蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

今年30回目の栂池スキー

2021-03-30 22:22:39 | 山とスキーでブラブラ

3月第1週で、栂池通いは、定宿泊りから、安曇野日帰りに変えた。

これは別に定宿との関係にトラブル等があった訳ではない。要はシンドくなったからだ。
昨年ぐらいから、とにかくシンドく眠く、朝、目が醒めても、結局昼前までダラ~っとなってしまう。

しかし定宿に泊まると、朝食は7時、それがシンドい。メシを喰うのがシンドい。ヘンなハナシだが、シンドいのだ。

ただ、シンドくてもスキーは出来る。しかも、一定のピッチでサインカーブを描いて降るのは、昨年より痛快に感じるのだ。
そして、中間駅でゴンドラに乗って、栂の森のリフトに乗り継ぎ、ハンノキをまた中間駅まで降るのに45分掛からないので、昼からでも2~3往復出来る。

 よって日帰りするようになって、起きるのは10時頃、11時に家を出て、栂池駐車場著12時。これでもスキーは十分楽しめる。

3月はまだカネナルから上がれるので、一番手前の駐車場に止めることにした。

 日帰りは3/11、3/16、3/17と続き、3/19、以前からガラガラだった駐車場に停めているのは、ワタクシ一人だった。

 日曜に雨が降り、カネナルはドンドン融けたらしく、3/25はゴンドラの駐車場にしか、停められない様になっていた。

 カネナルはもう滑れない。寂しいが、冬は終わりだ。

 しかしハンノキはまだまだ滑れる。

 春の雪山、まだまだ滑れる。

 木々の雪が消え、ロープウェイの建屋が見える。

 馬の背コースは、当然閉鎖。今年は1度しか滑れなかった。

 中間駅へ降る林道も閉鎖。

 栂の森~中間駅を2往復し、最後に栂の森テッペンへ上がる。

今年はこの日で30日目。相変わらず、ダルく、シンドいが、まだまだ栂池通いは続く。


栂池通いは、定宿泊まりから、安曇野日帰りに変更

2021-03-20 20:08:08 | 山とスキーでブラブラ

07年、扶養義務が無くなったので、年末に勤めていた特殊機械メーカーを早期退職し、08年明けから栂池通いを始めた。

八方尾根をブッ飛ばせる程スキーは上手くないし、そもそもヤルのは山スキーなので、栂池なら天狗原~白馬乗鞍へも登れるし、通うのはそこがイイ、と決めた。
しかし前に何度か泊まった宿は平日はダメ、他にも手あたり次第に予約を入れたが、平日ダメ、お独りサマダメ、ばかり。
平日でも、独りでもイイヨ、とお泊め頂けたのは、その後、定宿となるこの民宿だった。
そして毎年、1月から3月、火曜から木曜、3泊する客になった。

毎週泊まりに来て、しょっちゅうザックを担いで出て行く不思議な客に対して、オオオカミは「いつもどこへ行っているンですかぁ」と尋ねて来た。
ワタクシは、「ゴンドラを降りてから、天狗原や白馬乗鞍へ登って、下まで滑り降りて来るンです」と、山スキーと言う遊びがあって、登るのに使うシールを見せて、これを板のウラに貼って登ると説明した。

山から降りてくると、宿では午後5時に風呂が沸いて、6時からは夕食、他に客がいる事はほとんどいなかった。
風呂は半地下で、窓は雪に覆われ、真っ暗だったと言う状況が、春の雪融けまで、判らなかった。

ワタクシは、定宿の素っ気ない食堂のTVの前に陣取り、毎夜酒2合を呑みながら、独り、ユックリ飯を食った。それはサイコーのディナーだった

数年後、老夫婦が同宿するようになった。
奥さんは脚が不自由そうだったが、スキーをしていたらしい。
定宿は1月、2月、3月と月一で団体サンが来て、その週、ワタクシは宿泊を御遠慮していたが、この御夫婦は泊まり続けていたようで、若者集団で溢れる状況の中で、老夫婦がポツンといるのは、少し不自然(?)だったのか、オオダンナはこの御夫婦を断ったらしい。

