蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

ヘビを惨殺してからヘビにつきまとわれた半世紀

2015-11-26 15:28:55 | 神戸布引谷での出来事

6月末に神戸布引谷にある山の家と土地を売却し、もうその地とは係わりがなくなった。

5歳から28歳までその地を駆け廻り、その地から通園、通学、通勤し、その後は実家となって、オヤジが亡くなった後も20年間、名義変更を放置していて、ワタクシが地主となったのは50歳を過ぎてから。
結局、係わりは延べ58年間になっていた。

しかし、地主になった頃には、昔一緒に駆け廻った友達は、もう誰ひとりいなくなっていて、そもそも’67年の大水害の後は価値が無くなった土地であり、その地への係わりの比重は、地主云々ではなく、通園、通学、通勤していた約20年間にあって、それは面白く、シンドく、怖かった。
そして、通園、通学、通勤路となったのは、布引谷のハイキングコースであり、そこで二つの自殺体と、沢山のヘビに遭遇した。

布引谷の住人になった翌年から、 熊内にある幼稚園への通園が始まった。布引谷にはワタクシの他に二人の園児がいた。

タケシくんは兄貴が二人いたが、母親はいなかった。
オヤジさんが何をされていたのかは知らないが、夜中歩いて帰っていて、頭にコツンと当たるモノがあって、懐中電灯で上を照らすと首つり自殺体があった、と言うウソかマコトか判らない“事件”を、面白おかしく語るオヤジさんだった。
当時、ハーブ園入口がある峠の先の尾根上に、お寺と言うか庵があって、ある日の帰り、タケシくんに誘われて寄ると、和尚さんらしきオジサンとタケシくんのオヤジが呑んでいた。
オヤジさんは、供え物のリンゴを両手でパカッと割って我々にくれた。尾根上なので、見晴らしは素晴らしく、神戸港を眺めながら我々はリンゴを齧った。

駐在所のムスコのヨッちゃんは弟がいたが、ハラ違いだった。
ママハハは血のつながった弟を、“ボウヤ”と呼んで可愛がっていたが、ヨッちゃんにはやはり接し方が冷たい様に感じた。近くに住むミズシマ家のヒデちゃんは、年少ながらヨッちゃんに同情したのか、「なんやアレ、ボウヤやて、へへへ」と、嘲笑していた。
ヨッちゃんはそんな環境だからかどうか判らないが、“弱虫くん”的存在で、オオマチくんからションベンを太ももに掛けられ、泣き叫びながら走って帰ったことがあった。
粗暴とのウワサがあり、大柄で年長のオオシマくんの、そんな“乱行”に、ワタクシとタケシくんは何も抗えなかった。

この二人には市街地に親戚がいて、布引谷へは帰らずその親戚宅へ寄るコトが時々あり、ある日偶然に、二人同時に親戚宅へ行ってしまう日があった。
つまり、標高差約200m、2km強の山道を、幼稚園児が一人で帰るコトになる。

6歳のワタクシは、紺の制服に黄色のショルダーバッグをたすきに掛け、紺のベレー帽を被り、いつものように幼稚園を出た。
特に不安は感じず、むしろ一人で自由に帰れることにウキウキ、ワクワクしていた。

女子高から、徳光院のウラの暗い道を過ぎて展望台へ。当時その辺りでは、車道の延伸工事をしていたはずた。
柵がまだ完全ではなかった峡谷沿いの道を歩き、七曲がりを登って布引ダムに上がる。管理事務所のオジサンとは挨拶したかもしれない。
貯水池の畔のお稲荷サンを過ぎると、道は尾根のウラへ廻り込んで行く。

幸い、途切れた柵から谷に落ちることもなく、変態オジサンに遭遇することもなく、誘拐される事もなく、家まではあと数百m。

 そしてこの辺りで、黒くて長くダラ~っとしたモノが、道の真ん中に落ちていた。ワタクシにはそれがゴムホースに見えた。

ナンデこんな所にホースが落ちとンねやろ、そう思って手を延ばす。するとそのホースはズズッと先へ進む。ン?と思ってもう一度手を延ばす。またホースはズスッと先へ進む。
これは何?、と思った瞬間、ダラ~ッと延びていた黒いホースは、クネクネ、サササッと動いて、谷底に落ちて行った。

