蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

安曇野市へ転入した後、ゲレンデでノンビリ過ごした2月の第4週

2017-02-25 16:27:50 | 山とスキーでブラブラ

21日、前週同様、滋賀では降雪で、除雪車の後を関ヶ原を過ぎるまでノロノロと進み、その後は順調に安曇野に着いて、ともかく市役所へ。

 合併で安曇野市が出来たのは数年前だから、当然市役所の建屋は新しい。内部にも至る所に木が使われ、明るく開放的でイイ雰囲気。

ロビーに入るとオネエサンが待機していて、ご案内して頂く。
転入のカウンターは一番手前にあって、担当のオネエサンに神戸・垂水の転出証明書を渡し、転入届けを書き、住居地図で番地の場所を示す。
アンケートなどもあって、転入理由などの回答欄があり、最近転入者は増えているらしい。
転入データ処理中に、ゴミの出し方や自治会入会のオリエンテーション。
その後環境局へ浄化槽の維持管理に関する誓約書提出、これで浄化槽設置の補助金がおりるらしい。
年金は住基ネットに連動して、住所変更されていると、神戸の年金事務所で聞いたが、一応確認して頂き、最後に健康保険証を受け取り、転入手続きは終わった。

 正式に住人となった山小屋へ着く。

 積んできた荷物を下ろす。

 初めて熱を入れる。

 テント泊まりで携行していたラジオを点け、音を入れる。

 屋根ウラにも音を入れる。

 衣類等を運び上げる。

 西の屋根ウラは当面空き部屋。

 サクラの幹を養生し、郵便受けをインシュロックで縛り付ける。そこに名前、番地を貼り付け、表札代わりとする。

この番地はインターネットの地図には出て来ない。ちゃんと郵便物、宅配便が届くのだろうか。

実はこの日の午後指定で、2件の通販を手配していた。とは言え、ここは時間指定対象外らしい。
しかし、12時半過ぎ、佐川便は来た。「ここ、ネットやナビには載ってヘンやろ、よう判ったねぇ」、「イヤ、なんとか探しますよ」、佐川の運チャン、頼もしい。
もう1件は西濃便、16時前まで待ったが来なかった。定宿には17時までに入りたい。仕方なく、施錠して栂池へ向かう。

17時前、定宿着。若女将に保険証を見せ、安曇野市民になったコトを報告。

 22日、晴天は昼までとの予報、上へ登れないコトはないが、ナゼかシンドく、ダルく、朝食後ダラ~っとしていて、鐘の鳴る丘に出たのは10時過ぎ。

 この日は一番北のリフトも動いていた。

 丸山ゲレンデから登り返すリフトも動いていた。ズッと止まっていたので、お年寄りグループが以前、歩いて上がっていた。お年寄りは、イザとなったら我慢して歩くのだ。

丸山ゲレンデでは、いつも数グループがレッスンしている。気持よさそうなので、ワタクシも2往復する。

 丸山ゲレンデの上からハンノ木コースを見上げる。かなりの人が出ている様子。金沢の大学、京都の大学、東京の大学、京都のスキーサークル、見た限り4つのグループが、あちこちでレッスンをしていたハズだ。

  ハンノ木コースではヒットパーク造成中。

 栂の森はハクジンでそこそこ混雑していた。リフトは満席。

栂の森~ハンノ木~鐘の鳴る丘を2往復した後、中間駅へ行くと、この日もインド人美女がいて、ゴアイサツ。
「今日はドウデスカ?」、「シンドくてさっきまで宿で寝てた」、「オゥ、ソレジャア、イッテラッシャ~イ」、今日もイイ日だ。

  その後、栂の森~ハンノ木~中間駅を3往復して、オワリ。

23日、ドン!、音と振動で眼が覚める。ン?地震?、その後もドン、ガラガラ、ゴロゴロ、ドン。
どうやら降った雨で、屋根雪が融け、ブロック状で落ちている音らしかった。 

 10時過ぎ、雨が止み始めたので、外へ出る。

 雨が止むと、風が強くなって、ゴンドラは止まってしまった。

 ここから1時間程の所に棲家がある。それは贅沢であり、幸福であり、なんの義務も束縛もない。ノンビリしているだけでイイ。

 リフトを乗り継いで登り返して行くと、栂の森の手前のリフト乗り場は、大学生の集団で渋滞中。屋根雪がドドドっと崩れ、リフトは停止中とか。30分以上止まったままらしい。
ゴンドラも止まったままだし、もう栂の森へは戻れない。下の方でチョコチョコ滑るしかない。
結局この日は25回リフトを乗ってオワリ。

