蒼ざめた馬の “一人ブラブラ、儚く、はてしなく”

山とスキー、車と旅、そして一人の生活

極暑ひとりのブルース

2010-08-30 22:57:13 | 朽ちゆく草の想い

きのうも一人でいた、真夏は極暑、セミも暑いと鳴いている。 誰にも会わず、誰とも話さず。
玄関のチャイムを鳴らすヤツはいた、見覚えのある顔、 時々ひとり生活にピンポンする。
男はしつこく2度鳴らす、それからボードに何かメモして去っていく。 NHKの集金人か。
静かな娘と老女のペア、10秒以上じっと立ってから頭を下げて去っていく。 ナントカ教の勧誘か。
半分溶けた脳みそ、半分腐った肉体、欲しいものは何もなく、何もしたくない。 足りているのにやるせない。

夕方から呑み始め、 夜の帳が降りる頃には酔っぱらい、 汗臭い布団に横たわると意識が徐々に落ちていく、 こちらからあちらへと。
明日の朝、 目覚めなくてもまぁいいか。  たくさん税金払ったし。  義務だと言われて充分年金も払ったし。 義務はない。 そして何もない。

しかし、今は死にたくない、片づけものが残っているからね。 遺品整理で見つけられるとハズカシイものもあるし。
あぁ、早く涼しくなれば、 早く葉っぱの色が変われば、 早く空の色が冬に変われば、 もう少し、もうチョットだけ元気になるのにね。  秋よ来い、冬よ来い。 ボクの周りだけでいいから。

Imgp2100 先週のある朝、目覚めて食べ物がない。 暑いので車で買いに、エアコン効かせて走った。 ついでにもう少し遠くへ、 さらに遠くへ排ガス撒き散らしていたら、 県中西部の山のふもとまで来ていた。 名水の里、などと書いてある。まだ昔の山村が残っていた。 閑散として良い所でした。 しかし、手前の峠では車外温度40℃!!!
神サン、仏サン、どないかしてくれぇ!!!


チョット昔へ散歩しに-2

2010-08-26 21:43:19 | 一人ブラブラ

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「 赤色エレジーから小梅ちゃんまで 」 林静一展へ行って来ました。 この絵描きサンを知ったのも10代の頃、漫画月刊誌に連載された作品 「 赤色エレジー」 を題材にしたフォークソングだった。 
フォークの雑誌に載っていたこの人の作品を見たオフクロ、 「 これ、竹久夢二やン 」。 展示作品は70年代、80年代のものが多く、又々チョット昔への散歩になってしまった。 
しかし今回は、通販で買った昔のCDを聴いただけの散歩ではなく、明石の文化博物館までミニバイクで20分、ホントの散歩になりました。

作品のほとんどは女性の横顔、伏目、長い首をわずかに傾け、憂いを帯びた表情。 顎のラインが清楚、いや蠱惑的な美しさ、素晴らしい。 こんな女性、ホンマにいるンでしょうか。まッ、実際いてもお近づきにはなれないでしょうが。 

「 女性画も含めて、頭の中にあるイメージが創作の原型である。僕の頭に宿った想像は、また誰かの頭にも宿っていると思われる 」 とパネルに書かれていた。 フムフムなるほど、確かにワタクシの頭の中にも宿ってます、想像は。 夢の中ででも良いから一度お会いしたい。

会場売店で文庫版の 「 赤色エレジー 」 を買った。 「 幸子ォの幸ィは、どォこにィあるゥ~」とあがた森魚サンが歌っていたフォークソングは知っているが、 元になるマンガは知らない、当時ガロは読んでなかったし。  
これ、マンガではありませんね。 抒情画で構成された物語と言うか、挿画で謳った抒情詩と言うか。 幸子と一郎の物語、しかし二人なのにさびしい、暗い。 一人暮らしのワタクシの方がもっと明るいです。 二人とも若いから、さびしく暗いのかも知れない。

で、一人のワタクシ、いつものように酔っぱらって洗いモノしてたら、手が滑って茶碗割りました。
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ウチの食器のほとんど、洗っている時、落して欠けてます。 しかし、今回は真っ二つに割れた。
このお茶碗、オフクロが 「使いィ」 と言ってくれたメオト茶碗。 片方は6年前奥さんが出て行った時、持って行ったはず、今どうなっているか。  まぁ奥さんとも年に数回、法事何かで会うだけの友達みたいな関係、 メオト茶碗が無くなっても良いか。 

 


チョット昔へ散歩しに

2010-08-25 07:55:28 | 一人ブラブラ

先週、元町の本屋へフラっと寄り、映画、音楽関連のコーナーを覗くと、平積みのコーナーに高田渡サンの本が1冊残っていて、つい買ってしまった。 ’ 01年に出された自叙伝+エッセイの文庫版で、この本の存在は知らなかったが、和田誠サン描く表紙イラストだけはどこかで見たような気がする。

まだ10代の頃、フォークソングは大流行、自分でもギター弾いたりして、深夜ラジオから聞こえてくるのもフォークソングばかり。 高田渡のLPレコードも3枚ある。 この人の歌は当時のフォークソングとはチョット違っていて、反戦内容のものはあまりなかったと思う。 しかし体制を揶揄したり、明治時代の演歌を引用したり、とても面白かった。 色んな人を混乱させた 「自衛隊に入ろう」 は、親しい友人なんかも 「何やあの歌、フォークで自衛隊入隊を奨めるようなことしやがって」 と勘違いし、怒っていた。

ワタクシはこの人の存在によって色んな詩人を知った。 金子光晴、山之口獏、草野心平、ラングストン・ヒューズ等々。 ジャック・プレヴェールと言う詩人がシャンソン「枯葉」を作詞し、「天井桟敷の人々」の脚本を書いたと言う事も。( 但し、これら詩人の作品全てを理解した訳ではありません ) 

