蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

社会人になったころの愚行を思い出しながら、インターネットバンキング@安曇野

2019-07-16 12:03:31 | 信州安曇野での出来事

ワタクシが社会人になった年は、この国の高度成長期が終わり、それまで良かった理系の就職が急に悪くなった年でもあった。

そもそも社会に出て何がやりたいか、とか言う“青春期”の夢や希望はなく、関西アホボンの多くがノホホンと通う私学で、宇宙線研究室で一応卒論は書いたが、それ以外の成績は悪く、そんな理学部学生を雇う企業は、高度成長期の時代でも少なかったかも知れない。
ましてや「御社の#$%分野で、自分の〇✕△能力を発揮したいです」などと言う優等生的アピールを、「何ぬかしとんネン、企業は所詮、社員を搾取するだけのモンじゃあ」、と揶揄し蔑んでいたワタクシが出来るハズもなく、元々マジメに就職する気が合ったのかどうか。

いずれにせよ、何がやりたいかという希望がないのだから、何でもヤリますッせ、という事で、結局就職したのは船室艤装品メーカーの経理。偶然にも同窓で4歳上と3歳上の先輩が二人いて、ワタクシが入社して同大学卒業者が4人になった。
若い女子事務員はおらず、グループのリーダーは年齢不詳の女性だった。
会社の創業者で社長も女性で、父親が異なる3人の娘がいて、何やらヤヤコシイ雰囲気があった。
経理リーダーの女性は、創業時から経理を担当していた役員の義理の妹で、この役員は言わば創業者の“片腕”でもあったらしいが、辞めることになって、義理の妹だけは居残ることになったらしい。
創業者の“片腕”役員が辞める、という揉め事は、学生時代でも見聞きすることはあったが、社会人になってイキナリの実話。
まぁそれもオモロイやん、と思ったが、要は就職難時代の就職先は、ヤヤコシイ雰囲気満載の企業という事だった。

この船室艤装品メーカーは川重の協力会社で、メインバンクは第一勧銀。最初の口座は当然そこで作らされた。
その他、住友、大和、三菱、山陽相互、百十四、協和と、取引のある銀行とは全て通帳を作った。経理だから仕方ない。
作る時は、“御縁”を掛けて5
円を入金するのが通例。外交担当がやって来て、開設依頼書に押印しただけで、数日後残高5円の通帳を受け取る、そう言う事もあった。
そしてワタクシの手元には、残高5円の通帳が数冊溜まった。

各銀行との口座開設が一応終了し、半年程経って、そこそこ付き合いの深い銀行から、クレジットカードのお誘いがあった。
それがあれば手元に現金がなくてもモノが買える、呑みに行ける。これは残高5円の通帳と違って、大いに役に立つ。
ワタクシはお誘いに乗って5枚ほどのカードを作った。
そしてそれは、買い物決済のまともな用途から外れ、キャッシングサービスに役立ててしまい、いつの間にか数10万の借金が出来てしまった。
それは配偶者にもバレ、結局その船室艤装品メーカーの退職金で返済することになった。

入社して10年目、造船関連はいつの間にか斜陽産業、そのメーカーも傾きかけ、別資本が入って来て、本社の土地建物を売却し、大阪の事務所と統合する、と言い出した。
ワタクシは経理から営業に移っていて、営業案件は先細り、客先でも暗い話しばかりの日々、いよいよ造船はアカンでぇ、と言う雰囲気が蔓延していた

要するに、売り先がなくなって、結局売れるのは土地建物。
経営責任として何とかせよ、と言っても創業一族は既にそれらを売り飛ばしている訳であり、後は残っている社員を上手く整理するしかなかったのだ。
当時ワタクシは輪番的に組合の執行部になっており、本社売却、大阪移転に対しては条件闘争をするしかなく、大阪移転を理由に退職する社員に対し、退職金増額が支払われる、という事に落ち着いた。

そしてその増額退職金を最初に受け取ったのはワタクシだった。
ワタクシは借金を清算し、お付き合いで開設した残高5円の口座、全てを解約し、クレジットカードもほとんど解約した。
ワタクシの社会人になって最初の10年間は、何の役にも立たない通帳を何冊も作り、クレジットカードのキャッシングで、過払い金利を払い続けていた、おバカな10年間でもあった。

最初の口座の第一勧銀は、MIZUHOとなった後も使い続けているが、配偶者が管理していた旧富士もMIZUHO、親から相続した口座も旧富士でMIZUHO、いつの間にかMIZUHOの通帳が数冊溜まっていて、それらも社会人を辞める10年程前に解約。
そして信州移住前には、MIZUHOに残っていた投資信託も解約した。何しろ、安曇野にMIZUHOがない。MIZUHOに行くには松本まで出ないといけない。

MIZUHO神戸の担当オネエチャンは、この投資先は比較的安定しているので、残しておいてもイイのでは、と継続を勧めたが、MIZUHOがないイナカへ引っ込むので、と解約をした。
オネエチャンは、近くに店がなければ、インターネットバンキングと言うテもありますよ、と紹介してくれたが、どういうメリットがあるのか、よく知らなかったので、やらなかった。
と言うのは、その当時すでに、電気、NTT、ガス、スーパー等生活費、ほとんどの支払いはクレジット経由、MIZUHOに行くのは記帳のみになっていたからだ。クレジットは当然まともな使い方、もう収入がないのだから借金は出来ない。

