蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

専業主婦も当然、林住期に突入することを感じた映画

2014-09-30 23:45:41 | 一人ブラブラ

先々週金曜日は、久しぶりに三ノ宮へお出かけし、朝日ホールの市民映画劇場9月例会で観たのは、’10年のアルゼンチンの作品、「幸せパズル」。

ワタクシ、知りませんでしたが、アルゼンチンは米国主導の新自由主義政策の結果、’01年に財政破綻し、アルゼンチン国債保有者の93%に7割の債務削減を合意してもらい、新自由主義経済から転換、再建中だったが、今年6月、債務削減を拒否した7%のハゲタカファンドの国債の支払い請求を、ナント米最高裁が認め、それは要するに、ハゲタカファンドにアルゼンチン政府が8.3憶ドル払えというエゲツナイ判決で、アルゼンチン政府は国家主権を侵害したと言う事で、米政府を国際司法裁判所に訴えているそうです。

ホントにハゲタカファンドと言うか米国の金持ちの強欲さには呆れます。
そもそもオマエらが新自由主義経済を持ちこんで破たんさせたンやろがぁ、と言うアルゼンチンの怒り、叫びが聞こえてきそうです。

しかし、ワタクシのアルゼンチンのイメージは、そんなハゲタカファンドの強欲な攻撃や、またサッカーのマラドーナやメッシでもなく、タンゴのアルゼンチン。

あの独特のリズムと悲しげなバンドネオンの音色を始めて聞いたのは、叔母が住み込みでオハリコをしていた、三ノ宮近くの北向きの洋装店の一室、日曜日の朝のラジオだった。

その時聞いたダンゴのタイトルが、“エル・チョクロ”、“カミニート”、“アディオス・カムーチョス”などと知ったのは、色んなレコードを自分で買い集めていた頃。
アルゼンチン隣国のチリでは人民戦線政府を、ピノチェトが踏みにじり、軍事独裁政権が新自由主義政策を進めていた頃。
また、別の隣国ブラジルでも、軍事政権の弾圧を逃れナラ・レオンはパリに亡命していたりして、要は一昔前、南米の多くの国は背後に米国、CIAが暗躍した軍事政権の新自由主義経済。

しかし結局、ほとんどの人達はそれに恩恵を受けず、近年、民主的に反米、反自由主義の中道左派政権になったそうで、それはホンマにエエことだと、真底からワタクシはそう思います。

で、新自由主義とオサラバしたアルゼンチンのこの映画は、どんな感じのモノなのか。

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シーンは、主人公の専業主婦が小麦粉を練っているところから始まる。パックではバンドネオン伴奏のタンゴらしき音楽が流れている。

これは何かのパーティの準備の様子、彼女は続いて数々の豪華な料理を一人で作り、パーティに呼ばれた息子の彼女が、給仕を手伝おうとするのも断り、かなり大勢が集まったパーティ全てを一人でこなし、最後にケーキのローソクを自分で吹き消すシーンで、これが専業主婦自身の誕生パーティだと判る。

パーティが終わり静かになって、彼女はプレゼントの中に叔母サンから贈られたジグゾーパズルを見つけ、それにはまっていき、叔母サンにどこで買ったかを訊き、その店を訪ねると、そこで世界大会でのパートナー募集の貼り紙を見つける。

2人一組でジグゾーパズルの大会があると知り、パートナー募集をしている住所へ行くと、そこは通りに面した重厚な建物。
かなり裕福そうなオヤジが独りで住んでいて、女中がいて、トワイニングの缶を何種類もストックしている。

ジグゾーパズル完成の速さを競う大会があり、決勝はドイツで行うとかの説明をそのオヤジから聞き、そのパートナーとして参加すべくトレーニングを始める。それがポスターのシーン。

楽しそうに一緒にやっているのはダンナではない、ナンか奇妙な感じ。
このオヤジ、一見インテリの紳士そうだが、下心と言うかナンか危険な香りを感じるのは、ワタクシがエロいせい(?)

