蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

例年より約1m少ない積雪量の白馬のハクジン達

2016-04-28 10:47:31 | 山とスキーでブラブラ

今年の信州・雪山通いをオシマイにして、1ヶ月経った。

今年の栂池・定宿には、マゴ娘のナナちゃんと、その従弟のシュウヤ君がいた。
シュウヤ君のお母さんは若オカミの妹サン、二人目のお産で、長男のシュウヤ君を連れて里帰りしていた様子。

ナナちゃんとシュウヤ君は、眼が冴えてノッてくると、昼夜を問わず「ウッキ~ッ」と叫びながら、ロビィ、食堂、廊下、をドタドタと走りまわり、ワタクシを見つけると寄って来てハイタッチにする。彼らはべピィギャングでありエンジェルであった。

この二人を中心に、定宿の家族との会話は例年より弾み、それはそれで楽しかった。

信州・雪山通いが終わると、他者との会話は、パン屋と酒屋のオバちゃんとの挨拶と、スーパーのレジでの「袋入りません」が、それぞれ週1回。
トータル週3回の発声となったが、今のところ声帯が退化していく兆しはないし、それはそれで楽しくないコトはない。

そして、PM5時になると呑み始め、7時過ぎにキゼツ、日付が変わる頃よみがえると、食器を洗って風呂に入り、再度呑み始め、夜明けとともに再度キゼツする、そんな酒浸りの日々に、アッと言う間に戻ってしまった。

しかし信州・雪山の状況は、未練がましくネットで毎日観察している。

例年より1m 程少なかったスキー場は、雨も降ってドンドン雪が融け、4月早々には下まで繋がらなくなり、今週初めには栂の森も滑れなくなった様子。
4月後半でも下まで滑って降りれたシーズンもあったから、やはりこれは異状。

40年程前だったか、2年連続して正月に八方尾根に行ったことがあって、その頃も雪不足で、確か名木山まで滑れなかったと記憶している。
ハチ北や神鍋も雪不足、地肌剥きだしの箇所があちこちにあり、ソールのキズをしょっちゅう修理していた記憶もある。
ただヘンにぬるくて、雨が降ったりと言うコトはなかったと思う。やはり今年は異状だと思う。

積雪量は1m少なかったが、ハクジンは相変わらず多かった。

5~6年前、林道ではハクジンと言うか、誰もいない日が多かった。当然圧雪されてはおらず、シールを付けて直ぐラッセルが始まる日もあった。
何度か遭遇したハクジン、このイケメン君は、宿のアルバイトだと言っていた。「古民家を改造したガイジン向け旅館が、最近森上に出来た」、後でそんな情報を定宿の主人から聞いた。
別の日、バイト君はガールフレンドを連れて来ていた。しかしその日、天狗原への斜面を登っているのは、ワタクシと彼ら二人だけだった。

それが数年前から、林道では毎回、数グループのハクジン達がシールを貼っている。ニホンジンはワタクシだけ、と言う日が何日もあった。ワタクシの周りで、10人以上のハクジン達が、ナンチャラカンチャラ喋りながら準備をしている。ここはホントにニホンなのか。

また今年は、講習を受けると、昨年まで進入禁止だった、ゲレンデ外エリアも滑れるようになったそうで、誰に気兼ねすることなくハクジン達は、ロープの外の藪の中へ入って行った。
彼らはロープで規制された“不自由”を嫌うのか、それとも多くが踏み入らない自然を“征服”したいのか。
いずれにせよ、叫びながら、藪の中を滑っていた。

  しかし今年の積雪量は1m程少ない。藪が例年より深い。

そんな中で、藪に引っ掛かってモゴモゴしているハクジン、ボードを抱えツボ足でラッセルしているハクジンが、何人かいた。
これはマコトに滑稽だった。ホンマ、アホっチャうか、リフトの上から眺めながらそう思った。

同級生にはキム君やチョウ君がいたし、よく通った中華屋サンは台湾の家族。
ジュークボックスのドーナツ盤をガンガンかけ、ハイボールを10杯以上呑んで騒いだ、三ノ宮地下の酒場のママさんは福建省出身。
昔からガイジンは周りに沢山いて、フツーに付き合っていた。

