蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

負けた夏

2013-08-31 23:03:46 | 朽ちゆく草の想い

安月給のサラリーマンになった頃、勤め先の先輩に連れられて毎週の様に通ったスナックは、狭い路地の奥にあった。

カウンターの中には、オシロイを数ミリほど塗ったのではないかと思われる、厚化粧のオバサンと、真っ赤な口紅の太った若い娘がいた。
先輩が何故、そんな“スゴイ”店の馴染になったのかは判らないが、とにかく安かった。そして、カウンターの中の若い娘と楽しそうに話していた。

ワタクシはどんな“スゴイ”店へ連れて行かれても、いつもふざけてはしゃいでいた。その店でも先輩に負けず、大声で笑い、騒いでいた

しかし、真夏、猛暑の中、その店に辿りつくには、熱風を浴びながらになる。
なぜなら、路地両側の、ズラ~っと並んだ呑み屋の室外機から、猛烈な排気熱が出ていたからだ。
そして、辿りついた奥の“スゴイ”店に入ると、中はキンキンに冷えていて、スーツを着たままでも寒い位だった。
どの店も、猛暑に対し必死で涼気を得ようとしていた。それはヒステリックに見えた。

当時ワタクシはまだ、布引谷・山の家に棲息していた。

呑んで騒いだ後、三ノ宮駅で先輩達と別れ、布引・新神戸までフラフラ歩く途中にも、所々に呑み屋、メシ屋があり、室外機からは熱風が吹きだしていた。

しかし、布引・新神戸から上には店は無い。住居もない。
外灯だけが、ポツポツと灯っているハイキングコースをゆっくり登って行く。帰るべき家へは、30分以上歩かないと到達しない。

夜のハイキングコースを、スーツ姿の男がひとり、それは異常な光景だったと思う。そう言う通勤生活を4年程やっていた。

布引から尾根沿いに10分程登ると展望台に着く。そこは布引の滝の雄滝の落ち口とほぼ同じ高さになる。ポートタワーよりも50m以上高いハズだ。

当時はまだ、眼下に目障りな高層ホテルはなく、繁華街の夜景がスッキリ見えた。直線距離にして2km離れていても、眠らない三ノ宮の熱気が伝わって来るようだった。
高度成長期は既に終わり、オイルショックを経て、時代は安定成長期に入っていたが、街はまだまだ熱気ムンムン、バブル期は更に10年先。
地球温暖化などと言う言葉はまだ無く、ニンゲンはヒタスラ豊かさと快適を求め、何十年もの間、狂乱の熱を発していたのだろう。

展望台で少し休憩すると、汗は直ぐにひいた。そこには心地よい涼風か吹いていた。ほんの数十分前とは大違い。自然の涼しさはありがたい。
と、言うより、熱風と言う副産物を吐きだしながら、人工的に涼しさを得ると言う行為は、なんと愚かなことか、と思った。
地球上のエネルギーは一定、と言う事は、どこかを冷やせば、どこかが暑くなる、アタリマエだ。

港町の夜景と、自然の涼風を独り占めしながらの通勤生活、これはある意味、スゴイ贅沢だったのかも知れない。
しかし、その数年後、ワタクシは布引谷を降りた。新しく出来る家族は、山の中での前近代的な生活など出来るワケがない。

布引谷を降りて住み着いたここは、垂水駅からも学園都市駅からも約4km離れた丘の上にある。しかも7階なので、風が通る。近年、布引谷・山の家周辺は、樹木が繁り過ぎた為、風が通らず、逆にここの方が涼しい時もあった。

人工的に涼しさを得ると言う行為は愚かしい、そんなワタクシのワガママなヘリクツで、この部屋には長い間エアコンが無かった。
しかし、家族にとってはたまったモンではない。エアコンはいつの間にか、勝手に取り付けられていた。

その後、“お独りさま”になれば、エアコンを動かす事はほとんどなかった。スイッチを入れるのは、梅雨の末期の湿気で雰囲気がネチャとした数日だけ。
ガスファンヒーターが壊れた時も暖房のボタンは押さず、登山用の厚手の靴下を履き、羽毛服を着てガマンした。

