蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

どこか・とおくへ・いきたい:宿毛から足摺岬を素通りして、また天然ウナギを喰って帰る

2012-08-30 11:43:52 | 車でブラブラ

26日、日曜日の朝をノンビリして、9時半過ぎホテルを出た。

夜明け前、雨が降った様だ。カンカン照りだったが、そこそこ涼しかった。

取りあえず、足摺岬へR321を行くことにする。

187 松田川が宿毛湾に流れ込もうとする辺りから、泊ったホテル方面を振り返る。

しばらく山中を走っていたが、「足摺サニーロード」の表示が見えだすと、周りがカスミだした。「ン?、ナンデ?」、それは波のしぶきが風で舞い上がったものだった。 

189 台風の影響なのか、ドドド~ン、ザッブ~ン。


190 普段、外海を見る事など滅多にないので、こう言う豪快な波を間近に見ると、正直、コワイ。

193 ここは土佐清水の下川口と言う漁港らしいが、外はスゴイ波なのに、港中はフツーに穏やか。あの防波堤で上手く止められている。さすが。

194 竜串海中公園の海中へ降りる設備が見える。こんなスゴイ波の下に何が見えるのだろうか。

土佐清水の市街から県道348を岬に向かう。照葉常緑樹の山の中のワインディングロード。前を走る車3台に先を譲られた。別にせっついたつもりはなかったが、チョットお行儀悪い運転だったかしら、ワタクシ。

山を下ると、海沿いにホテルや食堂が建ち並んでいた。かなり混雑している。

195 11時過ぎ、駐車場に空きスペースなし。岬の先端は遊歩道の先にあるらしい。大勢の観光客がゾロゾロ歩いていた。

198 岬からは東側の海沿いに土佐清水へ戻ることにする。狭い道が続く。

土佐清水から再度R321を走ると四万十川の河口に出た。

汽水域を遊覧する船の乗り場にウナギ屋サンがあった。昨日、TAXIの運チャンが言っていた店だど思う。

200 1Fは土産モン売り場、2Fが食堂らしいが「満席」の表示。直ぐ後に入って来た女性が予約(?)ノートに記帳している。

さてワタクシ、どうしますか、1人でボォ~っと待つのはバカらしいし、混雑している店はイヤだし、と思っていると、ドドド~っと客が出て来た。ノートを見ると待っているのはさっきの女性一人。
待つことにした。

直ぐ呼ばれて2Fへ、「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」

199 いやもう決まってます、天然ウナギ¥3,600.-。これ食べに神戸から来ましてン、ワタクシ。

これは昨日のアナゴのオヤブンではなくフツーに美味いウナギだった。但し、一匹でしたけど。
昨日の食堂の焼き方は違うのだろうか。しかし、まぁ、あれも四万十、これも四万十。

201 遊覧船の受付横の土産モン売り場にはアカメが飼われていた。これが1m程に成長するらしい。

202 13時過ぎ、四万十川、後川を渡ると四万十市はオシマイ。

R56を1時間10分程走ると、見覚えのある「土佐久礼駅」の表示。高知方向から通った西のはずれがここだった。

203 ここは中土佐町、漫画「土佐の一本釣り」の作者の出身地だったはずだ。

204 R56を外れ海沿いに、かつて通った処理場へ行ってみよう。

205 ゴミ処理場と併設されているし尿処理場は、昔のまま。

担当のオジサンは釣りが趣味。磯辺で滑らン靴、エエの知らんか、と訊かれ、「山で沢登りに使うフェルトシューズちゅうのがあるンですが」と言って、そのカタログを届けたのが、最後の仕事だった。当然、営業していた特殊機械とは何の関係もない。

206 処理場から振り返ると相変わらず波は荒い。

207 更に狭い道を進みR56に戻る。右端に小さく見えるのは須崎のセメント工場だと思う。

須崎はニホンカワウソが最後に観察された場所。通っていた頃から、カワウソの街をアピールしていた。
しかし、カワウソをイメージにした道の駅の先には、セメント工場の石灰を焼く炉、とおぼしき大きな設備が見えた。
この工場が出来て、新たに都会人が流れ込み、昔からいた人の一部は農業、漁業を止め、工場で働き出したハズだ。
そんなンに付き合いたくない、とカワウソちゃん達は思ったのだ、と思う。
そして、彼らの絶滅は宣言されてしまった、嗚呼。

