蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

やはり車は生き物なのか

2012-06-28 23:42:47 | 車でブラブラ

自動車、特にイタリア車が「官能的」と、雑誌や本なんかで度々読んだりしていたが、その意味が良く判らなかった。

手元にある40年以上前の広辞苑では、「官能」とは感覚器官の機能、感覚と同意に用いる、と書いてあるが、「官能的」とは肉感をそそるさまであること、となっており、「肉感」とは肉体に起こる感じ、性欲に訴える感じ、となっている。

と、言う事は自動車、特にイタリア車は性欲をそそる、と言うコト(?)

しかし、そそられて車に抱きついてもカタイし、冷たいし、エンジンルームは熱いし。どう考えても性欲を満たす対象ではない。やはり、抱きつく相手は柔かく、温かくないとネ。

‘70年代初め頃の五木寛之センセの作品に、自動車が関係する主人公の小説がいくつかあって、その中に、恋するBMWの写真を見ながら自慰行為にふける少年の話があり、ワタクシも自動車は好きだったが、マスかける車などなく、不思議な感じだった。
しかし、恣意的に姉を死なせたその彼氏(不倫相手?)を呼び出して轢き殺した少年が、最後は車が勝手に動いて轢いた様だった、と言ったセリフを吐く作品もあって、これは判る様な気もした。
五木センセは以前から、車が生き物だと言う様な事をよくおっしゃっている。

自動車が単なる工業製品ではなく、生き物ではないか、と言う感覚は確かに判る。
確かに数時間かけて丁寧に洗ってやった後は、機嫌よく軽快に走りよる。いや、これは気のせいでしょう。機嫌よく気が軽くなったのは、長い間洗車をサボっていて、やっとそれを済ましたワタクシのホッとした気持ち。

しかし、数万(数十万?)の部品によって組み上がっている車、しかも外気温はさることながら、トルク、つまり滑りなどのセンサーも色々組み込まれていて、こう言う複雑、精密、多層なる機械は、なんでやろ、よう判らん、と言う事が多く、気まぐれな生き物だとしても不思議ではない。
実際、ディラーのオニイチャンとの話でよくあることだが、ある現象の一義的な原因は説明されても、ではその原因の原因は?、となると、「さぁ、よく判りません」

ドイツとイタリアのスーパーカーメーカーは馬、そのライバルのイタリアンメーカーは牛、かつてラリーを席巻していたイタリアンメーカーは象、サソリもいるし、フランスにはライオン。動物のエンブレムを付けている車は多い。
ただ単純にスピードを楽しむ文化として、車を捉えているヨーロッパ人は、昔からそれらを動物として扱っていた様な気がする。

で、ワタクシ、5月連休明けに蓮華岳大沢へ行った後、名神が集中工事で夜間通行止め、昼間は渋滞気味になって、急に信州へ走る気合いが失せたが、それでも未練がましくスタッドレスを履いたままだった。
6月になってやっと春の山スキーとはフン切りをつけ、夏用タイヤに履き換えたが、ホィールも鍛造軽量に替ったわけで、今年もバネ下重量軽減を体験して喜んでおりマス、恥ずかしながら。

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そして、用もないのにあっちこっちブラブラ、と言うかブンブン走っていたら、先日、右前輪辺りからの異音に気が付いた。

そもそも硬くセッティングされているらしいサスのスプリングを、(エエ歳こいて)更に硬いのに替えているので、段差を乗り越える時などはゴツン、とビックリする様なショックを感じることもあったりするが、そんなゴンと言う音ではなく、チョット荒れた、ザラザラする様な路面で、コトコト、カタカタ、音がする。

夏用タイヤに履き換えた時、ディラーのオニイチャン、脚周りもチェックしてくれているハズなので、トンデモナイ破損等が起きているとは思わなかったが、3日前、加古川~加西に抜けて、播磨中央公園まで来て休憩した時にボンネットを開けてみた。

