21日、前週同様、滋賀では降雪で、除雪車の後を関ヶ原を過ぎるまでノロノロと進み、その後は順調に安曇野に着いて、ともかく市役所へ。
合併で安曇野市が出来たのは数年前だから、当然市役所の建屋は新しい。内部にも至る所に木が使われ、明るく開放的でイイ雰囲気。
ロビーに入るとオネエサンが待機していて、ご案内して頂く。
転入のカウンターは一番手前にあって、担当のオネエサンに神戸・垂水の転出証明書を渡し、転入届けを書き、住居地図で番地の場所を示す。
アンケートなどもあって、転入理由などの回答欄があり、最近転入者は増えているらしい。
転入データ処理中に、ゴミの出し方や自治会入会のオリエンテーション。
その後環境局へ浄化槽の維持管理に関する誓約書提出、これで浄化槽設置の補助金がおりるらしい。
年金は住基ネットに連動して、住所変更されていると、神戸の年金事務所で聞いたが、一応確認して頂き、最後に健康保険証を受け取り、転入手続きは終わった。
正式に住人となった山小屋へ着く。
積んできた荷物を下ろす。
初めて熱を入れる。
テント泊まりで携行していたラジオを点け、音を入れる。
屋根ウラにも音を入れる。
衣類等を運び上げる。
西の屋根ウラは当面空き部屋。
サクラの幹を養生し、郵便受けをインシュロックで縛り付ける。そこに名前、番地を貼り付け、表札代わりとする。
この番地はインターネットの地図には出て来ない。ちゃんと郵便物、宅配便が届くのだろうか。
実はこの日の午後指定で、2件の通販を手配していた。とは言え、ここは時間指定対象外らしい。
しかし、12時半過ぎ、佐川便は来た。「ここ、ネットやナビには載ってヘンやろ、よう判ったねぇ」、「イヤ、なんとか探しますよ」、佐川の運チャン、頼もしい。
もう1件は西濃便、16時前まで待ったが来なかった。定宿には17時までに入りたい。仕方なく、施錠して栂池へ向かう。
17時前、定宿着。若女将に保険証を見せ、安曇野市民になったコトを報告。
22日、晴天は昼までとの予報、上へ登れないコトはないが、ナゼかシンドく、ダルく、朝食後ダラ~っとしていて、鐘の鳴る丘に出たのは10時過ぎ。
この日は一番北のリフトも動いていた。
丸山ゲレンデから登り返すリフトも動いていた。ズッと止まっていたので、お年寄りグループが以前、歩いて上がっていた。お年寄りは、イザとなったら我慢して歩くのだ。
丸山ゲレンデでは、いつも数グループがレッスンしている。気持よさそうなので、ワタクシも2往復する。
丸山ゲレンデの上からハンノ木コースを見上げる。かなりの人が出ている様子。金沢の大学、京都の大学、東京の大学、京都のスキーサークル、見た限り4つのグループが、あちこちでレッスンをしていたハズだ。
ハンノ木コースではヒットパーク造成中。
栂の森はハクジンでそこそこ混雑していた。リフトは満席。
栂の森~ハンノ木~鐘の鳴る丘を2往復した後、中間駅へ行くと、この日もインド人美女がいて、ゴアイサツ。
「今日はドウデスカ?」、「シンドくてさっきまで宿で寝てた」、「オゥ、ソレジャア、イッテラッシャ~イ」、今日もイイ日だ。
その後、栂の森~ハンノ木~中間駅を3往復して、オワリ。
23日、ドン!、音と振動で眼が覚める。ン?地震?、その後もドン、ガラガラ、ゴロゴロ、ドン。
どうやら降った雨で、屋根雪が融け、ブロック状で落ちている音らしかった。
10時過ぎ、雨が止み始めたので、外へ出る。
雨が止むと、風が強くなって、ゴンドラは止まってしまった。
ここから1時間程の所に棲家がある。それは贅沢であり、幸福であり、なんの義務も束縛もない。ノンビリしているだけでイイ。
リフトを乗り継いで登り返して行くと、栂の森の手前のリフト乗り場は、大学生の集団で渋滞中。屋根雪がドドドっと崩れ、リフトは停止中とか。30分以上止まったままらしい。
ゴンドラも止まったままだし、もう栂の森へは戻れない。下の方でチョコチョコ滑るしかない。
結局この日は25回リフトを乗ってオワリ。
24日、いつも寄る、松川畔の酒屋の駐車場からの眺め。これからは、車で1時間走れば、この景色が見れる。アリガタイ。
安曇野・山小屋に戻り、郵便受けを開けると西濃運輸の不在連絡票が入っていた。何とかここへ宅配は届き、郵便受けも機能している様だ。
さて、これからはしばらく、神戸へは荷物を取りに通うことになる。
R19の木曽路・上松、寝覚の床で、遂に車の走行距離は20万キロとなった。