蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

4年振りの健康診断と病める医師たち

2011-06-23 23:38:15 | 朽ちゆく草の想い

5月末、白馬大雪渓へ行くために、前夜泊った麓のビジネスホテルで、夜、どう言う訳か動悸、息切れ激しくなって眠れなくなり、翌朝はフラフラ。
結局一歩も山には入らず、そのまま帰って来てしまった。

その後も時々、心臓はバクバク、息はヒイヒイ、ハアハアしている。
こんな状態が続いて、山へも行けないのなら、「こちら側」にいても仕方ない、「あちら側」へ行ってもいいか。 もう扶養義務はないし、とも思ったが、取りあえず「あちら側」へ行く前に医者へ行った。   

近所には古い市住、県住があるその病院は、4年振りだったが以前と同じ、ヨボヨボ、ヘロヘロのお年寄りで溢れかえっていた。待合室には座るスペースがなく、廊下のスツールに座って待つこと1時間弱。

センセは女医さんに代わっていた。
前のセンセは、歩けない老人宅を一軒一軒、往診されていて、謂わばこの地域のアカヒゲさん。
しかし、そのセンセもヨボヨボになって、数年前女医さんに代わった、と言う事は聞いていた。
謂わば、
病院の「居ぬき」と言うヤツ(?)。

以前のワタクシのカルテは引き継がれていて、「境界型糖尿病とかの記録ありますね、シンドイのはそれかも知れない、まァ詳しく検査しましょ」と言う事になって、その日は尿とレントゲン。
どちらも異状なし。

「役所から特定健康診断の案内、いってません? それ使ったら¥300で血液検査と心電図の検査、受けられますよ」 と言われ、翌日朝メシ抜いて、その案内の用紙(受診券)に普段の状況色々書いて持って行った。
色々検査された後、若い方のナースは採血の針、気前よくズブリと我が細腕に刺し込んで、メッチャ、ムッチャ、痛い目にあって、¥300で済むと思ったのに別に¥3,000、気前よく払わされて、「10日位後、結果出ますので、電話で確認してから来て下さい」、廊下には次に検査を待っているオバアチャンが控えていた。早くオイトマしないと。

12日後の月曜日、“待望”の結果を聞きに行った。
午後4時、ナント待合室はガラガラ。
10日程前、待合室に溢れていたあのお年寄りたちはどこへ消えたのか。
皆さんもう亡くなられたのか。 それとも、午前中が老人達の通院タイムなのか。

結果は、血圧とガンマGTが要受診。 他は異状なし。
「ガンマGTはほんの僅かオーバーしてルだけなンで、まぁ気にしなくてイイでしょう」、女医さんから色々説明を受ける。
血圧は以前から高かった。
前のセンセから降圧剤もらって一時呑んでいたが、目立って良くならないし、それより思いっきり運動して、思いっきり汗かいて、とにかく死ぬほどフラフラになった翌朝はドォンと下がるので、その薬は止めた。
老センセは呆れていた。 「クスリ呑んでも、よゥならンから、ヤメるちゅうのは初めてやぁ。フツーの人は色々替えて試すのに」、そんな昔のふざけた経緯を女医さんに話した。

この女医さん、ワタクシと同世代、少し若いかもしれない。とてもマジメそうで、ワタクシが発する冗談の何回かに1回は、作り笑いを返して頂ける。
こんなアホなオッサンにはまともに付き合われヘン、サッサと済まして、チャンと看てあげないと死んでしまうお年寄りをケアしないと。 多分そう思っておられるンだろう。そんな感じは、前のセンセにもあったけど。

女医さんの説明は続く。
降圧目標値は以前より下がった、これは80歳を過ぎても自立生活出来るためのモノ、効果のある新薬も次々に開発されている、加齢による動脈硬化で高血圧になるケースとその逆のケースがあり、それによって薬は変わる、この国では保険が行き届いているので、3割の負担で誰でも治療が受けられる、ちゃんとクスリ呑んで血圧抑えないと色んな病気を誘発する。
そんな説明を聞いていたら、何かバカバカしくなって、ウッカリこの悪い口が滑ってしまった。
「そやけど、そうやって80過ぎた年寄り、沢山元気にさせて、そんなジイサンが車運転して、人を死なせてしまう事故なんかが最近ようありますヤン、ボクの叔母なんか、痴呆で完全にアタマ飛んでルのに、それ以外はメッチャ健康で、そやけどもう何年も前からボクの事、判らなくて、クスリで長生きさせる事がホンマ、エエことかどうか、判りませんでぇ」

