年末の大掃除、と言ってもお一人様の部屋、あまり汚れていない。
また、普段から洗面所、流し台、トイレに使わない歯ブラシ置いていて、時々こすっているので、その辺りもそこそこキレイになっている。
しかし、30年弱住んだ部屋、ピカピカではないし、ピカピカには出来ない。
取りあえず、普段、掃除機を素通りさせている部屋の隅と、ベランダ側のサッシのレールに溜まったホコリを取って、大掃除はおしまいにした。
山の家は夏ごろ、繁りすぎた庭のクチナシやツツジを刈り取ったが、その頃から叔母の家の庭も気になっていた。誰も手入れしていないから、ぎっしりと草、と言うより蔦が生い茂っている。
庭が草ボウボウの幽霊屋敷?、屋敷と言うほど大きくはないが、空き屋である事はまる判り。
本来であれば、後見人である司法書士がキッチリ管理しないといけないが、「ボクがテキトーにやるから」と、言ってしまっている。
夏に一度刈ろうとしたが、何しろ、ヤブ蚊がスゴイ、数分のうちに何ヶ所も噛まれ、コリた。
そして、忘れてしまっていた。
しかし、今は真冬、もうヤブ蚊はいない。年が明けたらまた信州通いが始まるし、やるなら今。
と、言う事で29日、車は1年点検中、ニミバイクで垂水へ出て、JRで住吉へ。
ザックにカマと剪定鋏が入っている、職務質問されて中身見られるとヤバいかも。
Kサツに遭遇する事もなく、無事、叔母宅へ着いて、またポカに気付いた。鍵を忘れている、あ~ァ。
庭だけの作業だから、まぁイイけど、門が開けられないので塀を乗り越えないといけない。幸い、叔母宅は一番奥、表の通路からは見えない。
刃モノが入ったザックを担いで塀を乗り越えるオトコ、この年末に。
そう言えば日曜日は櫻茶屋の塀に登り屋根に上がった。やはり、ワタクシの前世はコソ泥か。
昨日30日は、お墓へ。12月9日、始まる1日前の美術展にウッカリ行ってしまって、他に行くトコなく、お墓へ寄ったが、やはり正月は花で飾りましょう。別にどうでもイイけど、ヒマやし。ついでに叔母の様子も見に行くことにした。約2ヶ月振りだ。
車がないので、阪急御影から歩く。
この道は、昔、高校生の頃、西山谷や大月地獄谷に行った時のアプローチルートになる。
白鶴美術館のところで住吉川に出る。
住吉川沿い、西谷川沿いに歩き、大月地獄谷沿いの道へ入る。ここまでは市バスでも来れるが、高校の頃はお金がなかったので、ズッと歩いていた。
ここから先、通り過ぎる車は、全て墓参に来た一家を乗せている。
しかし、歩いて登っている人もいる。お父さんと小学生の男子、老夫婦、さすがに若いカップルはいない。
以前は何度か、一人で登って行くおばあさんも見掛けた。大きな荷物を携えているケースが多かった。こう言うおばあさんを車で追い抜く時、いつも胸が痛んだ。
昨日は、ワタクシが追い抜かれる番、そして、昨日は何故かそんなおばあさんとは遭遇しなかった。皆さんもう、あちらへ逝かれたのか。
ここで標高300m程、布引谷・山の家よりだいぶ高い。
花を買って、こっちへ真っ直ぐ行くと、車道をパスして上へ行けますか、と聞いた。「さくら」地区で繋がっている、と花屋のオバアチャンが教えてくれた。
テキトーな所で上に続くそうな階段を登って行くと、行き止まりだった。
しかし、上のエリアは見えている。道はないが行くのみ。金網の柵2ヶ所を乗り越え、垣1ヶ所を登って、なんとか車道に出た。車道を素直に歩いた方が早かったかも知れない。
しかし、この年末に塀を登ったり、柵を乗り越えたり、このオトコ、エエ歳こいて、何故フツーに過ごせないのだろう。
御影駅から1時間かかって我が家の墓に着いた。
向かいの墓には4~5人の家族が、墓石を磨いていた。他にも数家族、お墓をお掃除中、さすが年末。
ワタクシ、花飾って、線香3本立てて、念仏十念して終わり。
白鶴美術館まで戻ってきたら、住吉川の向こうに、大阪湾、泉南地方が見えた。
川を渡って東へ向かうと、卒論を書いた母校の校舎の前に出た。
母校の周りを歩いて、岡本に出ると、商店街の昔の面影はもうなかった。
山手幹線を横切り、本山駅東側の踏切を渡って真っ直ぐ進むと、叔母のいる超高級老人ホームに着いた。
3階の左から二つ目が叔母の部屋だ。昨日はもうペッドに横たわっている時間だった。
ワタクシが呼びかけても、何の反応も起こさない。介護のオネエサンが呼びかけると、「はいッ」と返事する。そして喋り出す。何を喋っているのかは判らない。
来年は87歳、いつまでこんな状態で生かされ続けるのだろうか。
とにかく、こうしてミソカのオツトメは終わった。
さぁ、明日は朝からお酒が飲める日だ。
直ぐに呑めるよう、今日中におつまみを作っておく事にする。