家事を完璧にこなし、ダンナとも仲良く夜を過ごす、まさに良妻賢母のこの主婦は、やがて叔母サンの介護をするとウソをつき、このオヤジとのトレーニングのため、家を空け続ける。

家では長男(?)は家業を継がないと言い出し、2人の息子たちの将来の為に別荘を売ろうともするが、長男は独り暮らしを始め、次男は彼女とそのお金で世界一周旅行をすると言い出すが、しかしジグゾーパズルにのめり込んだ主婦は、そんな息子達の動きにも興味を示さなくなり、遂に家事もサボり始める。今まで彼女に任せっきりだった家事を、ダンナと息子達は混乱しつつもやるしかない。

彼女は自分のパズルやり方が本来のやり方と違うと気付くが、このパートナーは彼女の自己流を続けさせ、やがて2人はアルゼンチンでの大会で優勝する。

優勝カップを手にしはしゃぎながらオヤジの豪邸へ戻って来た2人は、乾杯の後更に呑み続け、遂にエロい関係を持ってしまう。

しかし主婦は、アナタとはドイツには行かない、と告げ、パートナーは優勝商品のドイツへの航空券を彼女に渡す。主婦は換金も出来る航空券を箱に入れ、棚に仕舞う。

そして草原に座り込んで一人リンゴをかじる主婦が映し出され、バンドネオンが伴奏の女性の歌が流れ、エンドロールになる。

近くにはダンナも息子達も、ジグソーパズルのパートナーもいない。彼女は実にシッカリ、堂々としている。

草原に一人で、実にシッカリ、堂々と座っている専業主婦の姿は、家族の食事、家事全般を完璧に支えた彼女が、ジグソーパズルをキッカケに「林住期」に突入した、と言うコトを表しているのかも知れない、と感じた。

懸命に働き、稼ぎ、税金、年金を払い、家を建て、子供を育て上げた後の、人生の4分の3期目は、社会、家族から離れ、“林”の中で一人で生きる、と言う「林住期」は、決して男だけのモノではない。
完璧に懸命に、家事、育児をこなし、家族の生活全般を支えた専業主婦の労働は、オヤジの労働と同量のモノであり、当然彼女らの「家住期」の後にも、「林住期」は来るはずだ。

オンナは家にいて家事をしておればよい、と言う考えが批判され、女性の社会進出が重視されている昨今でありますが、ワタクシはむしろ、オカアサンには子供達をチャンと育ててもらうため、家にいて家事をしてもらい、オヤジはそんな生活を維持するため、社会に出て稼ぐモノだ、と思います。

社会に出て稼ぐとは、主にモノを作って売る、と言うことであり、それは男の方がフィジカル面でも有効だし、逆に子育てはやはり、ニンゲンを生んだ女性の方が得意だと思う。

しかし近年、モノは余るほどあるし、製造業の多くは人件費が安い海外に工場があるし、もうモノを作る職場など、この国にはなくなっていくのかも知れず、反面、介護とかサービスの仕事が増えて、そうなると女性の社会進出はアリかも知れない。

ただ、そんなサービスの仕事では、なにも生産しない訳で、こんなンが産業と言うか、女性の社会進出になるのか、と言う気もする。

とは言え、この国の政治にはむしろ女性は、ドンドン進出すべきでしょう。
そして女性となると、下半身しか思い浮かばない様な、古いお殿さま感覚のドアホオヤジを、まずこの国の政治から駆逐しないと、民主的に反米、反自由主義に転換し、格差も減ったらしい南米諸国の政治レベルには追い付かない、そう思いますけどねぇ。

しかし、少子化を議会で発言する女性議員に、セクハラヤジが飛ぶ騒動がしばしばある昨今、そもそも少子化を政治レベルで解消できるのだろうか。

ワタクシの叔母は、一度も結婚せず、子供も産まず、今は高級老人ホームで胃ろうを受けながら生かされている。ワタクシの気持ちはもうホトケさんになったと思っている。

叔母の様な生き方は男性も含めて、今後も増えて行く様な気がする。若い頃からこの映画の主人公の様に、一人で草原でリンゴをかじっていく生き方だっていいのだ。


’01年、営業所を閉めた後の広島の9.11.