その後はひたすら高速を走って、淡路島経由で無事帰宅18時過ぎ。

人と車が少なければ暑さも少しはましだろう、と期待したが、やはり暑かった。
しかし、2日連続の四万十の天然ウナギ、スゴク美味かった。

さて、次はどこへ行きますか。


どこか・とおくへ・いきたい:天然ウナギと幸徳秋水の四万十川

2012-08-29 23:38:10 | 車でブラブラ

暑い、とにかく暑い、どこかへ避難しないとこのままではワタクシ、溶けて消えてしまう。
どこへ避難するか、また北海道もイイけど、人や車がほとんどいない地域なら、南でも涼しいかもしれない。

しかし、中四国はかつて特殊機械メーカーで営業をやっていた時、イヤと言う程通ったエリア。行けば当時の腹立たしい事なども色々思い出すし、あまり行きたくはない。
そんな事を考えていたりしていて、フト思い浮かんだのは四万十川。

愛媛の宇和島までは何度も通った。しかし、宇和島から裏山を越え四万十川に沿って中村までのコースを、特殊機械メーカーの営業で走ったのは、多分1回か2回。
覚えているのは、中村市の東にある小さな造り酒屋へ機械を納めて、試運転に立ち会った時のこと。

そのビジネスの代理処理を任せたのは、新居浜の小さな商社。
東京の大手商社で、その特殊機械メーカーの製品を扱っていたA氏が、大手商社を辞めて新居浜へリターンした後、四国でも売りたい、とアピールしていたからだ。そういう人物の心意気は大切にしないといけない。

しかし、実際に動いた担当のオニイチャンは、頭とクビが同じ太さで、歩くよりコロがった方が速く移動出来そうなおデブのB氏。いつも汗を拭きフキ仕事をしていた。
ただ、とにかくマジメで、全てに懸命な態度には好感が持てた。とは言え、よくからかってましたけど、ゴメンネBサン。

特に難しい仕様ではなく、納めてオワリ、のつもりだったが、Bサンは試運転に立ち会って欲しいとTELして来た。
「そんなン、Bサンが行ってスイッチ、入れるだけですよ、ナ~ンも難しいコト、ありませんよ」
「しかしボク、昔、ある機械の試運転、行って、スイッチ入れたら、工場の電源、全部落してしもて、お客さんからエライ、怒られて、今回もナニ失敗するか判ラン、出張費払うてもエエから、メーカーさんに来て貰え、とAからも言われまして」
「そやけど、ウチの技術、まともに呼んだら、今回のお宅のマージン、飛びますよゥ、ボクの都合に合わせて貰えるなら、宇和島へ行くついでに行きますけど」
と、言う事で四万十川を下った。

試運転は無事終了。お客さんの検収も済んで片付けていたら、ナゼか客先のブレーカーが、ボン、と落ちた。
「アレエっ、Bサン!、何したのォ」
何もしていないBサンは、大慌て、「ボ、ボク、な、何もしてませんけど」
また、Bサンをからかってしまった、ゴメンネBサン。

そんな愛すべきBサンは、その後ヘンな病気になったりして、オカシクなり、その新居浜の商社を辞めてしまった。
仕事のストレスが溜まりにたまったらしい。要するにBサンはA氏からパワハラを受けていたのだ。それを察するシーンは多々あった。
お別れのあいさつの後、「田舎へ引っ込んで、また畑でもします」とBサンは言っていた。

Bサンは、この後どうしたのだろうか、頭とクビが同じ太さで、歩くよりコロがった方が速く移動出来そうな体型は、少しはマシになっただろうか。

と、言う思い出話はオワリにして、取りあえず、あのノンビリした四万十川沿いの道を中村まで行くことにしよう。
そして、中村に着いたら四万十川の天然ウナギを喰おう。

そして何と言っても、中村と言えば、自由・博愛・平等、非戦、公娼制度反対等を訴え続けたあげく、明治政府による冤罪でコロされた社会主義者、幸徳秋水の生まれた地。お墓もあるし、顕彰碑もあるそうだ。
更に25日には四万十市の中央公民館で、彼を含む12人をコロした大逆事件のドキュメンタリー映画「100年の谺(こだま)」があるらしい。四万十市民大学の特別講座として、2回目が14時から。夜明け前に出れば、これに間に合う。

