蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

’61.6.25.のインタープレィ

2014-06-25 14:22:49 | 朽ちゆく草の想い

ビル・エヴァンスというピアニストは、ジャズファンでなくても知られているほど有名だそうで、ワタクシもジャズを聴き始めた10代の終わり頃、深夜ラジオでその存在を知った。

確かその番組では、リヴァーサイドから出た、ジュリアン・“キャノンボール”・アダレィのLPを紹介していて、ビル・エヴァンスはそれに参加し、自身が作った、親戚の女の子に捧げるワルツが、深夜のラジオから流れていた。

この曲もまた、ジャズファンでなくても知られているとても美しい曲で、それが演奏された’61.6.25.ヴィレッジ・バンガードのライブ盤は、ピアノトリオの名盤としてよく取り上げられている。

この時、ビル・エヴァンスは32歳、ジャズ・ベースの革命児と呼ばれるスコット・ラファロは25歳、ドラムのポール・モチアンは何歳か知らない。

というのは、このピアノトリオでよく語られるのは、ビル・エヴァンスと“革命児”スコット・ラファロのことばかり。
確かにスコット・ラファロの演奏はそれまでのペースとあきらかに違う。芸術とか音楽の違いが判らないワタクシでも、それは判ります。

ボキャブラリーの乏しいワタクシはその違い、うまく言い表せませんが、昔の雑誌には、『従来のウォーキング・ベースがメロディック・ラインに、あくまでもコード進行にもとづいて、平列的ラインをつくりだしていたのに対し、ラファロは旋律的対立ラインをもつことによって、ソロ以外では客体であったペースを、真にメロディー楽器ののように主体的なものにしたのである』と、書いてあった。

つまりこのトリオでスコット・ラファロは、単なるビル・エヴァンスの伴奏者ではなく、メロディー奏者としてエヴァンスと競い合っている、ということか。
しかしその競い合いは素晴らく美しい、と思う。
モダン・ジャズの面白さというのは、原曲の和音の範囲で、いかに美しく粋なメロディーを即興で演じられるか、それを競い合うことにより生じるインタープレィ:相互作用、そういうコトがよく判る。

このトリオが出来たのは’59年。
ビル・エヴァンスはその少し前、モード奏法による「カインド・オブ・ブルー」の録音に参加、その後マイルス・ディビスの許を去って、ピアノトリオのリーダーとして新たに活動しようとしたらしい。ただメンバーが中々定まらなかったとか。

そんな中、スコット・ラファロからビル・エヴァンスへ参加の申し出があり、そこにポール・モチアンが加わり、その年の12月出たLPが「ポートレイト・イン・ジャズ」、2年後の2月に「エクスプロレーションズ」、そして6月25日のヴィレッジ・バンガード。

昔の雑誌には、『モードという新しくジャズの中に入れられた手法に対して、ビルは自分なりの解決法を得なければならなかった』と、書いてある。
そしてビル・エヴァンスは、スコット・ラファロという天才ベーシストをメンバーに得て、この頃ノリノリだったのだと思う。
スコット・ラファロはその間、オーネット・コールマンのダブルカルテットによる「フリー・ジャズ」や、ブッカー・リトルのリーダー盤に参加したり、彼もノリノリだったハズ。
何かを究めようとしている若者の、エネルギー溢れるノリノリの気分、それはよく判ります。

恐れることなく邁進する自分と、シンクロする仲間のインタープレィは、無限に増大していく。

しかし、このノリノリのピアノトリオはそのライブの11日後、スコット・ラファロの交通事故死により、終わってしまった。
天才とは夭逝するもの、なんて儚いものなのか。ビル・エヴァンスはそれから半年あまり、演奏活動をしなかったそうだ。

ヴィレッジ・バンガードの演奏は2枚のLP、「ワルツ・フォー・デビィ」と「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード」として世に出たが、結局この稀代のピアノトリオのLPは、メジャーレーベルではリヴァーサイドから出た4枚だけ。

ところが先日、相変わらずダ~ラダラ過ごして、メールをチェックしていたら、Amazonから、「ワルツ・フォー・デビィ+4」と「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード+5」のCDあります、との販促DMが眼に留まった。