2014-09-18 23:06:31 | 駆け抜けた一回性の記憶

7年前まで勤めていた特殊機械メーカーでは、15年近く広島、愛媛エリアを営業担当していた。
前任者からの引き継ぎで、広島駅の高架下の駐車場に車を置いて、新幹線で広島へ着いたら、その車に乗り換え、西は宇部まで、南はフェリーで松山へ渡り宇和島まで、ほぼ毎週、通っていた。

その前の3年弱は横浜、川崎の担当、チョット腹の足しにする立ち喰いウドンの黒い出汁には、度々参っていたが、広島は関西と同じ澄んだ出汁。
そして、広島駅構内のウドン屋のカウンターで、隣に立ったオジサンが、「オバちゃん、ワシゃ~、ムスビも貰おうかいのうォ」と、言っているのを聞いて、初めて広島にいると認識した。

ワタクシが担当になってから、広島駅の高架下に置いていた車の稼働率は上がったそうだ。
「そんな毎週、行く用事ありますぅ?、前のMサンの時は月イチ、せいぜい月ニやったのに」、年下の同僚はそう呆れ気味に感心していた。

確かにそれほど毎週、具体的な引き合いがあった訳ではない。しかし、カタログ依頼は直接広報へ入って来て、自動的に発送される。
そう言うのを追いかけるのも営業の仕事であり、アポを取ると、取りあえずお話ししましょ、と言うお客さんはそこそこあって、結局、用事は毎週あった。
ただし、行ってお話しして直ぐ「買いましょ」、などと言うオイシイ話は全くない、と言ってよかった。

全国規模の商社の中国支店長から、「中国5県でニホンのたった5%ですよ、まぁそんなモンです」と、言われていた。
地元で手広くやっている商社の部長は、「東京で景気が良うなったと言われて、5年後にこの辺は良うなり、5年早よう悪なってしまうンじゃけェ」と、言っていた。
「ほんなら、景気のエエ時てありませんやン」
「まぁそうなモンじゃけェ、そう思わンとやれんよゥ、この辺は」

時代はバブルから失われた十年に移りかけた頃。
そもそも特殊機械、そんなに売れるモンでもない、横浜、川崎エリアでもそうだった、まぁそう言うモン。

しかし、毎週通った分の営業的成果はそれなりに上がっていたと思う。

その後、ワタクシから引き継いだ若いノも、同様に毎週、広島に通っていた。ワタクシは彼の管理者として、また製紙業界の担当として広島エリアに関わった。

「そんな毎週、通とんねンやったら、そろそろ広島に出そかァ」、上司である営業のTOPは、以前から広島営業所設立を俎上に載せていたが、遂にそれを具体化しようとした。

しかしワタクシも若いノも、広島営業所の必要性はあまり感じず、乗り気ではなかった。そして若いノは、別の事情で会社を辞めてしまった。

すると営業TOPは次の若いノに、広島営業所設立を言い含めて送りこんできた。

その若いノは神戸っ子、営業TOPと同じ大学の同じ法学部卒、確かバトミントン部の副主将で、某中堅証券会社に内定していたが、上手く言いくるめて雇い入れたらしい。彼は営業TOPから三顧の礼をもってスカウトされた、と思い込んでいた。

意気揚々と彼が広島へ通い始めて直ぐ、あの大震災が起きた。
営業TOPはニヤッと笑って、「もう神戸はアカンなぁ、早目に広島の準備しよかぁ」と、言った。その表情は何か卑しかった。

とは言え、1年程は何も進まないまま過ぎ、その若いノはその間に、派遣の女性と社内不倫の挙句、不倫相手を選択、ヨメハンとは離婚する、と言い出した。
当然彼はクビになると思った。同時に広島営業所設立はまた遠のいた、と思った。

しかし、営業TOPは彼に、「ヨメハンと別れたかったら、まず別居の事実を作れ、その為にはその女を連れて広島に住め、金は会社が出したる、営業所が出来るまで広島の家から逆出張せえ、パソコン置いて見積位は出来る様にもしたる」、と告げた。
これは彼の不倫、離婚を会社が援助したことにもなる。営業TOPはスゴイ事を考えたモンだ。

彼は会社に置いてくれ、と頼んだ訳ではない。むしろ広島へは行きたくない、会社も辞めたい、と言っていた。
ところが営業TOPは、彼を辞めさせず、広島に住ませ、正式な営業所が出来るまで、自宅兼営業所を作ろうとしたワケだ。