「確かに、そう言う見方もありますけどね」、女医さんの表情が変わった。何かオカシクなった。
当然、作り笑いは無くなった。

前にもこんな医者の表情を見た事がある。 もう10年以上前、まだ在職中、職場近くの大きな総合病院での定期診断、相手は多分、医者になりたての若者。
診断結果は特に問題なく、何か気になる事はないか、と訊かれたので、「イヤ、シンドイだけで」と答えたら、「それは仕事が面白くないならでしょう」と返して来た。
コイツ、医者と言っても只の若者、まだ仕事の何たるかなど、判っているはずはない。
何ぬかしとンや、と思ったが、一応紳士的に対応した。 「仕事とは辛くて面白くないモノでしょう」
「イヤ、ボクは楽しくなるようにやってます」
「でも、患者から文句言われることもあるでしょう」
「イヤ、誰からも絶対文句出ない様、気を付けてやってます」
「でも毎日、必死に気ィばっかりつけてやってたら面白くないでしょ」
「イヤ、ボッ、ボクは ・ ・ ・ 」 若い医師の表情がオカシクなった。
ワタクシもこれ以上話していると、「若い分際で生意気なコト言うな」、と言い出すかも知れなくなってきて、もう相手にするのはヤメて、黙って診察室を出た。

医師免許を持っている人達はメッチャ、ムッチャ賢い、偏差値と言う尺度では。ローカルの、名も知らない医大でも、偏差値はメッチャ、ムッチャ高い。
しかし、ベテランの女医さん、若葉マークの医師、どちらもその表情は何か病んでいる様に見えた。 ズーッと前から病んでいるワタクシがそう感じるのだから間違いない。

医学部へ入るためにムチャクチャ勉強して、受験戦争に勝つために特別な学校へも通い、入学後も勉強、勉強、研究、研究して医者になった人達。
医者になった後はとにかく人の命救う事だけ考えて、色んな人種の患者にあらゆる方法、情報駆使して治療し、今やガンのいくつかは治る病気。
平均寿命も年々伸びて、寿命で死んでもイイ老人までも生かしている、本人の意思とは関係なく。
命を延ばすのに必死になるのは使命、運命、宿命。

しかし、そんなコトばかりやってたらアタマ、オカシクなる様な気がする。
ニンゲンは生きなければいけないが、死ななければいけない面もあるハズだ。
科学、医学が立ち入れないエリアがあるハズだ。

チョット心臓バクバク、息がハアハアした位で医者に頼ったこと、今はすごく悔やんでいる。
「扶養義務なくなったし、もういつ死んだってエエんですワ」と、エラそうに言っていたのにナサケナイ。 ワタクシってホント、ダメなオトコ。

とてもマジメそうなその女医さんには、取りあえず1ヶ月程血圧測って、そのデータ見てもらって、クスリ選んでもらいます、と言って診察室を出た。
待合室には老女が一人、順番を待っていた。

多分、1ヶ月経っても、もう女医さんには会いに行かないと思う。
しかし、お酒は少し控えようと思う。タバコは値上げ前に在庫したのが無くなって、数週間前からヤメている。
そして、心臓バクバク、息フウフウでも、そんなに気にせず登れる範囲でやって見よう。
それでもし終わってしまったのなら、仕方ないと諦めよう。

でも、この歳で「あちら側」に逝っても、オヤジやオフクロに追い返されるかも知れないけど。

4年前、富山・片貝川沿いに咲いていたタニウツギ。008_2

槍沢沿いのミネザクラ。014

いずれも5月末ごろ。

心臓バクバク、息ハアハアになっても、医者に頼るより、“彼女”達に会いに行った方が良かったかも知れない。


ブレーキは左足で、そして老人の自動車保険料とあきれる話

2011-06-20 23:10:38 | 朽ちゆく草の想い

相変わらず、お年寄りの交通事故のニュースをよく見かけます。

進入禁止に気が付いて戻ろうとして、歩道を暴走して二人をコロしたオジイサン。
有馬温泉の駐車場から車ごと谷に落ちて、同乗者をコロしたオバアサン。
どちらも80歳前後だったらしい。
民家の門柱に激突したオジイサン、幸い死者は出なかったそうだが、同乗者のおばあさんは「急に車のスピードが速くなった」とか言われていたらしい。
全てアクセルとブレーキの踏み間違いでしょう、多分。

