蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

たった24kmのナサケナいお話し

2010-07-26 23:17:05 | 自転車でブラブラ

土曜日、やっと自転車で走った。 実際の今シーズン初乗りは金曜の夜、酔った勢いで近所の公園のジョギングコース3周。 さぁ明日は走るでぇ。

そして土曜の朝、暑い。スロースターターのワタクシ、午前中はダラダラ、洗濯もしたし。 で、走り出したのは16時前。 シーズンスタートはフラットペダルの折りたたみ小径車にしてます。 いきなりビンディングペダルのロードはタチゴケが怖くて乗れない。 取りあえず北方向へ、長坂、伊川谷、前開を経て大山寺裏、 魔崖不動明王の手前まで来るとガケ崩れで通行止め。 出会ったハイカーさん「イヤ通れますよ、ガードレールまたぐけど」。 そこをまたいで白川台へ登る。 ここまで来てフゥフゥ、アツイっ! もうこれ以上はダメ、ひよどり台へ上がるのはヤメ。 引き返しましょ。 後は総合運動公園へ出て、神和台経由で戻って2時間で24.24km。トホホ。 アシタまたヤルぞ、とその時は誓っていた。 その時は。    Imgp2063  

帰って直ぐビール飲んで、その後ウィスキー、日本酒で気絶しました。 この気絶は気持ちイイ。 しかし、翌日はダメ、そして今日もダメ。 走る気しない。 ワタクシ、このままどうなるンでしょうか。 まだロードバイクに跨ってもいないのに、トホホ。  


夏の恋人に再会

2010-07-23 10:54:31 | 朽ちゆく草の想い

やっと冬の山の道具、諸々、押入れに仕舞った。 そして通路側のスダレを新替え。 多分3年振り、いやもっと前だったかも。 西日がまともに当たるので焼けてボロボロ、格子はホコリだらけ、ここは空き家か。確かに半分しか寝泊まりしていない。 網戸もホコリがびっしり。掃除し甲斐がありました。 

エエ歳こいて自転車好きになった人の多くが、数年間で2~3台自転車を買うらしい。 ンなアホな、最初はそう思っていたが、結局そんなおバカの一人になってしまった。 実質2DKの狭い部屋に3台の自転車。 雪遊びに夢中な1月から6月初めまで、それらの“恋人”は物干し代わり、 ハンドル、サドル、トップチューブ、モノを掛けるのに最適です。そう言ったモノを仕舞って“恋人”に再会。

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今年は再会が遅い。 序々にグズな人間となって行くのだろうか。 取りあえずホコリは払った。後、チェーン掃除して、オイルさして、そしてタイヤに空気を入れないと走れない。 この時期、タイヤに空気入れるだけで大汗かきます。 酷暑の中、まぁ今週中に乗れればいいか。


梅雨明けに竹の襲来、全ては朽ちる、捨てましょう

2010-07-19 23:00:02 | 神戸布引谷での出来事

梅雨明けの前、雨が降った翌日、我が庭に襲来するモノがある。 それは隣の竹やぶから根を伸ばして現れる竹。

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069_2 不気味です。 毎年10数本。その都度切除して、除草剤を注入している。 放っておけばウチの庭は竹やぶになってしまう。

5月の終わりに穂高へ行って、その時湿ったアウターウェアや道具、吊るしたままにしていたら入梅、そして気が付くと7月梅雨明け。

で、数日前から順次仕舞っている。また次使うのは半年後。

ついでに眼にとまった古い衣服、道具、捨てることにした。明日はゴミの日。

オフクロの遺した沢山の衣服諸々、その処理に呻吟していたが、ワタクシも殆ど着なくなったモノ、使わないモノ、捨てないまま残している。 
オフクロのまだ着れそうな衣服を、古着寄付でミャンマーへ送るべく、近所のコンビニへ持ち込んだ時、そこの経営者ご夫妻とのお話し。 

「いやホンマ、大正生まれは何でもかんでも残して、ムスコは後片付け大変ですワ、誰も貰ってくれヘンし」
すると、そこの奥さん、ダンナにキツイ眼差しを浴びせながら、「役に立たン色んなモン、置いとくの、昭和生まれのオッサンもやでェ」

このお二人、ワタクシの小学校の先輩だと最近判った。そして、昭和生まれのオッサンはワタクシも同じ。

無常。鉄はサビる、木製品は朽ちる。
そして、化学製品も劣化する。役に立たン色んなモンは捨てましょう。

久しぶりに使った20以上前の雨具、ゴアが出だした頃のもの。たたんで仕舞おうとしたら、シームテープがはがれていた。何年か前に貼りなおしたが、もうオサラバしましょ。 
通勤に使っていたカバンと単身赴任に使っていたカバン、裏のコーティングがネチャネチャ。
10年以上前の残雪期、白出のペースから槍ケ岳にかついで行ったミレーのサブザック、鮮やかだったピンクが色あせて表と裏の色が違う。
ほぼ皮で縫いあげられた白いモカシン。もうリーガルのカタログにも載っていない。 しかしもう底のつま先がすり減ってなくなっている。

全てお疲れサン、と言ってゴミのコンテナへ放りこんだ。

人間、いつ死ぬか判らない。残された者に面倒かけないよう、使わないモノはドンドン捨てましょ。

と言いながら、新しいモノも増えている。これらはいつ捨てる?