しかし、この数年の猛暑、酷暑、激暑(?)、部屋を通る風が暑い。扇風機を最強に廻しても、暑い風が吹くだけ。
ジッとしていてもジワッ~と汗が出る。頻繁にシャワーでそれを流す、その都度服を着るのも面倒だ。
外に出る気力は元々ない。ピンポンが鳴っても居留守、絶対出ない。

結局、部屋の中ではいつのまにかスッポンポン、“直立猿人”状態になっていた。これも“お独りさま”だから出来ること。
ただどうしても我慢出来ない夜は、切タイマーをセットして寝ることにしていた。

そして今年、エアコンが故障した。いや去年からだったかもしれない。
運転30分ほどで、本体の表示ランプが激しく点滅し、全く効かなくなる。扇風機同様、生ぬるい風が出るだけ。あ~あ。

よしッ、それなら我慢しよう。まだ扇風機は生きている。風が暑いだけだ。
熱中症で死ぬのならそれでもイイ。いつもの様に酔い潰れて気絶してそのまま眼が覚めないのなら、それでイイのだ。そう覚悟した。
とは言え、大体、暑過ぎるので、最近は酔い潰れても気絶しないけど。

戦前の不世出と言われた登山家、加藤文太郎が主人公の小説「孤高の人」の中に、ニンゲンは雪山でそのまま寝ても、凍え死ぬ前に必ず目覚めるものだ、そんなことが書いてあった。
四国で40℃を記録した翌日の夜明け前、あまりにも寝苦しくて眼が覚めた。暑過ぎて、熱中症で死ぬ前でも、ニンゲンは目覚めるものらしい。

この世の“苦”に戻ってきて、急にハラが立ってきた。何故、エアコンは効かないのか。壊れたのではなく、ただメンテ不足ではないのか。
引き出しの中をかき回してエアコンの取り説を引っ張り出した。それを読むと、大したメンテはいらない様だ。ただフィルターの掃除をすればイイだけ。
お隣サンがまだお休みの時間に、フィルターを洗剤で洗いベランダに干し、日が昇って、乾いたので、装着してもう一度動かした。
しかし、やはり30分程でダウンした。クソッ。

取り説に付いていた保証書を見ると、07.10.16.のデート印。07とは2007年?、しかしその頃は既に“お独りさま”であり、エアコンを付けた事などありえない。
と言う事は平成7年と言う事になる。つまり18年前。これは故障ではなく寿命なのだ。
多分、コンプレッサー周りの気密性が無くなっているのだろう。修理して、と頼んでも部品ありません、と言われるだけ。判ってます。

さてどうしましょ。人工的に涼しさを得ると言う行為は愚かしい、と言ってきたワタクシ、今更エアコンを自腹切って新替えする事など、プライドが許さない。
しかし毎晩、熱中症で死ぬ前に、寝苦しくて眼が覚めるのはツライ。
そして、気が付けば、新聞に挟まれていた家電量販店の広告を見つめていた。あぁ、ナサケナイ。

結局、盆休みの真っ最中、近所の3軒の量販店を見て廻った。どの量販店もキンキンに冷えていた。

「夏しか使わンねン、使こても30日以下、暖房はいらんねン、暖房外してもっと安いノんない?」
「お客さん、無茶言わんといてくださいよぅ」
そりゃそうだ。ガスを圧縮し液化した時の圧縮熱を暖房に使い、それを開放して気化した時の気化熱を冷房に使っている訳だからネ。

店員に無茶言ってからかった挙句、一番ベーシックな、一番安価なモデルを発注。費用は取付、取り外し、リサイクル、全て込みで7万2千円程。
これは舞鶴~小樽間の往復フェリー代相当、栂池定宿の10泊分相当、アホらしいが仕方ない。

入荷は盆休み明け、先週木曜、無事取り付け終了。
その後、先週末の大雨以外はズッと点けっぱなし。

ワタクシ、負けました。
負けたのならズッと負け続けることにする。電気バンバン使って、人工的な涼しさを思いっきり味わってやる。
もう、熱中症で死ぬ前に寝苦しくて眼が覚める事もない。外は熱帯夜でも室内は涼しく、酔い潰れて気絶も出来る。
地球温暖化、異常気象など、もうどうでもイイ、快適ならそれでイイのだ。

Imgp5163 先週末の大雨が過ぎ去り、日曜夜は酔い潰れ、月曜の夜明け前、眼が覚めると、東の空は“異常”に赤かった。

 