しかしハクジンはいなかった。
ロープで仕切られた、誰も踏み込んでいないゲレンデの外、藪の中へズカズカと踏み込んでいく、そんなハクジンの心境は、ホントよく判らない。

栂の森のカフェテリアで、密閉容器から出したニンジンをペティナイフでカットして、サラダにして喰っているハクジン女性がいた。仲間とワイワイ言いながら、自宅リビングでフツーにランチしているようだった。
また、カフェテリアで休憩しようと、建屋外のいつもの場所に板を突き立てようとした時、側に突っ立っていたハクジンオバサン。上下黒いウェア、顔を陽に向けて小刻みにステップを踏んでいる。何かモジモジしているようにも見える。大阪のオバちゃんがそばにいたら、「アンタ、トイレやったら中にあんで」、と言うかも知れない。 
10分程後、外に出ると、同じ場所でまだモジモジしていた、このオバサン、スキー場に何しに来たのか。

林道でワイワイガヤガヤ喋りながら準備しているハクジン達は、先行するワタクシに直ぐ追いついて来て、「コンナチワ~」とか「オハヨウゴーザイマ~ス」と、言いながら追い抜いて行く。
彼らはデカイし、一歩もデカイし、そして何と言っても、身に染みついた競争原理が、ニホンジンとは桁違いにデカイのだろう。そんなンと競争する気は起きない。

 しかし成城大小屋を過ぎ、トレースを辿るようになると、ハクジン達は追いついても後に続くようになる。トレースを外れ、ザクザクとラッセルすれば追い抜けるのに、素直にワタクシのペースに従っている。ナンカ変な感じ、しかも鬱陶しい。
仕方なく傾斜が落ちた場所で、ワタクシがトレースを外れ、彼らに先を譲ると、彼らは全員、満面の笑みを浮かべ、「アリガトゴザイマ~ス!!!」、「#$%&~!!!」、とか叫びながらパスして行く。
競争原理が染みついたハクジンには、先を譲られると言った経験は、少ないのかも知れない。ワタクシは彼らに、ニホンジンの譲り合いの精神を、教えて差し上げたコトになる。
今年は少なくとも5~6回、教えて差し上げた。それだけバックカントリーにもハクジンは多かった。

定宿の若オカミは、白馬のスーパーへ行くと、ペンションオーナーのハクジンが、ロールパンやコーンフレークを爆買いしている、と言っていた。
廃業したペンションやロッジをハクジンが買い取って、ハクジン客向けに経営していて、ハクジン客は夕食は外で済ますが、朝食は必要で、その食材を大量に調達しないといけないのだとか。
ワタクシなんぞ、スキー場では民宿で地酒を呑みながら、女将の作るバンメシを喰らうのがアタリマエだと思っていたが、ハクジン達は外へ呑み喰いに出るらしい。寒いのに。

ハクジン客は春になれば帰国するのに、ペンションオーナーのハクジンはどうするのだろう。一緒に帰国して、また冬に白馬に来てペンションを開けるのだろうか。
「イヤ、ここにもうズッと住んでますよ、夏は家の設計したり、ドカタやったり、フツーに働いてますよ、その内かなりのハクジンが住みついて、彼らの文化が出来ていくような ・ ・ ・ 、白馬高校にも国際観光化が出来たし、全国から生徒、募集してますし」、松川畔の酒屋の女将はそう言っていた。ハクジンの文化が出来ることを歓迎しているような雰囲気だった。
ケッタイなハクジンは沢山いたが、ヘンに排他的になるより、そう言うのも歓迎した方がイイ、確かにそう思う。

「ところで、アイツら、若いのもそこそこおりますが、普段は何して稼いどンですかねぇ」、ある日、定宿の主人とそんなコトが話題になった。

長期間の休暇はハクジン界ではよく聞くハナシ。また、オーストラリアからなら、飛行機代も大して掛らないのかも知れない。
しかし、1ヶ月以上の宿代、食費、かなり嵩むハズだ。二十歳代と思しきオニイチャンやオネエチャン、何の仕事でン十万の遊び代を稼ぐのか。
「ホントだねぇ、富裕層か何かのコドモじゃないのぉ」、定宿にはハクジンの客はいない、主人はどうでも良さそうに応えた。