欲しい本やCD、LPはネット通販に限る。
店に買いに行くと探さないといけないし、なくて“お取り寄せ”になるケースも多く、届いたらまた取りに行かないといけない。
しかし、ネット通販なら検索して購入処理をすれば、数日後には郵便受けに入っている。これはアリガタイ。

ただ一度利用すると、その後は販促DMが届く、次々と。

そもそも既にウチにあるLPの、再販CDには興味はないし、それに釣られる事は滅多にないが、この「+4」と「+5」は無視出来なかった。

ヴィレッジ・バンガードの演奏は2枚のLPに6曲ずつ、計12曲入っているが、他にもあって当然。
ジャズは即興芸術なので、同じ曲目でも演奏は違う。これはぜひ聞いてみたい。
CD2枚で3,447円也。
2日後、郵便受けに入らなかったらしく、JPのオニイチャンは部屋まで持ってきてくれた。

「ワルツ・フォー・デビィ」には、3曲の別テイクとLPに未収録の1曲で+4、「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード」には3曲の別テイク、1曲の二つの別テイクで+5、となっていた。

解説には、6月25日は昼2ステージ、夜3ステージを録音した、と書いてある。
「ワルツ・フォー・デビィ」には2テイク分、「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード」には3テイク分、入っていることになるから、この日の5ステージ分全て聴けるのかと思っていたが、ある曲のNO.1テイクがない。やはり、3,447円で6月25日の全曲を聴くのは厚かましい、というコトらしい。

しかし、CDは便利なモノだと改めて思った。なにしろ、別テイクの曲へボタンひと押しで飛んで行って、聴き比べる事が出来る。
また、LPなら20分弱で必ずプレーヤーのそばへ行って、LPをひっくり返し、針を落とさないといけないが、CDは60分以上放ったらかし、再度聴く場合もリモコンボタンひと押しで済む。

LPには、ヴィレッジ・バンガードの客席の騒音(グラスと氷の音?)が曲の背後で聞こえたりするのだが、CDでもそれらはカットされず残っていた。
また、各ステージの終了を示す挨拶代り(?)のチョコッとした演奏も入っていて、まさにライブ・アット・ジャズクラブの雰囲気そのもの。

CD2枚で2時間以上、6月25日のまる一日間、ヴィレッジ・バンガードにいて、このピアノトリオの美しいインプロビゼーションを浴びていた様な気がした。

Imgp1018 しかし、CDのジャケットは、直径30センチの円盤が入るLPのモノに比べて、ショボい。


年金生活者の住民税と国民健康保険料

2014-06-23 14:43:58 | 朽ちゆく草の想い

毎夜、ウィスキー100ccと日本酒300ccを呑んで、20時前に一旦気絶、日が替わった頃生き返り、後片付けしてから本気で寝る。
相変わらずそんな感じでダ~ラダラ生きていた6月の上旬、住民税と国民健康保険料の通知書が届いた。

5年間無収入の後、年金を貰うようになって1年以上経っている。そろそろ税金を払わされる頃だ。

7年前会社を早期退職するまで、税金や健康保険料を払っている実感はなかった。
給与からそれらが引かれた残りで、不自由なく生活出来れば、その多寡は気にしないモノだと思う。

しかし退職した翌年、払った住民税と健康保険料は合わせて100万以上、給付された失業保険はそれでキッチリ消えていった。

どちらも前年の年収を元に計算されるので、100万以上になったとしても仕方ない。「それまでの収入がそれなりに高かったちゅうことや」と、先に退職した友人から言われた。

住民税はその年で終わったが、月2万6千円程の健康保険の支払は更にもう1年続いた。
退職時、「国民健康保険はムッチャ高いから任意継続しときました、皆さんそうされるンで」と、総務の女性は当然の様にその処理をしてくれたが、それでも年間30万以上にはオドロいた。