以前、JAFのニイチャンから聞いた話し。
最近、大した事故じゃないのにアクセルとブレーキの踏み間違いで、車を全壊させるケースが多い、とか言っていた。 それはお年寄りだけではないらしい。

ガードレールにチョコッと接触しただけなのに、ガガガっと擦ったまま走って、その先の壁に激突、エアバック開けて全壊。
脱輪しただけなのに、ドドドっと片輪溝にはめたまま10数m激走、サス周りガタガタにして全壊。
皆さん、最初のミスでブレーキ踏んだつもりがアクセル踏んで、ガクっと止まるハズの愛車は予想に反し爆走。
パニックになって数秒後、車をコロしていたと言う顛末、らしい。

以前、まさにそんな事故を足元で見た。
夏休みが始まった日曜の朝、ベランダで洗濯モンを干し終わって部屋に戻った時。

C棟と呼ばれている向かい建屋の駐車場から、車が何かにぶつかって走り去ろうとしている様な音が聞こえ、再度ベランダ(ウチ7Fです)に出て見降ろした。
すると、トヨタのラウム(?)が駐車場からの通路を駆け降りている、加速しながら。
ウンちゃんが必死でハンドル切っている様子が見える。
最初の緩い右カーブは何とかパス。 しかし曲がりきった先のT字路手前にはワンボックスが停車中だった。
その右後ろへガン!直後右へ逸れて道路端のパイプ柵にガン!更にT字路を横切って対岸歩道のパイプ柵にガン!
ゴン、グォーッ、ガン、ガン、ガン、そして静寂。ブレーキ痕なし、他に巻き込まれた人なし。我が家のベランダの真下の出来事。アァ~アッ。

追突されたワンボックスの運チャン降りて来てラウムの助手席ドアを開けようとしているが開かない。その後どこかへ携帯をかけている。
朝の掃除オジサンは近づいてきて、運転席ドアを引っ張っている。開かない。ボンネットは半分程までへこんでいる。
やがて
ドアが開いて出てきたラウムの運チャンは白髪頭、多分ワタクシより年長、顔から血ィ流して、胸元は血だらけ、左足引きずっている。
「アンタ何しとン!」と叫びながら駆けつけて来て、血ィ拭いてる奥さん(?)、エライ若い、30~40代(?)。
救急車が来たのは10数分後、Kサツが来たのは更に数分後、どちらも近い所にある割りには遅い。

ワンボックスで出かけようとしていたのは若夫婦+子供、沢山の荷物おろしている、虫取り網も。家族揃って田舎へでも行く予定だった様だ。子供たち、カワイソ。
しかし、チョット時間がずれて、子供たちが乗り込もうとしているところだったら大惨事になったはず。
必死でブレーキのつもりがアクセル踏んでいた白髪頭の運チャン、通路を駆け降りながら何を思ったンだろう。

最初の場面見てないので、キッカケが判りませんが、その若いヨメサンと何かモメ事でもあって、自暴自棄気味で飛び出して、何かにチョコッとぶつかってブレーキ踏むつもりがアクセルを踏んでしまった、まぁそんなところならオモロイ話ですが。

ワタクシが今乗っている車は初めてのAT。
MT主義だったが、その水平対向6気筒には最初MTが準備されていなかった。
仕方ない。その代わり、と言う訳ではないがブレーキは左足で踏む事を始めた。
何年か前まで、「間違いだらけの ・ ・ ・」 と言う本を毎年出されていた評論家サンが、ATの2ペダルは左足でブレーキを踏んだ方がイイよ、と言うような事を書かれていて、今はもうF1もラリーカーもMTだけど2ペダルで、それをレーサーは左右の足で操作している。

と言う事で、左足ブレーキを始めた。最初はパニック時には右足が出でいたが、最近は自然に左足が出る様になった。途中、両足の時もあったけど。

だから、山の中の曲がりくねった道を走る時には、左右交互に足を動かしている。

この国でのMT車マニアは超少数派だし、今後ドイツやイタリアの高性能車はMTでも2ペダルになっていくそうだし、そろそろ左足ブレーキを標準にした方が良いのではないか、と思う。
これだけ踏み間違い事故があるのなら、むしろそうすべきだ。
その場合、ペダル自体をもう少し左に寄せて、右足にもフットレストを設けるべきだと思う。