外気温42℃の墓参り、その後バネ下重量軽減を楽しみながら北六甲を疾走して帰る

2013-08-25 23:59:01 | 車でブラブラ

5月の初めに夏タイヤ+アルミ鍛造ホィールに履き換え、我が3L水平対向6気筒のバネ下重量は3kg軽くなった。

045

5年前、このホィールに替える時、実際ナンボ軽なるのか、まずメーカーに重量を確認した。
鍛造ホィールは8.6kgとの回答があった。
で、純正の鋳造は約9kgとの回答。
約?、えらいエエカゲンな回答。しかし、スバルさんからの正式回答。
この鍛造ホィールは18インチしかなく、結果インチUPとなり400g軽くなるだけ。インチUPだからそうなっても仕方ない。大した軽減にはならない、と言う事だ。

しかしこの“道楽”はやってみたかった。
結局、垂水駅周辺の2LDKのアパート、半年分の家賃相当を払ってこの鍛造ホィールに入れ替え、ホィールだけになった純正の鋳造を持ちかえり、重量をバネばかりで計ってみた。
9.3kgと9.4kgが一つ、9.35kgが二つだった。鋳造ホィールの重量はこんなにバラつくのか。
鍛造ホィール8.6kgのバラツキはないとして、四つで3kgの軽減となる。これはチョットした軽減だ。

タイヤは外周を同じにしないといけないので、扁平率が45→40になった。
また、タイヤ巾は215→225になった。これは空気の入るボリュームを同じにしないといけない、と言う事らしい。実際、そのボリュームを単純に計算すると、ほぼ同じだった。
またタイヤ断面厚が同じとして計算すると、重量もほぼ同じだった。

つまり、我が3L水平対向6気筒のバネ下重量軽減は結果3kgと言う事になる。
そして、それによる効果は10倍?15倍?、20倍と言う説もあるらしい。

ワタクシ、物事はイイ方に考えるタチなので、20倍説を取ります。よって我が3L水平対向6気筒は、オッチャン1人分の60kg程軽くなったことになる。
確かに、ATが小気味よく、スススっと軽快にシフトアップする。ニンゲンが感じるより、クルマ自体がその軽減を感じている様だ。

このAT、4つの選択パターンがあって、フツーの状態からシフトレバー横の「ECO」ボタンを押すと、前のディスプレィに「ECO」が表示され、これはエンジンが2500rpmあたりを越えると消える。要はアクセルをチョットだけ静かに踏むと、2500rpmを越えないよう、ゆっくり、マッタリ、シフトアップする。
シフトレバーを「sports」にすると、ディスプレィに「sports」が表示され、これはアクセルをグッとハデに踏まないとシフトアップしない。またハンドルのシフトボタンを一度操作してしまうと、その後は手動モードとなり、一々UP/DOWNのボタンを押さないと変速しない。

最初、ディラーの営業マンから、イザと言う時グッと踏めばすぐ「ECO」は解除してガンと走れるから、ズッと「ECO」にしておけばイイ、と言われた。
しかし、コーナー手前で減速、2速までシフトダウンし、立ち上がり時のシフトアップで変なショックがある。
また「sports」の手動モードでシフトした時の変速がぎこちない。
結局「ECO」モードで、エンジンが2500rpmあたりを越えないよう動かすのが、一番スムーズなのだが、それではイナカのワインディングロードは面白くない。(雪国往復や、都会の渋滞は「ECO」で充分なンですけど)

要は、この3L水平対向6気筒、少しも面白くない。ダルい、ニブい、カッタルい。
しかし、面白い評論をするトクダイジさんの、間違えだらけのナントヤラを読むと、3L水平対向6気筒を積んだこの車は“白眉”で、この5速ATは素晴らしい、と書いてある。
エエッ、ナンデ、トクダイジさんの評価、おかしいンとちゃう、ズッとそう思っていた。

それが今年、たまたま「ECO」モードにしないで走ってみたら、ナンカ軽快、敏感にキックダウンして、加速感がスゴイ、メリハリがある走りになる事に気が付いた。信州・雪国からの帰り、安曇野のワインディングロードを走っている時だった。
要は、フツーのモードにしておけば、トクダイジさんの言う、素晴らしいATが3Lの実力を発揮する走りになる訳だ。
10年目でやっと判った、我が3L水平対向6気筒の真価。ああ、ナサケナイ。

