蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

ミソカのオツトメ

2011-12-31 17:47:56 | 一人ブラブラ

年末の大掃除、と言ってもお一人様の部屋、あまり汚れていない。
また、普段から洗面所、流し台、トイレに使わない歯ブラシ置いていて、時々こすっているので、その辺りもそこそこキレイになっている。
しかし、30年弱住んだ部屋、ピカピカではないし、ピカピカには出来ない。
取りあえず、普段、掃除機を素通りさせている部屋の隅と、ベランダ側のサッシのレールに溜まったホコリを取って、大掃除はおしまいにした。

山の家は夏ごろ、繁りすぎた庭のクチナシやツツジを刈り取ったが、その頃から叔母の家の庭も気になっていた。誰も手入れしていないから、ぎっしりと草、と言うより蔦が生い茂っている。
庭が草ボウボウの幽霊屋敷?、屋敷と言うほど大きくはないが、空き屋である事はまる判り。
本来であれば、後見人である司法書士がキッチリ管理しないといけないが、「ボクがテキトーにやるから」と、言ってしまっている。

夏に一度刈ろうとしたが、何しろ、ヤブ蚊がスゴイ、数分のうちに何ヶ所も噛まれ、コリた。
そして、忘れてしまっていた。

しかし、今は真冬、もうヤブ蚊はいない。年が明けたらまた信州通いが始まるし、やるなら今。

と、言う事で29日、車は1年点検中、ニミバイクで垂水へ出て、JRで住吉へ。
ザックにカマと剪定鋏が入っている、職務質問されて中身見られるとヤバいかも。

Kサツに遭遇する事もなく、無事、叔母宅へ着いて、またポカに気付いた。鍵を忘れている、あ~ァ。
庭だけの作業だから、まぁイイけど、門が開けられないので塀を乗り越えないといけない。幸い、叔母宅は一番奥、表の通路からは見えない。

刃モノが入ったザックを担いで塀を乗り越えるオトコ、この年末に。
そう言えば日曜日は櫻茶屋の塀に登り屋根に上がった。やはり、ワタクシの前世はコソ泥か。

作業開始、12時40分、001

002 3時間かかって終了。

門の横のナンテンもバッサリ。003

004 裏もキッチリ片付けた。

昨日30日は、お墓へ。12月9日、始まる1日前の美術展にウッカリ行ってしまって、他に行くトコなく、お墓へ寄ったが、やはり正月は花で飾りましょう。別にどうでもイイけど、ヒマやし。ついでに叔母の様子も見に行くことにした。約2ヶ月振りだ。

車がないので、阪急御影から歩く。
この道は、昔、高校生の頃、西山谷や大月地獄谷に行った時のアプローチルートになる。

水車モニュメントの横を通り、005

白鶴美術館のところで住吉川に出る。007

住吉川沿い、西谷川沿いに歩き、大月地獄谷沿いの道へ入る。ここまでは市バスでも来れるが、高校の頃はお金がなかったので、ズッと歩いていた。

ここから先、通り過ぎる車は、全て墓参に来た一家を乗せている。
しかし、歩いて登っている人もいる。お父さんと小学生の男子、老夫婦、さすがに若いカップルはいない。
以前は何度か、一人で登って行くおばあさんも見掛けた。大きな荷物を携えているケースが多かった。こう言うおばあさんを車で追い抜く時、いつも胸が痛んだ。

昨日は、ワタクシが追い抜かれる番、そして、昨日は何故かそんなおばあさんとは遭遇しなかった。皆さんもう、あちらへ逝かれたのか。

車道をショートカットする階段を上りきると海が見えた。008

ここで標高300m程、布引谷・山の家よりだいぶ高い。

花を買って、こっちへ真っ直ぐ行くと、車道をパスして上へ行けますか、と聞いた。「さくら」地区で繋がっている、と花屋のオバアチャンが教えてくれた。

テキトーな所で上に続くそうな階段を登って行くと、行き止まりだった。
しかし、上のエリアは見えている。道はないが行くのみ。金網の柵2ヶ所を乗り越え、垣1ヶ所を登って、なんとか車道に出た。車道を素直に歩いた方が早かったかも知れない。

