先々週金曜日は、久しぶりに三ノ宮へお出かけし、朝日ホールの市民映画劇場9月例会で観たのは、’10年のアルゼンチンの作品、「幸せパズル」。
ワタクシ、知りませんでしたが、アルゼンチンは米国主導の新自由主義政策の結果、’01年に財政破綻し、アルゼンチン国債保有者の93%に7割の債務削減を合意してもらい、新自由主義経済から転換、再建中だったが、今年6月、債務削減を拒否した7%のハゲタカファンドの国債の支払い請求を、ナント米最高裁が認め、それは要するに、ハゲタカファンドにアルゼンチン政府が8.3憶ドル払えというエゲツナイ判決で、アルゼンチン政府は国家主権を侵害したと言う事で、米政府を国際司法裁判所に訴えているそうです。
ホントにハゲタカファンドと言うか米国の金持ちの強欲さには呆れます。
そもそもオマエらが新自由主義経済を持ちこんで破たんさせたンやろがぁ、と言うアルゼンチンの怒り、叫びが聞こえてきそうです。
しかし、ワタクシのアルゼンチンのイメージは、そんなハゲタカファンドの強欲な攻撃や、またサッカーのマラドーナやメッシでもなく、タンゴのアルゼンチン。
あの独特のリズムと悲しげなバンドネオンの音色を始めて聞いたのは、叔母が住み込みでオハリコをしていた、三ノ宮近くの北向きの洋装店の一室、日曜日の朝のラジオだった。
その時聞いたダンゴのタイトルが、“エル・チョクロ”、“カミニート”、“アディオス・カムーチョス”などと知ったのは、色んなレコードを自分で買い集めていた頃。
アルゼンチン隣国のチリでは人民戦線政府を、ピノチェトが踏みにじり、軍事独裁政権が新自由主義政策を進めていた頃。
また、別の隣国ブラジルでも、軍事政権の弾圧を逃れナラ・レオンはパリに亡命していたりして、要は一昔前、南米の多くの国は背後に米国、CIAが暗躍した軍事政権の新自由主義経済。
しかし結局、ほとんどの人達はそれに恩恵を受けず、近年、民主的に反米、反自由主義の中道左派政権になったそうで、それはホンマにエエことだと、真底からワタクシはそう思います。
で、新自由主義とオサラバしたアルゼンチンのこの映画は、どんな感じのモノなのか。
シーンは、主人公の専業主婦が小麦粉を練っているところから始まる。パックではバンドネオン伴奏のタンゴらしき音楽が流れている。
これは何かのパーティの準備の様子、彼女は続いて数々の豪華な料理を一人で作り、パーティに呼ばれた息子の彼女が、給仕を手伝おうとするのも断り、かなり大勢が集まったパーティ全てを一人でこなし、最後にケーキのローソクを自分で吹き消すシーンで、これが専業主婦自身の誕生パーティだと判る。
パーティが終わり静かになって、彼女はプレゼントの中に叔母サンから贈られたジグゾーパズルを見つけ、それにはまっていき、叔母サンにどこで買ったかを訊き、その店を訪ねると、そこで世界大会でのパートナー募集の貼り紙を見つける。
2人一組でジグゾーパズルの大会があると知り、パートナー募集をしている住所へ行くと、そこは通りに面した重厚な建物。
かなり裕福そうなオヤジが独りで住んでいて、女中がいて、トワイニングの缶を何種類もストックしている。
ジグゾーパズル完成の速さを競う大会があり、決勝はドイツで行うとかの説明をそのオヤジから聞き、そのパートナーとして参加すべくトレーニングを始める。それがポスターのシーン。
楽しそうに一緒にやっているのはダンナではない、ナンか奇妙な感じ。
このオヤジ、一見インテリの紳士そうだが、下心と言うかナンか危険な香りを感じるのは、ワタクシがエロいせい(?)
