蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

マスクを強制する人達

2021-01-30 20:20:20 | 信州安曇野での出来事

 ここへ引っ越しして来てまず最初に、車庫の届をしに安曇野警察に行くと、受付カウンターの後ろにズラ~っと座っている警察官(?)、事務員(?)のほぼ全てがマスクを着けていた。
要するにケイサツ側にいる皆さんは覆面姿、それには正直、オドロいた。信州の警察にはフクメン強盗風が沢山いるのか。
しかし山国・信州は、冬は雪国・信州で、寒い、冷たい。よく見ると周りはマスク人ばかり。栂池・定宿の人達も皆さん、マスク人。
信州で暮らすには、冬は冷たい外気をマスクで遮断しないといけない、という事か。

しかしマスクが無くても別に不具合は感じず、自ら装着することはしなかった、マスクなくても寒ないし。

そして昨年、"コロナカ"がやって来た。緊急事態宣言とやらが出で、栂池スキー場も4月の初め終わりになった。ワタクシも、もうスキーは諦め、大町の病院と近所の歯医者に通う事にした。

昨年は、3月に栂池のゲレンデのテッペンで動けなくなり、信大病院へ1週間ほど入院。
動けなくなった原因は、高血圧で首の血管が切れ、運動神経を圧迫したため。長い間、高血圧のケアをせず、バチが当ったのだ。
そして信大病院で大町の病院を紹介され、降圧剤を貰いに行くことになった。

次に歯医者の方。
母親から移されるらしい歯周病、ワタクシもそれを保持していて、何のケアもしなかったせいか、歯は次々と抜けていき、昨年はブリッジで繋がっていたブロックが2ヶ所、カバッと抜け、元から生える自分の歯は1/4程になった。これではモノが喰えない。なので小屋から森を抜けて10分程の歯医者に通うことになった。

その後外部との接触はほぼなく、ズッと寝ていたが、"コロナカ"もズッと続いていたそうで、秋頃、歯医者に行くと「マスクをして下さい」と言われた。
持っていない旨応えると、「どうぞ」と不織布マスクを差し出された。しかし、ここは歯医者、マスクをしたままで診てはもらえない。結局、ほぼ付けることはなかった。

その後、大町の病院へ行くと、事務員(?)が玄関で待ち構えていて、体温を計られ、全く問題ないが、マスクをつけて下さい、と言われた。
ここでも持っていない、と応えると、自動販売機があります、と入口を指さした。マスクの自動販売機があることには驚いたが、チョコっと話して処方箋を貰うだけなので、「すぐ終わるから」と"強行突破"した。 
診察室へ行くと担当医師は、マスクをしていないワタクシに、オドロキの眼差しを向け、マスクをして下さい、と言った。
無自覚者がウイルスを、アチコチでまき散らしている、特に病気持ちはコロナに罹るとヤバい、この間、コロナで亡くなった代議士は、糖尿病、肥満、高血圧だった、貴方も高血圧でしょ、と言われた。確かに!高血圧でここに通っているのだ。
そして、(マスクせずに)よく入れましたねぇ、と言われ、"強行突破"した、と報告。ホントにどうしようもない患者だ。
とにかく人混みではマスクをしなとダメ、と言われた、しかし、神戸の三宮と違って、ここには人がいない、人混みと言えるのか。
「2m以内に人がいると、人混みです」、担当医師はそう言った。
ホホゥ、人混みにそんな定義(?)、基準(?)、ルール(?)、そんなモノがあったのか。それならその根拠は?、そんな疑問が横切ったが、医師との"議論"はヤメた。

要するにウイルス如きでお話しするのはもう、ウットウしいし、バカバカしいし、メンドくさい。
そもそも、昔流行った天然痘、結核などで、人がバタバタ死んでいく状況ではない。騒ぐのが大好きなオバカが、繁華街に出て行って、ウイルスを移し合っている、と言うだけではないのか。
いずれにせよ、マスクを付けろと騒いだぐらいで、"コロナカ"はチョットやソットでは治まらないと思うし、"コロナカ"を何とかしたいなら、とにかく集うのを自粛するだけだと思う。

"人混み"の環境で、担当医師と長く話すのもそろそろ飽きてきて、処方箋を貰って帰ることにした。
玄関には先程の事務員(?)がまだいて、「次回はマスクして来て下さい」と、ジェントルに言われた。ワタクシは「ハイ」と応えた。
しかし次回は3ヵ月後、4月だ。その時は歯医者で貰ったマスクをしていこう。事務員(?)があまりにもジェントルだったので、彼の指示に素直に従う事にした。

