3/3、栂池を出た救急車は、河川敷の様なヘリポートに着いた。
首は起こしても反らしても痛いので、周りを見渡したりは出来なかったが、常念岳が少し南側に見え、山岳遭難などのニュースで、ヘリが飛び立つ映像でよく見る景色だった。
ドクターヘリは待機していて、15分程で信州大学病院へ着く、と説明を受けた。
病院へ着くと、まず最初にCTとかMRIの検査を受けた。
とは言え、ズッと寝かされた状態で、内部の詳細を知らない病院の、アチコチを運び廻される訳で、自分がどこにいるか,どこに行くのかは当然把握出来ない状況。いずれにせよ、お医者さん、看護師さん達に委ねるしかない。
とにかく寝かされた状態のワタクシが見えるのは、アチコチの天井だけ。その一部の天井は、新緑の森を見上げた様な、若葉の木々の写真になっていて、なかなか良いセンスだと思った。ただ他の病院の天井を眺めたことはないので、このセンスが信州大学病院だけのモノなのかどうかは判らない。
検査でアチコチ運び廻されて、最後は4階のHCUに運び込まれた。途中で壁の時計を見ると、18時20分過ぎだった。これがこの日初めての時間確認だった。
HCUとは「ハイ・ケア・ユニット」の略だそうで、主に手術を受けた直後の患者を治療する部署だそうだ。
部屋は細長く、ベッドが2列並んでいて、ワタクシは一番奥に寝かされ、3つ辺り隣までベッドがあった様だから、定員8名(?)、手術を受けた直後の患者相手なので、その程度のキャパなのか。
ワタクシはその部屋で直ぐ降圧剤の点滴を受けた。そして側にブラウン管TVの小型程のモニターが置かれ、ワタクシの血圧がグラフ表示された。ワタクシの血圧は200程あったそうだ。
この現場のリーダーらしき医師、つまりワタクシの主治医(?)が「こんなに高かったら帰せないよ、とにかく下げないと」と、看護師達に指示し、また「首の血管が破れて出血して、それが周りの神経を圧迫してこうなった」と、ワタクシにも聞こえる様に(?)説明した。
ワタクシは、スキーをしていた時の服装のまま寝かされ、フツーは当然のようにいる、付き添いなどはなかった。
山とスキーに没頭したい目的の、信州単身移住なので、近くに家族はいない、医師、看護師にはそう説明した。
と言うか、せいぜい数日で帰れるだろう、との自分勝手な思い込みもあった。手足も少しずつ動く様になっていたし。
しかし、スキーウエアのまま数日間で帰ることは出来ず、病院側から入院中の衣服他のレンタルを紹介され、看護師のオバチャンに言われるまま契約。
そして着替え。しかしワタクシは、右半分がマヒした寝たきり状態、着替えどころか何も出来ない。しかも雪山モードで何枚も気重ねしている。
結局、下は若い看護師のオニイチャン数人に「セェノー」で、オーバーズボンごとズボッと引き抜いてもらった。
次は上、バンザイ姿勢で上へ引っ張って貰えばイイのだが、上半身は起こせない状態なので、引き抜いてもらう訳にはいかない。
看護師達は、「服、切ってもイイですか?」と言って来た。しかし、服を切って脱がせる、と言うのは、死人から脱がせる行為だ。しかもワタクシが着ているのは、雪山用の服だし、それを切りたくない。
そんなやりとりをしていて、フト気が付いた。少しではあるが、右手が動くのだ。そしてワタクシはまず、フツーに動く左腕を袖から抜き、右腕を抜き、上半身もズリズリ動かして、上を脱いだ。
看護師達は「エエっ!そんなことが出来るンですかぁ!」と、言った雰囲気で喚声を上げた。