最近の車のエンジンルーム内はブラのカバーだらけで、我が愛車もエンジン本体、バッテリー、パワステフルードタンクとかがカバーに覆われているが、このカバーを留めているのはプラスチックのクリップ。
しかし、これが硬化、劣化して浮き上がったり、無くなったりしていることもあった。2年程前に予備として5個、準備したが既に3個使っている。
今回もパワステフルードタンクのカバーを留めている1ヶ所が浮いていた。カバーを動かすと、確かにコトコト、カタカタ、音がする。どうやら異音の原因はこれの様だ。
浮き上がったクリップを抜いて見ると、硬化はしているが欠けはない。なので、締め直そうとしたら、エンジンルーム内にコロコロコロと落してしまった。

車の下を覗くと、地面には落ちていない。どこかに引っかかっているのだろうか。公園の駐車場を走り回ってみたが、落ちてこない。どこにいるの?クリップちゃん。

取りあえず予備の新品で締め直し。
家まで60km程度、エンジンルーム内のどこかにいるクリップは、途中で落ちるかもしれない。ゴミを出してしまうが仕方ない、ゴメンナサイ。

90分後、家へ着いてオドロいた。
いつものスペースに駐車し、いつもの様に車を降り、ロックして、車の前の地面にフト眼を落とすと、そのクリップが落ちていた。

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「ワタシもクッついて一緒に帰ってきたよ、ワタシを捨てて行かないでェ」

「当然だ、君を捨てたりしないッ、ズッと一緒だ」

そのクリップは、車内の小物入れに納めておくことにした。

やはり、コイツら、生きている。


ユメもチボーもなく、願いは叶う

2012-06-25 11:55:13 | 朽ちゆく草の想い

小学校高学年の頃、新幹線が出来て、それまで6時間かかった東京へは3時間で行けるようになって、秋には東京でオリンピック。

「夢のパラダイスよォ、花のトォオオオキョウ~」、これは戦前の歌だそうで、当時の東京は帝都。そこは空襲で見事に焼けたが、戦後見事に復興、オリンピックも見事に復活。
学校でそんなコトを習ったかも知れないが、小学生のワタクシには興味なく、どうでもエエことだった。

その当時流行っていたコメディアン「東京ボン太」、唐草模様の上着を着て、頻繁にテレビに出て来ては、「ユメもチボーもないね」、と言っていた。
世相を色々と語り、最後に「ユメもチボーもないね」と言って終わり。

小学生には、当時の世相と「夢と希望」との関係を、シニカルに表現するギャグの真意は判らなかったが、何か面白く、「ユメもチボーもないね」と真似たりして、その都度、オフクロやセンセに「小学生がそんなコト、言わんとき、言うたらアカン!」、と叱られていた。

世の中は年々、便利、快適、豊かになり、戦争でヒドイ目にあったオフクロやセンセ達の世代が、「夢と希望」に溢れていても不思議ではない。
しかし、戦争を知らない子供たちは、当然、戦争の悲惨さとか、平和と繁栄のありがたさなど判らなくて、ただ、「ユメもチボーもないね」とふざけていた。大体、その頃はまだゼロ戦とか戦艦大和とか武器が好きで、反戦意識が芽生えるのは5年ほど後になる。

東京へ日帰り出張が出来るビジネス特急「こだま」が、東海道本線を忠実に神戸駅から走り出したのが幼稚園の時だった。
オヤジに連れられてそれに乗った日を憶えている。
朝まだ暗い時間に、布引谷・山の家を出て、神戸市街を見下ろせる展望台まで来ると、高架を神戸駅に向かう長い列車の明かりが見えた。「あれが今から乗る奴チャ」と、オヤジは言った。