その後連泊するオジサンは何人かいたが、何度も来る人、グループはいなかった。

宿の食事はオオオカミからワカオカミに代わったが、相変わらず美味く、相変わらずワタクシは一人でメシを喰っていた。

4年程前、ワタクシが安曇野に完全引っ越しする年、ワタクシは栂池に通うついでに、神戸から荷物を運んででいた。ある日、小屋にそれらを降ろし、整理した後、宿の駐車場に着くと、2階の窓を開け、「コンニチワァ~」と挨拶してくるオジサンがいた。
彼は、Oサンと言った。京都(?)から来て、日曜から3泊している様で、ワタクシより数歳若かった。
Oサンは山スキーは知らず、シール登行が何かも知らなかった。小学校の家庭科(?)の教師だったそうで、退職前に校長になられて退職したとか。
栂池まで1時間で来れて羨ましい、と言うので、貴兄も退職されたので、安曇野に移住されては、とお奨めしたが、90歳越えのオフクロさんがおられて、その世話が必要、との事だった。
Oサンとは今年も数回同宿したが、彼は長年公務員で教職者、片やワタクシは工業製品の営業マン、働いて来たフィールドや境遇は全然違う。当然ハナシは合わず、会話は徐々に減っていった。今更、オトモダチを増やす必要もないし。

そして、気付けば14年経っていた。
思えば、最初の頃は、毎週天狗原や白馬乗鞍へ登っていて、朝食を済ませて直ぐ、ザックを担いで出て行った。
しかし最近は、特に数年前から、ダルくシンドい日々が続き、朝食後は部屋でヘコタレている事が多くなった。
ナサケナイ話しだが、10年も経つと変わる、と言うかダメになる。宿は午前中も寝る所になった。
寝るのなら安曇野の我が家でイイ。そろそろこの宿に泊まるのはヤメるべきかも知れない。

先日ワカオカミが、最近客層(客相?)が変わって来た、と言っていた。しかしワタクシが通う火曜~金曜は、相変わらずワタクシ一人か、同世代のオジサンOサンなのだ。ヒョットしたら、ワタクシが知らない(泊まらない)週末、祭日、連休の状況かも知れない。まぁ客層(客相?)が変わって、増えるコトはイイことだ。

3月初めの火曜日、いつもの様に宿に着き、いつもの様に空いたところに車を停めた。その後冬山ウェアに着替えて、カネナルに出ようとしたら、オオオカミがギャレーから飛び出て来て、後でイイので、車を別の場所に移動して欲しい、と言って来た。
ワタクシはその日、偶々柵沿いに停めたのだが、それはいつものことで、移動して欲しいと言われたのは、初めてだった。
木曜深夜に大人数の客が来て、週末の数日間泊まるので、南端の柵沿いのスペースを空けておけ、と彼らから言われたらしい。停める場所はナンボでもあるのに、どんなエライさんがお見えになるのか。
金曜の朝、何気なく宿の庭を見下ろすと、柵沿いのスペースに少し大きいSUVが停まっていた。しかし大人数が乗って来た雰囲気はない。
その後、朝メシが済んで食堂でボ~っとしていたら、深夜に着いたグループが部屋から降りて来た。見ると数年前からよく見かける神戸市役所のグループだった。一人は食堂のワタクシに気付き、会釈をしてきた。
柵沿いのスペースを
空けておけ、と仰々しく宿に指示して、SUVを1台だけ停めた客は、以前からフツーに来ているグループだった。
しかし彼らは以前から、宿が辟易する程、ヘンな注文、要求が多かったらしい。また、彼らは着いた深夜、室内の灯りを全て(?)点けまわるらしい。そしてトイレのスリッパが、よくこれだけ脱ぎ散らせるなぁ、とグチャグチャにする輩だった。神戸市役所の職員は何とお行儀が悪いのか。

しかし今後、日帰りにして、ここに泊まらなくなると、このヘンなグループと出会う事も、行儀の悪いハナシを聞くこともなくなる。

その週の帰りにオオダンナに、来週はもう来ません、シンドいので少しお休みします、と言った。
オオダンナは少し驚き、それは直ぐワカオカミに伝わった。彼女は玄関まで追いかけて来て、「もう来ないンですかぁ?」と心配顔で尋ねて来た。
ワタクシは、「イヤ違うンです、少しシンドいんでチョット休むだけです、元気になったら、又来ます」と言い訳した。

しかしもう2度と来ないだろう。そんな気がする。

長年続いた関係でも、サヨナラは必ずやって来る。そしてその後は忘れ去られる。これでイイのだ。
オオオカミは朝のゴハンを、よくオムスビにして漬物と一緒に持たせてくれた。今年はほぼ毎回だった。そのお礼を言い忘れている。まぁイイか。