しかし、この年末に塀を登ったり、柵を乗り越えたり、このオトコ、エエ歳こいて、何故フツーに過ごせないのだろう。

御影駅から1時間かかって我が家の墓に着いた。
向かいの墓には4~5人の家族が、墓石を磨いていた。他にも数家族、お墓をお掃除中、さすが年末。
ワタクシ、花飾って、線香3本立てて、念仏十念して終わり。

白鶴美術館まで戻ってきたら、住吉川の向こうに、大阪湾、泉南地方が見えた。

011

川を渡って東へ向かうと、卒論を書いた母校の校舎の前に出た。

012 昔のまま変わっていない、宇宙線研究所。

隣には新しい建物。013 これも理学部の建物(?)

母校の周りを歩いて、岡本に出ると、商店街の昔の面影はもうなかった。

山手幹線を横切り、本山駅東側の踏切を渡って真っ直ぐ進むと、叔母のいる超高級老人ホームに着いた。

014 3階の左から二つ目が叔母の部屋だ。昨日はもうペッドに横たわっている時間だった。

ワタクシが呼びかけても、何の反応も起こさない。介護のオネエサンが呼びかけると、「はいッ」と返事する。そして喋り出す。何を喋っているのかは判らない。
来年は87歳、いつまでこんな状態で生かされ続けるのだろうか。

とにかく、こうしてミソカのオツトメは終わった。

さぁ、明日は朝からお酒が飲める日だ。
直ぐに呑めるよう、今日中におつまみを作っておく事にする。


真冬の櫻茶屋で病気談義

2011-12-29 11:16:52 | 神戸布引谷での出来事

先日の日曜日、櫻茶屋の雨樋と屋根の、落ち葉掃除に行った。

先々週レイコさんに、市ケ原から通った小学生の思い出色々、聞きに行って、帰り間際、
「そろそろトユに溜まった葉ぁ、掃除せんといかんねン、近いうちに大工さんに来てもらおと思てんねン」
「それ位、ボク、やりますわ、大したことあれへんし、今年中にまた来ますわ」
「イヤ、そんなン、危ないし、寒いし」
「ダイジョウブですよ、ようやってますし」

と、言う事になって、火バサミとヘルメット持参で、約束を果たしに行った。

「こんにちわ~、トユの掃除に来ました~」
「いゃ、そんなン、悪いわぁ、今日は寒いし、風も強いし、ヤメときィ」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ、屋根、あがりますよ」
「どこから上がンの~、気ぃつけてよぅ、落ちンとってよぅ」
「ダァ~イジョウブ、ダイジョウブ」

横の石垣をササッと登り、背丈より少し高い塀の上をトトトッと渡って、倉庫の屋根へスッと上がる。
他人の家の屋根に簡単に登れるワタクシ、前世は忍者?コソ泥?

倉庫の屋根は傾斜が緩く、かなりの落ち葉が積もっていて、「レイコさ~ん、ほうき貸して下さい」

ワタクシが屋根の落ち葉、雨樋の落ち葉、とにかくドンドン道に落して、それをレイコさんがポリバケツに放り込んで、道の端から崖下に落す、そう言う段取りで作業は始まる。

居住区の屋根の傾斜は倉庫より少し急、その先の店舗の屋根はさらに急、30度程度?