それから6年程経って、新大阪から東京へは3時間で行ける様になり、更に8年後、新神戸駅が出来て、神戸からも新幹線に乗れるようになった。

早い列車が出来て、それに乗れて短時間で東京へ行ける、それは高度経済成長。

しかし、小学生は東京へ出張する訳ないし、布引谷・市ケ原に住む大人たちも、東京への出張が必要な仕事はしていなかった。山の住民には関係はなかった。

そもそも高度成長とは工業化が邁進することであり、農業や漁業をやりたい人、それしか出来ない人達には関係ない。
しかし、工業化、高度経済成長は国策。

その頃、地元の化学工場に就職できない熊本・水俣の漁民たちは、水銀汚染の魚を獲って生活するしかなく、かたやチッソは、僅かな解決金の支払いと水銀排出には何の効果もない処理装置を設置して、水俣病はもうオシマイと誤魔化し、地元・熊大水俣病の研究者まで誤解させて、その後も患者が次々と出ているのに、水銀を排出し続けていた。
戦前は肥料、戦中は軍需品となる酢酸、戦後は高度成長を支える有機合成品を作っていたチッソは、つまり国策企業。
そこが起こした公害、というか大災害など、当時、国は問題化しなかった。
当然、その頃の小学生はそんな九州の大事件など知らないし、大人たちが話題にしているのを聞いた事もなかった。

国策とは、国の支配層が豊かになるための政策、運のイイ一部の国民はそのオコボレを頂いたかもしれないが、熊本・水俣の漁民たちはその犠牲になった、ホントにヒドイ話。

数十年後、高度成長が自然を破壊し、環境を破壊し、地域のニンゲンのお付き合いを破壊し、良心を破壊し、善意を破壊し、精神や情緒まで破壊し、と皆さんボロカスに言うようになる。
しかし、当時から国策の高度成長の被害、弊害を受けていた人は相当数いた、と言うコトだ。

いや、そもそも高度成長など、大半の人は関係なかったと言うか、大した恩恵は受けていなかったのではないか。そんな気がする。

国はドイツを抜いて第2の経済大国になって、オヤジの収入も多少は増えたハズだ。
だからと言って、増えた収入で市街地の土地を得ようとしても、それなりに地価も上がっている訳で、結局いつまで経っても、布引谷・市ケ原から降りることはできない。
経済成長しても、国の中では格差は埋まらなかった。他人の倍、3倍働けば可能かも知れないが、そんなシンドイことをするより、「町のセセコマしいトコに比べると、ここは自然に囲まれて、安気でイイ」と諦めた方がラク。

高度経済成長の中、相変わらず、ワタクシは布引谷から学校へ通っていた。

教室では、将来の夢、とかやりたい仕事を話しあう授業が時々あって、「将来何になりたいか、1人ずつ言って下さい」と、センセに言われて、何と答えたか、全く覚えがない。
お医者サン?ガッコのセンセ?電車の運転手?お菓子屋さん?
なりたいと思っていたモノは思い浮かばなかった。
「夢」、それは今なら大リーガー、Jリーガーとか、えー・けい・びー?
しかし、当時の布引谷には、野球やサッカーが出来る環境はなく、役者、歌手はゴーストだらけのテレビで見るだけのモノ。タレント、アイドルとかはまだ登場していなかったと思う。

中学生になっても高校生になっても、なかった。
放課後、校庭や繁華街で遊ぶ同級生を横目に、ワタクシの前には標高差約200m、1時間弱のの帰宅路が立ちはだかっていただけ。「アァ~ア、ユメもチボーもないね」

就職を決めないといけない時期になっても、何をしたいかは、なかった。
政治家や会社経営などには全く興味なく、作りたいモノ、開発したいモノ、開拓したいモノはなかった。活躍したい場もなかった。
野心とかお金、財産などはココロの卑しいゴンタクレが持つモノ。

ワタクシは、目立ちたくない、競いたくない、群れたくない、蓄えたくない。
誰の影響か判らないが、それが今も続いているワタクシの信条。

理学部の大学生の頃は、まだ高度成長期のハズだったが、ナゼか卒業の年は理科系の就職難だった。前年までなら、どこかのメーカーの技術部か製造部にスッと雇われたハズが、求人で目に付く職種の多くは営業だった。
とにかくどこでもいいから就職しないといけない。