25日、出発3時。何回も通った山陽道から瀬戸大橋へ。

Imgp3639 何度も立ち寄った与島のSAへ5時過ぎ着。

駐車場は半分程度埋まっていた。当然、売店、食堂は営業前。休憩室、トイレ、洗面には学生らしき若者でいっぱい、さすが夏休み。こんな沢山の若者をここで見たのは初めてだ。
20年以上前からの約10年間、四国からの帰りは必ずここへ寄り、公衆TELから事務所へ連絡、場合によっては、客先や代理店にも連絡していた。ハードネゴをしたこともあった。あぁ、アホクサ。

Imgp3640 松山道を宇和島へ入り、三間ICで降りる。

道の駅・みま着、8時過ぎ。何かのイベントがあるらしい。お揃いのTシャツを着た人が集まっている。お子チャマも集まっている、夏休みだモンね。

この辺りの風景に見覚えはないので、掃除をしていたオバちゃんに道を訊いた。
「ここを出て、信号を左、左、右へ松野町の方へ行って、その先はまた訊いて下さい」

Imgp3641 県道57に出ると、見たことがある風景。確か近くに練り製品の食品工場があったはずだ。

Imgp3643 R381、見覚えのある川沿いの狭い道。

Imgp3644 四万十川らしき風景だがこれは広見川と言うらしい。

Imgp3645 R441に出るといよいよ四万十川。同時に雨が降りだした。

Imgp3646 頻繁に道が狭くなる。昔走った時とあまり変わっていない気がする。

Imgp3647 ナントカ(岩間?)沈下橋。

Imgp3648 晴れだした。

Imgp3650 この休憩所には、昔来た時も立ち寄った。

東屋でオバアサンお二人が休憩中。毎週、この休憩所とトイレの掃除に来られているらしい。「ワタシはこの上から、この人は下から歩いて来ちゅうがです」
河原にカヌーが並べられて、人が集まっているのが望める。近くの宿泊所(ユースホステル?)のカヌー講習会とか。「あそこの奥さんが教えちゅうがですよ」

Imgp3651 沈下橋を渡って見ることにした。

と、先からダンプが。ワタクシ1/4位しか渡っていなかったのでノロノロとバック。しかし道の両サイドは石がゴロゴロ、どうして交わそうかと思っていたら、ダンプのオジサン、プッとクラクション鳴らし、軽く会釈した後、ゴロゴロの河原をゴォ~っと走り去った。
ダンプのオジサンの仕事の邪魔をしてしまった。

Imgp3652 渡りなおして、Uターンして対岸から見た景色。これは勝間沈下橋と言うらしい。

四万十市には10時半前に着いた。

中央公民館は大きなショッピングセンターの隣にあったが、駐車場に空きスペースなし。
市民大学の受講者はJA高知の職員駐車場に停めよ、との看板あり。そこへ行ってみると未舗装のガラッとした広場。柵もゲートもないが、勝手に停めると罰金1万との表記。
中村駅がすぐそばにある様だ。

取りあえず停めて、中央公民館へ戻り、停めたことを届けておこうと思った。
しかし、公民館の受付に人がいない。いくつかの部屋では何かの講習会をしている様だが、施設全体を管理している様な人が見当たらない。
2Fの大会場では1回目が上映中。しかし通路にはスタッフ等、誰もいない。
フト見ると壁に内線電話が。事務室への連絡はこれを使うらしい。

掛けると暫くしてオニイチャンが出た。「ハイ、受講者はテキトーに停めてよかですよ、今日1日はJAから許可とっておりますき」
あの状態じゃ誰でも自由勝手に停め放題なんですけど、まぁエエか。
罰金とるぞと言いつつ、皆さんノンビリしてはります。