今後はもう、「ECO」も「sports」も選択しない、フツーで走ることにした。燃費も「ECO」と変わらない様な気がする。

002 猛暑、酷暑の今日この頃、熱中症にならないためには、水分補給が重要。松ケ井へは2週間に一度、いや最近は10日に一度、水を汲みに行く。

そして、帰りはやしろの森公園からワインディングロードを飛ばすことにしている。バネ下重量3kg軽減とフツーのシフトパターンで、コワイ程の加速感をしばしば楽しんでます。
先日はイイ調子になっていたら、いつの間にか白バイに追尾されていた。直ぐ気付き減速したからセーフだったけど。

とにかく毎日暑くて、脳ミソは半分以上融けてて、感情、意思、思考は消え失せ、気が付けば墓参りに行っていなかった。
オフクロが亡くなって5年、今年は命日も忘れていた。オヤジが亡くなったのは30年近く前、当然命日は忘れた。
もう別にエエやろ、と言う気もする。亡き者への供養など、要は生きている者の自己満足、エゴではないか。一応、お寺へは毎年、盂蘭盆施餓鬼法要をお願いしているし。

しかし、ヒマやし、バネ下重量3kg軽減とフツーのシフトパターンでの走りを楽しむべく、先週、盆明けの墓参り。

Imgp5149 雑草はこの程度。10分で引き抜き終了。オセンコだけ燃やして、花は敢えて飾らず。この暑さじゃ直ぐ萎れてしまう。周りはそんなナサケナイ状態の花が飾られたお墓ばかり。

Imgp5150 カンカン照り、他に誰もいない。しかし、もうツクツクボウシが鳴いている。

Imgp5151 駐車場へ上がると、車に付いている外気温センサーは42℃を感じていた。暑ッウ!!!

Imgp5152 住吉川上流方面の入道雲。


Imgp5154 多分屋根では、目玉焼きが出来るンでしょうナ。


Imgp5155 その後、母方のお墓へ行く。アチラのどなたかが飾った花が萎れて残っていたので片付けた。

さあ、バネ下重量3kg軽減とフツーのシフトパターンで飛ばしながら帰りましょう。

六甲の裏に出て、船坂~藤原台~鹿の子台~吉川~東条~やしろの森まで行って、いつものワインディングロードを走って帰った。ズッと車外温は42℃(前後)だった。


春から夏の復活、と言うか3つの修理記録-その3

2013-08-12 06:55:18 | 朽ちゆく草の想い

6月下旬の土曜日、旧神明のトンネルの中で、我が水平対向6気筒から変な音が鳴りだした。

カカカカカカ、いやガガガガガガ、いやゴゴゴゴゴゴ、最初は変なマフラーをつけたバイクの排気音かと思ったが、周りにそんなおバカはいない。FMラジオのノイズ?、ボリュームを下げても音は消えない。
トンネルを出てしばらく走り、運送会社の駐車場に停めさせてもらって車の下を覗くと、前輪内側あたりにある、排気管を覆うカバーの様なモノが外れ、路面に当たっているのが見えた。

幸いディーラーまで3kmほど、カカカガガガゴゴゴと鳴らしながら走った。

Imgp5143 ディーラーに着いて、リフトに上げるまでに外れていた。

それはエキゾーストマニホールドの遮熱板だそうで、取り付け部のボルト・ナットが腐食、朽ち果てていた。
10年目で15万キロ近く走っている。その半分近くは融雪剤が撒かれた冬の時期。

「融雪剤は塩化カルシウムなので、スキー場へ行ったりした後は、足周りをよく洗い流さないと、サビてボロボロになりますよ」
ほぼ全車種が四駆の、このメーカーの車を始めて買った時、ベテラン営業マンにそう言われた。

足周りはまだキレイだったが、この部分はボロボロだった。仕方ない。

Imgp5142 水平対向エンジンだから左側にもあって、それも外れる寸前だった。

無くても車検は通るらしいが、「後まだ10万キロは走りたいので、新しいの付けてェ、そやけど上側の遮熱は判るけど、ナンデ下側にも遮熱板いるンやろ」
「そう言えばそうですね、とにかく費用調べます」