20代は垂直の岩壁を登っていた。60歳間近になった今でも、40度近い斜面は滑り降りれる。30度ナンテ大したコトはない。
しかし、足元の雨樋の先がない。その先は2m以上の空間。落ちたら痛い。
ハイカーが何人か通り過ぎて行く。中には「ご苦労さんです、気ィつけて下さいよぅ」と、声を掛けて行く人もいる。
靴はクライミングシューズメーカーのアプローチシューズ、フリクションはバッチリ効くが、下向き前屈みの作業、チト怖い。
しかも所々落ち葉が腐葉土になって固着している。足より下の位置のモノを、火バサミで力を入れて剥がさないといけない。その時は更に怖い。

半分終わった頃、常連サンがやって来た。
この方、ワタクシよりハタチ近く年上のお爺さん。何回か、ここで会ってレイコさんを交えてお話ししていた。
週に数回、櫻茶屋に寄って摩耶山まで登られるらしい。しかし、今日はいつもより大分遅い、摩耶山はムリな時間。

10月初め、この方と新神戸の上の砂子橋で出会った。非常にゆっくりなペース。「病気でもう歳やし、ゆっくりしか登られへんねン」
C型肝炎とか、その他数々の病をお持ちとかで、その日は色々話しながら一緒に登ったが、市ケ原まで通常30分強が、1時間弱かかった。
その間のお話しは全て、カラダとヤマイと健康のことばかり。
ワタクシただ「へぇそうですかぁ」、「ホンマですかぁ」と答えるばかり。数々の病気と付き合う中で、色々本読んで、知識を付けてこられたらしい。

結局、そのご老人も作業に加わり、知らん間にガイジン二人が、茶店の中に入りストーブで温まっていて、レイコさんが、ここは暖をとるトコ、チャうよぅ、と追い出したり。
ワタクシ、90%以上の落ち葉、落して、なんとか屋根から落ちる事もなく、1時間強で終了。

「さあ、中へ入ってビールでも飲んでェ」

ビール、よばれていると、レイコさんが病院の検査結果を出してきて、「ワタシ、また入院せんといかんねン、年末に病院、行って、予定決めンといかんねン」と、それを見せた。
検査結果にはハッキリと、〇?△がんです、と書いてあった。

病気に詳しいご老人、「細胞採ってキッチリ検査したンでしょう」
「そうやネン、このあたりでナンカされて、痛かったワ」
「最近はハッキリ書きますワ、昔は隠しとったンやけど」

レイコさんは以前甲状腺のがんも患っていたらしい。「2回目やネン」

「どうせ、3月位まではお客さんも少ないやろし、店閉めてゆっくり入院しとったらよろしいやン」、ノンキなワタクシ、慰めにも励ましにもなりません。

「イヤ、女性は歳行ったら、強いですよぅ、平均寿命は女性の方が長いし、100歳以上言うたらほとんどが女や、ガン言うても大したコトないと思いますワ」
その後、ご老人とレイコさんの病院での色々、検査での色々等、病気談義が始まった。
病院とはほぼ無関係のワタクシ、口を挟む余地はない。

最後に「アンタ、血圧高い言うてたけど」、とレイコさんから話を振られた。

以前、降圧剤を呑んでいたが、効果ないのでヤメて医者を呆れさせたこと、今年も別の医者に悪態ついて、もう病院へは行かないこと、をワタクシは話した。

「高血圧でクスリ呑んでも、あまり効果ありませんよ。エエの色々開発されている、と言うてるけど、脳卒中はほとんど減ってへんし。医者が儲かるだけや。マラソン選手でも200まで上がる人はザラにおるし、個人差はかなりあるハズですワ。オタクは、山登ったり色々運動してハルみたいやし、大体血管が丈夫なんでしょ、気にせえへんと決めてハルんやったら、それでエエんちゃいますゥ」、とご老人からの頼もしいコメント。

「年明けたら、また信州行くンやろ、エエなぁ」
「エエ、5年目ですワ。取りあえず5年は遊んだろ、と思うて。来年、還暦なんですよ。60になったら、また働くなり、まぁ何かやろかと思てます、相変わらず遊んでルかもしれませんけど、ヘヘヘ」
「別に、ムリして働かんでもエエやん」と、レイコさんからのアリガタイお言葉。