営業TOPがここまで広島営業所にこだわる理由は、いくつかあった様に思う。また、彼に対する罰的要素もあったと思う。
ワタクシは只ただ、この営業TOPの異様な“業”のようなものを感じるだけだった。

2年後遂に、平和大通りに面したビルに広島営業所はスタートした。

しかし3年もたなかった。

それは営業所として機能しなかったからではない。それなりに成果はあり、広島で採用したアシスタントの女性も、懸命に支えてくれていた。

しかしその若いノは、営業所が出来た後も次々と問題を起こし、売上数字も上げれず、結局このまま続けても、将来営業所を任せられない、つまり後継者がいないからヤメ、と言うのが営業TOPの結論だった。

広島営業所は2000年末でオシマイ、’01年から若いノは更に神戸から遠い九州へ、ワタクシは大阪に席を置くようになった。

広島へ進出した我々を大々的に歓迎し、色々と協力してくれた地元の商社は、ワタクシが大阪へ栄転したと思ったらしい。
しかし、実際は大阪所属のタダの売り子。

ワタクシは自分の地位、肩書より、アシスタントの女性を失業者にしてしまったコトを悔やんでいだ。

悔みながら、相変わらず広島に通っていた。

8ヶ月が経ち、9.11.の昼過ぎ、大阪のアシスタントから連絡があった。

彼女も中々優秀で、魅力的、広島のお客さんからも好かれ始めた頃だった。
内容は、広島の修理業者から部品の見積もり依頼があったが、調べるとそれは下水処理場に納められてまだ1年も経っていない機械の部品で、普通の処理をしてイイのか、という相談だった。

確かにその年、10台以上の機械が、マツダの工場のそばにある下水処理場に、大手プラントメーカーの設備に組み込まれ納められていた。その試運転でチョット様子を見て欲しいと頼まれ、数ヶ月前に立ち会ったコトがある。

通常、そう言う設備は、プラントメーカーに2年の瑕疵担保期間が設けられているので、まだ数ヶ月しかたっていない時点で、消耗部品の見積もり依頼が、地元の修理業者からあるのは不自然だ。
2年分の予備品だって同時に納めている、。それはどうなっているのか。

瑕疵担保期間中はプラントメーカーの指示に従うのが常識であり、また沢山売って頂いている、お世話になっている、という面でも、プラントメーカーは地元の業者の比ではない。
とにかくプラントメーカーからの下水処理場向け売上規模は大きく、彼らからの指示は絶大だった。

そもそもこの修理業者は、広島エリアの修理代理業の1社としてアップしていたが、今回見積依頼してきたKBと言う担当者は、行儀が悪いと言うか何かにつけ強引だった。
瑕疵担保期間中はプラントメーカーに遠慮すべき、多くの修理業者もそうわきまえていた。しかし、このKBという男はそうではなかった。

こんな男に常識の話しをしてもムダ、気分を害するだけだ。
取りあえずそのプラントメーカーの担当である名古屋営業所のK君に状況を確認して、「瑕疵担保期間中なのでこの見積は差し控えたい」、と書いてKBにFAXする様、そのアシスタントにお願いした。

数時間後、彼女から、「あの後、Kさんに確認して、言われる様にFAXしたンですが、処理場の人から直接電話あって、エライ怒っておられて、名古屋のKサンに取りあえず連絡したンですが ・ ・ ・ 」と、連絡があった。
直ぐ名古屋のK君に連絡した。
「ハイ、こっちから連絡しようと思っていたら、フクヤマ?いやフクハラって言う人から電話あって、エライ怒ってはって、とにかくウチは広島のM技研から買うんじゃ、って言うてました、M技研ってウチの修理代理店でしょ、あの処理場となんかヘンな関係でもあるンですかねぇ」、とオロオロしていた。

丁度、マツダの大きな工場で打ち合わせを済ませたところだった。その下水処理場は、マツダの工場の一角とも思える場所にあった。要するに眼と鼻の先。
怒っているお客サンには、まず謝らないといけない。
気が進まなかったが、エライ怒っているフクハラとか言う人物に、取りあえず“お詫び”に行った。

