蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

今年の雪山のオモロいハクジン達

2013-04-20 21:43:36 | 山とスキーでブラブラ

20歳代の頃、スキー場のリフトは一人乗りの遅いヤツで、リフト乗り場にはズラーッと人が並んでいて、大混雑だった。安月給で自由に使える車などなく、信州は夜行列車で行く所だった。

その後、2人乗り、4人乗りの高速リフトが出来て、ゴンドラは6人乗り。
バブル期、ほとんどの若者がスキー場に押し寄せて、これら高速リフトはドンドン人を運んだそうだか、その頃の大賑わいの様子は知らない。
バブルとその後の失われた10年は、ひたすら中四国地方を特殊機械の営業で動き廻っていて、ゲレンデスキーをする余裕などなかった。

5年前、会社を早期退職し信州・雪山通いを始めたが、スキー場は混雑も賑わいもなかった。お客サンは最盛期の1/3に減り、スキーは儲からない商売になっていた。

そして、ガラガラの雪山には、栂池のゲレンデでも天狗原へ登っても、特に1月から2月はハクジンばかり。時々ワタクシを含めた年配のニホンジンがいて、たまぁ~に若者がいた。

012 (09.3.30.の自然園)

そのハクジンも2年前の3月、フクシマ原発が地震と津波で破壊されると、放射能を怖がってアッと言う間に消えてしまった。核アレルギーは、原爆で数十万人がコロされたニホンジンにこそあるのだ、と思っていたワタクシは驚いた。

ガイジン、ハクジンがいなくなると白馬のスキー場は成り立たなくなる、どうするの今後(?)、と暗い雰囲気が漂っていた。そして昨年、ハクジンはほとんど見なかった。

しかし、今年は「以前ほどじゃないけど、戻って来たみたい、ウチには関係ないけど」、と定宿の主人は言っていた。

ウチには関係ない(?)、ハクジンは戻って来ても皆さん、白馬のガイジン専用の(?)リゾートホテルに泊られるそうで、栂池の昔からの民宿文化、我が定宿とは縁がないらしい。

確かに2年前のレベルかどうかは別にして、今年ハクジンはよく見た。
立入禁止エリアにドンドン入っていく後ろ姿は、相変わらずだった。
「でもチャンとビーコン持ってるンですよ」、パトロールのオニイサンは呆れていた。

雪がシンシン降っている時でも、ゲレンデそばの雪崩危険エリアに、ビーコン携行で入っていくハクジン。最近はそう言う未圧雪エリアをカッコよく、“サイドカントリー”とも言うそうだ。
しかし、ビーコンは「ナダレ除け」の夢の機具ではない。雪崩に埋まった時、埋まった場所を知らせるだけ、多くは自分の死に場所を知らしているだけ。
肝心なのは雪崩に遭わない事、雪崩そうな場所には近付かない事なのだ。
狭い尾根沿いのコースの途中、立ち止まっているハクジングループ、その横でパトロールが立入禁止のロープを張り直していた。パトロールが立ち去るのを、そのグループが待っているのは明白だった。その日も雪がはげしく降っていた、あぁ、アホクサ。

しかし、ハクジンはルール違反のならず者ばかりではない。
小さい子供を連れたオトウサンとか、初心者コンビのボーダーがお互いをケアしながら滑っている様は、大柄のハクジンでもなかなか微笑ましかった。

そして、微笑ましいを通り越して大笑いしたグループもいた。

6人の青年グループ、当然身長は全員180cm以上。4人はボード、2人は超ファットのロッカーを履いている。仲良く楽しそうにワイワイやっていた。
リフト中間駅でそのグループが丁度前を、乗り場に向かって歩いていた。空のゴンドラが次から次、やって来る。
乗り場に向かって、スタスタスタと歩いて行ってスッと待たず乗れる。

そして彼らは、1台の空のゴンドラに仲良く、ス、ス、スッ~と乗り込んでいった。
超ファットのロッカーは外のスキーケースには納まらない。ボードと同様にカバーを被せてゴンドラに入れるしかない。
要は、ゴンドラ1台に大柄のハクジン6人とボード4枚、ファットの板2ペアが押しこまれていった。ド、ド、ドッと。

ゴンドラ乗り場の案内係は顔見知りのオニイチャン、苦笑していた。当然、2組に別れて乗ると思っていた。「別々に乗ればイイのにねェ」

その次のゴンドラに乗って前を見ると、都会の満員電車の様だった。ワタクシ、ゆったりのゴンドの中で一人、大笑いした。

その上でも彼らはモタモタして、リフトを止めようとした。まるでスラップスティック喜劇(?)、イヤそこまでドタバタしていないか。
しかし、身長180cm以上のハクジン青年。ヤマトナデシコのほぼ全員は「キャー」と騒ぎたてる程のイケメン。それがこの喜劇。

ハクジンが変に近い存在に感じた。背の高さは届かないし、英語も喋られへンけど。

049(13.1.16.天狗原から滑り降りて振り返る、1月なのでまだ灌木は埋まっていない)