 24日、いつも寄る、松川畔の酒屋の駐車場からの眺め。これからは、車で1時間走れば、この景色が見れる。アリガタイ。

安曇野・山小屋に戻り、郵便受けを開けると西濃運輸の不在連絡票が入っていた。何とかここへ宅配は届き、郵便受けも機能している様だ。

さて、これからはしばらく、神戸へは荷物を取りに通うことになる。

 R19の木曽路・上松、寝覚の床で、遂に車の走行距離は20万キロとなった。


やっと安曇野・山小屋の引き渡しを受ける

2017-02-13 00:47:38 | 山とスキーでブラブラ

JR大糸線・安曇追分駅から、我が穂高有明の地へ至るルートの、駅から約1kmの所にある設計事務所に初めて行ったのは、昨年の2月5日だった。
タンボが点在するエリアの集落にある、大きな屋敷の蔵を改造し、事務所にしていた。

安曇野のちひろ美術館から南へ1km弱の所に、板張りの山小屋風建物があって、そこは障害者支援作業所らしく、そこを建てたのがその設計事務所だと紹介された。

安曇野にどんな設計事務所、工務店があるのか、全く情報が無いワタクシ、どこがエエか悪いかは判らない。
ただどんなモノを立てたいか、間取り配置等、スペックは決まっていたので、あまり気にせず、話しを進めた。
要は、こっちが言う通りのモノを作ってくれればイイだけなのだ。
設計事務所、工務店は、強度等物理的問題、違法性が無ければ、注文主の指示を励行するのはアタリマエ。

この設計事務所は夫婦でやっていて、障害者支援作業所の山小屋風建物は、ヨメさんが担当したので、ワタクシの山小屋も彼女が担当するコトになった。女性の設計士が担当するコトに、ワタクシは意義はなかった。女性が活躍する時代にならないといけない。

しかしこの女性、間違いがあったり、こちらの意図が伝わらなかったり、ホンマ大丈夫か、と何度も感じた。
TELなら、言った言わないのトラブルが生じるので、メールでやり取りし、文書記録を残しましょ、と言うコトにしたが、この女性設計士、メールをキッチリ読んでいないのか、読む能力がないのか、意図的なのか、恣意的なのか、都度間違いを指摘するのに辟易としていた。

そして最後の最後になって、この女性の大きなミスが発覚した。彼女は、図面の絵は訂正したが、文言が訂正されていなかった。
工務店は矛盾した図面を与えられて、関係者に確認すべきものを、文言を優先した。
そしてワタクシが指示したモノと違う階段が出来て、ワタクシは遂にキレた。

ただ、出来上がった階段は、大工サンが丁寧に製作した頑丈なモノ。
30年以上、モノを作って売っていたワタクシ、そんな丁寧な作品をやり直せ、とか改造せよとは安易に言えないし、前週、その大工さんも交えて、ナントカとかならンもんか、打ち合わせをしたが、段々気の毒になってきた。

工務店は当初、建材設備メーカーの階段を取り付ける予定だったらしく、それがプレカットした長野県産の集成材を組んだモノとなり、決してグレードダウンしたワケではない。
また工務店は社内の伝達ミスとして、追加費用の9.5万(ワタクシの計算では2.7万)を放棄した。
仕方ない、不本意だがこのまま引き取るしかない。

と言う事で、10日、引き渡しを受けることにした。
引渡し書にサインしてオワリ。最後のお金は翌月曜、振り込むコトにして、鍵を受け取った。
結局、女性設計士は自分のミスを最後まで白状しなかった。

工務店と女性設計士が帰った後、工務店から紹介された保険屋サンが二人、登場。火災保険の手続きをした。火災が10年、地震が5年になるらしい。
「家財道具はどうします」、しかし高価なモノはない。
中に入れるのは、山とスキー道具、自転車が3台、ギターが3本、古いレコードとCDがそれぞれ200枚程、棚2台分の本。それらが燃えても、何の不自由はない。
むしろ、ワタクシが死んだ後、ムスコやムスメの棄てる手間が減るだけ。結局100万にしてオワリ。