何とか喰えて、テキトーに呑めて、テキトーに山やスキーに行ければいいだけのワタクシ。
で、なんとかもぐり込めたのは造船関連メーカーの経理だった。物理学科卒でも、経理で出来る仕事はあった。

しかし数年後、営業へ移れと言われた。(別に経理で不正を働いたワケではない、念のため)
企業とは他社と競い争う利益追求集団、営業はその先端に立たなければならない。
目立ちたくない、競い争いたくないワタクシ、営業などやりたくなかったし、客と交渉し注文を取る、一見勇ましそうな仕事がカッコイイとも思わなかった。
しかし、その時には扶養義務が発生していて、なんとかもぐり込めた会社を辞める訳にはいかない。

造船業界で営業をやるなら、ゴルフ、麻雀、釣り、競馬、囲碁、将棋が出来なければダメ、まぁボチボチ覚えたらイイ、当時の営業部長からそう言われた。これは営業の武芸十八般(?)、6つしかないけど。
残念ながら、ワタクシが出来るモノは一つもない。覚える気もない。
ただ、客先へは足繁く通った。

やらざるを得ないモノが目の前にぶら下がっていると、とにかく早く、完璧に片付けないと気が済まない性格のワタクシ、それが災いしたのか、幸いしたのか、 仕事はいくらでもあった。
その代わり、定時は午後9時とか10時だった。
気が付けば、いつの間にか、目立ち、競い、群れて蓄える、モーレツな売り子になっていた。
「いつまでもキリないし、もうヤメや」、同僚や先輩が帰った後も一人残って、昼間得た成果を、見積や手配として処理していた。周りから「毎日ようやるなぁ、シンドないかぁ、体力あるねンなぁ」とよく言われた。

何故、毎日ハードに働けたのか、それは多分、あの標高差約200mをほぼ毎日、幼稚園から小中高大と通学し、その後更に4年程、通勤したからだと思う。「アァ~ア、ユメもチボーもないね」と、フザケながら。
しかし、いつまでハードに働かないといけないのか。それを続けることによって獲得する「夢と希望」などないのに。あぁ、ツマラナイ。
目立ちたくない、競いたくない、群れたくない、蓄えたくない、そんな日々に戻りたい。

ホンマにもうエエワ、ホンマにもう働くンイヤヤ。そんな思いがMaxになった5年前、グッドタイミングで扶養義務が無くなり、ハードに働くどころか、フツーに働くのもヤメた。

暦が一巡した今も、ユメやチボーはない。
しかし、目立たず、競わず、群れず、蓄えずで何とか生きている。

若者よ、夢や希望など抱くな、それがなくても願いは叶う。


年金証書、侘しく、情けなく

2012-06-19 21:59:52 | 朽ちゆく草の想い

ワタクシが幼稚園児の前から、社会人の28歳まで棲息していたのは、六甲山中の布引谷。オフクロもアラサ-からアラ米寿まで、そこに棲息していてた。
40年程前、6月から9月に掛けて、大雨や台風の度に避難騒ぎが何度かあったので、オフクロはいつでも持って逃げれる様に、大事なモノを、ダッサいボロボロのナップザックに入れていた。

オフクロが亡くなって、葬式終わるまでワンワン泣いていたワタクシ、一人になると、まずそのナップザックの存在を確認した。
ナンセ、そのナップザックのなかには、銀行のツウチョウが入っている。
それは、その後のワタクシの「バラ色の人生」になる、ムフフ。
欲深いバカムスコはその時すでにお一人様、新たな「バラ色の人生」を独り占めしたい。

ナップザックは難なく見つかり、ツウチョウを確保。それを相続して、「バラ色の人生」はワタクシのものになった。

そして、ナップザックからはオフクロの健康保険証とか年金証書も出て来た。これらはワタクシには関係ない。
捨てたろか、と思ったがそう言う訳にはいかない、チャンと手続きをして役所に返した。