雨の週のタワゴト

2010-07-17 11:59:43 | 朽ちゆく草の想い

日曜から見事に雨が続いている。
どこへも行けない、どこへも行かない。 
何も出来ない、何もしない。 

屋外での仕事でもやっておれば、グッドタイミングな雨読の休養になるのだろうが、遊び人の身はただ腐るだけ。

やみ間の午後の買い出し、いつものスーパーで、持参したレジ袋を準備して並ぶ。 
前にはキャリーバッグを引きずったおばあさん。何かの持病を背負っているのか、バッグからチューブが顔のあたりまで伸びている。 
そのレジにはパートのオバサンではなく、バイトのオネエサンがいた。 
このスーパーのレジで唯一のオネエサン、ボーイッシュでカワイイ。

おばあさんがオネエサンの前にスイカ1/4切れをドン、と置く。 
オネエサンはレジ係のきまり言葉、 「袋、要りますかぁ?」

「ハダカのまま持って帰られヘンやんッ!」     

思わず笑いそうになった。 そらぁオバアちゃん、アンタの言うとおりや。 
一瞬の間はあったがオネエサンは、明るく元気に「はァ~い」と手渡し。 
オバアサン、その場でスイカを袋に入れて、お釣りを受け取りスタスタと去って行った。 

次はワタクシの番。カゴには袋不要の札を入れてます。 
「ご協力ありがとうございます、エコポイントをお付けいたします」 
「オモロイおばあちゃんやったねぇ」 
「エエ、色んな人、いますね」 
「袋要りますかの意味、判ってヘンねやねぇ」 
「ウフフ」
" 色んな人" のに中に、気安く声をかけてきたこのオッチャンも入ってルンだろう、きっと。

マンションへ戻ると、エントランスの階段に中学校の制服を着た女の子が二人、座って談笑している。 ドアが開いて別の二人が入ってきた。
楽しい下校時間なのだ。

フッと宝塚の二人の女子中学生の事件が頭を過ぎる。

二人ともオヤジとは血が繋がっていない、両親から暴力を受けていた、家族から疎外されていた、学校でも孤立していた、教室を抜け出して二人で話していた、といった事が報道されている。

エントランスの階段で仲良く座って話している二人、宝塚の二人もそんな感じで話していたンだろうか。 
しかし、彼女たちの話題は楽しい明日の計画ではなく、トンデモナイ計画だった。 

ナゼ救えなかったのか、と皆さん言われている。 
宝塚の市長は、救えなくてゴメンネ、と言われていた。 

その通りだろう。 
しかし、しかし、そう簡単には救えないでょ。 
事件は止められたかもしれない。だが、彼女たちの環境はどうやったらマシになるのだろうか。 
40年も生きていた両親がそう簡単に悔悛する訳ない。 

救う事など出来ない。
彼女たちと並んで座って一緒に泣くこと、多分気持ち悪い、と言われるけど、それが我々の非力な実力だと思う。少なくともワタクシはそうだ。 

しばしば起こる、乳幼児が虐待を受けて亡くなる事件。その多くは母親と同居する男にコロされている。
母親はその男、つまり血が繋がっていないオヤジの虐待が止められなかった、逆に加担した、と報道されていることもある。 

今回は子供は死ななかったが、母親の殺人者となった。 

もう一部の母親は子供を守らなくなったンだろうか。   

 


43年前の7月9日

2010-07-09 21:07:48 | 神戸布引谷での出来事

43年前、7月9日、午後9時頃、この村のほとんどが消えた。

我が布引谷・山の家から500m程“奥”のこの集落の中心地、集中豪雨で多くの村民が避難していた大きな茶店を山津波が襲って、21名が亡くなった。
世継山の北側を横切る高圧線の鉄塔に落雷し、その衝撃で雨水で飽和状態になった山の北面が崩れた。
その原因はゴルフ場の開発で山肌が脆弱したから、と言われた。 

当時中学生だったワタクシ、その原因は素直に理解できた。 

しかし、その当時の事を憶えている住民はもう3人しかいない。と言うか、残った人は順次この村を去っていき、今ここに住んでいるのは7人程になっている。 

今朝、21人の命日、“奥”へ行ってみた。

Imgp2019_2  この先に、駐在所、民家、その先に茶店があってに賑わっていた。

Imgp2020  茶店の跡地から世継山を見上げる。落雷した鉄塔が見える。

Imgp2021  茶店の跡地には砂防工事の必要性を説明する看板が。

今はもう、このあたりを歩く ハイカーのほとんどが知らないようだ。 
現在ハーブ園がある処に、43年前ゴルフ場があって、それを作るために人の住む集落上部を開発し、それが原因で大災害が起きた事を。