費用は2ヶ所で2万円ほど、但し、取付部が固着して外れなければエキゾーストマニホールド総替えとなり、その場合は10万近く掛るとの事。

「それと、下側は小石とかが跳ね上がってぶつかった時の保護用らしいです、あの部分触媒が入ってルんで大事な箇所なんです」、費用のついでに調べてくれたらしい。

3週間近く経って、やっと部品入荷の連絡が来た。
メーカーに在庫がなく、一から作っていたそうだ。
そして、交換作業は更に2週間後。その日しか終日リフトが空いていないらしい。
ナンセ固着した部分を、丁寧にグラインダーで削り取らないといけなくて、かなりデリケートな作業を長時間かかってやるとの事。

こちらはお任せするしかない。

2週間後の交換日、在庫が無くて一から作った、と言う部品を見せてもらった。

Imgp5135 一から作ったと言う部品は、ナント、写真左側のクランプだった。こんな部品でも専用の型でプレスするらしい。

Imgp5136 遮熱板本体は、同じモノ4枚で挟みあわせるのかと思っていたが、ナント、4枚とも微妙に違っていて、それぞれ個別の型番が付いていた。
車屋サンの設計も大変だァ。

Imgp5145 滅多にない機会なので、ウラの写真を撮った。

あちこちチョコッとサビていたが、10年目で15万キロ近く走った割にはキレイだと思った。

ステンレスの2本のパイプは、社外品だがこの車専用のデュアルセンターパイプ。取り付けたのは7年前。
2本のエキゾーストマニホールドが1本になり、オリジナルは1本の鉄のセンターパイプが後方まで伸びて、また分かれ2つのマフラーに繋がるが、これはマニホールドが1本になった直後また2本に分かれ、排気が抜け易く工夫されたモノ。2本は同じ長さになる様設計されているらしい。

「こんなンあるらしいけどどう思う?」と、ディーラーのサービスのオニイチャンに訊いたら、「確かに抜けは良うなりますけど、これだけにしといて下さい、他の良うなるンと組み合わすと抜け過ぎてオカシクなります」、との事。これだけを付けてもらった。
干渉する部分を削ったり、チョット手間を掛けさせてしまったが、機嫌よく対応してくれた。

しかし、根元にある箱状のモノ、ここにも触媒フィルターが入っているらしいが、コイツがよく地面に当たる。

Imgp5144 かなりボコボコになっていると思ったが、案外キレイだった。

この箱の手前のエキゾーストマニホールドとの継ぎ手が、ガチガチのフランジ接続ではなく、フレキシブルになっていて、排気管の一部が地面に当たった時、多少は突き上げを吸収するらしい。確かにボルト類はなく、スプリングで引っ張っている様な構造だった。色々、工夫されているンですなぁ。

Imgp5148 7月の最終週、遮熱板はマッサラになり、グラインダーで削った部分はタッチアップされていた。

しかしこれで、性能がUPした訳ではない。まぁエエけど。


春から夏の復活、と言うか3つの修理記録-その2

2013-08-11 09:50:29 | 朽ちゆく草の想い

レコードプレーヤーは、10年以上、イヤもっと前からかも知れないが、動かせずにいた。
ターンテーブルのベルトが延びていて、交換したいがもう廃番。時代はCD、このメーカーのレコードプレーヤーの関係は全て廃番になっていた。

しかし、LPにはまだまだ聴きたいノがある。
プレーヤー自体を買い替えれば、それで済むのだが、針は今でも手に入るし、ベルトも何とかならないものかと、以前からネットで調べていた。
そして、昨年秋やっと見付けてプレーヤーは復活した。

当然LPも復活、ほとんどが50年程前に20歳代の黒人が演奏しているモノ。ほとんどの人はもう亡くなっている。しかしやはりイイ。

5月頃からほぼ毎日、数時間ジャズ喫茶状態だったが、6月半ば頃にオカシクになった。

テナーサックスの音が、ブォ~からブォ~ォ~と聴こえるようになり、その後、全ての音が間延びした様になった。杏里チャンの澄んだソプラノも、風邪を引いた様なアルトに聴こえる。

エエッ、またベルトが伸びたの?1年も経ってヘンのに。イヤ、モーターの音もヘンにおかしい。

このプレーヤーは、40年程前のモノ。
針、ベルトは何度も替え、ターンテーブルのシャフトもかなり前だが一度替えた。
モーターの軸関係がもう寿命なのか。
しかし、毎日ズッと2時間/日廻して40年でも、3万時間弱だから、まだまだ寿命ではないはず。