返した時、「あぁこれでオカンは社会的にも亡くなったンやな」、と感じて、チョットだけ泣いた。

その4年後、バカムスコは「バラ色の人生」を送れているのかどうか、よく判りませんが、60歳になったので、昨日、年金請求の処理をした。

須磨の年金事務所へ10時40分着、45分待たされてワタクシの番。対応20分でオワリ。
ンヶ月後に年金証書が送られ、ンヶ月後にン月分が振り込まれ、と社労士の職員サンから色々と説明を受ける。

「ン?年金の証書?、そんなンエエから、早よお金振り込んでよぅ」、と半畳を入れると、「1~2ヶ月後、こう言うのが送られてきます、振り込みはその後です」
職員は証書のサンプルを見せながら言った。

それには見覚えがある。そうか、あのダッサいボロボロのナップザックから出て来た、オフクロの年金証書と同じものなのだ。

当然と言えば当然だが、オフクロと同じ「身分」=年金受給者となった訳で、その実感は、ナンカ侘しかった。

現役高給取りの頃は、自分の保険料が現行受給者への支払いに廻されていても、まぁエエかまだ元気で稼げるし、それにお年寄り養うのは義務、との気概らしきものもあった。しかし、自分が受給者になると、それはつまり養われていると言うか、お恵みを頂いている様で、チョット情けない。

ところで、今回初めて知ったが、配偶者がいて、生計を一にしていて、それの年収が850万以下の場合、加給年金と言うのが受けれるらしい。その額最大39万/年、へぇ~ッ。

ワタクシ、まだ配偶者いますが、生計は何年も前から別、よってそれは受けとれませんのでどうでもいいけど、大体世間に年収850万以上のヨメハンなんているンだろうか。

「本人が中小企業の社長かなんかで、奥さんがそこの役員かなんかしてた場合、年収850万以上のケースありました。ほとんどありませんが、税金などの扶養控除限度と比べると非常に甘いですねぇ」
へぇ~ッ、要するにヨメハンが、そこそこの高給取りのキャリアウーマンでも、フツーに最大39万/年頂ける、と言う事だ。

と言うか、手続きに来て、ササッと戸籍謄本と住民票を出して、「配偶者とは生計は別、よって加給年金などいらん」と言ったワタクシの身の上が、フツーではないだけか。

しかし、年収850万以下のヨメハンに39万/年の加給。これも一種の税金と言えど、それらはかつての部下、後輩から徴収しているお金。
職員はキーボード叩いて、今年の年金見込額をプリントアウトした。それは昨年の「ねんきん定期便」に記載されていた見込み額より4千円程少なかった。
毎年、年金額減らさざるを得ないのは仕方ないとして、その前にこの加給年金の年収制限とかを、もう少し常識的レベルにまで下げるべきでは、と思うけどね。まぁエエけど。

「年金基金への加入時期がありますが、基金から請求の案内来ましたか?」
「イヤ、ないけど」
「直ぐ連絡取って下さい、取りあえず企業年金連合会へ連絡してください、ここから支払われる場合もあります、それと障害手帳とかお持ちではありませんか、年金増えますよ」
「生まれてからズッと、カラダ、どこも悪いトコ、ないねン、色々アリガト」

学校卒業して最初に入った会社は、確かに厚生年金基金だった。年金記録にもそう載っている。
しかし、まだ若い時期で会社の業績も良くなく、給料も安かった。10年程いたが、神戸の本社を売却したりして、益々業績悪くなったので転職した。
いずれにせよ大して払っていないので、大した年金額にはならないはず。

しかし、何の連絡もないし、直ぐ連絡取って下さい、と言われると急に心配になって、企業年金連合会のコールセンターへTELした。
3回目にやっと繋がって、事情を話すと、10年以上勤めているので給付はその年金基金からになります、と言われ神戸の連絡先を教えてくれた。