家事を完璧にこなし、ダンナとも仲良く夜を過ごす、まさに良妻賢母のこの主婦は、やがて叔母サンの介護をするとウソをつき、このオヤジとのトレーニングのため、家を空け続ける。
家では長男(?)は家業を継がないと言い出し、2人の息子たちの将来の為に別荘を売ろうともするが、長男は独り暮らしを始め、次男は彼女とそのお金で世界一周旅行をすると言い出すが、しかしジグゾーパズルにのめり込んだ主婦は、そんな息子達の動きにも興味を示さなくなり、遂に家事もサボり始める。今まで彼女に任せっきりだった家事を、ダンナと息子達は混乱しつつもやるしかない。
彼女は自分のパズルやり方が本来のやり方と違うと気付くが、このパートナーは彼女の自己流を続けさせ、やがて2人はアルゼンチンでの大会で優勝する。
優勝カップを手にしはしゃぎながらオヤジの豪邸へ戻って来た2人は、乾杯の後更に呑み続け、遂にエロい関係を持ってしまう。
しかし主婦は、アナタとはドイツには行かない、と告げ、パートナーは優勝商品のドイツへの航空券を彼女に渡す。主婦は換金も出来る航空券を箱に入れ、棚に仕舞う。
そして草原に座り込んで一人リンゴをかじる主婦が映し出され、バンドネオンが伴奏の女性の歌が流れ、エンドロールになる。
近くにはダンナも息子達も、ジグソーパズルのパートナーもいない。彼女は実にシッカリ、堂々としている。
草原に一人で、実にシッカリ、堂々と座っている専業主婦の姿は、家族の食事、家事全般を完璧に支えた彼女が、ジグソーパズルをキッカケに「林住期」に突入した、と言うコトを表しているのかも知れない、と感じた。
懸命に働き、稼ぎ、税金、年金を払い、家を建て、子供を育て上げた後の、人生の4分の3期目は、社会、家族から離れ、“林”の中で一人で生きる、と言う「林住期」は、決して男だけのモノではない。
完璧に懸命に、家事、育児をこなし、家族の生活全般を支えた専業主婦の労働は、オヤジの労働と同量のモノであり、当然彼女らの「家住期」の後にも、「林住期」は来るはずだ。
オンナは家にいて家事をしておればよい、と言う考えが批判され、女性の社会進出が重視されている昨今でありますが、ワタクシはむしろ、オカアサンには子供達をチャンと育ててもらうため、家にいて家事をしてもらい、オヤジはそんな生活を維持するため、社会に出て稼ぐモノだ、と思います。
社会に出て稼ぐとは、主にモノを作って売る、と言うことであり、それは男の方がフィジカル面でも有効だし、逆に子育てはやはり、ニンゲンを生んだ女性の方が得意だと思う。
しかし近年、モノは余るほどあるし、製造業の多くは人件費が安い海外に工場があるし、もうモノを作る職場など、この国にはなくなっていくのかも知れず、反面、介護とかサービスの仕事が増えて、そうなると女性の社会進出はアリかも知れない。
ただ、そんなサービスの仕事では、なにも生産しない訳で、こんなンが産業と言うか、女性の社会進出になるのか、と言う気もする。
とは言え、この国の政治にはむしろ女性は、ドンドン進出すべきでしょう。
そして女性となると、下半身しか思い浮かばない様な、古いお殿さま感覚のドアホオヤジを、まずこの国の政治から駆逐しないと、民主的に反米、反自由主義に転換し、格差も減ったらしい南米諸国の政治レベルには追い付かない、そう思いますけどねぇ。
しかし、少子化を議会で発言する女性議員に、セクハラヤジが飛ぶ騒動がしばしばある昨今、そもそも少子化を政治レベルで解消できるのだろうか。
ワタクシの叔母は、一度も結婚せず、子供も産まず、今は高級老人ホームで胃ろうを受けながら生かされている。ワタクシの気持ちはもうホトケさんになったと思っている。
叔母の様な生き方は男性も含めて、今後も増えて行く様な気がする。若い頃からこの映画の主人公の様に、一人で草原でリンゴをかじっていく生き方だっていいのだ。