そして、ベルト以外に延びると言うか、劣化するゴム部品があることを思い出した。それはモーターの取り付け部にあった。

052 この灰色の部分、モーターの固定用プレートが本体天板から延びたロッドに3ヶ所、スポンジ状のブロック、ワッシャを介しスナップリングで付けられている。

048 劣化してプヨブヨになっていた。

053 1ヶ所は朽ち果てチギレ落ちていた。

つまりモーターは水平に取り付いておらず、軸はターンテーブル側に傾いていたようだ。

057 とりあえず全てを取り外した。しかし、どうしましょ。

モーターの取り付けプレート(1.2t)には11Φの穴があいている。プレーヤー本体(天板)からは4Φのロッドが延びていて、先端6.5mmは5.5Φになっている。
要は、プレートを6.5mm程持ち上げ、11Φと5.5Φの隙間を埋めるスポンジゴムの塊があればイイようだ。

色々調べると、この部分もグロメットと呼ばれているらしく、今でもベルトドライブのプレーヤーを作っているメーカーの部品はあるらしい。しかし、当然サイズが合わない。
一般的な配線用のグロメットも探して見たが、近いサイズのものすらない。

グロメットと言う事は、3つのパイプ状プロックの貼り合わせでも作れるハズだ。
長田や兵庫のゴム屋サンで作ってもらえないか、ゴム工業会に訊いてみた。しかし、そんな少量のテマに対応してくれるゴム屋サンなど、もう一軒もないとの事。さて、どうしましょ。

もう廃棄するしかないか。
今でもベルトドライブにこだわって作り続けているメーカーが、スイスにあるらしい。ベルトドライブは、モーターの振動がターンテーブルに伝わらない、と言う利点があるそうだ。そのメーカーのハイエンドは自動車が買える程の価格らしい。
それに買い替えるか。一瞬その気になった。

そう言えば、アンプもチューナーも健全ではない。
アンプのパイロットランプは点かないままだし、ミュート機能は効かないし、チューナーのバックライトは消えたまま、AMはいつのまにか受信しなくなった。
40年以上前のモノだから仕方ない。

順次新替えするか。かなりその気になった。

しかし、もう一人のワタクシがツッコミをいれてきた。「順次モノ棄てていかンといかン歳になったオヤジが、ナニ考えトンねん、ドアホッ!」

取りあえず、プレートを6.5mm程持ち上げてみることにした。

ホームセンターを数10分ウロウロして、水栓こまパッキン(4t)と滑り止めクッション(2t)を見付け、それを重ねることにした。
作業はこまパッキンの穴(5Φ)を5.5Φに丸ヤスリで広げるだけ。滑り止めクッションは十字に切り込みを入れただけ。

063 これでモーターは適正な高さに水平に取り付いたハズだ。しかし、ロッドとプレート穴の隙間は埋まっていないので、横方向の位置は適正かどうかは判らない。取りあえずこの状態で廻してみた。

テナーサックスはブォ~に戻り、杏里チャンの歌声は澄んだソプラノに戻っていた。滑り止めクッションが横方向を適度に拘束しているのかも知れない。

その後1ヶ月程使い続けているが、今日もFreddie HubbardとEric DolphyのパックでRoy HaynesとPaul Chambersは昔と同じ、多分正確なリズムを刻んでいる。
アームも自動で適正な場所に針を落とし、終われば自動で元に戻る。

しばらくはこのまま使う事にする。

しかし、30年前のロンジンといい、40年前のレコードプレーヤーといい、なかなかシブトイ。プレーヤーの修理に使った材料費はたった8百円程。
消費文化、買い替え文化に、二つで必死に抵抗している様だ。


春から夏の復活、と言うか3つの修理記録-その1

2013-08-10 19:04:43 | 朽ちゆく草の想い

55歳で会社を早期退職した時、今後は、「群れず」、「蓄えず」、「浪費せず」、と決めた。

「林住期」を生きるのだから、「群れず」はあたり前、働かないから、当然「蓄えず」、蓄えないから、仕方なく「浪費せず」と言う事になる。

そして、やっとワタクシの「個」は確立した。
「林住期」を生きる、という事は、実存的である、と言えるのかも知れない。

後はワタクシが、これからのイキザマに値するかどうか、だけだ。
まぁ、ダラ~っと、ボォ~っと、デレ~っとしておれば、群れず、蓄えず、浪費せずですけど。

しかし「林住期」は、この次に来る「遊行期」に備えての準備、身を軽くしないといけない時期でもある。死に場所を探しての「遊行」に荷物は要らない。

と言う事で、機会ある度に不要なモノを棄てる様にしているが、動いていたモノが止まったから即、棄てましょ、と言う訳にはいかない。
修理して動くモノは使わなくても棄てられない性分。