まず、幸徳秋水の生家跡へ行ってみよう。

市役所横のR439沿いにあるらしい。と言う事はつい先程、逆方向に車で走った道沿いだった。

Imgp3654 途中にあった海産物屋サン、煮干し、鰹節がバラ売りされていた。鰹節は当然削る前のかたまり。

Imgp3656 生家跡はその直ぐ先にあった。薬屋さんと酒屋さんの息子だったそうです。

Imgp3657 辻を隔てた先には昔のままの陶器屋サン。四万十市は土佐の小京都だそうです。

Imgp3660 山の上の城跡が公園になっていて、そこに秋水の絶筆碑があった。しかし、漢詩なので、何が書いてあるか判りません、ワタクシ。

Imgp3663 隣に解説が書いてあった。(国家による冤罪で)罪人になって、改めて無官の平民の尊さを知った、と書いてあるらしい。 

Imgp3662 絶筆碑の裏の略歴。

Imgp3664 少し進むとお城を模した郷土資料館があった。

Imgp3665 とにかく暑い。山を上がって来たので汗だくだ。入場料310円払って涼みに入った。客は他にいなかった。
幸徳秋水のコーナーもあったが、ほとんどはこの地を治めたお殿サンや古墳のことばかり。
こう言う資料館、博物館はどこも同じパターンですナ。

Imgp3668 最上階:天守閣から見た四万十市、後川方面。

Imgp3669 西の方向に四万十川。

Imgp3670 山を下ると昔のままの長屋。立派な屋敷や大きな商家より、こう言う長屋の方が小京都の雰囲気でイイと思う。

Imgp3671 その先を山側へ入ると墓地があった。

Imgp3672 幸徳一族の古い墓石が並んでいた。隣には秋水の「後輩」である坂本清馬サンのお墓があり、この人の墓石はまだ新しかった。
とりあえず皆さんに念仏十念、ナムアミダブツ。
清馬サンは大逆事件では無期懲役。刑務所を出たのは30年以上後の戦後。
何度も再審を請求したらしいが、結局認められず、40年程前に亡くなられたそうだ。ホント、ヒドイ話。

Imgp3673 墓地に立てられていた顕彰を解説する看板。毎年1月24日の命日には墓前祭が行われているそうです。

市役所の中の図書館に秋水の資料室があるらしいが、とにかく暑い、汗だくでフラフラ。とにかくビールが呑みたい。

時間は13時前。中央公会堂近くまで戻って四万十ウナギが喰える店を探すことにする。

しかし、四万十の中村とは言え、そんな沢山のウナギ屋サンがある訳ない。市役所の近くに大きな店が一軒あったが、表まで客が並んでいた。
駅前の客待ちのTAXI運チャンに訊いてみると、もう一軒、四万十川沿いにあるそうだが、チョット遠いらしい。

もうウナギは諦めて、通りがかりの店へ入った。とにかく冷えたビールが呑みたい。
お寿司屋さんの様な店構えだが、丼、定食、何でもやってます、と言う雰囲気。
案内されて席に座ると、四万十天然ウナギの大きなポスターが掲げられている。
まずビールを頼み、「こちらでも、ウナギありますのン?」と、この店の奥さんらしきオバサンに訊ねると、
「ハイ、やってますき、四万十の水で育てた養殖は¥1,650.-、天然は大体その倍です」
「14時に中央公民館へ行きたいンですが、間に合います?」
「今から焼きますので20分程掛りますが、ギリギリですかねぇ」

Imgp3674 天然のウナギと言うより、アナゴのオヤブンの様な感じ。天然とはこんなモノなのか。
しかし、2匹分がギッシリ入っていて、濃い目のタレの焼き具合は美味かった。
ナマ中2杯呑んでオアイソは計4千円。「まさか車やないがですきねぇ」
ハイハイ、歩いて公民館まで行きますよ。

Imgp3653 14時ジャストに到着。

大逆事件とは日露戦争を推し進めようとした維新政府が、それに異議を唱え、自由・平和・博愛を訴え続けていた平民新聞の制作者、読者を、天皇暗殺を企てたとの冤罪で捕え、ロクに審理もせず死刑を宣告し、一週間も経たない間に12人をコロした、100年前のトンデモナイ国家犯罪だ。
海外からもサンザン非難され、石川啄木は政府によるデッチあげを見抜いて嘆き、徳富蘆花は助命嘆願に奔走し、永井荷風は無力を恥じて隠遁した、そうだ。

