蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

栂池高原雪景色、ゲレンデの無法者たち

2013-01-24 17:56:57 | 山とスキーでブラブラ

17日、朝から雪はチリチリ降って、これは気温が低い故のドカッと積もらない雪。風に飛ばされてしまうそうだ。
前週も同じ感じ、今年は周りが見えなくなる様な重い雪が、まだまだ少ない。

朝ごはんを頂いた後、部屋でウトウトしていたら9時を廻っていた。

準備して部屋を出る。
「オッ、やっとヤル気になった?」、夜明け前にチョコっと除雪機を動かしていた定宿の主人に、鍵を預けて外へ出る。

056 鐘の鳴る丘からハンの木沿いのリフトで上へ行く。

057 馬の背は閉鎖中。

058 栂の森ゲレンデのパウダーゾーンは誰も滑っていない。ヒザ下辺りの新雪で面白い。

しかし、セミファットで15ミリ細くなった板でも変わりなく、新雪は楽ゥに滑れそう。
これはワタクシが上手くなったのか、それともロッカー形状のタマモノなのか。

この斜面を何度も往復していたら、リフトの下から林の立入禁止エリアに入っていく無法者が、相変わらず眼につく。
先週はしばしば立入禁止のアナウンスが流れていたが、この日はそれがなく、ドンドンおバカが進入していく。
そして、驚いた。小谷中学のゼッケンを付けた少年達もワイワイ言いながら入っていって、ナント最後尾にはスキースクールの制服を着た引率者。ナッ何?コレ。

馬の背が解放されたのでそちらへ行こうとしたら、パトロールのオニイチャンがいたので訊いてみた。
「ドンドン、リフト降りてから林の方へ入っていきよるノいるけど、アレ、放っといてエエの?」
「いくら規制しても入られるし、リフト券取り上げてもダメですし、もうロープ外しました、大体ここ、昔のコースだったそうで、ボクは知りませんけど」、と若いパトロールは言った。

059 要は、ロープくぐって進入するおバカ、特にハクジンは途絶えないので、スキー場の管理区域外とし、入るのなら自己責任でどうぞ、事故があっても救助は有償、と言う決定が前週末(頃)されたそうだ。
しかし、ここから南へ廻り込んだ馬の背沿いは、下に林道があり、5年前女子大生が犠牲になった雪崩事故があったので、絶対立入禁止、パトロールも強化している様な事も言っていた。ナルホド。

060 「そやけど、大体こんな木ィだらけの中滑らんでも、シール貼って2時間登ればナンボでも新雪の斜面あるのに」
「要するに楽、したいンですよ、でも外人達、チャンとビーコン持って入っていくンですよ、ハハハ」
ゲレンデの中でも雪崩はコワイらしい、アングロサクソンは案外臆病?

061 ハンノ木コースの下部は今年からヒットパークになっていた。ジャンプ台や滑り台(?)が設けられていたが、飛んでいるボーダーはいなかった。そもそも人はほとんどいないけど。

062 このリフトはヒットパーク用でン年ぶりかに再運転された様だ。動いているのを見たのは初めてだ。

063 馬の背コースの最上部には「立入禁止、雪崩危険」の看板。立ち入ると雪崩を誘発し、下の林道のビギナーを「コロしますよ」と、ハッキリ書けばいいのに。

上から下まで4往復して、この日は終了。

18日、帰る日だが初日滑れなかったのでチョットだけ滑る事にする。

066 降る雪は前日より大きく、重そうだ。

ハンの木コース沿いに上がっていくと、リフト乗り場の雪かきをしているロングヘアのオネエサンが「おはようございま~す」
リフトの直ぐ下で柵を立て直しているパトロールのオニイサンが、こちらを見上げて「おはようございま~す」
フレンドリィな若者ばかり、いいスキー場です。

067 大きく重い雪が降る中、老若男女がゴンドラで上がって来られてます。

068 馬の背は閉鎖中。

069 長い間止まったままの古いリフトに積もった雪。

070 10時半、カフェテリアでトイレを借りる。スキーはワタクシのものだけ。

馬の背が解放され行ってみると、北向きの急斜面では太もも越えの新雪があった。

この日も上から下まで4往復して、終了。

071 定宿に戻ると、愛車の埋まり具合はこの程度。前週より多いがまだまだチョロこい。30分もかからず除雪完了。

と言う事で、2回目の信州・雪山通いは無事終了。


11時間半かかって栂池へ着いて、天狗原からの帰りカモシカに睨まれた午後

2013-01-22 12:03:27 | 山とスキーでブラブラ

バクダン低気圧は14日中に去って、15日はフツーに行けると思っていた。

ところが、多賀SAでの情報は中津川ICから先はチェーン規制、伊北ICから先は雪で通行止め。

中央道のチェーン規制はこの時期しばしばある、当然だ。しかし雪で通行止め(?)。
まぁ伊北まではまだ2時間以上先だし、その頃には明るくもなっているし、多分解除されているだろう、と超アマな予測。