安曇野でもほぼクレジットで、チョットしたものも、ネットで探して通販すれば、それでオワリ。

ところが先日、クレジットで買えないものがあった。と言うか、クレジットにすると手数料5%が掛かる、要は現金特価だと思って下さい、との事。

ナルホド仕方ない、と思った。しかし近くに郵便局はあるが、送金手数料が掛かる。MIZUHOでは手数料は掛からないが、松本までの交通費が掛かる。
いずれも大した額ではないが、そもそもタダだったモノに支払いが発生するのは、何かツマラナイ。

その時インターネットバンキングの事を思い出した。
と言うのは、MIZUHOの記帳で松本へ出るのもツマラナイので、MIZUHOのサイトから残高確認出来る様にしていて、それをよく見ると、ワタクシはインターネットバンキングに登録したことになっていた。

しかし、いつ登録したか全く覚えがない。取りあえずやって見ることにした。
まず「お客様番号」を入力せよ、ときた。これが判らない。すると再確認するには、「第一暗証番号」を入力せよ、ときた。これ、キャッシュカードの暗証番号と違うの?それなら“第一”とワザワザ言わないハズ。最近パスワードなどでよく使っている番号を入れてみた。
しかしダメ、何度か番号を変えてやってもダメ。段々ハラが立ってきて、結局フリーダイヤルを掛けた。

出て来たオネエサンのハナシでは、「第一暗証番号」は`05年8月に登録されていて、その後「お客様番号」が載った「ご利用カード」が書留で送られてきたハズです、との事。`05年8月とは、溜まったMIZUHOの通帳を解約した頃だ。その時ワタクシは「第一暗証番号」とやらを登録したのか?一体何のために?で、どうしたらエエの?
暗証番号の変更申込書を送るので、必要事項書いて送り返せとの事。「ご利用カード」は申込書着後2週間とか。

申込書は直ぐ届くと思っていたが、1週間後で、何かサッサと返送する気も起らず、1週間放置。結局「ご利用カード」が届いたのは7月中、インターネットバンキングをやろうとして1か月経っていた。

これで安曇野の森にいたまま振り込みが出来る。もし詐欺グループに騙されても、不審に思った行員に止められることもない。まぁ騙されて振り込む程の金はないけど。
しかし、数千円程度の寄付、カンパは簡単に出来る様になった。
 


梅雨どきの芸術家

2019-07-12 12:39:33 | 信州安曇野での出来事

長野も日照時間が平年の半分以下だそうで、陽が射さないので、朝夕はとても涼しく、隣人Mさん宅はまだ炬燵を出しているとか。

ワタクシにとっては、これぞ信州の夏、アリガタイと思うのだが、近々信州もフツーに暑い夏になるハズ。
昔、信州で一番暑かったのは上田だったそうだが、最近は「穂高になりましたヨ、ホント暑い」と、Mさんの奥さんは、雑草を抜きながら嘆いている。

カッと陽が射さないので、切株の処理は進まず、庭に出ることも少なく、気付けばウチの庭も草木がボウボウ。そろそろ抜かないといけない。

 しかしチョットの時間では大して片付かない。それ以上時間を掛けてやろうとすると、数分でヤブ蚊の猛攻に遭ってしまう。雑草抜きはヤブの中なので、ヤブ蚊の猛攻は仕方ない。
ジックリやるには、顔と首に虫除けをスプレーし、手袋を嵌め、汗だくになってもイイ恰好に着替え、それなりに準備が必要だ。

今にも降り出しそうな雰囲気、さて今日はどうするか。

と、言ったどうでもイイ様な思案をしていたら、ガス検針のオバサンがやって来た。

このオバサンを正面から見たことはない。いつもスゥ~ッとやって来て、検針票をポストに入れ帰っていく。
オバサンはこの日もポストに向かおうとしたので、「ここで貰いますワ」と言った。オバサンは「すぐ出てこないンですよ」と、タスキ掛けした端末機(?)を、ジ~ンと操作しながら応えた。
そして庭に転がしている切株を眺めながら、どんな“作品”が出来るのか、と訊いてきた。

作品?、色々話すとオバサンは、ワタクシが株を削って、何かのオブジェを制作している芸術家だと思った様子。
そう言えば以前も、ここで絵でも描いているンですか、と言われたコトもあった。
周囲には、画家、芸術家のアトリエ、ギャラリーを兼ねた住居が点在していて、秋には各宅で“作品”を展示し、それらを観て廻るイベントをやっている。

ワタクシは髪の毛はボサボサ、髭を剃るとかの手入れをしていない。それを神戸の口の悪い友人は、ホームレスの様だ、と言った。
しかし信州・安曇野の“良識”人は、芸術家と言う。当然、悪い気はしない。とは言え、ホームレスも芸術家も無産階級、そしてワタクシも今は無産階級、上等だ。

「イヤ、この小屋を建てる時に伐採した株を、処分するには別に金がかかる、と言われ、自分で解体し燃やしてるンですよ、全部で24個あって、あれが最後です」と、オバサンには説明した。
オバサンは「でも全部片付いちゃったら、チョット寂しいですね」、と言って帰った。 

 解体途中のクヌギの切り株、雨続きで2週間程放置したまま。オブジェだと言われればそういう気もする。そしてこれが燃えて無くなれば、確かにチョット寂しいかも。