しかし、ジジババには左足ブレーキに慣れろ、と言っても無理だし、慣れた頃には死んでルかも知れないし、とにかく自動車保険料は思いっきり高くすべきでしょうね。
実際に保険屋サンはその様な方針らしいし、これは仕方ないと思う。

保険料を超高価にして、自分たち年寄りが車を運転するのは非常に危険だと判らせるしかない。 70年、80年生きて来た人達を殺人者にしてはいけない。

ところで、年寄りの交通事故ばかり気になっていたら、ナントと3歳の女の子がスーパーマーケットの駐車場でポルシェを運転して、女性従業員にケガをさせた、との記事が新聞にあった。
35歳の母親は、エンジンを掛けたままの車に自分の娘を残し、買物をしていたそうだ。

ポルシェはSUV、つまりカイエン(?)、1000万程の車のはず。 35歳の母親、親が金持なのか、旦那が成金なのか。まァどうでもいいけど、エンジン掛けたまま車を離れると言うあきれた話し、そこに子供を残すと言うあきれた話し。

これがこの国の、震災と原爆事故で大騒ぎのこの国の現実なのだ。
棄ててしまいたい現実。ただあきれるばかり。


「ガマン」を世界の言葉に!!!

2011-06-18 20:13:55 | 朽ちゆく草の想い

「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」の国、「メメント・モリ」の国の人達の、約57%が投票して、その95%程が原発再開に反対したそうだ。

原爆は落されなくても、冷戦中の東西帝国主義の国々が次々と核実験して、その破壊力を何度もアピールさせられ、そのあげく東西2大帝国の原発で事故が起こって、東の帝国では数十人(数百人?)の死者も出て、それらを目の当たりにしたフツーの人達。
「食べて、歌って、恋をして」、「 “ 死 ” を想え」のフツーの人達が、核にNOの判断をするのは当たり前だと思う。

しかし原爆落とされたのに、原発には「ノー」が貫けず、地震でその怖さを改めて知らされたこの国の人達は、もし国民投票があったら、どう判断するンだろう。
アイドルグループの総選挙には100万以上の票が集まったそうだが、アイドルに投票した人達は核に対しては、どう判断するンだろう。ちゃんと投票に行って「ノー」の意思を示すンだろうか。

でもまぁ、今回のイタリアの結果、ナルホドそう言う事か、と改めて思ってしまう。
57%の残りの5%は原発再開に賛成した人で、つまり全国民の3%弱。
これ、要するに一握りの裕福な人と言えるのではないか。

資本主義の国なので、この一握りは生産手段を所有している。
それを動かさないとお金儲け出来ない、裕福な状態を維持できない。
それを動かすには電気がいる。発電手段は原発でもいい。事故があってもヤバい作業は直接する事はないし、それでまた儲かるし。

つまり原発は金儲けのため必要。一握りの富裕層の金儲けのため。限りのない金儲けのため。資本主義の原動力は金儲けへの“欲”。
「食べて、歌って、恋をして、永遠に金儲けして」、「余りあるお金を使って、最先端の延命治療を受けられるから “ 死 ” を想う必要もなし」、富裕層は原発、だぁ~い好き、と言う事か。ナルホド。

ノーベル文学賞「候補」で近年有名な作家さんは、スペインのカタルーニャで賞を貰って、その授賞式スピーチで、今回の原発事故は、「効率がイイ」と主張した電力会社とそれを国策とした自らの過ち、とおっしゃって、また核に「ノー」を叫び続け、原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追及することが広島、長崎の原爆犠牲者に対する集合的責任、とおっしゃったらしい。

さすが、ワタクシが後輩になり損ねた(?)お方。(ワタクシ、この作家サンの卒業された高校に入れませんでした。入れてたら、3年後輩だったのにィ)

原発は効率がイイ:低コストだと言う欺瞞。
コストには原発地元への交付金や核廃棄物の処理費用は含まれていなくて、高コォつくと言う事はもうバレている。
だからと言って、ホントはチョット安かった火力発電。石油、石炭ボンボン焚いて発電すればイイ、と言う選択は当然出来ない。風力、太陽光もこれからの話だ。