その年金基金には直ぐに繋がって、同じ様に事情を話すと、書類を送るので住所は中央区のママですか、と聞かれた。前の住所がまだ控えられているらしい。訂正した。

「書類を6月末までに送る様、準備しています、着いたら色々記入して頂いて、住民票と証書のコピィと一緒に送り返して下さい」
「証書?」
「年金の証書ですよ、今日年金の手続きされたンなら、1~2ヶ月後に送られてくるはずです」

ナルホド、誕生月に年金請求の処理して、1~2ヶ月後にならないと年金基金の方は処理できない、要するにオトナシク待っとけばヨカッタだけだ。

年金事務所では、加給年金なんていらん、というイサギよさを演じていたのに、急に浅ましくなったワタクシ、あぁ情けない。


連続する大量死亡事故の後、連続するアラフォー関連事件

2012-06-05 21:41:02 | 朽ちゆく草の想い

3月頃、相次ぐ餓死者の事件をスキー場の定宿のTVニュースで知って、若い姉妹や若い母子の悲劇である事にも驚いて、「ナンデこんなことになるンだろう、ウチへ来たら何とかしてあげるのにィ」、と定宿のオカミサンは悲しんでいた。

1月は北海道で夫婦と姉妹が4人、2月が東京と埼玉で親子や夫婦が7人、3月も東京と埼玉で親子が6人、餓死とか孤立死。
3月終わり頃、新聞には、そんな「まとめ」の記事があった。

明らかに同じ原因の、大量死亡事件が連続していた。
別に飛行機が落ちたわけでもなしい、船が沈没した訳でもないのに。

こう言うホントの弱者がキチンと生活保護を受けないといけないのだが、声の大きいのだけが不正自給するこのご時世、まぁ自己責任のご時世ですからねぇ。

そして、4月に入ると京都は祇園で7人、同じく京都府亀岡で4人(1人は胎児ですが、1人です)、関越道で7人、車が飛び込んできたり、パスが壁に激突したりして亡くなった。
これは事故か、事件か。

祇園のは、本人は以前から病気を指摘され、運転ダメと言われているのに運転し続けて、また亀岡のは、寝ずに運転してイネムリだったと白状しているし、関越のも、副業とか忙しくイネムリだったと白状しているので、これらは全て起こるべくして起こした死亡事件。
殺意の有無などどうでもイイ、こう言うのは殺人事件では?

明らかに大量殺人事件が連続していた、と思う。
無差別テロが起きたわけでもないのに。

新自由主義、規制緩和とかで、ビジネスチャンスは広がって色んなお金儲けが出来る。
その雰囲気で、未成年は仕事に付かなくても夜中ズッと、自由に車を運転したりして、遊び続けることが出来る。
朝早く起きて働かなくても楽しく過ごせる、良いご時世だ。

さて、これらの連続する事件、事故とは、チョット毛色変わりますが、最近、岐阜の女性の殺人、北海道の女性の失踪の、コロした犯人が連続して捕まって、そのコロされた女性はお二人ともアラフォー。

そして、松本と都内で20人程と、弁護士一家とか公証人役場のオジサンとか4人をコロして、13人が死刑確定している教団の、逃げていたオバサンが捕まって、これもアラフォー。

アラフォーのオバサン、流行か?

岐阜の幼稚園のセンセをコロしたのは、そのセンセと不倫関係の60歳のオッサンで妻子持ち。
北海道の図書館のオバサンをコロしたのは40代の妻子持ち。
教団のおエライさんが逮捕されてから逃げ回っていたオバサンを匿わって、求婚していたのも40代の妻子持ち。