それと並行して、首を保護するためのカラー(襟)を巻かれた。これはポリウレタン製の肌色の、ムチウチ事故の被害者等が、よくクビに巻いているのと同じヤツで、これは病院の備品ではなく、レンタルでもなく、患者が都度購入するモノで、後日業者へ振り込む様、看護師のオバチャンから納品書を受け取った。そして首を動かさない様言われた。
その日は半身マヒで運ばれ、そのモードが続いていたので、ほぼ完璧な寝たきり。オシッコは管を入れますか?、尿瓶にしますか?と訊かれ、都度チ〇チ〇を尿瓶に突っ込んでもらい、ノドが渇くと、ストロー水を飲ませて貰った。
マヒしていた右手足は徐々に動く様になり、3/4朝にはもと通り動く様になっていた。
力も入る様になり、上から押さえつけようとした看護師のオネエチャンを逆に持ち上げ、周りの医師。看護師を驚かせた。
3/4の朝から食事が出た。病院の食事は、味が薄くマズいとよく聞かされていたが、そうでもなかった。食事中だけは上体を起こされたが、済むとまた寝たきり状態に戻った。
寝たきり状態と言うのは、ホントに辛い。しかも仰向けで首を動かすな、と言われると益々ツライ。「カラダを起させて欲しい」と、何度か看護師に頼んだが、「センセイに言っておきます」と、言われるだけで、寝たきり状態は続いた。
ワタクシの麻痺が治まって、フツーに力も出る様になったことを知らされたのか、昨日のワタクシの麻痺状態しか知らない医師が、代わり替わりで様子を見に来た。皆さん若く、感じのイイ若者ばかりだった。
退院まで、一番よく様子を見に来てくれた若い医師は、ここへ着いた時は、一生マヒになる一歩手前の状況で、非常にヤバかった、と言った。
もう一人の若い医師は、手術をしなくて済んだこともラッキーだった、切ればもっと厄介に事になっていた、と言った。また敗れた血管は塞がったが、また開くことがあり、塞がった事が97%確認できるのは1週間後との事で、つまり1週間はここにいないといけない、という事なのだ。
最後に姿を見せたのは、前日ドクターヘリに乗っていた、美人アスリートの様なショートカットの女医(?)だった。
彼女はワタクシの状態を見て脳卒中、と診断したが、問題が起きた血管は脳ではなく、首だった。
そして昨日ワタクシがあの状態になる直前に、何らかの大きな衝撃を受けなかったか、としつこく訊いて来た。しかし、木々にもニンゲンにも激突しなかったし、派手な転倒どころか、シリモチもつかなかった。
要は、衝撃は全くなかった。ワザワザ訊きに来られたことが、気の毒なくらい、素っ気ない答えだった。
その後、HCUから7階の一般病室に移された。
看護師さんに見送られてHCUを出ようとした時、しょっちゅうボードを抱えて滑りに行っている、と言っていた一人と眼があって、「それじゃ今度ゲレンデでねぇ~」と手を振ったら、「ハイっ、ワタシ、栂池のシーズンパス、持ってますので・・・」と応えてくれた。
行った先は、6人部屋だったが、その後リハビリ:歩行練習で、室内を歩き廻るので、個室に替わった。
しかし、そもそも歩行練習を行うには、個室は狭すぎる。結局、リハビリ担当のN君にそう言って、フロアを2周した。
そして公衆電話から、定宿にTELした。
定宿には一切の荷物を置いたままで、今どこにいるのかも知らせていない。ワタクシには携帯はないが、テレフォンカードは沢山ある。とにかく早く、信大病院に入院している事、入院は1週間以上掛かる事を連絡したかった。
一応、手足は動くので、一旦定宿に戻り荷物を引き上げ、家へ戻って入院の準備をして、再度出直すことは出来ないか、とか、看護師さんの携帯を借りれないか、とか、かなり非常識なお願いをしたが、結局は全てダメ。アタリマエだ。
しかしリハビリの途中でエレベーターホールに公衆電話を見つけたのだ。通常こう言う連絡は、付き添いがするのだろうが、そう言うのがいない身の辛さ、しかし何とかなるモノだ。