1月になって、栂池スキー通いが始まり、例年通り白馬の松川畔の酒屋で地酒を買って帰る。数年前から信州移住民なので、地酒は近くのスーパーでも買えるのだが、10年以上の習慣なので、続けることにした。
しかし今年は店に入るとイキナリ、「マスクをして下さい!」と言われた。広い店内にはワタクシとマスクをした女将のみ。状況は"人混み"ではない。
ここでは近所のオバサンにもマスクをお願いしてる、自信タップリに、女将はそう言った。ワタクシはマスクを持っていないので、バンダナで覆面してイイか、と応えた。
冗談っぽく、強盗風マスクの話をしたのだが、女将はそんな冗談にのらない雰囲気で、「ハイ」と言った。ワタクシは北安大国の生原酒を買って、強盗風の覆面姿でお金を払い店を出た。そして、女将は特に無礼でも不愛想でもない対応だったが、もうここへは二度と来るのはヤメようと思った。

マスクを強制する人達には、今後も色々遭遇すると思う。しかし、今後も関わってイイ輩と、二度と関わりたくない輩がいるコトに、気が付いた。

 

 

 

 

 


ダルく、シンドいが、ボチボチ滑る

2021-01-17 21:41:20 | 山とスキーでブラブラ

相変わらず、ダルくシンドい。しかしスキーはするし、今まで通り滑れる。
但し、ダルくシンドいので、シールで天狗原へ登って新雪は滑れない。
滑れるのは、凸凹のない急ではない斜面のハナシだ。そこなら連続で30ターンして楽しく滑れる。
楽しく滑れるので、ダルくシンドくても、スキーは楽しいのだ。

という事で、引き続き第3週も、ボチボチ滑りに行く。他にするコトないし。

 鬱陶しい天気、相変わらず人はいない。

 栂の森も同様に鬱陶しい。

栂の森から中間駅まで下り、再度栂の森へ上がって、丸山を5往復してカネナル経由で宿に戻る。

 翌13日、そこそこの天気。いつも通り、カネナルからリフト乗り継ぎで栂の森へ行く。

 途中で、移動式(?)の降雪機が3台停められていた。

 荏原製作所のE55と言う機種らしい。

 本体は荏原製だが、降雪機部は"SUFAG"の"PEAK+"と言うらしい。動いているの見たことはない。

 栂の森のリフトは、強風(?)で停まっていた。

 岩岳の先に八方尾根が見える。

 先週も停まっていた、カネナルの上のリフトで、雪降ろしをしていた。作業者の大きさに比べると、かなりの量を積んでいたのが、よく判る。

ハンノキ~中間駅を3往復し、ハンノキ~カネナルで宿へ戻る。

 15日もまぁまぁの天気。

 リフト乗り継ぎで栂の森へ着くと、ゴンドラは停まっていた。

 強風なので、当然栂の森も停まっていた。

 ゴンドラが動いていない山。

ゴンドラは停まっているが、ハンノキのリフトが動いていて、2回往復後、丸山を5往復、カネナル経由で戻る。

この日は、松川村のSさんに遭遇。1年振りだ。お元気そうだったが、昨年は山に、あまり足を運ばなかった様な話をされていた。

ダルくシンドい情況は、良くなりそうにないので、今後もボチボチ滑るしかない

 


ダルくシンドいので、ボチボチ滑る

2021-01-09 11:32:45 | 山とスキーでブラブラ

ここ数年は暖冬で、信州移住したのに、残念ながらの雪不足。しかし、今年、東北、北陸では豪雪らしく、地元では大変だろうが、雪遊びを楽しみに生きている、ワタクシにはアリガタイ。

1/5、いつものペースで9時過ぎに小屋を出る。
大町辺りから路肩に雪、しかし大した量ではない。その後フツーのペースで走り、佐野坂のトンネルを出て、R148から左に折れて降るとそこそこの雪で、いつものペースだが緊張する。
しかし下りきった先の交差点、ブレーキを踏んでも、ABSが効きっ放しでなかなか止まらず、交差点真ん中辺りまで入り込んでしまった。他に車がなかったからラッキーだったが、やはり雪道をナメてはいけない。事前に充分減速しないとヤバい、と改めてキモに命じた。

定宿に着いて「今年もよろしく」。
この宿へ通い出したのは08年、その後、安曇野に移住したので、日帰り可能なのだが、宿の人達の付き合いをオシマイにし難く、今年もお世話になることにした。 