ヘビと言う動物の存在を、いつ、誰から教わったのか、全く覚えていない。
と言うか、この出来事をオトナに話して、それはヘビや、と教えられたのかも知れない。
黒いホースが、アオダイショウの黒い変種、「カラスヘビ」だと言うコトを知ったのは、ズッと後だった。

その後、ヘビは色んな所にいた。
釣りをするのに柵を乗り越え、降りた川底の岩の隙間には、タマゴからかえったばかりと思われる、細いヘビがトグロを巻いていた。
トゥエンティクロスの飛び石伝いの石の間にも、ヘビがいた。

ワタクシはその都度、「ホラ、そこにヘビ、おるで」、と同行者を脅かした。
彼らは皆、「ワッ!」と叫び、また他にもおるンちゃうかと怖がり、ワタクシはそれを面白がった。
道に落ちている木の枝を指差し、「ヘビや」と驚かせその度に、怖がる同行者を嗤った。

中学三年の夏休み、布引谷は7月の大水害でグチャグチャになっていた。
柵は至る所が流され、以前は入れない場所でも入り放題、遊び放題になって、オトナは復旧作業に囚われ、コドモがどこへ入って遊んでいても、咎めなかった。

 ここはワタクシのヘビとの初遭遇の場所から数十m、家寄りにある堰堤。
この堰堤により、貯水池への流入ラインとバイパスラインとが分断されている。

ヨッちゃんは、オヤジさんの転勤でだいぶ前に引っ越し、タケシくんは大水害の前に、市街地の親戚宅に避難していてそのまま帰って来なかった。
ワタクシは一人でここへ闖入し、流木を束ねたイカダを浮かせて遊んでいた。

 すると、流入ラインのトンネルの出口辺りに堆積していた流木の塊から、大きなシマヘビが2匹飛びだして来た。

ワタクシは、クソッ、コイツらイテモタレ、と残酷な衝動に駆られ、そばにあった流木を彼らに投げつけた。

それは1匹にヒットし、下敷きになり、動かなくなった。もう1匹はその周りをニョロニョロとして、逃げなかった。
ワタクシは変な気分になって、そこから逃げた。

 夏休みが終わり、通学が再開した。一人での通学が多くなり、シマヘビを惨殺した場所を覗くと、朽ちて骨だけになって行く“彼”が見えた。

 “彼”は死後も、台風で増水して流される事もなく、暫くそこに留まっていた。それは惨殺したワタクシを呪っている様にも見えた。

それからヘビがコワくなった。
かつて友達が怖がった、道端に落ちている枝を見ても、「ワッ!ヘビや」とオドロいた。道路上で落ちているロープでさえ、ニョロニョロと動く様に見え、ゾッとした。

実際ヤツラは、しょっちゅうワタクシの前に現れ、ワタクシを脅かした。

多くはワタクシとニアミスをして、翻ってヤブに消えるので、一瞬だ。同行者は「ボク、見ませんでしたけど、ナンデ貴方だけ見えるンでしょうネ」と不思議がっていた。

ヤツラは、フツーの道だけに出てくるのではなかった。

菊水山の直ぐウラに住宅街が出来る前、まだ高校生の頃、城が越の岩場へ行く途中、下の滝から登って行こうとして、チムニー状の割れ目に入ると、奥にヘビがトグロを巻いて鎮座していた。ワタクシはスゴスゴと引き返し、フツーに登山道を登った。

20年近く前、裏六甲の三ツ下谷を登りに行って最初に越える堰堤。
左岸のガレ場から越えようして、灌木混じりの斜面を登っていたら、目前にシマヘビ。多分1m以内の距離。
ワタクシは、「わっ!」と叫び、飛び降りようとした。しかしそこそこの高さまで登っていた。下では仲間が怪訝な面持で見上げている。
大ケガはしない、しかし多少の打撲、擦り傷は覚悟しないといけない。
「どないしょう」と思いながら、ヤツを見ると、器用に枝を伝い渡りながら藪に消えて行った。地面をニョロニョロと這う、気味悪い動きとは違う。ワタクシは落ち着きを取り戻しヤツを見送った。

