" 天の恵み" 発言で府議会議長を辞め、所属政党から公認も取り消された老政治家サン、老害とかの言葉が思い起こされて、もう引退しはったらと思うが、余計なお世話ですかねぇ。
"維新の会"の知事が強行しようとしている府庁移転先の建物が、この震災で破損したので、移転に反対している自分にとっては "天の恵み "だ、という、事務所開きの支持者(味方)に囲まれての発言なので、わざわざそれを取り上げ大騒ぎする程の事でもない様な気もする。それを聞いた東北の人達が気ィ悪ゥするだけだし。
しかし、ライバル企業が自然災害を被った時、それを "天の恵み " と喜ぶ会社経営者は多いと聞く。 今回の場合、被災エリアが広すぎて、資材調達先が東北にあったりして、西方の企業でも喜んでいる場合ではない様だが。
16年前の阪神大震災、幸いワタクシの家族、知人に被害なく、地震の翌々日から通勤を再開した。
しかし、電車はまだ不通、スーツの上に冬山用のパーカーを重ねミニバイクで通った。
支柱の鉄筋がむき出しの高速に沿って走りながら、脇の街々を覗くと、焼け尽きた闇が広がっていた。
瓦礫の片付けを手伝いたいと思っても重機を扱う技能はないし、演技、演奏で多量の義援金を集められる才能(=talent)もない。
今まで通り普通に働いて、売り上げをあげ、利益を出して、税金を納め、それを復旧、復興に使ってもらうしかない。
出社して直ぐ、広島や山口、愛媛のお客さんにTEL、当面のご注文は他営業所か、直接工場へお申しつけ下さい、と連絡した。 こんなに早く、被災地のど真ん中にある企業からの営業活動を受け、皆さん驚いていた。そして「アンタ、悪運強いね」とも言われた。
ガンバロウ!と掛け声を上げなくても、人はガンバルものだ。
その後、まだミニバイク通勤を続けていた頃、東京に席を置いている営業のTOPがやって来た。 夕方まで経営のTOPと打ち合せをしていた様で、帰ろうとしていた時に営業所に入って来た。
労いの言葉はなく、「もう神戸はアカンなぁ、こんなトコにおってもアカンでぇ、やっぱり早目に広島へ営業所出さンと」と言って、ニヤッと笑った。その笑顔は何んとなく卑しかった。
詳しい事は知らないが、嫡男である経営のTOPを、その営業TOPはライバル視していたらしい。 彼にとってはライバルがいる本社、神戸の震災は" 天の恵み" と言う事か。
アカンと言いながらのその笑みが、喜びを物語っていた。
ライバルの力を削ぐには、機能、人材を潰すか奪い取るかだ。 その営業TOPは以前から本社にある営業所を広島に移したい、と言っていた。
確かに神戸営業所の売り上げの半分弱は兵庫周辺、半分強が中四国。 兵庫近辺は大阪から通えるし、中四国へは広島から通うのが妥当だろう。 広島への進出は昔、失敗したこともあって、もう一度キチンとやりたい、との意向は経営のTOPにもあったようだ。
しかし、そんなに強いこだわりは無かったように思う。 現実、何年もの間、神戸から通って支障なかったし、広島へ出たからと云って、業績が飛躍的に伸びるとは思えなかった。
そもそも中国5県で日本の5%と言われていて、しかも日本を代表するプラントメーカーの広島の事業所では業績不振が続いていた。 当時、地元への数千億の発注が無くなった、と言われていた。
しかし、神戸はもうアカン、とにかく広島へ、何かにつけ営業TOPは言っていた。 転がり込んだ "天の恵み " 、逃さずにはおくものか。
そして、上司には逆らわないワタクシは単身赴任を条件に同意し、いつの間にか推進者になってしまっていた。
売上と経費の予測とその正統性を細かくまとめ、営業所として成り立つ旨の計画書を提出、経営のTOPは納得した。 営業所開設に伴う費用は確か三千万程だったと思う。
ほぼ全てがまとまった頃、その営業TOPがまたニヤッと笑って言った。「社長から、広島営業所を進めてルのはアンタだけや、と役員会でいわれてなぁ」
広島への出店はナント、経営陣全てのコンセンサスを得ていなかったのだ。
営業部内でこの人物は、言いたい放題、やりたい放題だった。 しかし、経営陣の皆さんも、彼のやりたい放題を何故許すのか、不思議だった。
その後、広島営業所は色々問題もあったが何とかやれていた、と思う。
しかし、3年弱で閉める事になった。 後継者がいない、との理由だった。 3千万の出店費用は結局、稼げなかった。
後継者になるはずだった人材は、その営業TOPが直接面接し、内定していた証券会社を断らせて引っ張り込んだ若者だった。 しかし、営業TOPのお見立て通りにはいかず、彼はプライベートでも仕事でも不祥事を起こし続けていた。
閉める事になっても、ワタクシには損害はない、単身赴任が終わるだけだ。得意先に迷惑をかける事もなかった。
ただ、一人の女性を失業させてしまった。
当然彼女に対し、出来るだけの事はするべきで、失業保険は会社都合扱いとし、2ヶ月分の給与が別に支払われた。 そして広島は終わった。
" 天の恵み" 発言でしょうもない事を思い出してしまった。
あの時、3年間弱、ワタクシの広島営業所を支えてくれた彼女は今、どうしているのだろうか。