社会人を辞めてからボロいスーツと靴はすぐ捨てた。しかし、それらとセットで使っていた腕時計は残していた。
特に高価なものだと言う訳ではない。数千円の子供が使うようなモノと、勤続10年かナンカの記念で貰った、多分、数万円のモノ、これは一応SEIKO。

4月の終わりごろ、フト見るとこれらはホコリが被ったまま止まっていた。ベルトの皮はボロボロ。とにかく全体がボロボロのイメージ。
このまま、燃えないゴミの袋にポイしたらオワリだが、ナゼか気が進まない。電池、入れ替えたら動くンやろか?

垂水駅前のショッピングビル入口にある、小さな間口の時計屋サンへ持っていって、「電池入れ直したら動きます?」と、差し出した。
「チョットやってみます」、店のオヤジサンはワタクシよりかなり年長の修理職人さん。
「動きますけど、どうします?」
電池と、ベルトをつけ直して2つで4千7百円、多分ほとんど腕に巻くコトは無いが、エエでしょ。

「ところで、家の道具箱に多分30年以上前のロンジンが、多分30年近く前から止まったまま入っとンですが、直ります?何度か燃えないゴミに出そうと思たンですが、なかなか棄てられヘンのですわ」
「多分直せると思います、そう言う古い機械式の方が得意なンです、ゴミに出す前に是非こっちへ持ってきて下さい」

このロンジンは、最初に勤めた会社の経理課にいた時、頂戴したモノ。
その会社は船舶室内艤装メーカーで、海外出張するエライさんとか営業がいて、出張費精算の際、為替差益が出る様にして、それを経理内で内緒でプールし、実務責任者のオバサンが海外旅行の度、その隠し金で高級時計を買ってきて、それを経理課員が順番に頂く、そう言うナラワシがあって、ワタクシも頂戴した。

しかし、全体が金ピカで、成金オヤジのようで趣味が合わない。ほとんど使わず、道具箱に放り込んでいた。

5月初め、そのロンジンをオヤジさんのところへ持って行った。

「チョット見てみます」、と言ってオヤジさんは店の中に消えた。
しかし、直ぐ中身を持って出て来て、「ここサビてます」、確かに竜頭のシャフトがサビていた。
「しかし完全分解したら動きます」、と言った。費用は数万円。修理期間は約1ヶ月。

数万円、直して何の価値があるのか。少しためらった。これは浪費なのだろうか?
しかし、お願いします、と言ってしまった。「ついでにキズだらけのガラスも替えといて下さい」

20日程経って、修理完了のTELがあった。

チョット感激した。ナンセ、30年近くズッと止まっていたのだ。

オヤジさんは約30年振りに動いた時計を、何の感慨もなくワタクシに見せた。オヤジさんにとっては、極フツーの修理作業だったンだろう。

「ガラスは替えときました」、とキズだらけの外したガラスを見せた。ナント、プラスチック製だった。
「これ、取説なんてもうないンですが、日付合わせるのどうするンですか?」
「竜頭をグッと押してください」
「ズッと腕に付けて動かしとかンと止まるンですよね?」
「竜頭を右に静かにチョット廻しても動きます」
「ところで、コイツ、ホンモンのロンジンですか?どこにも made in Switzerland て書いてへんし」
「イヤ、チャンとしたロンジンですよ、中に書いてあったかなぁ、イヤ、ここに書いてますよ」

014 確かに、下の枠ギリギリにswissと書いてあった。

コイツ、一日でも腕に巻いて動かさなければ、止まってしまう。また、一日に約一分遅れる。
しかし、何もせンでも、電池切れるまで狂わず動くノより、ナンカ有機的、生物的。かまってやらないとオネンネしたまま、ヘンに面白い。金ピカの成金趣味だけど。

しばらく腕に巻いてやることにした。