恵那山トンネルを出た所でタイヤチェックがあったが、路上には雪はない。
これは多分、いや絶対通行止めは解除されている、と思いながら駒ヶ岳SA着、7時半。

残念ながらまだ通行止めは解除されておらず、駐車スペースはトラックで溢れかえっていた。
建屋の中には運チャンばかり、中高年のスキーグループがチラホラ。

皆さん度々掲示板を眺めてはタメ息をつくばかり。
「8時になると解除するンじゃないかなぁ、前もそんなコトあったし」、運チャンどうしの会話が聞こえる。
「もう、間に合わないから〇?△はキャンセルしておこう」、スキーグループの老人達の会話も聞こえる。

さて、ワタクシはどうしましょ。
取りあえず進むことにした。伊北ICから下を走っても塩尻ICまでは20キロ程、大したことはない。

8時過ぎ駒ヶ岳SAを出発、しかし、駒ヶ根ICを過ぎると直ぐノロノロになり、伊那ICを過ぎると止まっている時間の方が長くなって、伊北ICを出たのが11時前。
高速道路25キロ程を約2時間半かかったことになる、フゥ~。

直ぐコンビニへ飛び込んで公衆から定宿にTEL、かなり遅れる旨を連絡。

ここからのR153、路上に残った雪が凍って表面がボコボコ、走るとガタガタでフツーに走れない。
トロトロと走りながらフト高速道路をに眺めると、ナント車が走っている。ワタクシが伊北ICを出て直ぐ、通行止めは解除されたらしい、トホホ。

塩尻市に入って12時、塩尻ICから高速に乗っても宿に着くのは14時をまわるハズ。ゲレンデへ出てもチョコッとしか滑れない。となると、ゆっくり下道を行くことにする。今日はついてない日だとして諦めましょ。

松本市へ入って県道48から広域農道、スケッチロードとか書かれた道を進む。このルートは木曽路経由で帰る時に松本、塩尻を迂回してR19に出るルートだ。

定宿着、15時過ぎ。
「コンチワ、11時間半かかってやってまいりましたぁ」
「ホントに大変、“あずさ”も止まって、ウチの娘、東京から結局、長野新幹線で帰って来て、長野まで迎えに行ったンですよ」
どうやら、山梨県境から塩尻辺りにかけてトンデモナイ量の雪が降った様子。栂池の積雪量は先週の270センチから230センチに減っているのに。
3連休に来ていて、前夜関西に帰ったお客さんは、北陸道周りで帰ったそうだ。
ワタクシも多賀SAで通行止めを知った時、北陸道に切り替えればよかった。しかし、中央道より北陸道の方がマシ、と言うのは通常ありえンでしょ。

16日、天気はまぁまぁ、なので登る事にした。
昨年5月の蓮華大沢以降、雪山はおろか六甲山へも登っていない。ちゃんと登れるのだろうか。

043 白馬岳と小蓮華~船越の頭の稜線がキレイに見える。

044 今日は小谷小学校のスキー教室らしい。コーチが一人ずつ紹介されているところだった。

045 林道へ着くとアベックテレマーカーとソロのテレマーカーとペアのボーダーが準備中。
ワタクシもシールを貼って9時50分出発、。スキー板がセミファットになって、シールも小さく軽くなった。

046 10時40分、成城大小屋着。

以前はここから先、敢えてトレースのない谷筋を、雪での埋まり具合を観察しながらラッセルしていた。しかしもうシンドイし、素直に夏道のトレースを辿ることにする。

アベックは鵯峰のウラ側を下るのか、北方向へ逸れていった。
少し先に3人組、一人はボードを抱えたまま、キャッキャ言いながら登っている。しかし直ぐ登るのを止め、戯れ始めた。天狗原までキチンと登る、と言う意図はない様だ。

まっさらの天狗原への斜面には先行者が一人、トレースを刻んでいる。

047 斜面を登りきった所にある白樺の大木が見えて来た。そこまでトレースが続いている、アリガタイ。

048 天狗原着11時55分。

今年も何とか登れました、天狗原のカミサマ、ありがとうゴザイマス。と、言っても林道から標高差、たったの600mですけど。
先に到着していたソロのテレマーカー氏に取りあえずトレースのお礼を言って、しばらくオシャベリ。他には誰も登って来ない。

