安月給のサラリーマンになった頃、勤め先の先輩に連れられて毎週の様に通ったスナックは、狭い路地の奥にあった。
カウンターの中には、オシロイを数ミリほど塗ったのではないかと思われる、厚化粧のオバサンと、真っ赤な口紅の太った若い娘がいた。
先輩が何故、そんな“スゴイ”店の馴染になったのかは判らないが、とにかく安かった。そして、カウンターの中の若い娘と楽しそうに話していた。
ワタクシはどんな“スゴイ”店へ連れて行かれても、いつもふざけてはしゃいでいた。その店でも先輩に負けず、大声で笑い、騒いでいた
しかし、真夏、猛暑の中、その店に辿りつくには、熱風を浴びながらになる。
なぜなら、路地両側の、ズラ~っと並んだ呑み屋の室外機から、猛烈な排気熱が出ていたからだ。
そして、辿りついた奥の“スゴイ”店に入ると、中はキンキンに冷えていて、スーツを着たままでも寒い位だった。
どの店も、猛暑に対し必死で涼気を得ようとしていた。それはヒステリックに見えた。
当時ワタクシはまだ、布引谷・山の家に棲息していた。
呑んで騒いだ後、三ノ宮駅で先輩達と別れ、布引・新神戸までフラフラ歩く途中にも、所々に呑み屋、メシ屋があり、室外機からは熱風が吹きだしていた。
しかし、布引・新神戸から上には店は無い。住居もない。
外灯だけが、ポツポツと灯っているハイキングコースをゆっくり登って行く。帰るべき家へは、30分以上歩かないと到達しない。
夜のハイキングコースを、スーツ姿の男がひとり、それは異常な光景だったと思う。そう言う通勤生活を4年程やっていた。
布引から尾根沿いに10分程登ると展望台に着く。そこは布引の滝の雄滝の落ち口とほぼ同じ高さになる。ポートタワーよりも50m以上高いハズだ。
当時はまだ、眼下に目障りな高層ホテルはなく、繁華街の夜景がスッキリ見えた。直線距離にして2km離れていても、眠らない三ノ宮の熱気が伝わって来るようだった。
高度成長期は既に終わり、オイルショックを経て、時代は安定成長期に入っていたが、街はまだまだ熱気ムンムン、バブル期は更に10年先。
地球温暖化などと言う言葉はまだ無く、ニンゲンはヒタスラ豊かさと快適を求め、何十年もの間、狂乱の熱を発していたのだろう。
展望台で少し休憩すると、汗は直ぐにひいた。そこには心地よい涼風か吹いていた。ほんの数十分前とは大違い。自然の涼しさはありがたい。
と、言うより、熱風と言う副産物を吐きだしながら、人工的に涼しさを得ると言う行為は、なんと愚かなことか、と思った。
地球上のエネルギーは一定、と言う事は、どこかを冷やせば、どこかが暑くなる、アタリマエだ。
港町の夜景と、自然の涼風を独り占めしながらの通勤生活、これはある意味、スゴイ贅沢だったのかも知れない。
しかし、その数年後、ワタクシは布引谷を降りた。新しく出来る家族は、山の中での前近代的な生活など出来るワケがない。
布引谷を降りて住み着いたここは、垂水駅からも学園都市駅からも約4km離れた丘の上にある。しかも7階なので、風が通る。近年、布引谷・山の家周辺は、樹木が繁り過ぎた為、風が通らず、逆にここの方が涼しい時もあった。
人工的に涼しさを得ると言う行為は愚かしい、そんなワタクシのワガママなヘリクツで、この部屋には長い間エアコンが無かった。
しかし、家族にとってはたまったモンではない。エアコンはいつの間にか、勝手に取り付けられていた。
その後、“お独りさま”になれば、エアコンを動かす事はほとんどなかった。スイッチを入れるのは、梅雨の末期の湿気で雰囲気がネチャとした数日だけ。
ガスファンヒーターが壊れた時も暖房のボタンは押さず、登山用の厚手の靴下を履き、羽毛服を着てガマンした。
しかし、この数年の猛暑、酷暑、激暑(?)、部屋を通る風が暑い。扇風機を最強に廻しても、暑い風が吹くだけ。