 保険屋サンも帰り、やっと安曇野・山小屋で独りになった。陽は差しているが、暖房がまだないので、寒い。

 底にまだ雪が付いたままの車も中に入れた。ここがコイツの、これからの居場所になる。

 神戸に持って帰る必要のないスキー道具も降ろした。

 豪華、快適なモノは何もない、ガラ~んとした山小屋、予定通りでは、ここで死ぬまでの20年余りを過ごすことになる。

さてどうなりますか。取りあえず雪山に通いながら、ボチボチ遊び道具を運ぶことになる。


最後はニホンジンのオネエサンがパスして行った天狗原

2017-02-13 00:25:58 | 山とスキーでブラブラ

いずれにせよ温暖化なので、一時的にドカッと雪が降っても、直ぐ暖かくなって、しかも雨が降ったりして、程なく雪は溶ける、と思っていたが、ありがたいコトに栂池の積雪量は安定して3m超。 

7日、たまもや滋賀に入ると雪がちらつき、それが徐々に強くなり、除雪車が先行しているのか、いつの間にかノロノロ運転が関ヶ原辺りまで続く。
安曇野ICを降りてからも、前週ほどではないがノロノロと走り、定宿着は前週と同じ10時半。 

 宿で暫し仮眠後、鐘の鳴る丘へ出ると、どこかの学校のスキー教室がランチタイムで集合中。

リフトを乗り継ぎ、上へ行く。

 丸山ゲレンデの上から見る墨絵の様な景色。

 ズッと止まったままのリフトのイスには、やっと例年通りの積雪。

 栂の森は相変わらずの強風。

 栂の森~ハンノ木~中間駅を3往復し、最後は鐘の鳴る丘へ下り、オシマイとする。

 8日、この日もどこかの学校がスキー教室で集合中。

天気はパッとしないが、行けるトコまで登る事にする。

 林道へ着くと、年配らしきニホンジン二人組が出発して行った。9時半前、ワタクシも出発。

 この日は早大小屋を過ぎても林道にトレースがあった。ガイジンはほとんど、早大小屋からショートカットするので、これは先程の年配ニホンジンのモノか。

 成城大小屋、10:40着。

 次々とハクジンの若者がパスして行き、天狗原の斜面にはザッと20人。

 自然園にもトレースが一本。

台地に上がる寸前で、後ろから「コンニチワ~」と、心地よいソプラノのゴアイサツ、ニホンジンのオネエサンが少し離れたトレースをパスして行く。

 12:40、天狗原着。前週ほどではないが、相変わらず、風強く、周りには誰もいない。

乗鞍の斜面には、トレースを刻んでいるノが一人。ワタクシは北側の岩陰に移動して、下る準備。

この日、林道は圧雪されておらず、ノンビリ楽ゥに下れない。しかしトレースをノロノロ下るのもツライ。しばらくヤメていたが、思い切ってショートカットを下ってみた。

 13:40、栂の森カフェテリアに戻る。

 9日、朝食後、天気もパッとしないので、しばらく部屋でダラ~っとして、10時過ぎ鐘の鳴る丘へ出る。

いつも通り、リフトを乗り継いで上へ行く。

栂の森でリフトに乗ろうとすると、係員が板を1本持って待ち構えている。前の客に渡して下さい、との事。
セミファットの板を持ってリフトを降りると、ファットなハクジンのオバサンが待ち構えていて、「アリガトウ~」、ダンナらしき髭面が憮然と側に立っていた。
しかしこのオバサン、なんでリフトに乗り場で板が脱げたのか。
ゴンドラを降りて板を履き、数10m滑り降りて栂の森のリフトに乗る訳だから、履き方に不備があれば、途中で外れるハズ、と言うコトは、ファットなオバサン、乗り場でヒールピースをストックで突いて脱いだのか。
何でそんなコトを、やはりハクジンはよく判らない。

何回目かのゴンドラの中間駅、珍しく長い列、次々と満員のゴンドラが通過しているらしい。
一人なら乗れる、と係員から案内され、5人乗っているゴンドラの片隅に座った。
ゴンドラには、スキーインストラクターのオネエサンと、 大阪は摂津市の女子中学生が載っていた。100人以上でやってきているとか。
インストラクターのオネエサンも、関西でスキー指導をやっていて、栂池へ移住したそうだ。

中間駅から栂の森まで、ゴンドラの乗車時間は15分、その間、途中から乗って来た、この変なオヤジは、彼女達の会話に参加し始めた。
しかし彼女達は、そのオヤジとの会話に、時には笑って対応、ナント優しい女の子たち。
栂の森へ着いて、その変なオヤジは、「みんなカワイイねぇ、それじゃバイバイ」、と言い残し去って行ったのであった。 