徐々に曇りがちになってきて、下る事にした。

050 まっさらな斜面、膝下辺りの新雪、まぁまぁ快適。

051 ロープウェイの駅を抜け、南俣の斜面に出る。誰もいない。

052 あるのは動物の足跡だけ。

053 ここにもウサギちゃん。

054 これはナニ?ダレ?かなり大きい、そして通過間もない。左手の小尾根のウラはゲレンデだ。そこから走り降りた跡の様だ。
ヒョットしてどこぞのオッチョコチョイがツボ足で?しかし、また戻るのは大変だ。熊?イヤ、この時期はおネンネ中のハズ。

055 カモシカちゃんだった。こっちをズッと睨んでいる。「心配せんでもオマエの喰いモン、奪いに来たンとちゃうワイ」

ゲレンデへ戻ってビンディングに詰まった雪を取り除いていたら、「先程はどーも」。天狗原でおしゃべりをしたテレマーカー氏だった。

折角だから、カフェテリアでもう少しオシャベリした、ビール呑みながら。

常に笑顔を絶やさないこのナイスガイは、神奈川・秦野のM川さん、チャンとショベルを担ぎビーコンを携えておられる本格派。色々伺っているとかなりの経験を積んだ猛者だった。まぁ確かに、今日は天狗原までトレースつけてもらったし。

何年か前に船越の頭で遭遇しその後金山沢を一緒に下りて、その約1ヶ月後、針ノ木で再会した猛者は松本のO川さん。
昨年自然園で何度か遭遇した写真家は松川のS川さん。
ここで遭遇するナイスガイは皆さん、「川」さん。

カモシカちゃんに遭遇し、ナイスガイに遭遇し、しかしまだプリティウーマンには一度も遭遇してませんけどネ。




















6年目の信州・雪山通いスタート、栂池高原雪景色

2013-01-14 12:19:38 | 山とスキーでブラブラ

6年前の年末に早期退職し、翌年明けから信州・栂池スキー場通いを始めた。

その前年に扶養義務がなくなったので、何の躊躇もなく、堅気の衆がマジメに働いているウィークディに思いっ切り雪山で遊ぶ事にしたのだ。

既に私生活では数年前に“お一人様”となっており、会社を辞めると公私とも“お一人様”となる訳で、不安は否めず、栂池の雪景色には「自由」と「孤独」を感じた。

5年が過ぎ、スキーの「脚」前は若い頃より上がり(多分)、板はファットにして深雪でも自在に(多分)滑れるようになった。

そして、雪景色の一部になったと、感じるようになって「孤独」は消え、時々「飽き」が頭をもたげる様になる。

さて、今年はどうするか。しばらくご無沙汰するか。

いや、やはり今年も通う事にする。

昨年夏前からほとんど運動をしていない。山も行っていないし、自転車もほとんど乗っていない。毎晩のメシ作りもしんどくなった。寒い夜でもフロを沸かすのは面倒だ。
やはり栂池へ行ってスキーをして、白馬乗鞍へ登り、定宿のオカミサンが作るゴハンを頂きながら地酒を呑んで、大きなおフロにゆっくり入りたい。

と言う事で1月8日、今年の栂池通いスタート。

今まで通り、3時半出発。
5時半多賀SA、7時半駒ヶ岳SA、8時45分安曇野IC、今まで通り。
豊科ICは安曇野ICに名称変更していた。

Imgp4261 高瀬川沿いからの爺ヶ岳と鹿島槍。

定宿着10時、今まで通り。

「コンチワ~、今年もお世話になりま~す」
「ハ~イ、ありがとうございます、相変わらず元気そうじゃない」
「まぁ、なんとかね、そちらはどないです?グリーンシーズンは家族全員で病院通い、とか言われてましたけど」
「相変わらずよ、あちこち悪くて、薬ズッと飲んでる」
でもまぁ皆さん、お元気そうだった、相変わらず。

ゴンドラの駅の事務所へ行ってシーズンパスを受け取りゲレンデ最上部へ。

Imgp4263 例年通り、シーズンスタートの記念写真。

今年から板はセミファットに替えた。

3年前に深雪が楽に滑りたくてファットにした。幅の広い板は深雪だけでなく、ゲレンデ脇のグチャグチャの所でも楽に滑れて、とにかくその安定性にはオドロいた。
しかしゴンドラの外のケースにペアで入らない。一々片方ずつ斜めにしないと入らない。
そして何と言っても重い。TLTを組み込んでも総重量約5kg。

