今年最後の想い、色々あるが、ナンカ変なコトの一つ。
人権週間の11月8日、芦屋市とそこの人権委員会主催の集いがあり、" 折り梅 " の上映と監督の講演会をやっていて、映画だけを見せてもらった。
近所の小学校の梅の木に「桜折るバカ、梅折らぬバカ」と言う札がぶら下げていたが、この映画で、この主人公の認知症の女性は少女の頃、母親から梅は生ける際、都合の良い様に折り曲げてもそれは枯れずにちゃんと咲くものよ、" 折り梅 " と言うのよ、と教えられる。
そのン十年後、 老いて痴呆になったものの、とある老人サークルに加わって絵を描き始め、それが入選したりして、主人公も 梅の如く、一度折れても再び咲くことになる。
しかし、この映画はナンカ変。
まず、主人公を引き取る息子役の、元中量級(?)ボクサーの漫才師。
この人、好感の持てる大阪下町のオニィちゃんで、毎週土曜のワイドショーでメインを務めておられる。 しかし、この映画で喋るのは標準語。全く似合わない。 演技が上手とか、下手とかの問題ではなく、ナンカ変。 容姿はいつもテレビで見るのと同じだが、雰囲気がナンカ変。 母親がおかしくなって泣くシーン、ウソ泣きめいて、それが逆に可笑しい。 ホンマに漫才やってるみたいで思わず笑ってしまった。
ストーリーは、一人暮らしの母親引き取った後、おかしくなって、家族は戸惑い、振り回され、認知症がどう言うものか段々判ってきて、それに母親が育った梅の名産地:和歌山・南部の思い出話が絡んで、後半では母親を連れて家族全員で その" 折り梅 " の地へ行ったりする。 最後には痴呆が更に進んだ症状が出て来て、それに優しく嫁は対応する。 ただそれだけでした。
痴呆の姑と介護する嫁。この二人がホントは信頼し合った良い関係だ、とほのめかすシーンは涙を誘うが、こんな嫁と姑も変、あり得ないでしょ。
ワタクシには、この映画の主人公よりかなり痴呆が進んだ叔母がいる。
この叔母は実の母親より口うるさく鬱陶しい2番目の母親だった。 10年くらい前から認知症だった様だが、ワタクシが頻繁に様子を見に行くようになったのは、6年くらい前から。
その頃にはもう、以前の口うるささは消えていた。 と言うか、50年近く前の優しいオバちゃんに戻っていた。 ワタクシが話す事を微笑んで聞いているだけだった。
洗面台の中には同じ銘柄の石鹸が10ヶ以上突っ込まれていて、洗濯機の横の棚には同じ銘柄のウール用洗剤が5~6本並んでいた。
そしてそれまで掃除がゆき届いていた家の中はナンカごみッぽかった、ヘルパーさん来てるのに。
小銭を勘定して支払い出来ないので、財布はいつもおつりの小銭でズッシリ、「これ持って帰ってぇ」。 ATMの硬貨投入口へジャラジャラと入れて数百円。 これはいただきました。
ボケてきて変な事をしたところで、そんなに騒がなくても良い気がする。歳をとれば自然とそうなる訳だし、あぁこの人もボケてきた、と思えば良いだけではないか。
叔母の何回目かの行方不明は警察犬を使ってまでの大捜索、大騒ぎだったが、ワタクシはいずれ誰かに保護されて帰ってくる、と考えていた。 と言うのも叔母の徘徊は初めてではなかったからだ。 怖がりなゆえに、全てに注意深く慎重な叔母は、小柄でもその生命力は多大なもの、とワタクシは信じていた。
その時は偶々電話したおバカがいて、家にいない事が判り、大騒ぎになった。そのおバカが電話さえしなければ、多分今まで通り、周りは生還した後その事件を知るだけだった。
この時は深夜まで一人、叔母宅で待機していたが、発見されたのはワタクシが引き揚げた後だった。保護して頂いた人が警察に届け、近くに住むケアマネさんに迎えに行っていただいた。
その後暫くは実家でオフクロと暮していたが、この徘徊時、大騒ぎしていただけのおバカ(洋装店を共同経営していたカタワレ)が、叔母の財産内容を確認して、超高級老人ホームに放り込んでしまった。ケアマネにはほとんど相談もせず、ワタクシには一言もなく、オフクロはただハンコを押すだけだった。
叔母はそこへ入れられて、2年後の年末にはもうワタクシの事が判らなくなっていた。 オフクロが亡くなる直ぐ前の年末だった。
色んな事を忘れる、奇異な事をする、周囲に迷惑をかけ、ええ加減にせいよぅ、ジハいたろかぁ、とまで思われる、 この様な状況になった人がいても、ワタクシはあまり驚きません。
酔って、ふざけて、冗談でそんなことやってル仲間、昔から沢山いた。
先日も叔母はその超高級老人ホームのベッドに横たわり、一人ブツブツ言っていた。 ワタクシの事は無視。 酔っぱらってベンチで寝込みだしたA君と同じ。
看護師さんに手をひかれ、そこの館内を散歩していたオジイさん、ワタクシと出会うと敬礼し、ワタクシが進む方向に片手を差し出し 「 どうぞ 」と言う。 昔の忘年会、二軒目のスナックの入り口でドアボーイの真似をしていたB君と同じ。
「いや、昔のオマエと同じや」 と言われる方たち、沢山おられると思います。そうですワ。
痴呆になったという事は、ある意味でもうすでに死んだという事ではないか。
若くして痴呆にはならないはずだ。 事故などで意識が無く、何も応えてくれない肉親を持った人達は悲しいし、そのままでも生き続けて欲しい、と言う気持ちはよく判る。
しかし、そこそこの歳になって、もう色々忘れて身内の事まで判らないという事は、既にその人は死んでいると思う。その後生きさせるのには、肉体的か経済的な徒労だけが残るのだ。
叔母が入居している超高級老人ホームの費用は月25万だそうだ。 財産管理はそのおバカから後見人に移ったが、細かい事は知らないし、どうでもいい。 そして叔母は側にいるワタクシの事は判らず、一人ブツブツ言っている。
しかし、そんな形で上手く廻っている、この世の中の一つの状況、何か変、だと思う。