相変わらず、夕方5時になると呑みながら晩メシ、と言うかお酒のアテを作り、6時頃からテーブルについて喰って、更に呑んで、7時を廻ると酔い潰れ、気絶してしまう。
相変わらず、だ。
この気絶する瞬間が何とも心地よい。グチャグチャグチャと崩れていって、このまま蘇らなくてもイイ、とまで思う。
崩れる場所は、炊事場だったり、廊下だったり、仏壇の前だったり。
しかし残念ながら、日付が替わる頃、必ず蘇ってしまう。
そしてこの時が異常にツライ。ダルく、力が入らず、中々起き上がれない。1時間ほど気分悪く、倒れたまま。
朝までそのままでもイイのだが、ナゼか着の身着のままではアカン、歯も磨かんとアカン、フロにも入らんとアカン、とヘンなこだわり。
結局、何とか蘇り、洗いモンをして、歯を磨いて、フロに入る。
すると完全に醒めて、また水割りをチビリチビリ、気がつけばカーテンを通して外が青くなっている。
そしてまた、フトンに入って気絶し、次に蘇るのは部屋に陽が射し、眩しくなった時。
この時もダルく、中々覚醒せず、結局ダラダラと過ごし、気付けば夕方。
一日に二回、気絶し蘇る、一日二回呑んで酔っ払っている。しかし、ダラダラ引きこもっているのには、理由もあった。
7月から信州に土地を探しに行って、8月の初め安曇野の穂高有明の原野に決めた。そこは通称“学者村”と言うそうだ。
毎冬、信州・雪山通いの帰り、塩尻~R17~中津川、または多治見経由で帰る時、大町から山麓線を走っていて穂高温泉の辺りで、“学者村何某”の看板を数ヶ所で見かけた。
一体あれは何?、そう思ってネットで調べると、それは東京六大学の一つが始めた、安曇野の周辺の別荘地だそうで、村の中の道は未舗装で、各宅の敷地には柵はないと言うルール。写真を見ると正に原野に家が点在している、これはイイと直感した。
直ぐネットからアポを取り7月初めに現地の管理事務所を訪問、育ちが良さそうな担当者と管理人に、数ヶ所案内してもらった。
そして350㎡、坪単価2万の原野が丁度イイと思った。
下水道はなく、地下浸透式合併浄化槽を個別設置、となっていて、家を建てれる様に整備するのに、後100万程かかるらしい。
まぁそこでイイか、と思ったが、売主は関東に住んでいて、名義書き換えには銀行の保証小切手を持って、東京・練馬区にある学者村の本部(?)事務所まで来い、と言う。
ナンデ、東京まで行かなアカンの?、信州のここでエエやン、保証小切手などヤヤコシイことせンでも振り込むでェ、と言ったが、それが不動産売買の仕来たりだ、と彼らは譲らない。
その前週、ワタクシは布引谷・山の家を売却していた。
布引谷で買主のM氏からキャッシュを受け取ってオワリだった。そもそも、不動産屋など絡んでいない。
すると、土地の売買を不動産屋を抜きにしてはいけません、と叱られた。今回は別に学者村を飛ばそうとしてないのに。
しかし、まぁ仕方ない、過密が故で世界で一番キケンだと言われる東京に、久しぶりに行って見るか、と思いながら神戸へ帰って来た翌朝、学者村の担当者から、売却価格は実は坪単価2.3万の間違いだった、とTELがあった。
大した価格UPではない、しかし、こっちが行きたくないキケンな東京まで行って契約するか、と言う気持ちにまでなった矢先、コイツらのこの軽さ、エエカゲンさはナンヤ、と思った。
こんなヤツラとはやってられン、そう思ってネットで他を捜してみた。とにかく沢山見て歩かないといけない。
早速翌週、2物件のアポを取った。
1つは330㎡、坪単価3.8万で綺麗に整地されていて、近くに家が建ち並び、都会近郊の新興住宅地の様だった。