部屋には、信大病院の入院に関する小冊子が持ち込まれていて、その中に「入院診療計画書」なるものが紛れていた。
ワタクシの病名は「頸髄硬膜外血腫」、推定される入院期間は「2,3週間以内」となっていた。
一番よく様子を見に来てくれた若い医師はA氏で、彼が担当、昨日HCUで色々指示をしていたのはI氏、と言うらしい。
3/5、医療福祉支援センターの女性がやって来て、「高額療養費限度額適用認定証」の申請を代理で行って頂けるとのことで、言われるままにお願いした。入院医療費の限度額を超えた分が、保険から払い戻されるらしい。そういう事もワタクシは知らなかった。
室内を歩き廻るリハビリは必要ないので、また別の4人部屋に移された。この日のリハビリは、更にアチコチ歩いた。
この夜、破れた血管の炎症を止めるステロイド:ドキサートの点滴が外された。
3/6、10時頃、もう一つの点滴、降圧剤:ニカルジピン(ペルジピン)も外され、点滴から解放された。
それまでは、点滴をぶら下げたスタンドを引き摺っていたので、トイレに行くにもナースコールが必要だった。
深夜にそれが面倒だったので、一度コソっと行ったら、見つかって、「どんな場合でも必ずコールして下さいッ!」と怒られた。その帰り、一応声を掛けようと事務所に行こうとしたら、「ど、どこへ行くンですか?」と後ろからの声、彼女はトイレの直ぐ側で待っていてくれたのだ。ワタクシはもはや、夜中に徘徊する老人になっていた。
いずれにせよ、病院内では自由に動けるようになって、この日のリハビリは1階まで歩いて降りて、駐車場周辺をグルっと歩き、7階まで歩いて戻った。当然担当のN君同伴だ。
夕方、松川村のSさんに連絡していないことを思い出し、3日定宿に送って頂いた後、その場に倒れてドクターヘリで信大病院に運ばれ、今入院している事を報告した。
3/7朝一番、看護師さんがアムロジビン4錠、持って来る。前日、降圧剤の点滴を止めた代わりの処置らしい。それを飲むと血圧は137になった。
点滴が取れてから身軽になり、病院のアチコチをブラブラ、この日は1階のコンビニで歯ブラシを購入、4日振りの歯磨きを行った。
また、談話室の本棚にあった半藤一利サンの永井荷風の評論、五木寛之サンのエッセイを読んだ。
とにかく退屈だった。
3/8、この日から血圧、体温、血糖値の定期的な測定が始まる。朝一は血圧157、10時頃で165。血糖値は140程で、高い。
11時頃、A医師がやって来て、薬の量を増やしてみると言って、13時過ぎ、追加の1錠を飲む。
3/9、血圧、朝は160程、9時頃150程、薬がアジルバに替わる。2錠飲む。
午後はリハビリ、スクワット、つま先屈伸、自転車など1時間弱。
その後糖尿内科の、これも若い医師がやって来て、血糖値が高いのは、破れた血管の炎症を止めるドキサートのせいで、3/5に点滴を止めたが、その後も数日、この薬の影響は残り、血糖値は上がるとの説明を受けた。
どこへ行くにも、ポシェットの様にぶら下げていた心電図送信機は、この日の昼過ぎ外された。
3/10、食事は糖尿食になり、薬はアジルバ2錠と粉薬セバミットR細粒になった。
9時頃MRI、10時過ぎエコー検査、血圧は130程。
入院から一週間後のMRI検査、これで問題なければ、退院のハズ、薬もアジルバとセバミットになって、血圧も130だし。
病院の居心地は悪くはなかったが、やはり早くケリを付けたかった。
この日初めて風呂を勧められた。と言うか、そろそろ入った方がイイのでは?と言った雰囲気だった。