アラフォーのオバサンと、妻子持ちのオジサン。

これらの関係も流行か?まぁどうでもイイ事ですかねぇ。

ところで、話はド~ンと変わりますが、明日でワタクシ、歴が一周する。
昔は一周でオワリだったのに、今は平均寿命が延びて、次の一周が始まることになる。

と言っても後20年程でホントに終わるハズ。
終わるまでの後20年程に、どんなショ~もないコトが起こるンだろう、嗚呼。


暫定、限定、臨時ではない、絶対的なザイカイ

2012-06-04 14:14:37 | 朽ちゆく草の想い

先々週末、名神高速の集中工事が終わって、フツーに信州「春」雪山通いが再開できるようになったが、天気が今一つパッとしないし、何と言っても歯茎の具合が悪い。
歯槽膿漏とか歯周病とかで、歯は徐々に抜けていき、定期的に歯茎が腫れて、肩、首がこってザックを担ぐのはツラく、先週は結局信州へも六甲山へも行けなかった。

そして、信州、六甲山、歯茎の腫れとかとは、何の関係もないが、関西のクビチョウさん達が、事実上の容認、敗北して、暫定、限定、臨時で、大飯原発は再稼働するらしい。

彼らクビチョウさん達の中には、滋賀のオバサン以外、ワタクシが選挙で支持、投票する人はいないし、大阪のあの勇ましいのは、多分、武器にもなる原子力は好きそうだし、やっぱりね、予想通りですな。

で、彼らを容認させたのは、ザイカイからの要望、と言うかオドシらしい。
このまま計画停電するなら、工場は操業できない、企業は出て行きますよ、と。
しかし、元々ザイカイと言うのは、トップが電力会社の社長だったことが多かったハズ。
こう言うのは、何と呼ぶのか。自作自演?おためごかし?お手盛り?

政府が安全と判断したのだから早く動かせ、とザイカイは言っているそうだが、政府に安全と判断させたデータは、元をたどればザイカイが作らせてたりして、原発で喰っている企業もザイカイの構成員だし。
結局は全て、ザイカイの自作自演?おためごかし?お手盛り?

大体、今のザイカイのトップと言うか、大企業のシャチョウは、自らモノづくりを起業、苦労して会社を確立した所謂「タタキ上げ」は少ないハズで、超一流大学を出て、シャチョウになるべくして就職した、超エリート。
全てはアカデミックにマクロの視点から判断して、手は出さず、口を出すだけ、つまり官僚的。
官僚的経営者?、官僚的ザイカイ?

ザイカイの利増幅に供した一部官僚は、退職後ザイカイに天下りして、益々ザイカイは官僚的になる。

驚くべきこの国の、1500兆の個人資産も、ほとんどは彼らが持っているンでしょうナ。

しかし、輸出増やせば増やすほど、ドルで支払い受けて、円に交換する会社は増え続ける訳で、円は高くなるのは当たり前だし、人件費が安い振興国とは価格競争しても勝てる訳ないし、今後、官僚的ザイカイはどうするのだろう。
原発だけは動かしたけど。

まぁ、若狭湾で地震も津波もしばらくはないと、思っているンでしょうか。

ワタクシ、ザイカイなどとは、過去、現在、未来、何の関係もないし、以前から反核だし、「死」を乗せた「蒼ざめた馬」でもあるし、いっそもう一度どデカイ地震、津波があちこちで起きて、フクシマは完全に破壊され、燃料棒はプールから飛び出して、更に放射能撒き散らし、ワカサ、大飯の放射線は琵琶湖を汚染して、原発動かしてくれと要請していた地元のおバカ達は大飯から追い出され、放射能はここまで飛んできてワタクシも追い出され、そうなったらむしろ、全てを捨てますか。

どちらかの評論家サンか学者サンか忘れたが、少し前の新聞に、「死を忘れ、ただ生のみに執着し、そのためには自然を貪欲に蕩尽し、人をモノの様に搾取するシステムとその文明を変えなければならないのだ」と書かれていた。ナルホドっ!。

しかし、変えたくても、暫定、限定、臨時ではない絶対的なザイカイと、それにオモネるおバカがいる限り、そう簡単には変わらないと思う。捨てましょうヨ。