その後、音楽の好み、レコード集めはジャズの方に移行。 フォークギターも埃かぶって30年以上放ったらかしだったが、5年程前、偶然点けたTVで、高石ともやと高田渡のドキュメントに遭遇。 ’60年代後半と最近の様子を対比させながらの構成、お二人ともお元気で、昔と同じ調子で歌っておられるのが面白かった。 高石ともやサンの方が5歳以上年上のはずだが、高田渡サンの方が老けている様に見えた。 そして、渡サンはその後直ぐ亡くなられた、と聞いた。

ドキュメントでは高田渡の最近の様子を記録した映画も紹介していた。それはDVDになっていて、これも偶然、近所の駅のそばのショッピング街2Fにある、CD屋サンで見つけた。 店じまい前のセール品コーナーにあった。 色んな共演者とのコンサートの様子など、中々楽しく、充分ノレる内容。 フォークと言うより黒人のオジサンがギター1本で演ずる古いブルース、それにバンジョーやマンドリンが加わるとブルーグラスとなり、エレキギターが加わってロック、凄いなと思ったのは、フリージャズで有名なサックス奏者まで共演していて、 要はブルースから始まる現代音楽全てを良いノリでやってはる。 歌の内容は庶民の生活と心情、こちらは吟遊詩人。 共演者の中に、息子さんがいてスチールギターを弾いていた。才能は引き継がれるンですね。そう言えば、長谷川きよしサンの娘さんもフルート奏者、バックで吹いてはります。 どちらも偉大な父親。

本の最後の節は、「パタンと死ねたら最高!」となっていた。 全国各地から呼ばれ、演奏旅行を続けていたらしいが、’ 05年北海道でホントにパタンと亡くなられた様だ。 本を読んだ後、気が付いたらAmazonのサイトを開けて ’ 70年から ’ 80年代のCDをオーダーしていた。 

そして、この数日間、チョット昔へ散歩してます。Imgp2082

ところで、浅川マキさんも今年、演奏旅行中に亡くなられましたね。 ナムアミダブツ。 

   

  


自転車パンク報告

2010-08-19 00:56:16 | 自転車でブラブラ

日曜日、クソ暑いなか37km程走った時、2回目のパンクに遭遇。 西神中央をかすめてR175へ至るいつものルート、福谷の県道と櫨谷川の跨橋でいきなりボン!プシュウ、後タイヤがパンクした。 
去年10月もここでパンク。 その時は異物(ガラスか金属片)による切損、タイヤもチューブもバァだったが、今回はリムテープが破れていた。 
取りあえずチューブ交換。 このままだとまたパンクするはずなので本日リムテープを交換しようと思い、近所のSportsDepoへ買いに行く。 しかし20インチのものはない、タイヤとチューブはあるのに。 「取り寄せになります、1週間程かかります、お急ぎなら隣のコーナンさんに切って使えるのありますよ」と言う事で、ママチャリ用(?)¥198でした。

Imgp2077 スポークの穴の所が破れてます。

Imgp2079 外して裏から見るとこんな感じ。

こんな原因のパンクがあるとは知らなかった。 

ついでにほとんど使わないスタンドを外した。Imgp2080  

この小径車は先月ハンドルポジションチェンジャーを付けた。Imgp2062_2 

これによりハンドル位置が50mmさがり30mm前になって、ロードバイクの位置関係に近づいたが、その分重くなった。 今回スタンドを外し、それと相殺された感じ、すぐにでも乗り出したいが、既に呑んでるし、飲酒運転になるし、コケたらアホやし、また明日にしましょう。  

 

 


お墓参り

2010-08-14 12:50:31 | 車でブラブラ

今年もちゃんとお墓参り行きました、暑いなか、いや車なのでそんなに暑くないか。 それでも駐車場からお墓までの往復で充分アセかきました。 バスで歩いて行かれてた人達、お年寄りが多かった様に思えたが、大変だったでしょうね。 何年か前、車を事故で亡くした2週間後、バスで行ったことあったので、大変さ、よ~く判りますよ。 

ウチのお墓、六甲山麓と言うか山腹にある。 そのまま登ると2時間ほどで六甲主稜線に着くが、そこは山上街になっている。 このハイキングコースは石切道と言ってホントに石切り場(の跡)がある。 花崗岩を切り取って、石切道から降ろして石にすると御影石。 降りてきた所にあるのは阪急御影駅。 途中の墓場は当然ミカゲ石だらけ。 なにやらダジャレの様なエリアですナ。 

石切道の西隣の谷は大月地獄谷、その西隣には西山谷と言うのがあって、いずれも滝が連続した沢登りルート。 転落事故も偶にあるので、高校生の時は「絶対ひとりでは行くな」と言われていた。 しかし、いずれも初めて行った時はひとりだった、大きな滝ではそれなりに緊張したけど。 その後砂防ダムでいくつかの滝が消え、また阪神大震災で周りが崩れ、埋まった滝も多いらしい。                                                                  Imgp2075 道の向こうが大月地獄谷です。

阪神大震災ではウチのお墓も軸石が倒れ、数か所欠けた。 今もそのまま、と言うかそれがナンカ風格になっている、と思ってます。 修理は出来ないだろうし、また建て直すのにはお金かかるし、別にキレイになった石の下に入りたいとも思わンし。

Imgp2073上端の角、欠けたままです。 震災2ヶ月後、様子見に行って、倒れていたので起こしました、一人で。 力があった、まだ若かった。 しかし、重かった、途中で腰、抜けそうになった。  26年前にオヤジが入って、2年前からはオフクロが入ってます。