 その後、馬ノ背を2回往復。

この日、ゴンドラの5回目、中間駅の係員はインド人(多分)の女の子、浅黒いおメ目パッチリの超美人。多分、今シーズンから登場。
ほんとに可愛いので、ゴンドラの乗り降りの度、「ドウゾ」とか言われると、思わずニヤッとして「アリガト」、と答えてしまう。
この女性も、この変なオヤジを覚えてくれたらしく、 度々見掛けるワタクシに、「オスキデスネ」、ワタクシ嬉々として「今日は5回目なんよ」、彼女、ドアを閉めながら「オースゴィ」、変なオヤジは、とても幸せな瞬間であった。

  前日から降り続いた雪は、大して積もっていなかった。

 15分弱で脱出可能状態に。

来週は急な団体さんで満室、次回は再来週となる。

 「来週、渡せないんで、これ」、と若女将からのバレンタインサプライズ。美味かった。

 

 


ハクジンの若者に気遣われた暴風の天狗原と安曇野・山小屋の状況

2017-02-04 13:47:27 | 山とスキーでブラブラ

栂池の積雪量は3m前後を推移、31日は滋賀辺りで雪がチラチラ、途中2回少し仮眠したが、安曇野ICには滞りなく到着。
しかしその先からは、今回も雪の残った道をノロノロと進み、定宿着は10時半前。 

前日は雨で、雪が降ったのは未明の数時間だけだったらしい。

 宿でも暫し仮眠、鐘の鳴る丘へ出たのは12時半。

 ハンノ木のゲレンデには、主にボーダー様御用達のジャンプ台が出来ていた。

 鵯峰にウッスラと陽が射している。

 栂の森のリフト沿いの藪は、やっと例年並みに埋まった。

栂の森を下り、カフェテリアの前を通りかかって、ふと中を見ると、Sサンが手を振っていた。
3人のオトモダチと休憩中。奈良から来た人、大町、安曇野在住の地元の人に、「ボクも今日は神戸から来ましたが、近々安曇野市民になります」と、自己紹介する。
明日は晴れたら上へ登りますよね、と確認して先にカフェテリアを出る。

 栂の森~ハンノ木~ゴンドラ中間駅を3往復し、その後栂の森から鐘の鳴る丘へ下って、初日は終了。

2月1日、「午後は天気、崩れるみたいですよ、気を付けて」と、大女将から心配されたので、「悪ルぅなったら、途中で止めて帰って来ますから」と、答えて宿を出る。

 大阪の工業高校がスキー授業を始めていた。

 林道にはハクジンがザッと10人、バックカントリーの準備中。

9:20出発、林道は圧雪されていたが、最初のショートカットは今回もトレースなし。シュプールを辿る。

次のショートカットをヒィヒィ言いながら登っていると、すぐ隣のトレースを追い抜いて行く、ロン毛ブロンズのハクジンの若者、「アーユゥオーライ?」、ワタクシ、ワザとしわがれた声で、「ア゛イムヴェリィタイアード」、ロン毛は、「オー、タイアード?〇☓&%$~」、続くハクジンの若者、微笑みながら頷いて、「コンニチワ~」、ナンかワタクシ、彼らに気遣われているみたい。 

 10:30前、成城大小屋着。

 ハクジンが次々と追い抜いて行く。

 自然園の小屋はまだ1階部分が露出している。今年はもう、今までの様に埋まらないのかも知れない。

天狗原への登りの手前で、後続の気配、振り返ると、「コンニチワ~」、Sさんとオトモダチ二人が追いついてきた。本日の同行者は、Sさんの定宿のオーナーと息子さんとか。先行していただく。

午後から崩れるとの予報通り、時々強い風が吹き始めた。

台地の手前で休憩中のハクジングループ、シールを外している。ここで下るらしい。

その先のダケカンパの大木で休憩中のSさんグループも、風が強いからここから下るとの事。ワタクシ、取りあえず台地まで上がってみることにする。

 台地ではブォ~っと、猛烈な西からの風、ほとんど止み間なくグォ~っと吹いている。とにかく風を避けるべくシラビソの繁みに逃げる。さてどうするか。

何年か前、ダケカンパの大木で引き返すSさんと別れ、白馬乗鞍に向かったワタクシ、その後、最後の登りで風に吹き飛ばされたことがあった。その時は、ゴロゴロ落ちていきながら、ストックの柄が当たり、既にグラグラだった前歯1本が抜けてしまった。