なにしろこの間、一度も病院のお世話にはなっていない。
会社を辞めると、ズッと通っていた内科へ行こうとは思わなくなり、歯も痛くなることがなかった。

退職して3年目、遂に無保険者になった。

そして無保険者のまま3回目の信州・雪山通いをし、残雪期の山も登り、滑った

同時に、改めて自由になった、と実感した。

無保険者でも特に不安はなかったし、歯が悪くなってブリッジを入れる場合も自費になるケースが多く、保険に入る意義を全く感じなかった。

そんなある日、先に退職した友人と呑んでいて、「今、無保険者やねン、特に病気の不安ないし、最悪、死んだらエエし」と、話したら、「ワシも医者キライやから病院行けヘンけど、一応、保険、入っとうけどなぁ、病気にならへんから、保険、入らんちゅうのは、チョット違うでェ、一人は万人のためにっ、ちゅうやろゥ」と、さりげなく返してきた。なにか諭された様な雰囲気だった。

いつもふざけてばかりで、万人のために何かをする、そんな雰囲気などミジンも感じられなかったこの男の言葉にはオドロいた。

早速翌週、区役所へ行って国民健康保険の手続きをした。
保険料は年2万5千円。無収入者の保険料とはそんなものなのか、計算根拠は特に気にしなかった。

しかし、“一人は万人のために”と、言った友人のこの行為、それはいつも「世間の常識はワシの非常識やぁ」と、いつも息巻いていた彼の、究極の悪フザケだったのかも知れない。

そう言う悪フザケに付き合ってしまった。まぁコッチも悪フザケには何度も付き合わせていたので、迷惑だとは思わなかった。

しかし10日程前に届いた、住民税と国民健康保険料の通知書、中身を見てかなり驚いた。
その額、年金支給額の1割以上、住民税は数万だが国民健康保険料は10万以上。悪フザケでは済ませられない。今度は計算根拠に元づいてキッチリ検算しないと気が収まらない。

公的年金等控除額をネットで調べ、順次計算して行くと通知書通りの額になった。64歳以下で控除対象配偶者がいないのが多少影響している様だ。
お独り様で好き放題させて頂いている身分、年金支給額の1割以上を支払うのは仕方ない、と言うことらしい。

昔、オバアチャンが言っていた、ある一言をナゼか覚えている。

「歳いったら、ケチケチするもんやない、歳いって金払いが悪いのは見っともない」、そんなコトをオフクロと話していた。
やりたいコト、好きなコトが沢山あって、若い時は出来なかった“布施行”を、年寄りになったらしなさい、そうオバアチャンは言っていた様に思う。

保険料の支払いを“布施行”と言ったら、不謹慎だと叱られるかもしれないが、大金持ちの多くは病気になっても自費で済ませるから、国民保険には入っていないそうで、そんなンに比べると、今後も多分、病院に行かないワタクシの保険料支払いは、“布施行”だと思います。

ところで、昨日の新聞に、神戸市が今年から国保料の算定方式を変更したため、加入する約24万世帯のうち約4万世帯で負担が増えた、との記事が載っていた。これは国の政令改正によるモノだそうで、多くの自治体は既に変更しているそうだ。
「多人数、低所得、障害者の世帯などに配慮する」ための控除が変わったり、「広く負担すべき」との視点での見直しらしく、10万増えた71歳のオジイサンがいたり、3倍になった41歳の自営業のオバサンがいる反面、広く負担を求めた結果、約4万世帯で負担が減った、とも書いてあった。色々大変ですナ。


62年と1日目の悟り

2014-06-09 15:16:57 | 朽ちゆく草の想い

4月の第2週、今年最後の信州・雪山通いの前夜、左アゴ奥の歯が抜けた。

これは右アゴの部分入歯を支える金具が嵌っていた歯。
1年以上前からグラついていたが、金具は4本1組に嵌るので、それにより他3本に支えられいる形にもなって、まぁ何とか1年間もってくれた。

取りあえず抜けたまま信州へ行って、天狗原へも乗鞍へも登って滑り降りたが、その間、抜けた歯の金具部分は突き出たままだった。
この部分はクワガタのハサミ(顎?)のギザギザが無い様な形で、いずれにせよ先端は尖がっている。