その下水処理場へは以前何度か挨拶には行っていた。しかしフクハラとか言う人物は知らなかった。
面会すると確かにエライ怒っていて、名刺はくれなかった。

ワタクシが謝ろうとする前に、フクハラと言われる人物は、「これはどう言うコトですかいのぅ」と、1枚の紙を差し出した。
それは、大阪のアシスタントがFAXした、M技研のKB宛ての文書だった。ワタクシが指示した通り、「瑕疵担保期間中なのでこの見積は差し控えたい」、と書いてあった。

「イヤまだアレ、保証期間中でしたよねぇ」
「そんなコトは、アンタらには関係ないじゃろう、こっちはMから買うと言うとンじゃ、Mはオタクの代理店じゃろう、ちゃうんか」
「エエ、確かに代理店の一つですが」

保証期間中でも有償で部品を買う事にした、不自然だがその意向は判った。M技研のKBがお行儀の悪いコトをした訳ではなかった。
しかし小さな部品の1コや2コではなかった。金額にして数十万、それをM技研を指定して購入すると言っている。

これまで、処理場等と直接打ち合わせするコトは何度かあった。特殊機械なので、彼らが知らないコトは多い。そう言うコトを教えながらスペックを決めて行く。
つまりそれで決まれば、他のメーカーが採用される事はまずありえないワケで、これはこちらにとっては非常にアリガタイ状況なのだ。
しかし、イザ購入となると、必ず工事業者を介しての入札となる。そこにメーカー指定はない。
最終的には、業者同士が上手く話しあって、それまでの打ち合わせを無にするコトはないのだが、必ず入札は行われる。それは役所がモノを買うときの常識。

それなのに、今回は数十万の物品を業者を指定して買うと言っている。これは一体どういう事か。

その時、フッと気がついた。M技研に宛てたウチの文書そのものを、フクハラと言われる人物が持っている、ナンデ?。

フクハラと言われる人物が、「Mとは、長い付き合いじゃけェ」と、言った後、ワタクシは「よく判りました」と応じ、「ところで、ナンデそれをお持ちなンですか?それウチがM技研に宛てたモノですよねぇ」、とその文書を差して訊いた。

それまで威勢よく怒っていたこの男は少しうろたえ、「イ、イヤ、これは燃やしましょ」、と言って灰皿の上で、その文書にライターで火を付けた。
処理場の打ち合わせ室で、それはボォ~ッと燃え、やがて灰になった。その光景は異様だった。

そしてその後、フクハラなる男は急に紳士的になり、「色々、キツイ事を言いまして、スイマセンでした」、と言った。

「またよろしくお願いします」、ワタクシはそう挨拶して処理場を出た。

大阪のアシスタントに、今回は普通に見積処理をして下さい、と連絡を入れたら17時を廻っていた。

ワタクシはもうどこにも寄らず、前年広島営業所があったビルの近くのホテルにチェックインした。
’01.9.11.のTVは、繰り返し、イスラム過激派にハイジャックされた米旅客機が、ニューヨークの高層ビルへ激突する様子を映し出していた。
ウォ~ッ、スゴイ、これは世界一の軍事力大国を、イスラムが、その富の象徴を標的に攻撃した、と言う事なのか。それにしてもスゴイ。

そしてTVの画面を見ながら、あのフクハラなる男も、何かスゴイ状態をワタクシに見せつけたような気がした。

役所との売り買いの中で、癒着とか談合があってはならない。
しかし、実際には平常的に行われているようで、それは多分“オトナの流儀”みたいなものやっていて、誰も問題にはしないのだろう。
何かのキッカケで処理場と業者の関係が深まり、あちこちで縄張りみたいなものが出来て、イザ入札となると業者間で話し合いして縄張りは守られる。つまり癒着と談合は暗黙の了解なのだ。

しかしその日、あのフクハラと言われるオトコは、癒着を意味する事をハッキリと言い、その証拠とも言えるあの紙を、ワタクシの目の前で燃やした。それはスゴイ光景だった。そこにはオトナの流儀も暗黙の了解もなかった。