10年ほど前の5月連休の立山、信濃大町経由で帰る東京の仲間と剣御前小屋で別れ、ワタクシは大日岳へ向かった。
稜線では誰にも会わず、大日小屋で小屋開け作業をしているオニイチャンに挨拶して、大日平の端まで滑り降り、牛ノ首から板を担ぎ、残雪混じりの急坂を下る。
藪がかなり出てきて車道までは後少しの辺りで、ザッと翻って藪の中に消えて行った黒い影。あれは確かにヘビだった。まだ周りは雪が残っている。ヤツは少し早く冬眠から覚め、出てきたところでワタクシとニアミスしたのか。

布引谷の家には、多分2“家系”のヘビが住んでいたと思う。ウラの石垣と道路側の石垣に、定期的にヌケガラがあったからだ。

オフクロはそのどちらかに噛まれたことがあった。「最近よう見かけるなぁ、と思とったら、ガッとかまれたわぁ」、と言っていた。
家の中に侵入していたヤツは、オフクロの足とニアミスし、反射的に噛みついたのだろう。直後、ヤツのアゴの跡がクッキリと残っていたそうだ。
「奥さん、ヘビに噛まれたら、すぐ病院行って見てもらわなアカンがな」と、顔見知りのオッチャンから言われたそうだが、 既に数日経っていて、オフクロは生きていたし、マムシなら残る2本の牙の跡もなかった。
しかし、ヤマカガシが毒ヘビだと判ったのはその数年後だったハズ。噛まれた人が亡くなったので調べると、奥歯から分泌される液に毒があることが判った、そんな話だったハズだ。
やはりそのオッチャンが言う通り、ヘビに噛まれたら牙の跡がなくても、病院に行くべきだったと思う。

オフクロはヘビにかまれた後も40年以上布引谷で生活し、7年前の3月、急性心筋梗塞で亡くなった。
その日、ワタクシは白馬乗鞍のテッペンから快適に滑り降り、その夜は栂池の定宿で地酒を呑んで爆睡していた。

ワタクシはその4年前にお独り様になり、その前年末には特殊機械メーカーを早期退職、年明けから信州・雪山通いを始めた。
公私においてお独り様、家族、社会と縁を切って雪山で遊び呆けている、独りムスコのそんな振る舞いは、老い先が短くなって不安なオフクロを、より一層不安にさせた。
オフクロにはやりたい放題だったワタクシも、多少申し訳なく思い、週末帰る度、信州の土産を持って山の家を覗いていた。
その週も行く予定だったが、ワタクシが行く前に、独居老人宅を巡回していた消防署員に発見された。玄関横のトイレの前で倒れていたそうだ。亡くなった翌々日だった。

信州・雪山での快楽の日々は、3月半ばから山の家で寝泊まりしながら線香を焚く日々に替わった。
そんなある夜、天井裏を走り回るヤツが現れた。オフクロの日記にも、「屋根裏でネズミが“運動会”をやっている」、などと書かれていた。
その“運動会”は数日続いた。ワタクシはオフクロが使っていたフトンで寝ながら、コイツらいつまで走り回るンやろ、と天井を見上げた。
そして、それまでどこにいたのか、ナゼこの時期に天井裏で走り回るのか、不思議だった。

まだ春なのにその夜は少し蒸し暑かった。そしてドコドコ、ゴトゴトと、天井が抜けるンちゃうか、と思うほど、“運動会”は激しかった。
ワタクシは、「オマエらうるさい、エエカゲンにせえ」と、灌木を切って整えた木刀でゴンゴンと天井を衝いてやった。それでも“運動会”は続いた。
それが治まった頃、天井から「キイキイキイ」と言う鳴き声が聞こえた。ネズミなのに「チュウチュウ」ではない、「キイキイキイ」と鳴いている。
その鳴き声はしばらくして、ズズズ、ズズス、と何かが這うような音に代わった。ネズミがヘビに絞め殺され、呑みこまれている、そう直感した。
頭上1mにも満たない天井裏での惨劇。「キイキイキイ」はネズミの“断末魔”の鳴き声だったのだ。
ワタクシは何とも言えない気味悪さを感じ、もう一度木刀で天井を衝いた。