 鐘の鳴る丘は、ふくよかな雪に覆われている。  

 上部カネナルのリフトは、何とイスまで外された状態で停止。しかし丸山リフトは動いているのて、それで上まで行けるようだ。

 例年と変わりなく、栂の森到着。

相変わらず、ダルくシンドいので、栂の森から下まで2往復して、帰りに丸山を3回滑ってオシマイとする。

 1/6、3つあるリフトの一番北のリフトは、停まったまま。しかしこれはしょっちゅう停まっているので、コロナカの客不足とは関係ないと思う。

 今年もヒットパーク作りが始まっている。

 この辺りの谷筋は、毎年雪が割れ水が流れていたが、今年は完全に埋まっていた。

 曇りがちで、上方はスカッと見えない。ダルくシンドい我が体調と同様、パッとしない。

この日は栂の森から中間駅まで3往復し、最後は栂の森からカネナルへ下って終了。

 「今日は昼から猛吹雪らしですよ」とオオオカミから言われ、カネナルに出る。

 丸山から上方を見渡す。人はいない。

 ハンノキコースの下部には、竿のようなパイプが突き出ている。左側にある"扇風機"が付いたヤツは昔からよく見る降雪機だが、この"竿"はなに?

 下の方へ中間駅辺りまで10台程並んでいる。これも降雪装置の一種なのか。

朝から風が強く、ゴンドラは何度も止まっていた。
中間駅まで2往復し、昼頃、予報通り、吹雪きだした。
ホワイトアウト状態での強風、自分が動いているのか、止まっているのかが判らない。気味が悪いし、帰ることにする。
地下室でブーツを脱いでいると、オオオカミが倉庫から出て来て、「予報当たりましたネ、フフフッ」。

他の客は全て帰ってしまって、この夜は久しぶりの独り占め。

そして、チナツちゃんはメニューボードの下にワタクシの似顔絵を書いてくれた。 

 何故か四角い顔のハゲたジイサン。幼女にはこんな風に見えるのか、ハハハッ。

 1/8、9時半、車を掘り出して安曇野へ帰る。

 フワッと積もっただけだから、掘り出しは簡単、しかし、ダルくシンドいワタクシには、そこそこの重労働だった。

 11時半、小屋へ帰着。
安曇野は大して積もっていなかったが、外気温-1℃、室内4℃だった。


歳が明けても、ダルく、シンドく、眠い日は続く

2021-01-03 16:40:31 | 信州安曇野での出来事

  1/1、安曇野は、一応、全面雪に覆われた。大した量ではないが、これが信州に住んで期待していた、正月の風景なのだ。

 元旦は昼から呑めるオメデタイ日、仏壇にチャンとお供えしてから、呑み始める。

しかし、相変わらず、ダルく、ムシンドく、眠い。

昨年は何もすることが無くなった。
この小屋へ来て、本箱に納まりきれない、CD、DVD、本等を並べ置く棚を作り、神戸から運んだ荷物は全て片付いた。
次に、小屋を建て時に伐り斃された、松とクヌギの株は、3年掛かりで切って、割って、燃やした。小山の如く、それらが積み上げられていた庭はスッキリし、原生林に戻った。

そして何もすることが無くなった。
何もすることがないから、ダルく、ムシンドく、眠い。要するに眠っていればイイのだ。
と、いう事は、昨年はほとんど死んでいた、と言えるのかも知れない。

しかし、死んでいるのに、ナゼか時々不安になる。
死んでいるのだから、不安事はないハズ。

ワタクシには特に欲しいモノはない。他者から求められることもない。
つまり、誰からも、悩まされず、惑わされず、脅かされず、誰にも、悩まし、惑わし、脅していない。
よって、静かによ~く考えると不安になる要素は、一切ない。
不安がないから、不安になるのか。

いすせれにせよ、いつまでもダルく、シンドいからと言って、眠り続けていると、ホントに死んでしまう。来週から、また栂池通いを始めることにする。

昨年は、頚椎硬膜外血腫で動けなくなり、ドクターヘリで信州大病院へ運ばれ、1週間弱入院した。
原因は高血圧であり、今は薬で治まっているので、再発はないと思う。

もし何かあれば、ヤメるだけ。
何をするのも、ヤメるのも、誰からも、悩まされず、惑わされず、脅かされない。
アリガタイ境遇になったモノだ。

取り合えず、ナムアミダブツ。