戦争に反対するマトモな人達の大多数をコロして、この国は更なる戦争をし続けて、最後は米国に原爆おとされてギブアップ。
「維新」でスタートした、この国の近代化は、結局敗戦と言う悲劇で終わった、と言う事ですね。ホント、バカバカしい。

しかし、原作者が映像化するな、と遺言したにもかかわらずドラマになった「坂の上の雲」のウラで、こんなヒドイ事件があったことを知っている人は少ないらしい。
そして、この映画に出ている人も、それを見ている人もお年寄りばかり、嗚呼。

最近、勇ましいコト、物騒なコトを言う若いノが増えて来て、選挙をするとそんなおバカに沢山の票が集まるらしい。
「維新」を叫ぶ輩には用心すべきだと思いますが、ワタクシ。

映画は15時半に終わり、この夜、四万十市で宿は取れなかったので宿毛へ。

宿毛道路経由で、宿毛のビジネスホテル着16時半。
営業時代の昔と相変わらず、お泊まりはビジネスホテルです。

3時に出発して、四万十市内を汗だくで歩く廻ってもうフラフラ。
食べに出歩く元気なく、コンビニでお酒と総菜買って、翌朝まで一歩も部屋から出る事はなかった。


オスプレィのザックと、抑止力・安全保障がお好きな「鬱」な人達

2012-08-22 23:50:10 | 山とスキーでブラブラ

一ヶ月ほど前、櫻茶屋の前で休憩していた「山ガール」さん、「アタシ、リュックが重ォ~い」、と言っていた。
3人組のお嬢さん達、カワイイです。

少し離れてジジババの集団。
この中のクソ婆ァが「リュックが重ォ~い」などとのセリフを吐くと、多分、ワタクシがシバキ倒そうとする前に、そのグループのクソ爺ィが婆ァに手を振り上げてくれる、と期待します。まぁどうでもエエけど。

でもネ、「リュックが重い」、と言うのはチョット変だと昔からワタクシ思ってます。

山に行く時、食料や水を入れて担ぐ袋、ワタクシは何かあった時一晩二晩山で過ごせる道具まで入れてますが、そう言う袋をリュックザックと呼ぶ。

これはドイツ語で正式(?)には「ルックザック」、日本語に訳すと「背嚢」だそうで、要するに「リュック」とは背中のことで、「リュックが重ォ~い」と言うのは「背中が重い」と言っている訳だ。

まぁいずれ歳を重ねると、ニンゲンなら背負うモノは徐々に重くなる。そして重い背中は悩みの種でもある。
だから、若いうちから「背中が重い」と言うのはチョット悲しい、ですよ。

ところで、「オスプレィ」と言うのはアメリカのリュックザック、バックパックのメーカーで、ワタクシも10年程前からそのユーザー。山スキー用として一昨年、二代目に買い替えた。

このメーカーのザックの何が良かったかと言うと、それは背面がガバっと開くので、スキー板を取り付けた状態で、ザックをドサっと降ろして、中からモノが簡単に取り出せる事だった。また、板をまとめたままササッと、ザックの背面外に付けられる事だった。
登りでフラフラの時、こう言う作業が楽に出来るのは非常にありがたい。

オスプレィにはそんなイイ印象を持っていたのに、最近はケッタイなバケモノの名前で世間を騒がせている。

垂直に浮かび上がり、その後スッと高速で飛んで行ける、そんなジェット戦闘機は既にあるらしい。確か映画でシュワチャンも飛ばしていた。
なので、プロペラ機でも既に出来ていると思っていた。

あんなデカイローターを翼の両端に取り付け、浮いた後それを水平にして、プロペラ機に近い速度で飛ぶ、それはスバラシイ発想。
しかし、そんなスバラシイ発想は機械工学的にそう簡単に実現できるものではない。
80年代半ばから開発を始めてやっと出来た後、5年で60件近い事故。
浮き上がる真上モードから、高速で飛ぶ真横モードに、ローターを切り替える時がヤバいとか。確かにバランス悪そう。

科学、工学でどんなスバラシイものでも作れる、そんなコトなどない、つくづくそう思う。

あれは輸送機なので、この国の配備に事前協議は要らないそうだが、載せて運ぶのは海兵隊のスゴイ兵士達。
上が命令すれば、素手でもヒトをアッと言う間にコロせる屈強な「モノノフ」。ワタクシなんぞ、数秒でコロされてしまうんでしょうね。