ジッとしていてもジワッ~と汗が出る。頻繁にシャワーでそれを流す、その都度服を着るのも面倒だ。
外に出る気力は元々ない。ピンポンが鳴っても居留守、絶対出ない。
結局、部屋の中ではいつのまにかスッポンポン、“直立猿人”状態になっていた。これも“お独りさま”だから出来ること。
ただどうしても我慢出来ない夜は、切タイマーをセットして寝ることにしていた。
そして今年、エアコンが故障した。いや去年からだったかもしれない。
運転30分ほどで、本体の表示ランプが激しく点滅し、全く効かなくなる。扇風機同様、生ぬるい風が出るだけ。あ~あ。
よしッ、それなら我慢しよう。まだ扇風機は生きている。風が暑いだけだ。
熱中症で死ぬのならそれでもイイ。いつもの様に酔い潰れて気絶してそのまま眼が覚めないのなら、それでイイのだ。そう覚悟した。
とは言え、大体、暑過ぎるので、最近は酔い潰れても気絶しないけど。
戦前の不世出と言われた登山家、加藤文太郎が主人公の小説「孤高の人」の中に、ニンゲンは雪山でそのまま寝ても、凍え死ぬ前に必ず目覚めるものだ、そんなことが書いてあった。
四国で40℃を記録した翌日の夜明け前、あまりにも寝苦しくて眼が覚めた。暑過ぎて、熱中症で死ぬ前でも、ニンゲンは目覚めるものらしい。
この世の“苦”に戻ってきて、急にハラが立ってきた。何故、エアコンは効かないのか。壊れたのではなく、ただメンテ不足ではないのか。
引き出しの中をかき回してエアコンの取り説を引っ張り出した。それを読むと、大したメンテはいらない様だ。ただフィルターの掃除をすればイイだけ。
お隣サンがまだお休みの時間に、フィルターを洗剤で洗いベランダに干し、日が昇って、乾いたので、装着してもう一度動かした。
しかし、やはり30分程でダウンした。クソッ。
取り説に付いていた保証書を見ると、07.10.16.のデート印。07とは2007年?、しかしその頃は既に“お独りさま”であり、エアコンを付けた事などありえない。
と言う事は平成7年と言う事になる。つまり18年前。これは故障ではなく寿命なのだ。
多分、コンプレッサー周りの気密性が無くなっているのだろう。修理して、と頼んでも部品ありません、と言われるだけ。判ってます。
さてどうしましょ。人工的に涼しさを得ると言う行為は愚かしい、と言ってきたワタクシ、今更エアコンを自腹切って新替えする事など、プライドが許さない。
しかし毎晩、熱中症で死ぬ前に、寝苦しくて眼が覚めるのはツライ。
そして、気が付けば、新聞に挟まれていた家電量販店の広告を見つめていた。あぁ、ナサケナイ。
結局、盆休みの真っ最中、近所の3軒の量販店を見て廻った。どの量販店もキンキンに冷えていた。
「夏しか使わンねン、使こても30日以下、暖房はいらんねン、暖房外してもっと安いノんない?」
「お客さん、無茶言わんといてくださいよぅ」
そりゃそうだ。ガスを圧縮し液化した時の圧縮熱を暖房に使い、それを開放して気化した時の気化熱を冷房に使っている訳だからネ。
店員に無茶言ってからかった挙句、一番ベーシックな、一番安価なモデルを発注。費用は取付、取り外し、リサイクル、全て込みで7万2千円程。
これは舞鶴~小樽間の往復フェリー代相当、栂池定宿の10泊分相当、アホらしいが仕方ない。
入荷は盆休み明け、先週木曜、無事取り付け終了。
その後、先週末の大雨以外はズッと点けっぱなし。
ワタクシ、負けました。
負けたのならズッと負け続けることにする。電気バンバン使って、人工的な涼しさを思いっきり味わってやる。
もう、熱中症で死ぬ前に寝苦しくて眼が覚める事もない。外は熱帯夜でも室内は涼しく、酔い潰れて気絶も出来る。
地球温暖化、異常気象など、もうどうでもイイ、快適ならそれでイイのだ。
先週末の大雨が過ぎ去り、日曜夜は酔い潰れ、月曜の夜明け前、眼が覚めると、東の空は“異常”に赤かった。