入歯は食後、外して洗うのが原則。
しかしメンド臭いので、口の中をモゴモゴ、舌で掃除していた時、何度かその尖った先端が舌に刺さった。
入歯を右にズラして、口の中の左内部を掃除するので、舌の右側面が入歯左先端に突き刺さる。
狭い口の中、突き刺さると中々抜けない。口から出したくても中々取り出せない。痛いと言うより、そんな異常事態に只々焦る。
何度もそんなエライ目に遭った。相変わらず学習能力はない。

信州から帰って翌週、長い付き合いの歯医者に行った。

センセはワタクシの口の中を見て、「エエッ!とにかくまずそれ取りますワ」、と言って尖がった金属を切り取った。

センセの話では、その尖った金属が舌の動脈に突き刺さったりすると、吹き上がる程の勢いで血が出て、気管で固まって窒息死するのだそうだ。
つまり舌を噛み切って自殺するのと同じ状況、非常に危険な状況だったらしい。

「イヤ~ホンマ、刺さったコトありますネン、何回か」
「エエッ!もうチョット命、大事にして下さい」、と言いながら舌の状態を確認した。キズは残っていなかった。

直ぐ型を取り、歯茎に乗る土台が出来て、それに歯が付いて、その都度、整形、調整して、1ヶ月弱で新入歯は完成した。

抜けた1本だけの入歯が増設されると思っていたが、その奥にもう1本増設されていた。歯茎に乗る土台の関係で、1本だけの増設は出来ないのだろうか。
また、左右対称、同数にしないといけないのか、右側も増設されていた。お蔭で口に入れる“異物”は1.5倍ほどになり、大きく口を開けないと入らない。

しかし、歯茎に乗る面積が広くなったせいで安定感が増した、と言うか咀嚼し易くなった。左右でガツガツ噛める。これはアリガタイ。
また、当たって痛い所もほとんど無かった。2回目だから、ベストフィットのモノが出来たのだろうか。
調整を2回してワタクシは終わったと思ったが、センセはナゼか慎重。「2週間後、もう一度来て下さい」

先週金曜日、センセは歯茎の小さなキズを見つけ、それに当たっている部分を削ってやっと終了。センセは少ない調整で終わった事が意外そうだった。

「2回目やから、ベストフィットのモノを作ってくれはったンとちゃいますの?」
「イヤ、入歯は2回目やからエエモンが出来るちゅう訳にはいきません、同じ技工士が同じ様にやっても、当たり外れあります、歯茎も変わるし」
「まぁ確かに相手は口の中、生きモンですモンねェ」
「とにかく使いやすいから、前のを使うなんて言うコトはしないで下さい、大きくなって異物感スゴイと思いますが、総入歯のトレーニングやと思といて下さい」
前の入歯は新しいのが破損したりして作り替える時、それが出来るまで使うので、今まで通り保管しておく様に、と言われた。

しかし、総入歯?!いよいよですか。まぁエエけど、多少ショックだった。

翌日、某NGOの古着支援に応じるべく、服を詰めた段ボール箱を階下の食料品店へ持って行った。

30年程前、このマンションが出来て直ぐワタクシは入居し、その時この食料品店も出来た。
しかし、店の主人がワタクシの小学校の先輩だと言うことが判ったのは、数年前だった。
4年前オフクロが遺して逝った服を、古着支援に使わせて頂いてから、服を詰めた段ボールを毎年ここから送っている。従って毎年一度、この主人とは話しする。

この日は奥サンもいた。

「イヤぁ~久しぶりやねェ、ワタシまだ生きてルよぉ」

彼女は確か脳腫瘍だったハズだ。ロレツも巧く廻らず、文字も上手く書けないそうだ。
何年か前、店を訪れると、リハビリを兼ねてハガキを書いていた。
偶々入って来たワタクシに、「ワタシ、字ィチャンと書かれへんねン、そやけどセンセに練習せえ言われて、こうやってハガキ書いたンやけど、言いたいコト書けてルやろか」と、送る相手との関係と、伝えたいことを説明し、ハガキを見せた。
ひらがなだけの、字を覚えたばかりの子供の様な文章、しかし内容はキチンと書かれていた。
「ボクは判りますよ、リハビリせんとアカンのやったら、こうやって色んな人にドンドン書いて送らはったらよろしいやン」
「そう、アリガト、ワタシ、こないだも倒れてン、いつ死ぬが判れへんねン」
しかし、変わりなくお元気だった。