大体ナゼ彼は、そこまでして保証期間中の消耗部品を入手したかったのだろう。保証期間中なら、一種のクレームとしてまずプラントメーカーに言えばイイはずだ。

そのワケは、その後ウワサとしてアチコチから聞こえてきた。

要するにフクハラなる男は、その処理場に来る前に、下水道局の計画部署にいて、この設備を設計したらしいが、処理量を少ない方に間違った為、実際動かしてみると過負荷状態で運転することになり、予備品は直ぐ使い切り、しばらくはプラントメーカーに無理を言ってサービスさせていたが、それももう限界となり、自らが購入すべき事態になった、と言うコトらしい。

しかし、しょっちゅう部品を取り替えながら運転するなんぞ、いつまでも続かないはずだ。

結局どうしたのか、まぁどうでもイイ、関わりたくもない。

そしてその年末、広島とは縁を切ることになった。

あの9.11.から13年経った。

そして先月、広島ではスゴイ豪雨によるスゴイ土石流で70人以上の人が亡くなった。
確か、あのM技研のKBと言う男は、安佐南区八木に住んでいたはずだ。妻子はなく独り暮らしだと聞いていた。
幸い、ネットに出ていた犠牲者の中に彼の名はなかった。

またアメリカはあの後、アフガニスタンとイラクで大義無き戦争をして、米兵は七千人程戦死し、帰還兵の自殺者も13年目の今年、七千人になった、と何かの雑誌に載っていた。

世界のスゴイ現実は続いている。


震災後に国文学者が見たニホンジンの心の内奥にひそむおそろしさ

2014-09-11 10:59:06 | 朽ちゆく草の想い

数時間の豪雨が広島に大災害を与えた8月20日の朝刊に、国連の人種差別撤廃委員会が、この国で今ハヤリ(?)のヘイトスピーチ、つまり人種差別的街宣活動への懸念を表明、その様な行為に関与した個人、団体を捜査し場合によっては起訴するよう勧告した、との記事が載っていた。

人種差別的な暴力行為や嫌悪をあおる行為が捜査、起訴されていないコトを懸念し、更にそれらに関わった政治家、公人に対しても制裁を求めた、とのこと。
また、7月には国連人権規約委員会からも、差別をあおる全ての宣伝活動禁止が勧告されたそうだ。

ワタクシは幸い、そんなレイシストのデモに遭遇したことはありませんが、どうも「〇☓人は出て行けぇ~ッ!!!」とか、「〇☓人をコロせぇ~ッ!!!」とか叫んでいるそうで、「出て行けぇ~ッ」ならチョット幼稚な嫌悪の現れの様な気もするが、「コロせぇ~ッ」はかなりエゲツナイ。芝居などの喧嘩シーンでガラの悪いノが叫ぶ、「ワレ、コロしたろかァ~」とはかなり異様なレベルの凶々しさ。
ところで、ワタクシも学生の頃、「アメリカ軍はベトナムから出て行けぇ~ッ!!!」とか、「オキナワから出て行けぇ~ッ!!!」とは叫んでましたが、「米兵をコロせぇ~ッ」などと、言ったコトありません、念のため。

国連はそう言う行為に、捜査、起訴を勧告している。つまりこれは犯罪と言うコト(?)。
国連にそうさせているのは国際世論でもある。
つまり国際的には、この国で今ハヤリ(?)のヘイトスピーチは犯罪と言うコト(?)。

それから10日程経ち、広島土砂災害の死者、不明者74名の身元がハッキリしたと言うニュースが出て、9月1日は防災の日。

大災害があったばかりの防災の日、今年は関東大震災が起きてから91年目になるらしい。

そう言えば昨年、つまり90年目に合わせたのかどうか、“文豪たちの関東大震災体験記”と言う新書が出ていた。

関東大震災を体験した作家らが新聞、雑誌などで発表した文章を集めたもので、ラジオ、テレビがない時代の、被災者の姿を生々しく伝える貴重な記録、となっている。

大地震で破壊され、その後の火災で燃え崩れる帝都の様子や、その中を逃げ惑う被災者の様子、家族との再会の様子、家族に無事を知らせる苦労とかが次々と出てくるが、終わりの方で、“流言蜚語・虐殺”という章で出てくる。