風呂についても、どうせ直ぐ帰れるから、まぁエエやろ、と気にしないでいた。数日前には看護師さんにカラダを拭いてもらったし。
その時の紙オムツを履いたままだ。もう一つチョウダイ、と言えるものでもない様だ。
ただ、入院の3日に履いていた下着はある。取り合えず風呂に入り、それに着替えることにした。どうせ後数日で終わるハズだ。
タオルは入院中の衣服他のレンタルに含まれていて、ロッカーの中に沢山残っていた。
履き続けていた紙オムツは、脱衣場のゴミの袋に捨てるよう、看護師さんに言われた。
そして1週間ぶりの風呂になった。空いている時間にしたので、昼ブロになった。その後は昨日の同じメニュウのリハビリ。
3/11、朝一の血圧は150程。
9時前A医師がやって来て、退院は13日、その後は大町総合病院へ通院となる、また首の保護用カラーは、もう外してイイと言われた。
10時頃の血圧は100程。
昼前、I医師もやって来て、13日退院と告げて行った。
早速、定宿へTEL、13日に退院し、その日は泊めて欲しい旨、連絡した。
3/12、朝一の血圧134。
8時過ぎより、10日のMRIとエコー検査の結果を、A医師から聞いた。
静脈を破り、溢れ出た血腫はほぼ消えていたとの事。主な話題はこれでオワリ、後は画像を見ながら、首のメインの血管はかなり太い、とか、脳に出血した跡が、いくつかあったとか、そんなハナシを聞いた。
そして大町総合病院への紹介状、ワタクシの検査データを受け取り、お礼を言って全て終わった。
昼からは最後のリハビリ、今まで通りスクワット、つま先屈伸、自転車などを行った。
思えば、リハビリ担当のN君とは、4日のリハビリ開始から9日間、毎日顔を合わせていた。フザケ過ぎるワタクシのギャグにも、調子を合わせてくれたナイスガイだった。
「もう戻って来ちゃダメですよ」、「イヤそれは判らんでぇ~」、そう言って彼と握手を交わした。
サインをしておいて下さい、と言われた書類を提出し、後日使うであろう診断証明書の申請をして、最後のフロ。
3/13、退院後の薬が届いていないので、看護師さんに督促、アジルバとセバミットが14日分届いた。
ドクターヘリで運ばれた時の雪山用ウエアを着て、同室の患者さんに「お先に失礼します」と挨拶、看護師さんの控室にも挨拶して、エレベーターに乗ろうとすると、看護師さんが追いかけて来た。
「あのぅ~スイマセ~ん!これ、ここでは廃棄出来ません」、それは首の保護用カラーだった。もう使わないし、荷物になるし、捨てておいて下さい、とお願いしたのだった。しかしダメ、多分廃棄分類に該当がないのかも知れない。
仕方なく、看護師さんに手提げ袋を貰い、スゴスゴと提げて帰ることになった。
1階の会計で請求書をもらい、支払機でそれを読ませ、カードを入れると、いとも簡単に支払いは済んだ。入院費は3割負担で7万程だった。
3食付きの10日で7万、これは高いのか安いのか、生まれて初めての入院だったので、ワタクシにはよく判らない。
信大病院を出たのは10時過ぎ、取りあえずは松本駅に行くことになるが、バスは数十分待ち。仕方なくタクシーに乗ったが、松本駅の大糸線は約50分待ち。タクシーはナンの時間稼ぎにもならなかった。
11時20分発の南小谷行きに乗り、白馬着は13時。
駅前のそば屋で何年振りかの外食。
栂池行きのシャトルバス探したが、直ぐにはない様子。またタクシーに乗る。
定宿の少し手前で降りて、全く雪のなくなった栂池の街を歩き、10日振りに宿に戻る。
夜は10日振りに酒を呑み、入院前のペースで過ごし、ホッとした。
3/14、11日振りに安曇野へ着き、屋根の雪を下ろし、再度ホッとした。