マンションは空き部屋が増え、近所にコンビニも増えた。子供がジュースを買いに来ても自販機でこと足りる。店には客はいない。

3人で色々話したが、話題に脈絡なく、急に話しが変わったりして、それに合わすのが大変だ。

「しかしアンタ、いつも元気やなぁ、失礼やけどいくつ?」と、主人は大きな腹を突き出して言った。
「昨日で62年生きました、前、5年後輩やて話ししましたヤン」
「あぁそやったなぁ、しかしホンマ元気で羨ましいわぁ、ウチら、ヨメハン、脳ォ半分ないし、ボク、舌のガンで、舌も歯茎もゴソッと取られてしもたし」
そう言えば、確かに以前と風貌が変わっている。入歯を外したヨボヨボのお爺さんの様な口元になっている。

「舌のガンて、いつですのン」
「去年の2月、年末に歯医者からチョットおかしい、直ぐ医療センター、行け、言われて、行ったら、直ぐ癌センター、行け、言われて、ガンやて判って、ですぐ手術で悪いトコ切り取られて、腕の皮膚を移植したり大変やったンや」と、言って左腕の凹んだ部分を見せた。舌ガンは大体、歯医者が見付けるものらしい。

「歯ァも3本しか残ってヘンねん」、主人は口を開けて左アゴに残っている3本を見せた。
歯茎も切り取られたので、入歯が付けられないらしい。大変だ。

総入歯のトレーニングだと言わたぐらいで、ショックを受けていてはてけない。62年と1日目はそう言うことを悟った日だった。


先週聴いたムゴイ話し

2014-06-03 16:11:27 | 朽ちゆく草の想い

2~3ヶ月に一度、必ず話しをする男がいる。

始めて逢ったのは10年以上前、頸や肩がコリ過ぎて、その痛み止めとして、ロキソートを医者から処方されていた頃、彼もそれを飲んでいた。

ワタクシのコリは多分、事務処理が順次パソコン処理になってきて、その画面を凝視する時間が長くなってきた為だと思うが、彼も近くを凝視しながらの仕事をしていて、お互い大変やなぁ、と語り合った。
アイソ良く、真面目に丁寧に仕事をする彼の、2人の息子はサッカーの選手で、長男は高校生としてそこそこ有名、次男の小学生はジュニアチームでかなり有名だそうで、いつも嬉しそうに息子達の活動を喋っている。

しかし先週、彼は細君に起こったトンデモナイ出来事を喋った。

3月最後の土曜日の朝6時過ぎ、彼の細君が次男をジュニアチームに送り届けた後、三ノ宮からJR高架浜側を西に向かって走っていて、トアロードとの交差を抜けかけた時、トアロードを駆け降りてきた小型トラックに激突されたと言うのだ。右後ろ角辺りをぶつけられた彼女の軽四は、3回転半して止まったらしい。

幸い彼女はあちらへ逝かなかったが、頸の圧迫骨折で全治2カ月。

圧迫骨折とはポキッと折れるのではなく、グシャと潰れるのだそうで、彼女の頸は元には戻らないらしい。

昔、付き合いがあった高知の商社の社員(KB氏)は、子供と遊んでいて頸を怪我したと言っていた。
その商社は某電気機器メーカーの代理店だか、当時ワタクシが勤めていた特殊機械メーカーの製品も、KB氏が担当として取り扱っていた。
KB氏は、自分の名刺にその特殊機械の商品名まで刷りこむほど熱心だったが、頸を怪我してから頭痛と倦怠感で、ワタクシが付き合い始める頃はもう、往年の勢いはなく、いつも頭が痛い、ダルい、と愚痴っていた。