ホント、真冬の櫻茶屋はイイ人ばかり。

「そうそう、あそこの主人、第2とか、第3とかの頸椎やられて、首にゴッツイもん巻かれて、新しい市民病院からは追い出されて、別の病院へ移るらしいわ、不幸中の幸いで後遺症はないネンて、悪運強い、言うて奥さん言うてたわ」
「そらそうですワ、動けんようになったり、どっか行ったりすんのは、アイツの勝手やけど、その前にあのハンバ片付けささんと、片付ける前にオランんようになったら、困りますやん」
「そらそうや」

今年の最後も、この話になってしまった。

山の家も、雨樋の掃除しないといけないが、今年はもうヤメにした。
今年は結局、一度も寝泊まりしなかった。プロパンガスも昨年末に解約していて、ボンベも6月初めに取り外されていた。
ただ、ビールの空き缶やブラゴミが1年分溜まっていた。これは持って降りて、途中のハイカー用ゴミ箱へ捨てさせて頂いた。

さて、この部屋に溜まったゴミも、いくらかは今年中に片付けないといけない。


守り続ける 市ケ原 -2

2011-12-24 22:25:16 | 朽ちゆく草の想い

最近は布引谷・山の家へ戻っても、虫の死骸片付けて、庭の枯葉を集めて、燃やし終わると、特に何もする事がない。

隣の困った茶店の変人は、9月頃から子供だましの様な柵(これは何かの建具の一部?)を境界辺りに置いて、少しずつこちら側へズラしている。

038 いずれにせよ筆界特定をすれば、こちらの敷地に侵入している事は即、判明するが、それをしたところで大勢に影響はない。
何故なら、少々土地が広がっても、そこにモノが建てられないからだ。ここは市街化調整地域、新築、増築は出来ない。
従って、柵を置いて、こちらへズラす意義は無い。ホントに幼稚と言うか、ソダチが悪いと言うか、オロカと言うか、ナサケナイ男だ。

先週の日曜日は、櫻茶屋のレイコさんに雲中小学校の同窓会名簿を見てもらって、昔の小学生達の思い出などの“ 取材 ”に伺った。

レイコさん、開口一番、「今日、あそこの主人、家の裏、登っとって、落ちて、頭と腰、打って、救急車で運ばれたそうやわ」

あそこの主人とは、この柵を置いた隣の変人の事だ。
近所の風致地区内に違反建築のプレハブを建て、それを建機のレンタル業の事務所にし、汚い建設機械を散乱させ、神戸市の保安林を不法占拠している、茶店の主人のことだ。そこは瀬戸内海国立公園六甲山地区でもある。
そして、そのせいで近隣住民やハイカーと色々イザコザを起こし、レイコさんに対し交通妨害まで行った、と言われている人物だ。

しかしその日、茶店は普通に営業しており、珍しくそこそこのお客さんがいた。大したことはないと思う。
大体その人物に何かあったら困る。

040 何かある前に、この事務所と周りに散在させている機材を片付けさせないといけない。

ここは神戸市所有の保安林。つまり市民一人ひとりのものだ。ここを不法に占拠させたまま、何かあって、どこかへ行かれては困る。

これだけの土地を20年以上もタダで使っている。下界で普通に賃借料を払っているマジメな経営者にとっては、看過できない問題だろう。
国立公園六甲山、布引谷の自然を汚している。ハイカーにとっても、看過できない問題のはずだ。

そして何と言っても、市の所有地を不法に占拠している

そう言う問題がある、と言う事を9月の初め、「神戸市長への手紙」に書いた。

9月の終わりに神戸市長名で返事が届いた。文書作成担当は行政局財政部管財課活用係。

この所有者と、「かねてより、何度か協議を行っており、市有地の明け渡しを求めているところです」と書いてあった。
「かねてより」???、いつから?