もう1つは奇しくも前週見た土地から少し外れた“学者村”の中、500㎡強で坪単価2万、しかも赤松伐採費込みとの事。
見に行くと、周りに別荘らしきモノが点在している、フツーの原野、ここでイイと思った。
また、赤松に混じってクヌギの木も沢山生えていて、クワガタもそのクヌギで生きている。
「別に木ィ、全部切らんでもエエやン」、と不動産屋の女性担当者に言うと、「それじゃ、ご自由に切って下さい、その分、減額して契約してもらいますから」、と更に26万安くなった。
この土地も売主は関東在住だか、契約は安曇野で行い、名義変更の前に売主に振り込んでイイのなら、それでイイ、とか。ワタクシはそれでイイ。
更に翌週、庭師つまり伐採業者と不動産屋の女性を交えて、現地で赤松伐採の打ち合わせした。やぶ蚊がやたらスゴかった。
赤松はいずれ枯れて倒れてしまうので、とにかく切るのが原則だそうだ。
確かに周りには、枯れてヨレヨレになっている赤松が何本もある。
布引谷では、剪定、伐採したモミジでフロを沸かしていたワタクシ、ここでもそうしようと、切った赤松は廃棄せず残しておいて欲しい、薪ストーブとか言うテもあるし、とか色々ほざいたが、薪でフロを沸かす元気が今後もあるのか、また薪ストーブと言ってもメンテが大変。
結局、刈った赤松は全てパルプになる、と言うことを聞いて、フツーに伐採処理をして貰うことになった。ワタクシ、余計なお騒がせをしただけだった。
そして、8月初めに契約し、手付けも振り込んだが、境界の立会測量が売買の条件になっていて、しかし北の地主との連絡が取れない、という“トラブル”発生。
最終的には、司法書士のセンセに調べてもらって、立会測量出来たのが10月中、やっと安曇野穂高有明の地主なれたのだが、次に赤松の伐採が控えていた。
赤松の伐採に伴ってクヌギも多少切ることになる。しかし広葉樹の伐採は落葉後がイイ。
そして、伐採出来たのは12月中。不動産屋の女性担当者が写真をメールしてくれた。
結局、この状態の地主になるのに半年かかった。
この間のワタクシ、例えばロードバイクで走っていて、ブレーキとアクセルを踏み間違った痴呆老人の車にハネ飛ばされ、死んだり大ケガをするワケにはいかない。
なぜなら、もしそんな事態になると、お独り様なので、安曇野の不動産屋の女性や庭師のオジイサンが連絡を取ろうとしても、ワタクシとは連絡不能状態になるからだ。その人達に迷惑はかけられない。
それなら今年は極力出歩かないと決めた。
そして、一日に二回、気絶し蘇り、一日二回呑んで酔っ払う、と言うダラダラ引きこもりの日々が続いている。
とは言え、年を追うごとに、出掛けようと予定していても、ダルい、シンドい、もうエエワが酷くなるワタクシ、結局、信州の土地購入に関わる諸々がなくても、同じ状況だったのかも知れない。
そんな中、11月になって、集団的自衛権行使容認に対する違憲集団訴訟の原告に加わるべく、ピースウィングと言う市民団体に入会し、11月末、陳述書を送った。
これは集団的自衛権行使をするための戦争法による、我々国民が被る損害の賠償請求訴訟だから、陳述書には、世界最強の同盟国、アメリカが攻撃されたら、ニッポンが攻撃されていないのに集団的自衛権行使して、中東イスラム圏などで武力行使をした結果、最近なら反撃テロを受けることになる、そう言う国民の被害を文書にして送った。
翌日、急に洗面ユニットの蛍光灯が点かなくなった。健全な蛍光灯、グローランプに取り替えても点かない。
他にも切れた電灯、点きにくい蛍光灯がいくつかある。特に不自由はなく、長い間放置していたが、この機会に取り替えることにした。
しかし、洗面ユニットはどこか他にある原因を見つけないといけない。
