってルだけやねぇ」
「そうですよ、ここは消えていくだけです」
立ちあがれニッポンとか、ガンバロウとかの勇ましい掛け声は、この人達にどう届いているのだろうか。どんな希望が伝わっているのだろうか。(余計なお世話ですけど)

都会では消えない、移るだけ。

垂水駅前の市場もほぼシャッター通りになっている。しかし、直ぐ近所に大きなスーパーが出来ている。
店は消えてはいない、移っただけ。市場の小さなお店は大きな資本のスーパーに移っただけ。市場跡はいずれ区画整理され、また大きな店が出来るのか。(余計なお世話ですけど)

四国の製紙工場が集まる地方都市、駅前はシャッター通り。四国道のIC近くに大きなショッピングセンターが出来ていた。ここも小さな駅前の店が、大きな資本のスーパーに移った。しかも離れた場所に移った。
ICを降りて直ぐだから、高速道で遠くの客も沢山来る。そしてドカッと買っていく。
しかし、車がないお年寄りはどうするのだろう。また、今は元気で車飛ばして遠くでも行ける現役層も、やがて運転できなくなるハズ。その時はどうするンだろう。近くのタンボに年寄り用の住宅街でも出来るのか。(余計なお世話ですけど)

先日、用があって三ノ宮へ出た。時間が余ったので、二宮から布引への、昔通ったルートを散歩した。ヒマやし、町の散歩は好きやし。

二宮の市場は、数年前はまだ店が数軒あったが、完璧にシャッター通りになっていた。
市場の北には、大衆演劇の芝居小屋があって、オフクロはいつも、避ける様にワタクシの手を引いて、足早に通り過ぎていた。ワタクシは蠱惑的な何かを小屋の中に期待し、いつか行ってみようと思っていたが、気がつけばスーパーに変わっていた。
この日、そのスーパーもあまり人がいなかった。三ノ宮までは歩いても直ぐだ。

布引から、通っていた小学校のある熊内へ、更に進む。
小学校から市電が通っていた大きな通りを隔てた南側の一角には、昔、小さな市場があったが、影も形もなくなっていた。
その前の通りには友達の家が数軒あった。家やアパートが密接しているエリアで、真昼間でも日が射さない部屋に友達はいた。
しかし、いくつか空き地になっていて、車が停められていた。
当然、当時の友達はいない。一人は東京にいるし、一人はHAT神戸、一人は鈴蘭台にいるらしい。
下校時間だったので、小学生がグループで歩いている。
「コンニチワ」、女の子の一人がいきなり挨拶して来たので驚いた。他にウロチョロしているオトナはいなかった。若い女性から声をかけられるのはアリガタイ事だ。キチンと挨拶を返した。

小学校の東側の通りを山に向かって上がる。ワタクシの通学ルートだ。毎日通っていた。
昔、小学生が広く感じたこの通りも、空き地が目立った。
南欧風(?)デザインの比較的新しい一戸建がズラ~っと並んだ一角があった。そこには中学の時に通っていた塾の家があった。娘さん二人の家庭だったハズだ。結局皆さん、ここから離れたと言う事か。
しかし、タタミ屋サンとお米屋さんはまだ昔のまま残っていた。

Imgp4071_2 そしてこの店、うどん、そば、丼、巻き寿司などを供していたメシ屋さん。、確か熊内庵と言ったはずだ。
何度かオフクロに連れられて行った。父兄参観が終わった後、ここで親子丼やきつねうどんを喰って帰った。この先、布引谷・山の家へまでの通学ルートにメシ屋はない。
かなり前から閉まったままだが、今でもこの景色を見るとナゼかウドンダシの臭いが甦る。
この路地の先には当時、駄菓子屋などもあった。この日はサビシイ路地だった。

バス通りを渡った突き当りにはラブホテルがあったが、今は大きな一戸建になっている。

Imgp4072_4 そこを西に曲がると昔からのアパートが立派に残っていた。キチンとメンテしながら使い続けられている様子、頼もしい。
背景の高級、高層マンションにはないヒトの何か、がこのアパートにはあるような気がする。

この先を左に進むと、新神戸駅を跨ぐ陸橋があり、神社への階段に繋がっている。神社には幼稚園が併設されていて、54年前、ワタクシは園児だった。

陸橋を渡ると、園児と若いママ達が階段の下で歓談中。
そこから振り返ると、先月末、兵庫の遠矢浜の町工場で、無辜の女性事務員を道連れにガソリン被って死んだオッサンのマンションが見えた。同居していたらしいオバアサンのミイラが発見されて大騒ぎになったあのマンションだ。報道された写真は多分この陸橋から撮ったモノだと思っていたが、その通りだった。

布引谷・山の家へはここから歩いて30分以上。行くにはもう遅いので戻ることにする。

西へ進むと新神戸駅の2階。外では修学旅行の高校生が並んで座り込んでいた。

新神戸駅は布引谷・山の家に行く度にくぐっているが、2階へ上がるのは久しぶりだ。

30歳半ばに特殊機械メーカーに転職した後、バブル後期から失われた10年が終わる頃まで、ほぼ毎週この駅から出張していた。火曜日の早朝に出て、木曜の21時頃戻るパターン。翌金曜には東京へ日帰り、と言うハードな週もあった。
もうウンザリだった。そして、早期退職すると2階へ上がる必要はなくなった。