もうそんなアホなコトは出来ない、定宿の大女将にも途中でヤメる、と言ってきている。

12:15、ワタクシも下ることにする。

栂の森カフェテリアに戻ったのは13時過ぎ。缶コーヒ呑みながら、30分程、ボォ~っとする。

 14時過ぎ、ゴンドラ駅まで戻ると、駐車場側では除雪作業中、お疲れさまです。

 2日、予報通りの降雪、吹雪気味。“覆面”をして宿を出る。

丸山ゲレンデはそこそこの新雪、快適そうだったので2往復してから、リフトを乗り継いで上へいく。

 栂の森には人は少なく、しばしばグォ~っと吹雪いている。

栂の森~ハンノ木~中間駅を3往復して、久しぶりに馬ノ背へ行ってみる。

 ここでもスゴイ風。

白樺ゲレンデでは、ナンカのレースの準備中、赤いネットで半分仕切られている。

その後、栂の森へ登り返し、ハンノ木~鐘の鳴る丘経由で帰る。

この帰りルート、今までは鐘の鳴る丘の一番北側を辿ることにしていた。そこは殆んどシュプールが無く、いつもほぼマッサラ。
しかし、今年は鐘の鳴る丘へ登り返す北側のリフトが、何故かズッと止まっていて、そこへ行けない。別にそれでもイイのだが、チョット気になる。
要するに、そのまま宿に帰らず、もう一度鐘の鳴る丘のリフトに乗ればイイだけで、この日はまだ時間が早かったので、そうすることにした。

リフトの前席は、マンツーマンの幼児スキーレッスンらしいコンビが乗っていて、女性インストラクターのヘルメットには白い羽の様なモノが付いている。
リフトを降りてよく見ると、それは牛の角の被りモノ、別の女性インストラクターは赤地の黒ドット柄の被りモノ。 
彼女達は“ウシさん”と“テントウ虫さん”だったのだ。
「これ、恥ずかしいンですよ、ハハハ」と、言っていた彼女達、二人とも可愛かった。

 ほぼマッサラのスロープに、この日はスノーモービルの跡が目立つ。

翌3日、今回も安曇野・山小屋の現場に寄って帰る。

実はこの日は引き渡しの予定だった。

松川村に山小屋風の板張りの建物があり、そこは障害者の支援作業所らしく、建築をどこがやったのか、そこへ訊きに行って、設計事務所を教えてもらった。
そして図面が出来、実際にその作業所の建築工事をやった工務店と、建築請負契約を結んだ。
この設計事務所と工務店、ン?と思うコトがしばしばあって、これはユトリ世代?それとも安曇野人のペース?、と思っていたが、引き渡し直前になって、遂にワタクシ、キレた。

 問題はこの階段。

我が山小屋は、極力シンプルにオープンに、と考えていた。
この階段下もオープンに、光が射すスペースにすべく、ケコミ板のない構造を指示した。
しかし、階段は既製品なのでそう言う構造には出来ない、と言われた。階段に既製品があって、それを買ってきてドンと付ける、そう言うコトをワタクシは知らず、オドロいた。
そしてケコミ板のない構造とするなら、製作品となり、図面がないと見積も出来ない、と言われ、設計事務所に図面を依頼したが、ナゼかケコミ板がある図面が出来上がり、コイツなに考えとンねン、ケコミ板なくせ言うたやろ、と思ったが、ワタクシ、グッと怒りを抑え、修正を指示し、3度目にやっと図面は出来た。
しかし先週、既製品と製作品の価格UP分を清算して欲しい、と工務店が言ってきて、そのやり取りの中で、実際はケコミ板の付いた階段が製作されている、と設計事務所から連絡があった。

こう言うイキサツがあったので、実際はケコミ板付いてます、そりなら仕方ないネ、そんな形では済まされるワケない。

現場へ着くと、設計事務所から3人、工務店から4人、大工サン、LPガス屋、給排水工事屋、建具屋サン等、10人以上が待ち構えていた。

 このケコミ板を外せないか、外せなければ、せめて大きく切り欠いて、階段下に光が射す形に出来ないか、大工サンを交えて打ち合わせした。

 しかし、ウラ板が丁寧に付いている。

原因は、設計事務所の図面にあった。
図にはケコミ板は消されていたが、ケコミ板の文言が消し忘れていた。つまり矛盾した内容になっているのに、工務店はそれを再確認するコトなく、ケコミ板を付ける方向で進めてしまい、大工サンは更に丁寧に仕上げてしまった、と言う訳だ。

いずれにせよ、引き渡しは保留、さてどうするか。まぁ大したコトではないが。