しかしヘビにとっては生きていくに欠かせないお食事行為。
ヘビの神サンから、「オマエのように、遊びついでにワシ等の仲間を惨殺した行為とは違うのじゃ~」、と言われるかも知れない。

それからヘビのお食事タイムに何度か出くわした。

アケビが完熟する秋の終わり、鍋蓋山を再度山方向へ下って行った尾根上、ガサッと言う音がして、その方向を見ると枯葉の上に丸い塊。それはグレイに緑色が混じった塊。ゴツイ登山靴でグシャっと踏んでしまいそうな塊。
近付いてよ~く観察すると、グレイはシマヘビ、緑色はアマガエルだった。既に1/4程が呑みこまれている。しかし鳴き声も何もない。
ただ、これはアタシのもの、アタシは何がなんでもコイツを喰らって生きるのだ、そんなシマヘビの意思がヒシヒシと伝わってくる。
ワタクシはまた、何とも言えない気味悪さを感じ、静かにそこを離れた。

ヘンに蒸し暑い日、山の家へ戻る途中、貯水池のお稲荷さんを少し超えた道の真ん中で、ジジババのハイカー集団が何かを取り囲んでいる。
「どないしましたン?」、とワタクシも首を突っ込む。囲みの足元にはグレイの塊。
「コレ、共食いでもしとンのやろか」と、ジジの一人が言う。「ナンヤきしょく悪いわぁ」と、ババの一人が応える。「きしょく悪い」と言いながら、誰もそこを離れようとしない。
しかし、間違いなくヘビはお食事中。邪魔をしてはいけない。
「このまま放っときましょ」 と、ワタクシは言った。「ほうでンなぁ、そうしましょ」と、ジジの一人が応えた。
その刹那、ヘビは塊を解き、金網が張られたガケの方へニョロニョロと進み、サササッと藪に隠れた。ジジババ集団が囲んでいた箇所には、トカゲの死体が残っていた。
ジジババ集団は何も言わず街へ下っていき、ワタクシは山の家に向かった。
山の家で雑草を抜いたり、ゴミを燃やしたりして、数時間後、その場所へ来ると、トカゲの死体はもうなかった。
ハイカーの行き来が多い休日、あのシマヘビが戻って来て喰ったとは考え難い。ハイカーに藪の中に蹴飛ばされたのかも知れない。
結局トカゲはヘビの餌にはならず、虫とか微生物によって分解されるのだろう。

ロックガーデンの上のゴルフ場敷地に入った辺り、道の真ん中にまだ縞がハッキリ現れていない幼蛇のシマヘビがいた。逃げずウネウネしている。
ヘビの頭の辺りをカミキリ虫の仲間のような甲虫がいたが、ノッソリと離れていった。
シマヘビの幼蛇の胴体は少し膨らんでいて、口を何度もパクパクしている。噛みつくゾと威嚇しているようにも見える。
コイツは一体何をしたいのか。虫を呑みこんだが、虫の手足のイガイガが引っ掛かって、巧く蠕動出来ずあがいているのだろうか。
イガイガは直ぐには溶けないだろう。しばらくはウネウネするしかないのだろう。その内に誰かに踏みつぶされるかも知れない。下って来たオジサンも不思議そうに見ている。
「とにかく放っときましょ」と、ワタクシは言った。自然は放っておくしかない。

毎年秋頃、庭をモグラが掘り進んだ跡が数日続き、それが終わった頃アオダイショウをチラッと見ることがあった。それは多分、アオダイショウがモグラを喰って消化中の時だったのではと思う。
まだ幼猫でガリガリだったノラが現れ、しばらく気まぐれにエサをやっていたが、その内ノラはスズメを喰いトカゲを喰い、家の周りでトカゲを見なくなった。
そしてそのノラが、モグラを喰ったアオダイショウを、ジッと見つめていた。やがてヤツはノラに喰われるのだろうか。