すると当面我々がすべきなのは「我慢」。
寒くでも「我慢」、暑くても「我慢」、暗くても「我慢」、でもこの我慢、大したことはないと思う。
ほんの数年前までは夜通しやってるコンビニなんてなかったし、郊外の国道沿いにパチンコ屋なんてなかった。 ビルの中の機械の上で走ったりする健康クラブなどもなかった。
夜、会社終わって運動したいのなら、仕事中に階段使うとか、少しの移動は早足で歩くとかしたらいいのに。少し我慢して、少しガンバればイイだけなのに。

何年か前、ノーベル平和賞のアフリカのオバサンは「モッタイナイ」を世界の言葉にした。
スペインで核への「ノー」を貫くべきだったとスピーチした流行作家さん、何かの機会に「ガマン」と言う言葉を使って、それを世界に広めて頂ければと思うンですが、そんなワタクシの低レベルの発想なんぞは無いンでしょうかね。

我が布引・山の家に50年以上住んでいたオフクロも、超「ガマン」の人だった。
庭の咲き終わりかけたサツキ。Imgp2568

このサツキ、ワタクシが移り住んだ頃にはもう生えていた。オフクロより永く「ガマン」して生きている。


毎年バネ下重量軽減を体験して、喜ぶおバカ

2011-06-12 00:06:30 | 車でブラブラ

6月に入って直ぐ、山スキー道具は片付けたのに、車はまだスタッドレスのままだった。

5000km毎のオイル交換時期も数百キロ過ぎていたので、昨日一緒に交換した。

水平対向エンジンはオイルも特殊、とか言われて以前は色々因縁つきの高価なオイルにしていたが、よォ~く考えてみると安くてもメーカー純正をメンテマニュアルに従って替えればいい訳で、セーフティチェックとか言うサービスに合わせてやると、オイル交換だけより安くなりますよ、と薦められ、それをズッと続けている。

ディーラー任せは高くつく、とか言う意見もあるが、車検、保険からJAF入会まで全て君らに頼むわぁ、とウワキせずに集約すると、そこそこの価格で収まっている様な気がする。
安いトコ取りは結局は高くつく、と思う。

これは交換した夏用ホィール(とタイヤ)。025

写真は09年のもの。場所は丹後半島の伊根、舟屋が見える。

このホィールはアルミ鍛造で、普通の鋳造に比べると価格は2~3倍、しかし1kg弱軽くなる。1台でたった3kg強の軽減。 しかし、その効果は大きい。 よく言われるバネ下重量軽減は10~20倍の効果と言われるヤツだ。

車に色々部品を付けたり、それを替えたりして喜んでいるおバカは世間には多い。
カーショップにもそんな部品は沢山並んでいる。燃費が良くなりますとか、出足、加速が良くなります、とかまぁホント色々、ホンマに良うなるのぉ?

そして、ホントにそんな効果があっても数時間(数日?数ヶ月?)経って慣れてしまえば、それらは日常に溶け込んでしまう。最初に感じた快感はどこへ行ったのか。
例えば、1千万以上の超高性能ドイツ車、イタリア車のオーナーになり得たとしても、その高性能ですら時間が経てば日常になる、はずだ。(超高性能車のオーナーになった事がないので判りませんが)

しかし、このホィール(とタイヤ)、毎年スタッドレスの冬用から履き替えるので、その効果は都度体験できます。

「タイヤ、そろそろ交換時期ですよ、4年経ってもうヒビもいってルし」と3年前ディーラーのサービスマンから言われて、「ンなら、タイヤ交換に合わせて、今履いてル純正ホィールをスタッドレス用にして、夏タイヤ用は鍛造にしようかと思うネン」と言ったら、「エエッ、あれズコイ高いですよぅ、ホンマにあれ、付けるンですか」
2DKのアパートの家賃半年分位のこのホィール、それに付け替えるおバカは数えるしかいない様だ。

そして、このおバカは毎年、春から夏に到る期間、その効果を感じて喜んでいる。
出足、加速が良くなったと言ってしまうと、カーショップで並んでいる性能UPグッズのレベル。 ホントにそうか、と聞かれると、そうかも知れない程度のレベル。
そう言う事より、ハッキリ感じるのはシフトアップ、シフトダウンが早い、小気味よい言う事だ。ATなので、バネ下重量軽減効果はちゃんと機械が感じて処理している。これは楽しい。