神戸市との明け渡しの協議、そんな様子は 何年も前から感じられなかった。
続いて、所有者の言い訳めいた諸事情が書きつづられており、しかも機械類の処分の進捗も見られる、とか。
どこに進捗が見られるのか。 全く変わっていない。

また、昭和34年から当時の所有者の許可を得て使っている、と言っているらしい。
ウソを言ってはいけない。昭和34年に、この人物はここにはいなかった。この人物がここに来たのは昭和42年の、あの大水害の少し前だった。
大体、ここまで車道がつながって、プレハブが建てれるような広場が出来たのは、昭和36年頃なのだ。
行政局財政部管財課活用係とは、結局この人物の代弁者?味方なのか。

とりあえず、10月初め、そんな内容を書いて再度、行政局財政部管財課活用係へ送った。
しかし、その返事はまだない。

「ホンマにちゃんとやりよンのやろか、今まで長いコト、放ったらかしにしといて ・ ・ ・ 」、とレイコさんは呟いた。
「イヤ、神戸市なんて、何もしよれへンて、やる気、あったら、遠っくの昔にやっとルわぁ」、と櫻茶屋にいたハイカーが言った。

しかし、このままでは済ませない。
もし、何の進展もなければ、次は住民監査請求をして見ようと思う。
更に、進展なければ住民訴訟と言う方法もあるらしい。

それらをするには、色々勉強しないといけないが、ある意味、それが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 


壊れゆく日々-2

2011-12-23 23:53:36 | 朽ちゆく草の想い

先程、デジカメに残っている写真をパソコンに移そうとしてオドロいた。
取り込む新しいデータがない、との表示。ン?なんでェ。
デジカメに残っているデータを表示してみると、確かに無い。
で、パソコンの写真ホゥルダを確認すると、あった。ホゥルダ作成日は12/21。
一昨日にやった事を忘れている。相変わらず、壊れゆく日々。

そう言えば、2~3週間前、片栗粉をまぶさずに唐揚を揚げてしまった。中華ナベの中は初めて見るケッタイな状況になって、唐揚が"空"揚になった。
片栗粉の袋は、チャンと眼の前に出していたのに、普通にすべき事を忘れてしまう。
相変わらず、壊れゆく日々。喰うことは出来たけど。

このまま、20年ほどかけてゆっくり壊れていくのだろうか。それとも明日か明後日、いきなり壊れてしまうのだろうか。
まぁ20年かかっても、フクシマ原発の廃炉より早いけど。

壊れて行くのはワタクシだけではない。今、棲息しているこの部屋の中のモノも壊れつつある。

給湯器から熱湯が出なくなったのは3月のまだ寒い頃。
水量調整の信号が出ていないらしく、修理なら4~5万、但し、完治の保証は不可。新替えがベストで、費用は12~13万。
しかし、60℃に設定し、蛇口全開にすると何とかシャワーで風呂はゴマ化せるので、壊れたままにしている。

トイレと浴室の換気扇からの異音が大きくなったのは’06年12月。
浴室の天井裏の点検口から取り出して、分解、掃除したが良くならなかった。20年以上、廻りっぱなしだったので、モーターの軸受けがもうイカレたんだろう。給油して治る様な状況ではないようだ。
しかし、この部屋に棲息しているのは、ワタクシひとり。普段、トイレは開けっぱなし、臭いを気にする同居人はいない。換気扇は停まったままでも支障は無い。

トースターのタイマーも切れるまでが段々長くなって、廻しても、もうジ、ジ、ジ、とは言わなくなった。キッチンタイマーを併用している。切るのは手動。

実は、予定通りなら、既にここから別の地へ移住していた。色々あってまだ留まっているが、近々ここを出て行くつもりだ。
給湯器と換気扇は、新たにここに住む家族が新調すればいいし、トースターは移住を機会に買いかえればいい。そう思って、ここを出て行くまでゴマ化し続けることにしている。
とにかく早く、移住先を見つけないと。