まだ布引谷から通勤していた頃、雨が止んだ夜、酔っ払っての帰り道。お稲荷さんまで来ると、水溜りに細長いモノ。
ミミズ?と思ったが、よく見るとヘビ。一瞬ゾッとしたが、多分タマゴから孵って間もないコドモ。種類はすぐ判らなかった。
そして酔っぱらっているワタクシは、チョット遊んでやろうと思った。丁度イイ長さ、太さの二俣になった枝が落ちていた。
ワタクシはそれで子ヘビを挟み、フォークでスパゲッティをクルクルクルと巻くようにやってみた。
と、見事に子ヘビは、ワタクシのなすがままにクルクルクルと巻かれた。それを外灯にかざして観察する。
小さいながら頭はクッキリしていて、三角形のようにも見える。マムシ?、口をパクパクしているが、噛まれて困る大きさではない。
エエおとなが、雨の止んだ夜、子マムシで遊んでいる。
給料日、呑み屋のツケを払えば薄給は消えてオワリ、当然カノジョはおらず、希望とか、夢とか、野心とかはなく、それでエエやン、その頃からそんな価値観だった。

「マムシは夜、眼が光るから、ホタルと間違って手ェ延ばしたらアカンでェ」と、ウソかマコトか、布引谷の先輩住人は言っていた。確かに、街から引っ越して来たばかりの都会人が怖がる話だ。
しかし、草むらに光る眼は見たコトはなく、夜のマムシは道の真ん中にデレ~っと寝そべっていた。

社会人になり数年経って、女子大生のカノジョとデートした秋の夜、“桃色”気分に浸っての帰り道。
と、途中の急坂の真ん中に、デレ~っと延びて横たわるマムシが、街頭に照らされていた。
三角の頭に寸胴のバディには独特の模様、シラフのワタクシは、遊んだろかなどと言う気は全く起きず、道のギリギリ端を避けて通った。
確かソイツは翌日も同じ場所にいたと思う。そして翌朝、頭を潰されて死んでいた。
思えば、朝、登校時、頭を潰されて死んでいるマムシを何度か見た記憶がある。
夜、道の真ん中にデレ~っと朝まで寝ていて、早朝登山で登って来たオッチャンにコロされたのだろうか。

とにかくマムシは、コロされているのを見ることが多かった。

新市ケ原堰堤によって埋められてしまった、天狗峡の一番奥の滝ツボで、高校の頃、夏は毎日遊び呆けていた。受験を控えた年もロクに机に向かわず、天狗峡でマァちゃんと遊んでいた。
その滝ツボは、ワタクシが両手を延ばした身長の倍ほどの深さだった。それはワタクシが底にタッチした時に、マァちゃんが同時に潜って、確認した。
そこへの道は当然なく、峡谷の側壁をトラバースしたり、飛び石伝い行くのだが、その途中の岩の上でもマムシは頭を潰されてコロされていた。あまり人が立ち入らない、知る人ゾ知る市ケ原の“秘境”、一体だれがやって来てコロしたのか。
毒があるから、見れば有無を言わさず殺せ、と言うコトなのか。つまりマムシに対するホロコースト。

そう言えば、マァちゃんのオジイサンは、マムシを捕まえて酒ビンに入れていた。その酒ビンには強い酒が入っていて、庭の入口の葉蘭の繁みの中に置かれていた。
ワタクシはその家へ行く度に、その瓶をチラッと見た。マムシはビンの中で溶けずにいた。
マァちゃんのオジイサン達は、マムシを「ハメ」と呼んでいた。これは「食む」から来ているのだろうか。
その「ハメ」と言う言葉を聞いたのは、ズッと後、特殊機械メーカーの広島・呉の代理店の奥さんからだった。
「この辺ではまだ“ハメ”がおるンじゃけェ」、呉の東の外れ、工場地帯から山を一つ越えた辺りにも、ヤツラはいた訳だ。