コンコースのレイアウトは以前とゴロッと変わっていた。改札や切符売場がエライおしゃれな感じになっていた。おしゃれな改札をスーツ姿の旅人が通過していく。
スーツ姿なのにほとんどがノーネクタイで、ワイシャツの前をダラ~っとハダケている。
昔からスーツ姿でネクタイをしていないセールスマンはいた。それはフーテンの寅さん。つまりカタギではない。
クールビズとは言え、こんなダラしないファッションがビジネスの世界に流行っていて、まともに仕事しとンのやろか、コイツら。(余計なお世話ですけど)

1階へ降りずにコンコースを突っ切り、ホテル下のショッピング街に通じる陸橋を渡る。

20年程前、毎週、中四国の田舎から帰って来ると、直ぐ地下鉄には乗らず、必ずこの陸橋を渡ってショッピング街をブラッとして帰った。キラびやかな店舗の前を通ると、地方から間違いなく都会へ帰って来た、と実感できた。
しかし、このショッピング街は不思議な空間だった。

客のほとんどいない煌々とした空間、ここは生きているのか、死んでいるのか。ウィークディの21時過ぎだから当然だが。
不思議と言えば、出来た当時からこのショッピング街には、神戸の所謂老舗、三ノ宮の地下街などにある店は出店していなかった。
初めて聞く名前のスポーツ用品店やレコード屋サン。どちらも東京が本店だった。浮かした出張費でよくテニス道具やCDを買って帰った。
地下にはシャレたお菓子屋さんがあり、ホワイトディの前日はそこで義理チョコのお返しを調達したりした。
その時間はそこそこシアワセだった。

その後、それらの店はドンドン閉まっていき、ある時期からシャレたお菓子屋さんは食品スーパーになり、階上の広いフロアーは家具の展示倉庫の様になっていた。夜遅くなくても、家具を買いに来ている様なヒトは見掛けなかった。

Imgp4073_5 そして、家具の展示倉庫も無くなり、そのフロアー2~3階部分全体がパーティションで覆われた。

Imgp4074_2 パーティションで囲われた空間をエスカレーターだけが静かに動いている。

Imgp4075 不気味だが面白い。アラカン親父のヒマつぶしには丁度いい。

デジカメもって登り降りしていたら、ガードマンに呼び止められた。
「あのォ~撮影の許可はとっておられますゥ?」
「アレっここ、写真アカンの」
「エエ、館内の撮影はご遠慮頂いております」
「ああそう、撮ったンはどないしょ」
「イヤ、それは消して頂かなくて結構です」
「ゴメンな、そやけど店やヒト、写してへんし」

と、言うか、ウィークディの午後だったが、相変わらず人はほとんどいなかった。

そもそもバブルの頃からこのショッピング街の、各店は儲かっていなかったのではないかと思う。
三ノ宮からは地下鉄に乗らないと来れない。ワザワザ来るほどの店もない。布引谷・山の家からの帰り寄った事もあったが、ウィークエンドの夕方もあまり賑わっていなかった。
客はワタクシの様に、新幹線を利用する出張のついでにフラっと寄るモノ好きだけ。ワタクシはCDやLP、かなりここで買いましたけど。

バブルの頃は店を出しておけば、売れに売れて笑いが止まらなかった、と言う話をよく聞いたが、売れる、売れない、儲かる、儲からないに関わらず、店を出しておけばいい、と言うのもバブルの一面だったような気もする。
毎週、地方へ特殊機械を売りに行っていた立場から言うと、店を出しているだけで売れる、などと言う事はあり得ない。
バブル:泡とは中は空間、所詮何もない。
そして、今、2~3階分の売り場はただの空間になっている。ある意味、面白い。

昔、このホテルとショッピング街の場所には市民病院があった。

Imgp4076 その対面に見える駐車場辺りには、当時「アイドル」と言う喫茶店があった。マンガ雑誌の新刊が毎週揃っていて、ワタクシは大学生の頃からの常連。入り口直ぐの二人席が定位置で、週に数日は夕方、その席で過ごして帰った。
医師も白衣のまま、よく来ていたし、病院への出前もよく出ていた。

それから10年以上経ち、毎週、新神戸駅から地方へ出張する様になった頃、「アイドル」はなくなっていた。
どこかへ移ったのか、消えたのかは判らない。

Imgp4078_2 このホテルが出来た時、六甲連山を背景にニョキッと聳え立つ異様な光景を、雑誌「山と渓谷」なども批判したものだったが、今や周辺には同じ程度の高い建物が数棟建っている。

ホテルの下のショッピング街に並んでいた、キラびやかな沢山の店はどこかへ移って、今は大きな空間になっている。
周辺の新しい高層マンションなんかも、その内沢山の空間が出来たりして。