そういうスゴイ「兵器」を、ヘリより遠くへ速く運べる飛行機は、戦闘機と同じ様な気がする。

しかし、そう言う飛行機、と言うかそれに載る海兵隊は、最近はもう活躍する機会がないのだそうだ。

海兵隊とは、ノルマンディへ上陸した時は、ヨーロッパをファシズムから解放する「エエモン」の先鋒、しかしベトナム上陸となると、ベトナムの人達が進もうとする未来を壊そうとした「ワルモン」の先鋒。

そして今は、海兵隊がまず上陸して侵攻する攻め方などせず、無人偵察機で攻撃の要所を確定し、爆撃機でボンボンボンとやって終わりなのだそうだ。
そんな中で誤爆もあって一般人も沢山コロされているけどネ。

冷戦が終わって、つまり双方、核の軍備でお金使いはたして、片方:ソ連が崩壊した後、もう片方の米海兵隊が武力行使する、そんな状況など確かにない様な気がする。
そもそも、アメリカのお金持ちたちは資源を確保して金儲けする方法から、ただお金をコロがして金儲けする方法に変わっているそうで、中南米で増えている民主的左翼政権がCIAなどの暗躍で潰されないのも、そんな背景があるのかも知れませんナ。

後はイスラムのテロだけがヤバいだけ、しかしこれは海兵隊がいる、いないとは別でしょ。

我が敬愛する五木寛之センセは、戦争も最近は「鬱」になっている、とか言われている。ナルホド。
派手にボンボンボンとやって来るのではなく、気が付いたらハイジャックされた旅客機で超高層ビルが破壊される、自動小銃には無関係の女性が、抱えて来た爆弾で駐留している兵士をコロす、これは確かに、「鬱」な戦争、彼らにとっては「鬱」な反撃。
圧倒的な武力に対して消えない恨み、静かにソッと近付いてドカン!とイテマエ、という攻撃だ。アァ怖。

国家間の紛争を武力で解決しない、と決めているにもかかわらず、この国には抑止力による安全保障とかが重要と、おっしゃるおエライ様が沢山おられるようですが、イスラムのテロとか、要するに姿なき突然の「ウツ」な攻撃に対して、どうされるンだろう。海兵隊にどう守って頂こう、と考えておられるのか。
しかも、他国での紛争で、救出するのはまず米国人、次がアングロサクソン、そしてその後にイエローモンキー、と海兵隊は決めておられるそうで、結局沖縄にいて頂いて、我々ニホンジンにとってどれだけアリガタイものなのかどうか。

こう言う「ウツ」な戦争において、海兵隊とかオスプレィとか、そして核兵器とかは何の役にも立たないのは明白、あぁアホクサ。

そして、「抑止力!安全保障!防衛!」とか叫んでいる人達、かれらの一人ひとりをジックリ見ると、その顔に「ウツ」の表情を、ナゼか感じます。今にも泣きそうで、猛々しい割にはナンカ悲壮でカワイソ。

しかし、そんな「鬱」な戦争オタクの都合で、オスプレィを配備される普天間の人達、ホンマ気の毒です。
取りあえず、浮き上がる真上モードから、高速で飛ぶ真横モードに切り替えるヤバい動作は、「最低でも県外」でやって欲しい。
そう言う動作は是非、日米安保と沖縄基地問題に無関心だった、ヤマトンチュウの集まる所で、どうぞ。


盂蘭盆施餓鬼

2012-08-21 13:47:24 | 一人ブラブラ

「おぼん」で先祖が帰って来る、と言ってもオヤジは次男で、ワタクシが祀っている墓には両親しか入っていない。

オフクロが亡くなって3回忌も過ぎると、昔の色んな事、ハラが立つことなども思い出して、一般常識的な行事も最近はサボリ勝ちになっている。
墓参りも、今年は暑いし、ヘンな時間に行って大渋滞に会ったことばかりが気になって、まだ行っていかなかった。
普段からヒマな時、墓地が寂しい時に度々行ってルし、イイでしょ。