これを楽しめるのは、三木、小野周辺の多少曲がりくねった田舎道。当然ネズミトリやパトカーなどがウロチョロしていない、優しくて、のどかで穏やかな道。

昨日も今日も走って、ガソリン撒き散らして来ました、用もなく、あてもなく。

ところで、このディラーの担当営業マンは自転車乗りでもあって、むしろ自転車の事で色々話しする事が多いのだか、自転車に乗っている時、ジジイの運チャンには気をつけないと怖いよね、とか話していたら、やはり最近の人身事故の6割は60歳以上だとか。
自動車の保険料と言うのは、事故さえしなければ毎年安くなっていくモノ、と思っていたが、今後年寄りに対しては上がっていくらしい。
その代わり5年契約とか言うのが出来て、今年からワタクシはそれにしてます。 お陰で逆に2割弱安くなった。

まぁ後5年は何んとか乗っている、ハズだ、用もなく、あてもなく。


今年も古着寄付

2011-06-08 22:06:03 | 神戸布引谷での出来事

このカワイイ花はユキノシタ。002_2

先週、庭でコイツを目立たなくしているナルコランを透き刈ったが、今一つパッとしない。 ナルコランは1ヶ月程前に咲き終わり、茎と葉だけが伸び放題だった。

日曜日、ナルコランを更に刈り取った。 するとユキノシタのスゴイ勢力が現れた。
001_2 生きる力はスゴイ。

去年、オフクロが残して逝った衣服を片付け、引っ越し用段ボール2箱分をミャンマーの難民キャンプへ寄付した。
布引・山の家にはもうこれで片付いたと思っていたが、 それまで気にしていなかったタンスの小さな扉を開けるとセーターやカーディガンがドサっと出て来た、30数着。
これらをオフクロが着ているのを見た事はない。 多分ほぼ新品? made in Italyとか、made in Scotland のラベルが付いている。叔母が仕事の関係でもらったモノかも知れない。 全て昨年同様ミャンマーの難民キャンプに引き取って頂こう。

実は叔母の家にも引き取って頂きたいモノが沢山ある。
住吉駅の北に自分の家があって、色んなモノをそこに残していることを、痴呆の叔母はもう判らない。
金目のモノは多分、オトモダチの共同経営者(洋装店の)が持ち出しているはずだが、ガラクタ、古着は沢山残っている。 いつか、誰かが捨てないといけない。

と、言う事でこれもミャンマーの皆さんにもらって頂くことにした。 比較的新しいコート、スーツなど。

結局、2軒の家から出て来た古着、合わせて引っ越し用段ボール1箱が一杯になった。

しかし、よく考えるとワタクシも古着、沢山残している。 時々捨てるが、それでも沢山残っている。

死んだ人の遺品、痴呆で死んだのと同レベルの人の遺品(?)を片付けて、ヘラヘラしているオマエも、いつ死ぬが判らんでぇ、早よ片づけんと残されたモンが難儀する、オフクロと叔母が声を揃えて囁いている。古着を詰めた段ボール箱から、そう聞こえた。

フリースが確立される頃の冬山用中間着。 冬から春にかけてフルに使っても年間20日程度。 全く着ないシーズンもあるし、結局大した時間使っていない。
それらは今でもシッカリしているので時々それを着て街へ出る。
そのメーカーの直営店へ行くと、その服に付いているワッペンを見て若い店員さん、「へぇ、こんなデザインのロゴを付けてたこと、あったンですねぇ」、彼女たちは勤め先の20年以上前のロゴを知らない。
「そうやぁ、君らがまだオシメしていた頃の製品やぁ」
「???オシメ?」

20年前の冬山用中間着、ミャンマーの人達に失礼ではないだろうか。 しかしまだまだ作業着として使えない事はない。

結局、最近まで会社人の時使っていたワイシャツ、ジャケット、そしてもう着る事はないテニスウェアとかと一緒に詰め、段ボールがもう1箱一杯に。
今年も2箱の古着寄付になった。

トンデモナくヨレヨレ、シミシミのモノもあって、それらはこの機会にバッと捨てる事にした。

いつあちらへ逝くかも知れない、身軽にしておかないと。
当然、生きてル間にもっと楽しい処へ行けるかもしれない、身軽にしておかないと。