今度のは15ミリ前後細く、当然ケースにはスッと入った。5センチ短く、総重量は約4.5kg。TLTは時々誤解放するのでヤメ、ディアミールの一番軽いのにした。TLTより約300g重いが、稜線直下の急な登りで外れたりするとコワイので、ガマンする事にした。

ファットより15ミリ前後細いが、旧来タイプより15ミリ前後太い。
特に違いは感じず、フツーに滑れた。そもそも、“違いの判らないオトコ”だし。確かに軽いンでしょうけど。

初日は、上から下まで4往復してオワリ。

Imgp4268 2日目、天気はイイのか、悪いのか。

Imgp4275 ハンノ木コース沿いのリフトで上がる。

Imgp4276 白馬乗鞍はガスで覆われている。

Imgp4277 栂の森のゲレンデとゴンドラの駅。

Imgp4278 ハンノ木コースの真ん中あたりから下界を望む。

Imgp4279 鐘の鳴る丘も人はほとんどいない。

Imgp4280 馬の背コース最上部。何十年も前から止まったままのリフト。

Imgp4283 スキー場の谷を隔てた南側に落倉と言う旅館街があって、鐘の鳴る丘ゲレンデ最上部から戻れる様になっている。関係者以外は立ち入り禁止のコースらしい。

Imgp4284 相変わらず、白馬乗鞍はガスの中。

Imgp4285 木の影がだいぶ長くなって来た。上から下まで6往復したのでもう帰りましょ。

Imgp4287 3日目、朝から細かい雪がチリチリと降っている。

Imgp4289 馬の背コース最上部のパトロール小屋、何十年も前から同じ。時々パトロールのオニイチャンが出入りしている。

Imgp4291 馬の背コースの真ん中あたりから下界を望む。

Imgp4292 白樺ゲレンデの一部は閉鎖され、レースをやっていた。

Imgp4297 空のゴンドラが行き交う。

Imgp4301 栂の森ゲレンデ。パウダーゾーンになる斜面はまだブッシュが出たまま。

Imgp4303 ガラ~ンとした鐘の鳴る丘ゲレンデ。

Imgp4304 白馬乗鞍は全く姿を見せず。

この日も上から下まで6往復してオワリ。

Imgp4306 4日目の朝。雪は少ない。かなり少ない。

Imgp4307 例年通り、穂高神社へ初詣して、信州・雪山通い1回目は無事終了。


ひきこもりのネコ

2013-01-04 11:50:04 | 朽ちゆく草の想い

’13年になって、もう3日経った。

大晦日にクロマメとニシメ炊いて、年が明けてゴマメをサササッと作って、今年も元旦の昼前からヤモメはゴマメ、ニシメ、クロマメをアテに酒を呑んで、昼過ぎに一旦気絶して、夕方眼が覚めて、また呑んで、でまた気絶して、要は呑み喰いして、寝ての繰り返し。
2日、3日もそのパターンが続き、玄関のドアは閉まったままの3日間ひきこもり。

Imgp4251 喰いモノがある限り、食料調達に出る必要もないし。

家にズッといたままで、寝て喰うだけの繰り返しとなると、これはつまりネコ。ワタクシ、ひきこもりのネコ。
ネコとは、食事以外は寝ているから「寝子」と呼ぶようになった、と言う説もあるとか、ホンマかなぁ。

我が布引谷・山の家でのネコとの付き合いは長かった。

家の前は車道の終点なので、ここまで車で運ばれて来て棄てられるネコが沢山いた。オフクロはどこのネコにでも話しかける人だったから、棄てられたネコは許しを得た、と思って家の周りに居つき、オフクロはダシジャコや魚の骨、残飯をやっていた。
布引谷・山の家では喰いモノを廃棄することはなかった。全て家族と居ついたネコでうまく消費した。
「ここは冥加な家じゃあ」、とオバアチャンは言っていた。

ワタクシが小学4年の時、通学路の道路のそばの谷川で泣いていたミケネコを拾って帰った。
ミケネコなのでメス。次々子ネコが生まれるので、オフクロは嫌がった。それでなくても棄てられたネコが周りに沢山いるのだ。