昨日もヒマだった。盆休みも終わり、月曜だったし、お墓もサビシイだろう。
と、言う事でお墓参り。

Imgp3636 浜手バイパス通過時、豪華客船がまた入港しているのが見えた。調べると、上海から来た船とか。
また中華人民共和国のお金持ちの人達が、集団でお買いものに来られた、と言う事か。ナショナリストではないから、まぁエエけど。

Imgp3637 お墓には今までなかった雑草が生えていた。

この雑草、引っ張るとズボッと気持ちよく抜ける。タンポポやスミレなどは、葉の部分だけが千切れて、根は残るのだが、これは根ごと気持ちよく抜ける。
外来種なのだろうか。案外、買いモノにやって来た、中国の富裕層に付いていたタネだったりして。
周りの世話されていないお墓にも沢山生えていたので、手が届く範囲で抜いておいた。

Imgp3638 30分足らずで綺麗になった。

その後、オフクロの血筋のお墓へも。
そこにはワタクシのヒィジイサンから入っているらしいが、そんなご先祖様、どなたも見た事ありません。
いやオバアチャンだけは50年以上前に1回見たか。

そもそも、「おぼん」と言うのは、先祖を迎えて送ると言う行事ではなく、盂蘭盆会と言って、逆さづりの責め苦にあっている人を救う、と言う意味らしい。

逆さづりの責め苦にあっている人とは、餓鬼道に堕ちて苦しんでいる人の事だそうで、つまり生前、施しとか供養とかをケチった人。
お釈迦さんの弟子が、自分の母親がそうなっている事を知って、お釈迦さんに相談したら、僧が集まる日に彼らを供養せよ、と言われ、その通りにすると餓鬼道に堕ちていた母親達が救われた、と言うお話しから来ているそうだ。

つまり、ニンゲン、ケチっちゃダメよ、餓鬼道に堕ちるよ、ということ(?)
ワタクシ、この由来を知ってから、お寺とのお付き合いを含め、ケチるのはなるべくヤメました。
当然、寄付、カンパ、そしてお買いモノも。


地獄の日々、天国の日々

2012-08-18 15:42:40 | 朽ちゆく草の想い

昨夕、東の空に見えた入道雲。まだ神戸に大雨の気象情報が出ていた頃かもしれない。

Imgp3631

ここは、垂水からも学園都市からも約4kmの距離にある。歩くと1時間弱。
明らかに僻地で、30年程前に入居したこの低所得者救済マンションは、まだ山の中にあった。
最近は次から次、住宅地が開発され、量販店も何軒か出来て、森や林だった学園都市までの風景は、見事に入れ替わってしまった。駅へはバスでもミニバイクでも10分強でスッと行けたのに、朝夕は大渋滞となっている。

しかし、この部屋は7階なので風は通る、夏でもそこそこ涼しい。標高低くても僻地は涼しいのか。

それが今年はその風が、ない。
朝昼晩、深夜も部屋はムォ~っとしている。
ワタクシ数日前から、トイレ、洗面所、台所、寝る所、扇風機を持ち歩いている。
運動もしていないのに、フウフウ言っている。

2週間前に避難していた北海道に比べると、地獄だ。
この灼熱地獄の中で死んでしまうのかも知れない。まぁそれでもイイけどね。

昔、インディアン、つまりアメリカ大陸の先住民は、圧倒的な武力で攻めて来るハクジン:騎兵隊との戦いの前に、「今日は死ぬにはイイ日だ」、もうこれ以上進めない、ウンデットニー(傷ついたヒザ)を聖地に埋めよう、とか言ったらしい。
彼らにとって「死」とは地面に戻ること、イヤなことではなかったンでしょうね(40年以上前に読んだ本のハナシだから、よく覚えてませんけど)

とは言え、毎日毎日、17時過ぎたら呑み出して、晩メシが出来たらハイボールを日本酒に切り替え、イタダキマスとナムアミダブツ、念仏十念。

Imgp3632 そして、昨夕は窓の外にこの雲。

まだ、室内ムォ~ッとしていたが、昨日は唐揚も上手く上がり、トマトに掛けたオリーブオイルとリンゴ酢の塩梅もバッチリで、酔いもほどほど廻ってくると、地獄は一変天国になった。
ほんのひと時ですけど。

Imgp3633

まだ1ヶ月は、この残暑地獄が続くらしい。

またどこかへ避難しないといけませんナ。