昔、関東で大きな地震があり10数万人が亡くなった、メシ時で多くの家が火を熾していたので火事になって、多くの人が焼け死んだ、との話を始めて聞いたのは、大正10年生まれのオフクロからだった。
当時オフクロは2歳で多分、広島にいたと思う。テレビやラジオがない時代とはいえ、文明開化後の大地震、それは広島にも直ぐ伝わり、大人達からその恐ろしさを聞いていたのだろう。

しかしその時、混乱に乗じて社会主義者や朝鮮人が暴動を起こそうとしているとか、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ、とのデマが流され、自警団、青年団により多くの朝鮮人がコロされたコトは、広島地方の一般市民にまで伝わっていたかどうかは知らない。

ワタクシがその虐殺を知ったのは、オフクロから地震のスゴイ話しだけを聞いてから10年以上後で、当然フツーの歴史の授業ではなかった。

自警団は朝鮮人の居所を隈なく捜してはコロし、警察は労働争議に関わった社会主義者達を逮捕してコロし、憲兵隊は大杉栄とその家族を拉致しコロしたらしい。
確か、四国から来ていた行商の家族も自警団にコロされたとか。
そんなコトが色んな雑誌や本に載っていた。

ウソかマコトかその数、ン千人(?)、ナントまぁエゲツナイ。

そして文豪達はその様子を書き残していた。しかし、多くは伏字になっているそうだ。

芥川龍之介と鎌倉で遊んだ久米正雄と言う作家は、朝鮮人がいたら自衛でなくても誰でも殺ってしまえ、と青年団が言っているのを聞いたそうだ。

志賀直哉は、朝鮮人がいたので日本刀を持って追いかけたら朝鮮人ではなかったが、こう言う時でないと人は殺せないと思いやっちゃったよ、と若者が笑って言っているのを聞いたそうだ。
しかし、自身も平常心を失っていて、気楽に聞いていたとか。

歌人で国文学者の折口信夫は、この残虐極まりない様子を詩にして、この時に見た「ニホンジンの心の内奥にひそむおそろしさ」を告発したそうだ。

チョンマゲを結って、腰に刀を差していたのはこの震災の数10年前だから(?)、多くの家に日本刀はあったのだろうか。それにしても、こう言う時でないと人は殺せない、とはホントにおそろしい。

今後もまた、首都直下型とか南海トラフとか、デカイ地震が起こる、と色んな人が言っている。

その時にはもう、関東大震災の時のような、大規模の虐殺は起こらない、とは思う。
ほとんどの家に日本刀はないはずだし、男は草食になっているし、国際世論は黙ってないし。

しかし、今はヘイトスピーチのグループがいる。最近は肉食の(?)愛国女性も多いらしい。
折口信夫が大震災時に見た「ニホンジンの心の内奥にひそむおそろしさ」とは、そんなグループに引き継がれているのかも知れない。

そんな「おそろしさ」に対する「防災」はどうするのか。国連から勧告されないと何も出来ないのか。

小学校、中学校の同級生にはキム君が何人かいた。通学路にあった豪邸にはキムの表札が掛っていた。
学校を卒業して就職した会社の工場は大阪の今里にあり、社員の多くは在日だった。同期のアライ君も在日だった。
オヤジの車に当て逃げし、修理代の支払いをゴネたマツシマと名乗る若者も在日だった。
近所の市住には、幼い頃市電に轢かれ両手を失った息子を持つ、済州島出身の老婆がいる。

要するにワタクシの周りには、良いノ、悪いノ、金持ち、ビンボー人、いろんな在日がフツーいる。
当然そんな在日の人達に憎しみはないし、その存在に問題があるとは思わない。
多分フツーのニホンジンも、在日の存在に、何の問題も感じていないとは思いますけど。

ところで、虐殺のキッカケとなるデマは、警察が流したモノで、この時の警視庁のエライさんは、その後読売新聞の社長になり、A級戦犯で逮捕され不起訴になった後、CIAの協力者となり、原子力委員会の初代委員長にもなり、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に送られる賞の名にもなっている人物だそうだ。
よみうり巨人軍も、まぁ、トンデモナイ人物によって作られたモンだ。