しかし、そのミケはウチの飼いネコになり、自然と「ミーコ」と呼ぶようになった。
オフクロは子猫の増加対策として、生まれると直ぐ子ネコを「ミーコ」から取り上げた。そして一晩放置すると子ネコは死んでしまう。残酷だが仕方ない。
その死骸を庭に埋めるのはワタクシの仕事。
そんな「業」を子供にさせてはいけない、と隣の茶店の好々爺はオフクロに言ったが、ワタクシは気にせず穴を掘って埋めた。それが拾った責任だ、漠然とそんな想いがあった。

ある時、「ミーコ」は布引谷の対岸で出産した。
しかし、その後、大雨が降って谷は増水し「ミーコ」は戻れなくなった。対岸の山腹からネコの鳴き声が聞こえていた、とオフクロは言っていた。
そして、何日か経って「ミーコ」は1匹ずつ子ネコをくわえて帰って来た。全部で4匹。
もう、「ミーコ」から引き離せば自然死する状態ではない。オフクロは諦めるしかない。
「ミーコ」はオフクロのウラをかこう、とした訳ではないハズだ。「ミーコ」はオフクロを完全に信用している。自分の子供を奪う悪魔だとは微塵も思ってはいない。多分、何かの都合で谷の向こうへ行って、そこで生んだのだと思う。
「ミーコ」と4匹の子ネコは家で過ごすことになった。

その子ネコも子ネコを生んで、これもオフクロは取り上げる機会を逸し、一時期ネコの3代が同居したこともあった。
ただ、子ネコや孫ネコはいずれも数年の間に死んだり、いなくなったりした。

ワタクシが大学生の頃、「ミーコ」は姿を消した。10年以上家族の一員だった。
「賢いネコは飼い主に死んだトコ見せンらしいから、きっとあの子もどこかで死んでるンやわ」、オフクロは「ミーコ」の死をそう達観した。

その後も何匹かのネコが周りにいて、オフクロが寂しく過ごすことはなかった。

オフクロが最後に付き合ったネコは、隣に引っ越して来たイギリス人について来た。

096 「ブライアン」と名付けられていた。

そのイギリス人が去った後もブライアンは布引谷に残り、飼い主はドイツ人に替った。
イギリス人は家族で暮らしていたが、ドイツ人はヤモメ暮らし。昼間は仕事で不在だったのでブライアンはいつもウチの周りにいた。
「この子、ニンゲンで言うたら、私より年寄りなくやでぇ、私のカレシやねん」、オフクロは嬉しそうに言った。

そのブライアンもオフクロが亡くなる数年前に死んだ。ドイツ人からもらった写真を、オフクロはテーブルの透明カバーの下に置いて、いつも眺めていた。
写真はオフクロの棺に入れて一緒に燃やした。カレシだったし。

006 オフクロが亡くなってもうネコとは縁が切れた、と思っていたが、コイツがやって来た

来た時はやせ細っていたが、庭の陽だまりではテキトーにくつろいでいた。時々ニボシやペットフードを差し上げていたが、トカゲやスズメも喰っていた。多分ヘビも喰ったと思う。毎年庭に残っていたヌケガラが見当たらなくなった。
そして、子連れになり、その子ネコも大きくなった。子孫は上手く続いている訳だ。

’10年の秋頃からワタクシは徐々にここから離れたが、ノラはまだウチをねぐらにしていた様だ。
行く度に物置の引き戸が少し開いていた。毎回閉めて帰るのだが、戻るとほぼ同じ巾で開いていた。中をチェックすると、積みあげていた包装紙が崩れ、ネコ1匹分くらいの窪みが出来ていた。そこが寝床だった様だ。

ノラを最後に見たのは、’11年の秋だった
そして、昨年のいつ頃からだったか忘れたが、もう物置の扉は閉まったままになっていた。
ウチの周りのトカゲやヘビを喰い尽したので、他所にえさ場を見つけたのだろうか。

このノラ、ワタクシが近付くと怒るし、更に近付くと逃げるが、ある一定の距離を置けば、ワタクシが視界にいても、エサを喰い、顔を洗い、そして寝た。
「オマエは喰って寝るだけか、少しはナンカ役に立つことせい」、しかし無視された、アタリマエですけど。

とは言え、ワタクシも年々ネコになりつつある。今年は3日間、完全にネコだ。
ネコは食事後、必ず顔を洗うが、ワタクシはこの三ケ日、風呂にも入っていない。

今日は国民健康の保険料支払期日、電気代の支払期日も近いので取りあえずその処理で、外に出ることにする。夜は風呂に入ろうと思う。

来週から、また信州・雪山通いを始める予定。しかし行けるかなぁ。