整骨医に掛っていてはどうにもならないと悟ったKB氏は、気功のセンセを紹介してもらい、そのセンセがいる大阪までの旅費を稼ぐのに、パチンコを懸命にやっていた。
そのせいで、より具合が悪くなった、先月は負けたので行けなくなった、そんなお笑い話をKB氏はマジメな顔で話していた。
時々、高知の下町で漁師料理の接待を受けながら、ワタクシはKB氏をよくからかった。「KBさん、アホっチャうぅ」

その気功のセンセはかなり有名だそうで、会社の事務の女性も知っていて、母親を連れて行ったりしていたそうだが、「ホントにあんなンで治るのかしら」、と首をかしげていた。
結局、KB氏とは10年近い付き合いだったが、その間にKB氏が回復の笑顔を見せることはなかった。

いずれにせよ、頸のケガは何年も、後を引きずる、と言う事だ。

「イヤ、ホンマ、保険屋も直ぐ後遺症の事ばっかり、言うンですワ」
「で、今、どないしてはンの?」
「一応戻ってきてフツーにしてますけど、毎朝、頭痛いてうずくまってますワ、まぁそもそも頭痛もちやし、へへへ」

そして、彼の細君の軽四を3回転半させて、彼女の頸を圧迫骨折させた“犯人”は、55歳の男性。
運転していたのは弁当屋のトラックで、この弁当屋サン、神戸ではそこそこ有名。屋号が書かれたトラックをよく見かける。
前に勤めていた会社の弁当もそこだったハズ、彼の次男の小学校の給食もそこらしい。

弁当屋の社長、幹部、総務(?)担当社員は直ぐ病院へ飛んできて平謝り、保証、賠償は充分させて頂きます、と言ったそうだが、事故を起こした運チャンはほとんど語らず、ただボーッとしているだけ、だったとか。

「ヘンなヤツでしたワぁ、ケイサツが現場で色々調べてル時も、フゥ~っとおらんようになったり、ナンセ、気ィついたらぶつかってた、言うよるンですワ」
「要するに居眠りか」
「そう言う事でしょうね、朝早かったし、イヤ大体、いつもボォ~ッとしてて、配達の仕事位しか出けヘンかったンちゃいますぅ、ナンセ、社長とか会社のニンゲン、ソイツに喋らせんようにしてましたモン」
「しかし、そんなボォ~っとしてルおっさんが、トラック運転してルて、コワイ話しやなぁ、よう考えたら、トアロード寝ながら下って来て、高架の山側を突っ切って浜側へ突っ込んだんやろぉ」
「あの交差点、上から下りてきて高架くぐってから先、西へチョットずれてますやン、多分ウチのヨメハンにぶつかってなかったら、東側の店に突っ込んでたと思いますワ」

いずれにせよ、彼の細君とその家族はこの後遺症をズッと引きずって行くことになる。気の毒な話しだ。

そんなムゴイ話しを聴いた後、インターネットのニュースを見ていたら、制限時速40キロの市道を100キロ以上で走っていた車が、交差点でミニバイクにぶつかり、ミニバイクは30m飛んで、歩道にいたオバサンにぶつかって、このオバサンとバイクに乗っていたオッチャンは亡くなり、2人をコロしたのは28歳の男性会社員だった、と言う川崎市でのムゴイ話しが眼についた。

それだけではない。
スナックでアルバイトしていた人妻をストーカー殺人した大阪のオッサンがいて、アイドルのイベントで無差別殺人をしようとしてノコギリ振り廻した青森の若者がいて、農作業中にトラブルになった母親を殺した茨城のバカ息子がいて、5歳の息子に食べさせず見殺しにした厚木のオヤジがいて、相変わらず全国的にムゴイ事するニンゲンばかり。

大昔、親鸞サンは、人殺しと言うのは特別な人がやるのではなく、何かの“縁”とか“業”があったら、自分でもヤルかも知れない、と言われたそうだが、最近はこう言うムゴイ事をする“縁”とか“業”あるフツーの人が多い気がする、ナンデやろ。

まぁワタクシも、そう言う“縁”とか“業”とかが今後も無い、とは言えないのではありますが。