そうしていたら、今度はペンダントライトのスイッチが壊れた。
あのヒモ(実物はクサリだけど)を引っ張って、カチカチとON/OFFするヤツ。
OFFは出来るが、ONが何回に一回しか出来なくなった。ONが成功した後、壁のスイッチでON/OFFすればいいのだか、ついヒモを引っ張ってOFFしてしまった深夜、その翌日の夕方、中々ON出来ない。
これは、9月にLEDに入れ替えたばかり、移住時に買い替えする気は無い。
タダのスイッチの接点不良のはず、接点が付きやすい様にチョコっと触れば治るはず。

と、言う事でバラしてみた。

ついでに、傘をお掃除。これを付けたのは’04年。初めてのお掃除。045_2

分解してスイッチ部をひっぱり出したら、ジゴクになっていた。分解して接点をイジることはできない。このスイッチ部分だけを入れ替え出来ないものか。

046 この透明な20Φ程の部分。

ネットで色々検索したが、ヒットするモノは無かった。
仕方なく、7年前のパンフレットを探し出して、販売店へTEL。

修理は出来るらしいし、部品の販売も可能らしいが、この丸っこいスイッチ部だけではなく、これが組み込まれた電球ソケット部ユニットとコードを丸ごと交換するらしい。費用は4千円程。

「なんで、このチッコイ部分だけの交換で済むものに、4千円も要るン?あとチョット出せば、全部買い換えられるンちゃうのン?」
「いや、お客様、全部買い換えようとされたら4万以上しますよ、ステンドグラスのシェードですから」
ワタクシ、7年前にそんな高い買い物、したンでしょうか。

販売店に在庫しているそうで、近々買いに行くことにした。4千円でも仕方ありません。

しかしその後、ホームセンターKNをうろついていたら、ヒモの付いた小さいスイッチが売られていた。これをあのペンダントライトに移植出来ないものか。
298円也、失敗しても諦められる出費、当然「袋、要りません」でお買い上げ。

047_2 

昨日、移植してみた。これ東芝製?048 

再度バラして、更にスイッチ本体も潰してコードを取り出して、端子を付け替え。

049 050

移植する新スイッチは分解できそうだったので、ヒモを外してチェーンに取り換えた。

051_4 052

そしてスイッチ移植。053_6

傘に組み込み。054

そして、ちゃんと点きました。よかった。055

しかし、今度はOFFがしづらくなった。ヒモをチェーンに取り換えたので、何かに引っかかっているンだろうか。
ただ、ONにロックされたままなら壁のスイッチでOFFすればイイので、まぁイイことにする。
これで今後何かあっても、またこの方法で治せばいい訳だ、半分壊れた状態ではあるけど。


年々変になる、燃えない秋

2011-12-15 11:35:17 | 朽ちゆく草の想い

005 これは08年12月2日。見事に燃える秋。

139 これは10年12月4日。大きなモミジは繁りすぎたので、前年の冬に大枝をカット。そのせいで元気のない紅葉になった。しかし、周りの森もあまりキレイに燃えていない。

Imgp2803 これは先日の日曜日、12月11日。既に散っている部分とまだ青い部分がある。

燃えた秋と燃えない秋。年々、秋は変になって行く様な気がする。

昨年11月、上高地行のバスを沢渡の駐車場で待っていた時、バス停の案内のオニイチャンも、最近、カラマツの黄葉が段々オカシクなってきた、と言っていた。
その後、雪が降り続き、奥穂は登れなかった。その前の年も登れなかった。その時期、毎年登っていたのに。
オカシクなってきたのは、ワタクシの方かも知れない。奈川の金色の森はそれまでと同じ、見事だったし

日曜日、約1ヶ月ぶりに山に戻ると、玄関はカメムシの死骸だらけ。Imgp2800

庭は散った紅葉の赤い絨毯。Imgp2801

これを見ると、少し前はそこそこ燃える秋になっていたのかも知れない。

周りの山もほぼ枯れ落ちて、Imgp2805 

振り返ると夕映えの世継ぎ山。Imgp2806

この色は紅葉の色ではない。枯れ落ちた山に夕日が当たっているだけ。昔、学校からの帰りに見た景色、ナンカ寂しい。