10年程前、お独り様になり、炊事・洗濯・掃除と共に、ゴミ捨ても自分でやらないといけなくなった。そしてその頃、神戸市のゴミ出しルールが新しくなった、と記憶している。
ゴミの処理方法に合わせてゴミを分ける、再利用できる紙、布は再利用する、そんなルールには全く異議はない。
そうすることが商品として売られたモノの、命の終わらせ方であり、購入者、使用者の義務だと思う。最近は、買ってもロクに使わず、パッパッパと袋に入れ、ドサッっとゴミ捨て場の箱に棄てるバチあたりも多いようだが。
新しいゴミ出しルールには、分けたゴミはそれぞれ指定袋に入れて出す、と言うルールも付いていた。これにはいささか異議があった。
家に買い溜めしていた今までのゴミ袋が使えないし、レジ袋も使えない。お独り様のゴミの量など知れている。キチンと分けると生ゴミなどコンビニの小さなレジ袋で充分だ。
ゴミ袋として使っていたレジ袋は、今や包装プラスチックとしてゴミとなっている。あぁ、アホクサ。
先日、近所の奥さんが、ウソかマコトかケッタイなコトを言っていた。
最近は、多少なら全て燃えるゴミの袋に入れて出してもイイ、というハナシだった。ゴミ分けが浸透した結果、焼却炉に余裕が出来たから、だとか。
それは、ここだけのハナシ?、そう言えば布引谷でも収集したゴミは当初から、全てポーアイの焼却炉に放り込む、と収集トラックのオニイチャンは言っていた。
「そんなら、分ける意味ないやン、分けンと出すでぇ」と言ったら、「イ、イヤ、ルール通り分けてもらわンと ・ ・ ・ 」、オニイチャンはつい口が滑ったのだろう。まぁエエけど、何かバカバカしい。どうせやるなら、ここだけのハナシは漏らすべきではない、聞いたら気ィ悪いし。
信州移住のために布引谷・山の家を処分する。そのためにはまず家をカラにする。と、言うことで4月はオフクロ普段着類を資源回収に出し、キャビネット類を潰し、中身と共に燃やした。
中身は主に紙類、数々のメモや未使用のハガキ、封筒、便箋もあって、虫の死骸と一緒に出てきた。カビ臭と言うか、コケ臭と言うか、独特の異臭があり、燃やすしかなかった。
しかし布引谷と言えども神戸市内、雑草、雑木でもないモノをボンボン燃やす訳にはいかない。
5月はなるべく神戸市のゴミ分けルールに従って、バンバン棄てていって家をカラにするコトにする。
5月3日、ツツジが満開。
長い間、剪定していないので、咲き方がイビツになっている。
この日はオフクロの葬儀、初盆の時、葬儀屋が持ってきた祭壇などを燃やした。これはワタクシが遺したモノ。
また、古い食器棚の抽斗を開けると、電気、ガスの伝票、給水組合や介護保険の書類が出てきた。これは7年前、オフクロが生きていた証拠、’08年のオフクロに届いた年賀状と共に燃やした。
翌週は連休後半、残雪期の北アルプスは山スキーにはサイコーの天気のハズ、しかしワタクシは布引谷で山の家のゴミ分別をする。
電気毛布が燃えないゴミになると知った。
湯沸保温ポットはオフクロが亡くなる前の年末、ワタクシが買って届けたモノだった。諸々の金属ゴミをポットと炊飯器に詰め、燃えないゴミ2袋にまとめた。
オフクロが叔母の洋装店を手伝っていた時の糸、ボタン、ファスナーがお菓子の缶3つに詰まっていた。プラスチック類と一緒に燃えるゴミ1袋にまとめた。
押し入れの上段には、貰いモノのタオル、シーツ他が20箱以上積んであった。中身は全て新品だが、例の異臭が付いていた。
紙箱は古紙の資源回収へ出すべく潰してまとめると2包になった。
中身のシーツ、タオル類は古布として資源回収に出そうかと思ったが、あまりにもモッタイナイので、洗濯して使うモノ、ここで雑巾として使うモノ、資源回収に出すモノに分けた。
座布団カバー1組と足マットは、隣で家庭菜園をやっているM氏に差し上げた。
彼は麓で飲食店をやっている。「店で使うわぁ」と、気安く引き取ってくれた。
家のアチコチを開ける度、隅々から、色んなモノが出てくる。
変色してボロボロの’64年東京五輪の毎日グラフ、アサヒグラフ、雲龍紙、方眼紙、家電の伝票、保証書、取説など。
取説の多くにはオフクロの字で購入日が書いてあった。中には今もワタクシが使っている、40年程前のTRIOのオーディオのモノもあった。躊躇せず全て燃やした。
’11年頃まではワタクシ、布引谷に移住すべく、週半分はここで寝泊まりしていた。
その頃の作業着や車、自転車、スキーの雑誌も残したままだった。サッサと捨てて片付けられないのはオフクロだけではなかったワケだ。
TV台の下から、ナゼか幼児向けの絵本が出てきた。ワタクシが残した雑誌と合わせて、古紙資源回収が2包になった。
貰いモノのタオル類と作業着は古布の資源回収1袋になった。
こうしてゴミは分別したが、布引谷のゴミ収集の日が判らない。’11年頃の週2回が、週一になったコトは聞いた事があるが、ヤヤコシイので、ここで棄てる事にして、結局この週は4日間、山のゴミを垂水へ持ち帰った。
5月9日朝、ベランダ手すりにツバメが2羽。まさかここで巣作り?、確かにルス勝ちでヒトケはない。北隣の部屋は更にヒトケはない。別にここで作られてもイイが、まだ巣は出来てはいない。
連休の週が過ぎて、11日月曜もゴミを分別し、家の隅々から出てきた化粧箱、木箱、カゴ類を燃やした。
ふと庭を見ると、以前はなかった雑木が、かなり大きくなっているのに気が付いた。落ちた種が根付いて大きくなったモノだ。
刈り取って庭に集めると小山になり、ワタクシは汗だくになった。
この日も夕方、垂水に戻り、呑みながら晩メシを作り、呑むのを宮城の地酒に替え、晩飯を喰い終わったら、いつものように気絶して、日が代わって生き還り、洗いモノとフロを済ますと、ナゼか喉が渇いて水割りをチビリチビリ、チビリチビリ。
気が付くと、5月12日の夜明け。手には水割りのコップ。
この日は台風が来る、山の家へは行けない。