生きて動いているマムシを、初めて見たのは10年程前、まだ特殊機械メーカーで働いていて、ストレス解消と体力維持のため、有馬温泉から紅葉谷、白石谷のエリアを登り降りしていた頃だった。
湯槽谷から番匠屋畑尾根に上がりしばらく登った辺り、未成年のマムシが熊ザサの繁みで、葉から葉へウネウネと移動していた。
三ツ下谷でガケを登っていたワタクシの、眼の前に現れたシマヘビも枝から枝へウネウネと移動していた。
地べたをニョロニョロ這う動きとは異なり、葉から葉、枝から枝へ伝い渡る動物の姿は、とても器用に見えた。
ワタクシは、未成年とは言え頭が三角で噛まれたらエライことになる、ヤツの背中に描かれたマムシ独特の模様を、静かに見送った。

ヤマカガシはクネクネ曲がった状態で、固まっていることが多かった。

特殊機械メーカーに転職して、東京で赴任中の2年目、関東での生活にも慣れ、仕事にも余裕が出来て、10月の連休、家族を放りっぱなしにして、甲斐駒の尾白谷を登りに行った。
横浜を夜明け前に出て、麓の神社近くで車を停め、谷沿いに歩いた後、滝を高巻くため林道へ上がり歩いていたら、ヤツがいた。
10月の早朝、赤石山脈の麓はもうかなり寒かった。クネクネまがったままのヤマカガシは凍死して干からびているように見えた。
ワタクシは林道の端を避けて通り、尾白川に下り、その日は本谷の途中でビバーグ、翌日稜線へ上がり、夕方甲斐駒頂上を踏み、日が暮れ真っ暗になってから七丈の小屋へ飛び込んだ。その2日間、ヤマカガシに会ってから、誰にも会わなかった。

数年前の秋、誰もいない紅葉の「社の森」にも、クネクネ曲がった状態で死んでいる様なヤツがいた。
ワタクシはギクッとして、道の端を避けて通ったが、ヤツはホンマに死ンどンやろか、と引き返し観察した。
よ~く見ると、ヤマカガシの頭は琥珀を被っているようで、ヘンな美しさがあった。
しかし、死ンんどンか、と触ると噛まれるかも知れない。なんせマムシとは異種の毒ヘビなのだ。
ワタクシは静かにそこを離れ、紅葉の「社の森」の隅々を歩き廻って、ヤツがいた所へ戻ると、もういなかった。やはりヤツは死んでいなかった。 
結局、ニンゲンとニアミスして固まっていただけなのか。しかし、そうなら石でもぶつけられてコロされ放題。ダラ~っと寝そべっていたマムシと同じ。
無毒のシマヘビはニアミスするとザッと翻って逃げるのに、毒ヘビ類はジッと固まってしまって、コロされ放題と言うことなのか。

ロードバイクで走り回るようになると、イナカの道では至る所で車に轢かれたヘビを見た。その都度「ワッ!」と驚き、かろうじて避けるのだが、他にもタヌキ、サルなどか轢かれていて、オドロいたのは、どんなモノからでも素早く避けれるイメージのイタチだった。
これはヤツラがアホなのか、それとも車が多過ぎるのか。

人類の急増加、そのカーブに絶滅種増加のカーブが沿っている、そんな話を聞いた事がある。
車の急増加にヤツラが順応出来ていない、動物がコロされる数は急カーブで増えていく。 そう言うことだろうと思う。

今年、布引谷・山の家を片付けるのに、何度もミニバイクで西神バイパスを通ったが、その途中で、今年も2匹轢かれたヘビを見た。

しかし、ダイナミックにクネクネとワタクシの直前を横切っていくシマヘビもいた。

山の家には2家系のヘビがいる。
数年前、久しぶりに帰って雨戸を開けると、雨戸の陰の壁にシマヘビが張り付いていた。まだシマがハッキリ表れていない幼蛇だった。

売却したYサンには、2家系のヘビも含めて引き渡したことになる。

ヘビとの初遭遇から60年弱、シマヘビを惨殺して半世紀経った。これからもヤツラはワタクシの前にいきなり現れるのだろうか。