その時、工具箱の中をさらっていたら、行方不明になっていたアイスハンマーが出て来た。
これは高校生の時、クライミングを始めた時に買ったモノ。その後カナヅチとして転用し、山の家もで使っていて、今年、山の家を片付けた後、持って帰って来たつもりだったが、行方不明になっていてた。今や50年近いお付き合い、見付かってよかった。
洗面台をバラしてチェックすると、どうもスイッチ辺りで断線している模様。
で、スイッチをバイパスして短絡すると点いた。
スイッチのどこかが壊れていると判明。
これのどこが壊れているのか。
このバネの部品が折れていた。
スイッチこど取り替えるしかない。
しかしホームセンターに同じスイッチはなかった。大体洗面ユニットのスイッチ辺りの意匠が変わっている。
日々の生活には支障ないので、これで行くことにする。
その前日だったか、このマンションの雑排水管洗浄があり、これは毎年恒例。
業者がやって来て、キッチンシンク、洗面所、フロの排水口から、専用の洗浄器具を挿入しやるのだが、その後ナゼかユニットバスの点検口から水漏れが始まった。
点検口から覗くと、確かにユニットバスの屋根ウラに水溜りあり。
その上のコンクリート壁には亀裂が入って、そこから漏れているようにも見える。
それは壁を伝い、トイレの壁からも浸み出して来た。
もう30年以上経っているマンション、階上からの水漏れは時々聞くトラブル。
もれ量を計ると12時間で220cc、取りあえず管理組合に連絡しようと思っていたら、ナゼか止まった。
天井裏の水溜りも無くなって、乾きつつある。
一体これは何?、雑配管洗浄でやって来たオッチャンが、ユニットバス裏へ洗浄水を噴き上げたのだろうか。いずれにせよ、トラブルにはならなかった。
その翌日、野坂昭如サンが亡くなった。
高校の頃、深夜番組で濃いサングラを掛けて出ていた野坂昭如サンをカッコイイと思った。
隣に同じく、濃いサングラスを掛けた長谷川きよしサンがいた記憶もある。
「ウチの高校には昔、ノサカがおったンやでぇ」、と教えてくれた同級生がいた。目立たないが、時々、風紀委員と揉めたりするヤツだった。
その後ワタクシは、「火垂るの墓」で泣き、「騒動師たち」「エロ事師たち」で笑い転げた。
また、親近者との性愛や、ハンセン病家系の江戸商人や、奇怪な習俗の集団を、面白おかしく著した数々の作品をスゴイと思った。こんなニンゲンの物語があってもおかしくない、そう思った。
そして、酔っ払ったら、「マリリンモンローノォリタァーン」を歌った。これは痛快な歌だ。
五木寛之は偽善、野坂昭如は偽悪、と言う論評もあったらしいが、どちらも好きだった。ある時は五木寛之気分、ある時は野坂昭如気分、それで良かった。
お二人とも10代前半に、方や「焼け跡」、方や「引き上げ」で、戦争の“地獄”を見てこられた。
ワタクシは“戦争を知らない子供たち”、しかしお二人が書かれた“地獄の経験”を色々読んで、深い反戦意識が根付いたと思う。
五木センセは、親しい人が死んでも葬式には行かない、その人の作品などを読みながら送るのだ、とか書かれていた記憶があるが、野坂センセの葬式には出て、弔辞を読まれた、とネットニュースで見た。
6月頃、長い間放置して、埃を被ったギターを、気まぐれに取り出していた。
それは、一日に二回、気絶し蘇る、一日二回呑んで酔っ払っている日々の中での、真夜中のカラオケがわり。生ギターなのでお隣さんのメイワクにはならないハズ。
そして最近歌うのは、「マリリンモンローノォリタァーン」、コードも簡単、ギターのヘタクソなワタクシでも弾ける。
そして、歳は暮れる。